覇王への道   作:発破六十四

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第四話でございます。
色々と書きたいものを入れていったら過去最長になってしまいました。
なお、作中に出てくるアドマイヤベガのキャラソンは、私の妄想ですのであしからず。


バトンタッチ

『リギルからの刺客!オペラオーの連勝ストップへグラスワンダー調整順調!』

刺激的な見出しのスポーツ新聞を、アンタレスのトレーナーは自分の机に置いた。

もちろんこんな記事などあまり相手にはしていない。

グラスワンダーや東条に変な感情や狙いなどないのは、リギルでサブトレーナーをしていた彼自身が良く分かっていた。

「…だからこそ怖い」

チームの脱退云々などレースの前には些事だ。彼女らはただ目の前のレースに勝つために、全力で向かってくる。

正直トレーナーとして、彼が東条に勝っている部分などほぼない。

経験も指導力も知識も全てが負けている。

グラスワンダー自身は不調だが、本来の底力と切れ味はオペラオーに勝るとも劣らない。

それに加えて今の所最後に、オペラオーに土をつけたウマ娘であるのも不気味だった。

(幸いなのは、あいつの仕上がりがメチャクチャ順調って事や)

隙の無い調整とはこの事だと言わんばかりに、オペラオーは完璧な仕上がりを見せつつある。

同期で仲の良いアドマイヤベガの宝塚回避でどうなるかと思ったが、逆にモチベーションにつなげているようだ。

「大した奴やでホンマ」

トレーナーは一人でそう呟くと、椅子から立ち上がった。

たとえトレーナーとして東条にまるで敵わずとも、自分が今やれる事を全力でやる。

それがオペラオーに、いや担当するウマ娘にしてあげられる唯一の事だと自らに言い聞かす。

そうして部室を後にするトレーナーは、部屋を出る直前にホワイトボードの『五冠まで、あと四つ!』という文字を数秒間見ていた。

 

 

 

『競走ウマ娘はアイドルでありアスリートである』

誰かが言った言葉だ。なるほど彼女たちは人間の限界を大きく超えた速度で走り、尚且つ端正な容姿を活かし歌って踊る。

それこそ偶像となり支持を集める。観る者それぞれが自分なりの思いと感情を抱きながら。

メイショウドトウがテイエムオペラオーに抱いた感情、それは最初は驚きだったがすぐに憧れへと姿を変えた。

「次の宝塚、グラスワンダーとテイエムオペラオーの遺恨試合とか言ってますけど、ウチのドトウが貰いますから」

宝塚を直前に控えたその日。メイショウドトウの担当トレーナーは、囲み取材で堂々と言った。

彼が言うように報道は、リギルから移籍したオペラオーとそのリギルの先輩であり、グランプリ連勝ウマ娘グラスワンダーの対決に注目していた。

皆が気にしているのは“最強世代”の一角であるグラスワンダーが、オペラオーの快進撃を止めるか。

オペラオー1番人気、グラスワンダーが2番人気というのもそれを証明していた。

「確かに、メイショウドトウさんは上り調子ですが、それを言うならテイエムオペラオーはもっと好調なのでは?」

スポーツ朝毎の女性記者がトレーナーに問う。

「それは認めます。ですが、ドトウはそれにも負けていない。担当トレーナーとして実感しています」

「……ご本人はどうですか?初のG1ですが」

不意に変えられた矛先に、メイショウドトウはおどおどしながら答える。

「えっとぉ~あのぅ~その~……頑張ります」

自信なさげな、か細い声が虚しくその場に漂った。

「そ、そうですか…ありがとうございます」

その盛り下がる返答のせいか、それからほどなくして取材は終わった。

三々五々に散っていく記者たちを見ながら、トレーナーは悔しそうに頭を掻いた。

「くそっ……まあ仕方ないか。6番人気だからな」

トレーナーは、マスコミの扱いに不満のようだ。

「ご、ごめんなさぁい。私のせいで」

「気にするな。それに、俺の言った事は本心だ。レース本番になれば周囲は驚き、お前を過小評価していた事を恥じるだろうよ」

俯く教え子をよそに、トレーナーはそう言って笑い飛ばして見せた。

「まあドトウが驚かせたいのは、あの自称覇王サマだろうけどな」

「……はい!」

メイショウドトウの雰囲気が一瞬で変わった。トレーナーから笑いが消える。

引っ込み思案や自己評価の低さなど、表向きの姿に過ぎない。

彼女の本質は競走ウマ娘らしい高い闘争心を、たっぷりと湛えている事をトレーナーは知っている。

それを入れるスイッチは言うまでもなくオペラオーだ。

(……感謝してるぜ“覇王”サマ。お陰でドトウは育った)

