藍原延珠がある日死亡し、その死についてある男を問い詰める蓮太郎のお話。

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最終的勝利

 藍原延珠が死んだ。蓮太郎がその報を受け取ったのはなんて事の無い平和な日だった。天童木更が消え、少しだけ広くなった天童民間警備会社のソファーで、ティナと延珠の事を話している時の事であった。

 

 役人が、本人確認のためという事で電話を入れてきたのだ。無機質な、業務的な呼び出しの声に応じ、内心違ってくれと願いながらタクシーを急がせる。そして病院の死体安置所に通され、そこで対面した。

 

 延珠の姿はとてもきれいな物だった。胸と、腹部の負傷にさえ目を閉じれば、ただ眠っているようにすら見える程に、きれいな死体だった。愛らしい唇は紅が引かれ、白のワンピースにどす黒い血が染み、死体愛好家であれば絵画に収めようとするであろう様子だった。

 

 延珠はその日、どこかに出かけると言い、どこで覚えたのかメイクをし、少しだけ奮発して買った服を着って出かけていた。蓮太郎はもうおしゃれをする年齢なのかとほほえましく思っていたが、それがそのまま亡骸を彩る事になった。

 

 刑事曰く、ガス管の破裂によって超高圧で発射された金属が心臓と肝臓、脊髄に命中した結果、ほぼ即死だったと話した。

 

 蓮太郎はひどく混乱した。それもそうだ。ガス管が炸裂し、まるで狙撃の如き精密さを以てして愛する家族の命を奪ったとなれば、普通は故意による殺害を疑うだろう。

 

 否、そもそもの話。たしかに心臓や肝臓、そして脊髄は人類の身体構造上の弱点であるが、呪われた子供たちである延珠がバラニウムですらないただの金属片によって即死することなどあり得るのだろうか? もしあり得たとてそれを成し得る超高圧力がガス管の破裂程度で発生するのだろうか?

 

 そんな疑念が脳裏を巡ったが、ここに延珠の亡骸があり、警官や医師がそう言っている以上どうしようもなく。その上、延珠を失ったという事実はまるで現実感が無く、その疑惑について口論をする気力も思考力も湧き上がってこず、ただ悪い白昼夢を見るかのように、ただ茫然として説明を受けていた。

 

 意外な事に、ティナは冷静だった。現状を受け入れられず、精彩を欠いた蓮太郎の代わりに延珠の葬儀の手続きを済ませ、天童民間警備会社の休業手続きをする他、文字通り片時も蓮太郎の傍を離れず、同じ風呂に入り、同じベッドで眠った。

 

 トイレにまで入ってこようとしたティナに、蓮太郎は何の冗談だと笑ったが、ティナの表情は真面目そのもので、まるで戦場にいる時の様だった。

 

 後になって蓮太郎は、自身が木更を殺した時、延珠が今のティナと同じように自分から片時も離れなかったのを思い出した。それが後追い自殺を警戒しての事だと、愛する男を守らんとする女性としての意地だったと理解したのも、また後になっての話だった。

 

 蓮太郎が現実を実感したのは、葬儀のその日になってからの話だった。かつて、両親の死を受け入れられずに葬儀で暴れたのとは正反対に、蓮太郎は粛々と葬儀を済ませ、葬儀がひとしきり済んで一息ついたところでふと、本当に死んでしまったのだと自覚した。

 

 延珠の居ない生活は、案外なんて事のないように続いた。あれほど欠かすことができないと思っていた少女の死は、まるで世界にとっては何でもない事であるかのように、何事もなく続く。

 

 木更の死も、延珠の死も、あるいはその他多くの死も飲み込んで、流れて行く毎日に、蓮太郎は嫌悪感を覚えた。

 

 結局、今に至るまで二人の死を受け入れられず、蓮太郎は立ち止まったままなのだと自嘲する。

 

―――だから行動した。その結果が今である。

 

 そして目の前の男を睨みつける。中肉中背、端正と言えばそうだが、なぜか特徴を掴めない、神経質なサラリーマンとしか形容のしようのない男だった。

 

「それで、復讐に来たのですか。里見蓮太郎君」

 

 男の声は嫌味なほど上品で、丁寧で完璧な発音であった。まるで、背中に突き付けられた拳銃など知らぬとばかりに笑みさえ浮かべていた。

 

「ああ、よくわかったな。まあ知ってて当然だろうが」

 

 蓮太郎はこの男を殴り殺したい衝動を抑えながら、会話を続ける。

 

「それはもう、東京エリアの英雄ですからね。それに、対象の周辺人物くらいは把握しますよ。まあ、痕跡を残すような無様な仕事しかできない執行人が言えたことではないですが」

 

 男は笑う。まるで機械が音を再生するかのように、”らしさ”の無い声であったが。

 