素質にほれ込みメイショウドトウの担当となったトレーナー。

だが昨年は中々結果につながらない事も多かった。

しかしメイショウドトウは諦めなかった。憧れであり目標であるオペラオーに追いつくために不断の努力を続けた。

そのペースは遅かったかもしれないが、着実に力をつけ才能を目覚めさせていった。

そして今年に入って、トレーナーはついに自分の眼力が正しかった事を確信する。

「お前はもう今のトゥインクルで、トップクラスの力を持っている。勝てるぞ宝塚記念」

トレーナーがメイショウドトウの肩を叩く。

(私の太陽……並んでみせます。あなたの隣に…!)

後に、世紀末覇王の最大のライバルと評されたウマ娘は静かに燃えていた。

 

 

 

そしてついに、宝塚記念の日は訪れた。

天気はあいにくに雨だったが、芝の状態は問題なかった。

ゲートに向かう途中で、テイエムオペラオーは少し前の出来事を思い出していた。

『グラスワンダーと何か話してたな。何を話してたんや?』

控室でトレーナーからオペラオーはそう尋ねられた。

『昨日の記者会見の君、面白かったって話をしてたのさ』

『なっ、そ、そりゃ勘弁してくれへんか…』

宝塚前の記者会見。たまたま東条と隣の席になったトレーナーは、オペラオーが面白いと言ったのも分かるほど狼狽えていた。

東条の一挙手一投足に反応し、わざとらしく視線を逸らしたりメモを取っている振りをしたりする。

東条が殆ど、いや全く意識していないのは明確だったのだが。

彼自身もそれは分かっている筈なのに、取り乱してしまうのはキャラクターと言うべきか。

『あれ、悪いけど、見ていて噴き出しそうだったわね』

グラスワンダーはそう言って苦笑した。

アンタレスのトレーナーは、リギルでサブトレーナーをしていたので当然知らない仲ではない。

その彼が視界の片隅で、挙動不審な動きをしているのだから笑い出しそうになるのも無理はなかった。

談笑する2人の栗毛はまるで、かつてのリギルでの一コマのようだ。

『独立してからご無沙汰だったけれど、お変わりないみたいね』

『結局小心者なんですよ。他でもないボクのトレーナーなんだから堂々としていればいいのに』

そう言ってオペラオーは胸を張って見せる。それを見ながらグラスワンダーは少しだけ寂しそうに言った。

『……でも、あなたは変わったわね。良い方に』

『え?』

予期してなかった言葉に一瞬呆気にとられる。

『良い勝負をしましょうね。それと伝えたい事があるので、終わったら少しお話をしましょう』

そう言い残してグラスワンダーは、オペラオーから離れていった。

(ボクが変わった……か…そう言えばトップロードにも言われたっけ)

ゲートに入りながら、オペラオーは自分の変化について少しだけ気を向ける。

確かにグラスワンダーに敗れたあの有までと、東条に“全勝宣言”をしてアンタレスへ移籍したあの日からの自分は違う。

どこが違うと聞かれれば具体的な説明はし辛いが、あえて言うのならテイエムオペラオーと言うウマ娘が完成したような気がしていた。

それを心技体の充実とグラスワンダーは評した。

(昔は可愛いくらい、隙があったのよねぇ……だけどもう)

グラスワンダーがちらりと1枠のオペラオーに視線を移した。

彼女の評価を証明するように、ゲートに完全に収まった瞬間、オペラオーから全ての雑音が消えていた。

完璧に近い集中。もはや隙だらけの可愛い後輩はどこにもおらず、いるのは無慈悲なほど強く賢く速いウマ娘――オペラオー自身の言葉を借りるなら“覇王”だ。

勝てるのか。かつての自分ならいざ知らず、衰えと体調不良で切れ味の落ちた日本刀のような今の自分で。

恩師はそれでも必死にそのナマクラを研いでくれた。感謝してもしきれない。だがそれでも覇王の喉元に届くのかは分からない。

自問自答に合わせて血が冷たくなるような感覚に、グラスワンダーは包まれた。

(…嫌いじゃないわ)

その感覚も、勝てる確証のない強敵に挑むのも。

グラスワンダーが小さく息を吐いて、思考を切り替えオペラオーと同じようにレースに集中する。

やがて、ゲートが開き11人のウマ娘たちは一斉に飛び出していった。

 

 

 

「ほら、始まるわよ宝塚」

「………」

トレセン学園でテレビの前に椅子を並べて座っているのはナリタトップロードと、アドマイヤベガだった。

先日オペラオーに頼まれて、四苦八苦したものの、なんとかトップロードはアドマイヤベガを引っ張り出したのだった。

しかしその肝心の本人は、勝負服を身に纏ったウマ娘たちがゲートに向かうのを見ても無反応だ。

「誰が勝つかなぁグラス先輩かな、それともラスカル?それとも生意気に1番人気のオペラオー?」

「……別に誰でもいい」

アドマイヤベガが心底どうでも良さそうに口を開いた。

(………無理もないか)

繋靭帯炎に罹ってしまってからのアドマイヤベガは、たまに学園で見かけても憔悴しきって無気力なように見えた。

余りにもトップロードがしつこく頼むから、やむを得ず出てきただけであろう。

引退するとはっきり言ってはいないが、いつ言い出してもおかしくない状態に見えた。

(大体、宝塚記念を見ろってどういうつもりよ?出る予定だったレースなんて、普通見たくないでしょ!?)

トップロードの疑念は当然と言えば当然だった。

先程からさっさと宝塚記念など、終わってしまえば良いというアドマイヤベガの本音が態度に出ている。

『スタートしました。11人、これからスタンド前に出てきますが、外目からジョービックバン……』

「あ、ほら、スタートしたよ」

出遅れる者もなく、雨を切り裂くように11人の選ばれたウマ娘たちが芝を駆けていく。

『3番手にメイショウドトウ、4番手にマチカネフクキタル、5番手集団にグラスワンダーです。テイエムオペラオーは中段のインコース』

「ああっ、見てよあの子。同じクラスのドトウ、目立たないけど最近めっきり力付けてるんだよね。それにフクキタル先輩、相変わらず綺麗なフォームだなぁ」

重くなった雰囲気を和らげようと、トップロードは努めて明るく話す。

「オペラオーは今日も真ん中か。あ、リョテイ先輩は最後方かぁ~相変わらず作戦が読めないね」

「……トップロード。無理に喋らなくていいから」

(おっ…?)

口調こそ相変わらずだが、アドマイヤベガの瞳に真剣さが浮かんでいるのをトップロードは見逃さなかった。

どれほど嫌がり疎ましく思っても、目の前でレースを見せられれば惹きつけられる。

それが競走ウマ娘だという事を、トップロードは改めて思い知った。

レース展開はこの中で最年長のサイレントハンターが抜けだし突っ走り、それをメイショウドトウが追いかけている。

その後ろにジョービッグバンとオペラオーが控えていた。

(サイレントハンター先輩の逃げは予想通りだけど、ドトウの走り……あんなに速い子だっけ?)

(メイショウドトウ……強い!)