「で、テメェなんだろ。延珠を殺したのは」

 

 蓮太郎の核心を突く発言にも、男は変わらぬ調子どころか呆れを含んだように答える、

 

「ええ、そうですよ。ですかその問いは愚問と言う物です。私が藍原延珠さんを殺した本人だからこそ、こうして銃を向けているのでしょうに。それとも貴方は通行人に手当たり次第に銃口を向ける趣味でもお持ちなのですか?」

 

「チッ!」

 

 蓮太郎は男の背中を蹴飛ばす。男は今まで相対してきた敵手の中で、最も呆気なく地面に突っ伏した。

 

 そう、蓮太郎は結局、延珠の死を受け入れられなかった。ティナの制止を振り切り、菫の忠告を無視し、未織の手を振り切って、ただ一人、痕跡を追った。

 

 蓮太郎もうすうす感づいていた。彼女たちが止める理由も、延珠が殺された理由も、どうして「事故死」として処理されたのかも。

 

 半年間の追跡の末、狭い東京エリアではあっけなく相手は見つかった。その男が今地面に突っ伏している嫌味な男、姓は諏訪であるという所までは調べはついていた。それが偽名であるかどうかなど、蓮太郎にはどうでも良い事だった。

 

「蓮太郎君、私が言うのも何だが、暴力は良くない。特に君の体に仕込まれた技と業が私を殺さない内に止めておくべきですよ」

 

 諏訪は、自分の顔から流れる血をハンカチでふき取りながら。変わらぬ態度で続ける。

 

「君も、私がどういう人間かくらいの察しは付けているのでしょう? なら殺すのも、暴力自体得策ではない」

 

 命乞いではなく、ただ当然の結果を報告するように諏訪は言う。

 

「ああ知ってるさ。アンタが政府の役人だってことぐらいはな!」

 

 蓮太郎は諏訪を殴る。特に防御するでもなく、諏訪は吹っ飛ばされる。

 

「なら、この暴力がどういう結果を産むかも重々承知の上、ですか。若さゆえの暴走として多少の蛮行は黙っておきますが、私が死ぬとなれば、さすがに私にはどうしようもない。負傷は誤魔化せますが、死人の存在は消しようがないですからね」

 

 起き上がり、変わらぬ様子で諏訪は話す。まるで蓮太郎に殴られる事が延珠の死に対する責任の取り方であるとばかりに、反撃も逃走も、その双方を取る気配すらない。

 

「なぜ殺した」

 

「なぜ? 蓮太郎君、君は質問が下手ですね。理由は延珠さん以上に貴方の方が詳しいでしょうに」

 

 延珠以上に、という言動に蓮太郎の動きが止まる。

 

「体内浸食率が、いわゆる呪われた子供たちの寿命が来ていたのは貴方も知っていたでしょうに。あと一週間もしない内にガストレア化する寸前まで放置すると言うのは、監督不行き届きと謗られても文句を言えませんよ」

 

「だから! だから殺したのか! 病気の家畜を屠殺するみてぇに。延珠を、他の子ども達を、殺したのかよ!」

 

 自然と声が大きくなってゆく蓮太郎と対照的に、諏訪の声は静かだった。

 

「言葉が悪いですよ蓮太郎君。私は、私達は一度も『病気の家畜』などと思って彼女たちを殺したことはありません」

 

 『彼女たち』と諏訪は隠す事無く言う。ただ淡々と、事実のみを語る口調で言う。

 

「体内浸食率が限界に達した呪われた子供たちの処置。これはこの国家に必要な仕組みです。必ず誰かがやる事になる仕事です」

 

「そうやっててめぇら『検疫官』は人殺しを正当化するのかよ。必要だから、仕方がないからって言って、この人殺しが!」

 

 衝動的に蓮太郎は叫ぶ。家族を奪われた痛みが、苦しみが、蓮太郎から冷静な思考を奪う。トリガーにかかりっぱなしになった人差し指に力がこもってゆく。

 

「それを言ったら元人間を大勢殺して金を稼ぐ君たち民警も、道義的にはそう大して変わらないでしょうに。化け物退治は、化け物になる寸前の人間を殺す事に比べてそんなに貴い事業ですか?」

 

 諏訪は『失礼』と言い、まるで携帯を取り出すかのような自然な手つきで、ジャケットの内側から銃を取り出した。

 

 蓮太郎は警戒していなかった訳ではなかったが、正常ではない精神状況と、諏訪の鍛え抜かれた『相手の不意を突く』技術によって銃が抜かれるのを見過ごしてしまった。

 

「それで、その銃で延珠を殺したのか」

 

「はい、心臓に関しては爆薬の炸裂で十二分の効果を与えていましたが、肝臓と脊髄には念のために一撃ずつ。バラニウム製のフランジブル弾を撃ち込みました」

 