トップロードもアドマイヤベガも一流のウマ娘である。仲間の走りを見抜くのは早い。

その眼がクラスでも決して目立たない同期生の、力強いストロークの走りの質の高さを見て取っていた。

そのままサイレントハンターとメイショウドトウがレースを引っ張ったまま展開は動かない。

やがて第3コーナーに差し掛かった時、後段のラスカルスズカが仕掛けた。

猛然と内をついて、オペラオーもグラスワンダーもかわして、一気に4番手まで駆け上がってきた。

「ラスカル!」

『テイエムオペラオー、グラスワンダー中段。後は今日限りで引退を表明している、マチカネフクキタル』

カメラが必死に走るマチカネフクキタルの表情を抜く。かなり苦しそうな顔だ。

残り600メートルを切った。ラスカルスズカは勢いそのままに、先頭の2人も抜いて1番手に躍り出る。

「ラスカル、このままいっちゃう!?」

「いや、ここからが…!」

最後の直線。敗者と勝者を分かつ審判の時。

ついに大本命が動いた。

『外からテイエムオペラオー、内からラスカルスズカ、グラスワンダーは伸びない!』

加速するオペラオーと、対照的に失速するように伸びないグラスワンダー。

映し出されたグラスワンダーは顔を歪めている。

「やっぱりオペラオーが来た!」

「…いや、あの子…メイショウドトウも伸びてる!」

2人が言うようにオペラオーと、メイショウドトウが内外から伸びる。

加えてジョービッグバンもラスカルスズカをかわして、先頭争いが激化する。

激しく熱い僅差の戦い。ここでものをいうのは、もはや速さではなくいわゆる勝負根性だ。

『うおおおぁっ!』

見眼麗しい容姿や華やかな勝負服とは相反した、時速60キロ台の熱気と気迫と意地のぶつけ合い。

あるいはその激しいギャップこそが、ファンたちを熱狂させるのだろうか。

そして長いようで短い時間は、あっさりと終わりを告げた。

『テイエムオペラオーだ!僅かにテイエムオペラオー!』

勝者の名が告げられ、阪神競バ場が歓声に包まれオペラオーが右手を掲げている時、トップロードは隣のアドマイヤベガが拳を握りしめていたのを見逃さなかった。

 

 

 

届かなかった。あと少し、ほんの少しの差で彼女は敗れた。

「はぁっ…はぁっ…!」

肩で息をするのはメイショウドトウ。僅差の2位に終わった結果だが満足感があった。

(並べた……オペラオーさんと並んで、良い勝負ができた!)

かねてより憧れていた同期生と接戦を演じられた。

それが嬉しくてたまらなかった。きっとこれで自分の存在と名前を彼女に真の意味で、植え付ける事も出来ただろう。

そんな思いが疲れを忘れさせた。そして彼女の視線は自然とオペラオーを探していた。

目立つ彼女は、見つけるのも容易だった。憧れの存在は汗を拭い、笑顔を浮かべている。

メイショウドトウは彼女に話しかけようかと思った。これまで無理だったが、今ならいける気がした。

でも第一声は何と言おうか。おめでとうございますがいいか。

などと考えていると、不意にオペラオーの紫の瞳と目が合った。

耳をピンと伸ばし、メイショウドトウに緊張が走ると同時に、オペラオーは何かに気が付いたように歩き出した。

(あっ……こっちにくる?)

つかつかと自分の方に歩み寄ってくるオペラオー。メイショウドトウは一気に赤面した。

まだ心の準備ができていない。“惜しかったねドトウ”なんて言ってくれるのだろうか。

などと様々な思いが浮かんでは消えていく間に、オペラオーとの距離はどんどん詰まってゆき、ついに目の前までやって来た。

「あっ、あの…!」

意を決して自分から声をかけようとした時、オペラオーは無言で横を通り過ぎていった。

(えっ?)

思わず振り返るメイショウドトウ。だが間違いなどではなく、オペラオーは誰かを探すように顔を動かしていた。

その誰かが彼女ではない事は濃厚だった。

(だ、誰を探して…?)

さりげなくオペラオーの視界に、入ってみるがまるで無反応だ。

(もしかして私の事なんか……全然意識してない?)

まさかと自らの脳内で反証する。僅差の2位を気にしていない事などあるものか。

わざと無視しているのか。という疑問もわいたが、オペラオーの所作は全く自然なものにしか見えない。

となれば推測される答えは一つしかない。

メイショウドトウから充足感が消え、代わりに疲労と心細さが襲ってきた。

まるで最下位に終わったウマ娘のように、顔面蒼白で足取りもおぼつかなくなる。

(どうして……?)

メイショウドトウは自分の足元が崩れるような錯覚を覚えていた。

 

 

 

メイショウドトウの思いを知らないオペラオー。ただ彼女はリギルの先輩を探していた。

(どこだ…グラスワンダー先輩は?)

彼女が言ったレース前の言葉を思い出したのだ。オペラオーは周囲を見渡したが彼女の姿はない。

「ん?」

キョロキョロしていたオペラオーの視界の端に、栗毛の先輩の姿が映ったが、その姿に違和感を感じた。

「しまった……いかん!グラス、それ以上動くな!」

いち早く気が付いたのは担当である東条だった。柵を乗り越え教え子の元へと急ぐ。

カメラマンも察したのか、カメラをグラスワンダーへと向けた。

「お、おい、あれって…?」

「マズイんじゃないか」

ターフビジョンに映されたグラスワンダーの姿に、場内のあちこちからざわめきが起こる。

栗毛の少女は左脚を引きずっていた。顔を流れる滝のような汗は、どう見てもレースの疲れによる物だけではない。

「先輩っ!?」

オペラオーも思わずグラスワンダーの元へと走り出していた。

合わせるように救急車が駆け付けて東条が見守っている中、隊員達はグラスワンダーをストレッチャーへと乗せている。

「グラス先輩!」

「下がって!」

「待って下さい。彼女と話をさせて下さい」

「……私からもお願いします。言いたい事があるようです」

グラスワンダーと東条の言葉に、オペラオーを止めようとした隊員が少しだけですよと言って彼女を通す。

「先輩、大丈夫ですか?」

「…多分だけど、折れているわね」

絶句する。最悪の事態だった。

「……易々と“世代交代”してあげるつもりはなかったんだけど、簡単にどいちゃったわね」

痛みに耐えながらの苦笑は痛々しい。

「これからはあなた達が、後輩みんなの壁になる番……って事かしら」

「……先輩」

「そんな顔しないで。この後ライブもあるのに」

言葉が出ない。何を言っても空寒い気がした。

「…手を出して」

言われるがままに出されたオペラオーの右手を、グラスワンダーがパンと叩いた。

「これは…?」

「スぺちゃんを差し置いておこがましいけど…これで“バトンタッチ”…ね」

その言葉の意味を察し、オペラオーはハッと顔を上げる。そして大事な物を貰ったように握った右手を左手で包む。

「もういいですか?」

「はい、お願いします」

救急車へと運び込まれていくグラスワンダー。

オペラオーは左手で右手を包み込んだままじっとそれを見つめていたが、何かを決意したようにその背中に向かって、言葉を投げかけた。

「……先輩、グラスワンダー先輩!これでボクは先輩に勝ったなんて…有の借りを返したなんて、思ってないですからね!いつかまた……!」

それ以上は言葉にならなかったが、グラスワンダーはストレッチャーの上から手を振って見せた。

 

 

 

どうして?ドウシテ?why?

同じ言葉が渦のように絡まり合って、メイショウドトウの脳内を駆け巡る。

(あんなに頑張ったのに!…いい走りだったのに!…あなたに近づけたのに!)

心の中で密かに太陽と呼んでいた少女は、グラスワンダーの故障という非常事態があったにせよ、殆ど自分に目もくれなかった。

展開だけで言えばかなり惜しい所まで迫った。

それによくよく思い返してみると、既にレース中からオペラオーが自分を意識していない走りだったように思えてきた。

先行するドトウを抜くためではなく、単純に1位になるための走りでしかなかった。

だからこそどう頑張っても、あの1メートル弱が埋まらなかったのではないか。

その結論に辿り着いた時、ドトウは下半身から力が抜けるのを感じた。

(何が悪かったんですか……私の何が?)

いくら考えても答えなど出ない。いつしかドトウは地下バ道をフラフラと彷徨っていた。

そうやって数分歩いただろうか。視界の端に招き猫を背負った背中が見える。そのような物を背負っているウマ娘は一人しかない。

(あれは、フクキタルさん?)