 その銃は異様な外観だった。銃身と機関部がすべて一つの筒になっており、マガジンを兼ねたグリップが垂直に突き立っていた。

 

 ウェルロッドというイギリス製の第二次世界大戦期の消音拳銃と酷似した外見である。だが蓮太郎は、以前未織に見せてもらった司馬重工の製造物リストにあった改良版であると気が付いた。

 

 蓮太郎は未織が自分を引き留めた理由に合点がいった。政府から消音特化の拳銃と、対ガストレア戦においては不利に働く、対人用弾丸たるフランジブル弾、それも亜音速弾の注文が来たとなれば、用途に察しがついていたのだろう。

 

 蓮太郎と諏訪は、双方銃を突きつけあった姿勢で静止する。

 

「我々検疫官が使う弾丸は呪われた子供たちへの対処に調整されたものですが、君のようなただの人間に対しても十二分に効果はあります。試しますか?」

 

「やれるもんならやってみろ! てめぇが引き金を引くより早くその頭蓋を吹っ飛ばしてやる」

 

 蓮太郎は殺意を込めて叫ぶ。だがやはり諏訪の反応は冷静な物だった。

 

「冗談ですよ。貴方と殺しあって勝てるなどと、私は思いあがっていません」

 

 諏訪は銃をホルスターに収め、蓮太郎に話す。

 

「ですが、私を殺せば、検疫官たちは行動を始めるでしょう。平穏に、秘密裏に、静かに、確実に、東京エリアの治安を脅かす『脅威』の排除のために。この銃が、貴方だけでなく、貴方の協力者にさえ向くのは想像に難くないはずです」

 

「ふざけるな、そっちは延珠を殺したくせに! 自分たちに手を出せば秩序を乱したと全力で殺しにかかるのかよ」

 

「それが法と権力ですよ蓮太郎君。たとえ道理と情緒の上では許されるような仇討ちも、法に反していれば国家はそれを全力で叩き潰さねばなりません。まして、反抗の前例を作ってしまえば、秩序とはたやすく崩れてしまいますからね」

 

 蓮太郎の手が震える、その殺意が揺らいだのを理解したのか、諏訪はポケットから紙切れを取り出す。

 

「それに勘違いしている様ですが、我々検疫官は別に悪の秘密警察を言う訳ではありません。最終的に死を受け入れて下さるのなら、我々はなるべく対象の意向を尊重するつもりです」

 

 そう言って、諏訪は紙切れを蓮太郎に寄越す。それはよく見ればかわいらしい装飾のされた封筒の束で、それぞれ蓮太郎、ティナ、菫、未織宛てになっていた。

 

 蓮太郎はそれを諏訪からむしり取り、拳銃を投げ捨てて読み始めた。見間違えるはずの無い、延珠の筆跡だった。

 

「あぁ……ああ……」

 

 蓮太郎の予想に反して、延珠の遺書はひどく大人びた物だった。

 

『里見蓮太郎様へ。

 報告がこのような形になってしまう無礼を、どうかお許しください。

 この手紙を読んでいるという事は、私の死の痕跡を追って、検疫官という存在にたどり着いてしまったという事ですね。

 初めに書いておきます。今すぐ危ない事を止めて下さい。もし、私を殺した復讐として誰かを殺したり、傷つけたりするような事があれば、私は決して許しません。

 諏訪さんから、私の体内浸食率の事は聞きました。いつか来ることだと理解していたので、動揺はありません。ずっと危うい数値であった事を隠していた貴方の優しさにも感謝しています。

 私からは諏訪さんに、事故死として処理してもらうようにお願いしました。それといくつかのわがままも、許してもらえました。もし、私の死体がきれいな状態で貴方の目に映れたなら、私の最期としては理想的な物だと思います。

 私としては、事故で突然消えるのが一番良いと思いましたので、このような形にしました。みんなで過ごしたかけがえのない日々が、体内浸食率などという時間制限で終わりを告げたと思いたくなかったからです。

 貴方が注いでくれた愛情は、私にとってはかけがえのない宝物です。私には、今まで十分注いでもらいました。だから、私はもういいです。これからの事は、きちんとティナと、菫さんと、未織を頼って、相談して決めて下さい。できれば、私の事は忘れて、彼女を作って、結婚して、子供を作って、幸せに暮らしてください。

 貴方のイニシエーターになれて、貴方の家族の一員となれて、私は幸せでした。

                                      藍原延珠』

 

 短く、簡潔にまとめられたその文章には、蓮太郎の知らない、女性としての藍原延珠が居た。女性は得てして男性より早熟だと言うが、整然とした別れの文章に蓮太郎は困惑を隠せなかった。

 

 この手紙を書くのに、一体どれだけの覚悟が必要だったろう。動揺を文字に表さず、過去との決別を勧める文章を、まだ15歳にもならない少女が書く事が、いったいどれほど―――辛かっただろう。

 

「彼女は、藍原延珠さんは強い女性でした」

 

 諏訪はそれまでと違い、どこか蓮太郎を気遣うような口調で言う。

 

「私が彼女に体内浸食率の事を伝えてから、死ぬ瞬間まで、一度も泣くことなく、毅然とした佇まいでした。いや、おそらくは泣いていたのかもしれません、それでも、貴方にも、私にも隠し通して死ぬことを選ぶ程には高潔で、優しい人でした」

 

「ッ―――!」

 

 お前に何が分かる! と蓮太郎は叫ぼうとする。だが声が出ない。蓮太郎の瞳から流れる涙が、胸が発する嗚咽が声を邪魔した。

 

「これを使ってください」

 

 諏訪は白いハンカチを蓮太郎に渡すが、蓮太郎はそれを受け取らず袖で顔を拭う。

 

「それと、これは契約違反なのですが―――」

 

 諏訪はポケットからリングケースを取り出し、中身を見せた。

 

 中にはシンプルなシルバーのリングが入っていた。装飾はほとんどなく、あるのは花の形をした掘り込みだった。その花の装飾は精巧な物で、蓮太郎はすぐに勘づいた。

 

勿忘草(ミュオソティス・アルペストリス)……」

 

 私を忘れないでという花言葉を持つ、悲恋の花の名前。蓮太郎は指輪を手に取り、しばし見つめる。

 

「延珠さんは、束縛するのは良くないと廃棄を私に依頼した物です。彼女の願いに反しますが、これは貴方に託します」

 

 諏訪の言葉に、蓮太郎はこの指輪の意味を理解した。蓮太郎は左手の薬指に着けてみた。指輪は蓮太郎の薬指にぴったり合うサイズで、一度着けたら抜けないようになっていた。

 

「ああ、クソッ……」

 

 延珠の、女性としての独占欲の発露に、今まで先送りにしてまともに取り合ってこなかった彼女の愛に、その大きさに、今更になって気づく自分の愚かさに、蓮太郎は悪態をつく。

 

 蓮太郎は顔を起こし、未だに突っ立っている諏訪に言う。

 

「何見てんだよ。とっとと失せちまえ」

 

 今更諏訪を、延珠の意に反してまで殺す気にはなれなかった。

 

「そうですか」

 

 諏訪は踵を返し、背を向けて歩き出す。だが言い残したことがあるかのように立ち止まり、言った。

 

「蓮太郎君。私がやっている事が君の言う様に差別主義的虐殺なのか、それともやむ負えない措置なのか。私自身はわかりません。分かるのは誰かがやらなくてはならないと言う事です。私の行いの罪は、私が、私達検疫官が必要の無くなった世界で歴史家が決めるでしょう」

 

 検疫官が、呪われた子供たちのガストレア化を未然に防ぐ組織が必要のない世界。つまり、人類がガストレアだけでなく、ガストレアウィルスそのものの根絶を行い、勝利した世界の事を指すのだと、蓮太郎は理解した。

 

「私は、信じています。人類がいずれガストレアを駆逐し、ウィルスを地球上から一掃する事を。呪われた子供たちが普通の子供として生き、戦いにとらわれた人類が解放される日を、最終的勝利を。そのために私にできる事は、その日まで秩序を維持する事だと思っています」

 

 諏訪は蓮太郎に対して敬礼して言う。

 

「武運長久を、戦う君に幸運を」

 

 そう言って、諏訪は去っていった。蓮太郎はその背中を、指輪を付けた左手を握ったまま見送った。

 

 

 数分歩き、蓮太郎から十二分に離れた諏訪は口にする。

 

「状況終了」

 

 その短い言葉は無線に乗せられ、『対処』要員として待機していた部下たちに伝えられる。

 

 部下たちの了解の旨の無線を聞きながら、諏訪は呟く。

 

「できる事はした、彼は持ち直してくれると良いのだが」

 

 検疫官の目的は何も呪われた子供たちの殺害だけではない。彼女たちと良好な関係を構築できるプロモーターに、つまり民警として良質な連携を構築できる高価値の人材に、なるべく納得のゆく形で受け入れてもらい、戦力として使い物にならなくなる事態を避ける任務も含んでいた。

 

 無論、反乱の抑止という側面もあるが、諏訪はそれ以上に戦力の保持という任務を重視していた。

 

 なので自らの痕跡をあえて追跡させ、自ら説得するという危険な手も厭わなかった。

 

 使える戦力を残し、秩序を維持し、内部崩壊を防ぐ。

 

 それらは全て、人類の夜明けのために。来るべき最終的勝利のために。


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