砂漠でオアシスを見つけた者のように、ドトウは引き寄せられるようにそちらへと向かう。

フクキタルと会って、何をどうしようという訳ではない。

単に心細い時に、友人の姿が見えたから本能的に歩いているだけだった。

「………ごめんなさい。トレーナーさん」

しかしフクキタルの絞り出したような、悲痛さすら含んだ謝罪の言葉。

それがドトウを半ば正気に戻し、動いていた脚を止めた。

「なんで謝る?いい走りだったよ」

フクキタルのトレーナーは、優しい口調で慰める。

「でも……でも、勝てませんでした!」

フクキタルの肩に、手を置こうとしたトレーナの動きが止まる。

「フク……」

「勝ちたかった!トゥインクル、最後のレース……勝って、トレーナーさんにご恩返しがしたかったんです…!」

ドトウからは背中しか見えないが、声の調子からして泣いているのは明らかだった。

「……フク、もういいんだ。自分を責めるな。それにレースの負けは俺の責任でもある」

「違います!悪いのは…悪いのは…!」

トレーナーがフクキタルの両肩をガッチリと掴む。

「フク!頼むから自分を責めないでくれ。お前は立派だった。何も恥じる必要はないんだ…お前は俺の自慢のウマ娘なんだから」

「で、でもご恩返しが」

「恩があるのは俺の方だ。神社で出会って、お前の担当になって3年半……そりゃ、色々あったけど、本当に楽しかったしトレーナーとして成長できた」

フクキタルの肩が震えている。

「だからフクが気にする必要はないんだよ」

「…トレーナーさぁん……ありがとうございます…でも……それでも…勝ちたかったです!」

「それは俺もだよ。ごめんな力足らずで、勝たせてやれずに………フク、すまない…ダメなトレーナーで」

感極まったのか、フクキタルはトレーナーに抱きつき、その胸に顔をうずめて泣き出した。

フクキタルの泣き声が、壁に反射してその場に響き渡る。

「うっ」

ドトウはとてもその場におられず逃げるように去る。

(恥ずかしい、恥ずかしい!)

とてもフクキタルと顔を合わせる事ができない。

凄まじい羞恥心にドトウの心は包まれている。

(勝とうと……あんなに泣くほど、フクキタルさんは勝とうとしていた!)

ベストとは程遠い状態でも、勝てる可能性の低い勝負でも、あの優しく仲のいい先輩は、懸命に必死に勝とうとしていた。

彼女のトレーナーが言うように立派だと思った。

では翻ってみて、自分はどうだったか。果たして勝とうとしていたか。

勝つ気が全くない訳ではなかっただろう。だがあのフクキタルほどの気持ちを持っていたのか。

(私は…私は、オペラオーさんの隣に並んで、競っただけで満足していた?)

そうだとするなら、相手にされなくて当然だと思った。僅差が届かなくて当然だと思った。

勝つ気の薄い者の走りなど、いくら好走しようがそれだけの事なのだ。

「ううっ」

ドトウは吐き気がして、思わずその場に膝をついた。

確信があった。このままでは、オペラオーには100回やって100回相手にされず負ける。

強くなる吐き気。手で口を押さえ何とか耐える。

(いやだ…いやだ、イヤだ!)

もうこんな思いをするのは二度と御免だった。

だがどうすれば良いのか。その答えは混乱しきった頭からは出てこない。

「ど、どうすればいいのぉ……?」

ついに思わず心の声を口に出す。だがその問いかけに答える者がいた。

「勝てばいいんだよ」

ドトウがその声に反応して顔を上げると、いつの間に現れたのか彼女の担当トレーナーが佇んでいた。

静かな、とても静かな表情で。

「トレーナーさぁん……!」

「全く、俺の話も聞かずどこに行くかと思えば…大丈夫か?」

「だ、大丈夫です。それよりも、さっきなんと…?」

「勝てばいいって言ったんだよ」

トレーナーがドトウの肩に手を置く。

「勝てば全てが解決する……それが勝負の世界。それがトゥインクルだろ?」

「勝つ……勝つために走る……」

ドトウの思いを彼が知っているのかどうかは分からない。

しかしその言葉は、今のドトウには天啓のように聞こえた。

「………そうですね。勝つしか……勝ちに行くしかないですよね…!」

ドトウが立ち上がる。吐き気は消えていた。

代わりに体を包んでいるのは、怒りにも似た高揚感。

「そんな事は当たり前だろう?」

「私はその当たり前の事が分かっていませんでした。いや、分かっているつもりで知ったかぶりしてたんです。本当に甘かった……!」

ドトウは血が出そうなほど自分の唇を噛み締めた。変わりたかった。変わらねば、あのお人好しでオカルト好きで優しい先輩に合わせる顔がないと。

人はきっかけ一つで簡単に別人へと変わる。オペラオーがあの日から変わったように。

ドトウも変わろうとしていた。並ぶための闘争心から、追いつき追い抜き覇王を敗者にするための闘争心へと。

(勝ちたい……勝ちたい!心の底から!)

凄まじいまでの勝利への渇望。それがふつふつと溶岩のように湧き上がっていた。

「…随分と思う所があったみたいだな」

黙って頷くドトウ。その顔は既に戦士のそれだ。

「次から“勝ち”に行きます。並ぶためではなく、追い抜くために。倒して見せます太陽を、オペラオーさんを!」

言葉に込められていたのは、覚悟であり自身への戒め。静かなその迫力にトレーナーは背中に冷たいものを感じた。

ドトウに迫力を感じたことは今まであったが、寒気を感じたのは初めてだった。

(今年に入ってドトウは本格化した…と思っていたけど、見込み違いだ。今、この瞬間ドトウは完成した)

トレーナーがたじろぐ程のプレッシャー。それは今までのドトウにはない物だった。

(覇王サマよ、後悔するなよ。あんたは自分でこいつを目覚めさせちまった。秋のシニア戦線、春のようにいくとは思わない事だ)

「……行きましょう。ウイニングライブがありますよね」

「ああっ?あ、そうだった。アンタレスのトレーナーから頼まれたんだった」

言葉通り何かを思い出したようで、ドトウのトレーナーは自身のスマホを取り出し始めた。

「?」

「覇王サマが、今日の曲目を変えたいんだとさ」

 

 

 

「もう良いでしょトップロード。最後まで見たんだし」

「まぁまぁ、ウイニングライブも見ようよ」

席を立とうするアドマイヤベガを、トップロードは引き止める。

(ライブまで引き止めてくれよなんて、気軽に言ってくれちゃって……)

レースだけでなくウイニングライブまで、一緒に見て欲しいというのがオペラオーの頼みだった。

「ね?ね?良いでしょ。そんなに長い時間かからないし」

「……分かったわよ」

面倒くさそうに言いながら、アドマイヤベガは浮かしていた腰を下ろした。

(ふぅ~良かったぁ……レースを見て少しは前向きになってくれたかな?)

確かにレースが始まる前のアドマイヤベガなら、そのまま帰っていたかもしれない。

(後はアンタ次第だよ、オペラオー)

一体何をする気なのか。レースを観戦して多少は前向きになったが、まだまだ心は落ち込んだままに見える。

わざわざライブまでと言うからには、ライブで何かをするつもりなのだろうが、トップロードにはそれが分からない。

ただ祈るような気持ちでテレビ画面を見つめる。

ウイニングライブを控えた会場。ほぼ満員の観客の前にウマ娘たちが現れる。

眩しく輝くスポットライトが、センターへと降り注がれた。

いよいよ始まるライブ。だがオペラオーの登場に合わせて流れて来た曲の前奏は、彼女の歌ではなかった。

だがその曲の正体を知っている者たちは驚きに包まれている。

『待たせたね!ボクの臣民の諸君!もう気づいている人もいるかもしれないけど、本日のライブはちょっと趣向を変えて、スペシャルカバーメドレーをお送りするよ!』

開口一番オペラオーはそう言った。ざわつく場内。

間髪をいれずに、オペラオーの右隣のウマ娘がマイクを握る。

『まずは不死鳥の快方と復活を願って!Secret GRADUATION!』

そう叫んだのは、グラスワンダーの同期で本日3着のジョービッグバンだ。

『毎日がこんなにもカラフルだなんて、知らなかったんです』

場内に響く、歌声。グラスワンダーのファンらしき人達が沸く。

オペラオーの臣民いやファンたちも、自分たちの“覇王”の意図を察したのか、それともレアなカバー曲に喜んだのか歓声を送る。

『うぉーっ!グラスー!早く良くなってくれーっ!』

『ふっ……粋な事をするじゃないか、オペラオー』

病院で治療中のグラスワンダーを待っている東条が、スマートフォンでライブを見ながら呟く。

そして曲がある程度進んだところで、今度は左隣のウマ娘がマイクを握った。

『続いて、本日トゥインクルを去る、栄光の菊花賞ウマ娘に敬意を表して!Lucky Comes True!』

本日2着のメイショウドトウが叫ぶ。そして一気に曲がどこか和風のメロディへと切り替わる。

『さぁ…手相にタロット四柱推命で占って進ぜましょう!』

今度はフクキタルのファンが盛り上がる。

『フクキタルー!今までありがとうー!お前と出会ってから、毎日大吉だったぞー!ドリームリーグでも頑張れよ~!』

『良い後輩を持ったな、フク』

フクキタルのトレーナーが、彼女に寄り添いながら言った。

『ええ…ドトウ、ありがとうございます…』

『フク、お疲れ様』

トレーナーがフクキタルの髪をくしゃっと撫でた。

やがてまた曲が変わる。今度はセンターのオペラオーがマイクを掴む。

栗毛がスポットライトを反射し、紫色の瞳がより輝きを増す。

そうして放たれた言葉は、会場の皆の予想外のものだった。

『最後に……夏の一等星が再びターフに輝く日を信じて!Shining Star!』

オペラオーが天を指さし叫ぶ。そしてその言葉を聞いた時、テレビの前の2人は驚きの顔を浮かべた。

言葉と同時に流れ出した音楽は、両者ともに聞き覚えがあった。

去年の日本ダービー。全力をぶつけ合った3人がレース後に歌った曲。

当然負けた2人は悔しさもあった。しかしその爽やかなメロディと歌詞は、そんな思いも薄れさせたのを覚えている。

「えっ……!」

「ベガ、これってあなたの…!」

そう今ライブでオペラオーたちが歌っている曲は、アドマイヤベガの曲であった。

まさかのメドレーの締めが、病気を患いこの宝塚を回避した同期のライバルの曲。

その意味と先程のオペラオーの発言の意図。それはすぐにアドマイヤベガへと伝わった。

曲が歌声がテレビから聞こえるたびに、まるで動悸のように彼女の胸を動かしていた。

『帰ってくるんだ。そしてまたここで君がこの歌を歌うんだ!』

アドマイヤベガはそうオペラオーに、言われているような気がした。

「オペラオー、コレを見せるために…!」

「……バカね。本当にバカ……大事なライブでわざわざ他人の曲を……」

同期からのこれ以上ない激励。それがついにアドマイヤベガの沈んだ心を動かした。

アドマイヤベガの頬を、あふれ出した熱い液体が伝っている。

それを拭いもせず、震える声で続ける。

「そこまでして私に戻って欲しいの?………全く相変わらず迷惑な人…こんな事をされたら………戻るしかないじゃない…!」

こらえきれなくなったのか、アドマイヤベガは下を向いて泣き出した。

その背中をさするトップロードの瞳にも、薄っすら涙が浮かんでいた。

(全く……負けたわよオペラオー。今回は完敗ね)

などと思いながらトップロードは、テレビの中で歌う同期の顔を見つめていた。

 

 

 

(グラス先輩見てて下さい……先輩から託されたもの…年間無敗と五冠に加えて、世代交代もしてみせますから!)

(フクキタルさん見てて下さい……私はオペラオーさんを倒します!たとえ何回負けても、必ず!)

今後も名勝負を何度も繰り広げ、3位以下を絶望すらさせる2人。

その初対決であった宝塚が終了し、同時にオペラオーが常に中心だったトゥインクル上半期も終わりを告げたのだった。

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