屑鉄の錬金術師   作:超電磁加湿器

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第一話 三章

 先ほどまでの、仄暗く柔らかい光に包まれた空間は消失していた。治療の為の光源として、ベッドの周りには家の中にあるありったけのランプや蝋燭が灯されている。

 そこに暖かさや温もりは無い。当たり前といえば当たり前だ、煌々と燃える蝋燭の光の中で、命の灯が一つ消えようとしているのだから。

 

「止まれ…せめて止血だけでも…!!」

 

 俺は内出血によって至る所が青黒く変色したベッドの上の体と必死で向き合っていた。最早単純な圧迫止血で対処できる容体では無い。太い血管を要所要所できつく縛り、血の流れを止めようと試みているのだ。

 紐で血管を縛り始めて数分が経つと、次第に流出する血液量が少なくなっている事に気付いた。止血措置が有効に働いたらしい。

 だがしかし、血は止められても内蔵の損傷が治癒した訳では無い。このままの状態では確実に死ぬだろう。良く持って一時間、いや、もっと早くに危篤状態になるかも知れない。

 ここよりもずっと設備の整った街の医者に診せれば何とかなる可能性もあったが、土砂崩れによって道は塞がれてしまい移送は不可能。土砂の撤去などを待っていては何日掛かるかも分からない。葬式まで挙げてしまえるだろう。

 

「……石が…!伝説の『賢者の石』があれば…!!」

 

 何故そこでこんな独り言が出たのか、口に出した俺自身にも良く分からなかった。ただ、今まで読んできた錬金術関連の本の中で幾度と無くその言葉が出てきた事は記憶している。

 「第五実体」「大エリクシル」「天上の石」…、様々な別名を持つその物質だが、持つ性質は全て一緒だ。

 「等価交換の原則を無視し、無から有を創り出す」―――錬金術の根幹を揺るがす奇跡の石。

 それがもし在れば、この絶望的な現実も容易く引っくり返せるだろう。

 

「……クソッ!!」

 

 無い物を求めてもどうしようも無い。どうにかして今使える錬金術で彼女を回復させるしかないのだ。それも一時間以内に。

 ―――考えろ。どうすれば死にかけの人間を救えるかを。助からない人間はどうすれば助けられるのかを。

 だが、考えれば考えるほどに思考は分裂していき、思い付いた可能性には穴が生まれてくる。堂々巡りの思考の果てには、何も残っていなかった。

 

「…!?まずい、時間が無い!」

 

 そこら中の本を引っ張り出し、手掛かりを探して読み漁り、気付けばもう十五分ほどが経過していた。

 ベッドの上の彼女を見れば、心なしか顔色が悪くなっている様な気がする。容体は確実に悪化している様だ。

 そんな状況になっても尚、解決策は全く浮かばない。俺はほとほと自分の無力さが嫌になった。怪我人一人すら助けられない己の無力さを悔やみ、手の甲が真っ白になるまで拳を握り締め、「悩んでいるような余裕は無い」とまた時間の浪費を悔やみ、焦りが焦りを連れてくる。

 完全に、行き詰ってしまっていた。

 ベッドの上で静かに目を閉じている彼女を見下ろし、俺は遂に一切の思考を放棄した。

 

「ごめん…ごめん…助けてあげられない…」

 

 時間も無い。設備も無い。経験も無い。何より方法が無い。どう考えてもお手上げだった。俺に出来る事といえば、ベッドの傍に膝立ちになって謝り続ける事だけだ。今までの幸せだった記憶を思い返しながら。

 

「ごめん…ごめんな…どうにもならない…!俺の力が無いせいで、君を…!」

 

 思えば、いつも彼女は俺の傍に居てくれた。出会った時からずっと、俺の孤独を癒してくれた。彼女と出会っていなければ、俺は今頃どんな人生を歩んでいたのだろう。

 人並みの幸せと充足。家族も失い、錬金術の虜になった俺を少しづつまともに戻してくれたのは他でも無い、彼女だ。

 研究に明け暮れていた俺を心配してくれた時の、あの笑顔を俺は絶対に忘れる事は無いだろう。自分の事を唯一気に掛けてくれる人間であった彼女の、あの慈愛に満ちた笑顔を。

 

「……研究?」

 

 ふと、そこで何かに思い当たった。彼女のあの笑みを見た時、俺は何の研究をしていたのだったか。確か、机の…。

 

「あっ…!」

 

 よろけるように机の前へと這って行き、乱暴に引き出しを開ける。中から引っ張り出したのは大きな一枚の紙。

 人体錬成の錬成陣だ。

 

「うっ…忘れていた…人体錬成の陣だ…、だけど、これは…」

 

 現状で、この一枚の紙に描かれた錬成陣のみが瀕死の彼女を救う手段である事は明白だった。今俺が必要としている物はこれだ。

 しかし。

 

「使えない…!」

 

 恐怖心からでは無い。そんなものは既にない。俺が危惧しているのは失敗した時に彼女がどうなってしまうのかという事だ。

 禁忌である人体錬成を行えば、術者はただでは済まないだろう。それは重々覚悟の上だ。

 しかし、何も知らずに目を閉じて意識を失っている彼女はどうだ。俺の独断で人体錬成を試され、最悪の場合はどんな事になるのか想像も付かない。

 俺に彼女をそこまで巻き込んでしまう権利はあるのか。

 ここで手を止め、出来る限り安らかに逝かせてあげるという選択肢ではいけないのか。

 陣の描かれた紙を握り締め、俺はまた逡巡する。

 

「――――――――――いや。やろう」

 

 数十秒ほどの葛藤の後、俺は決断した。このまま座して彼女の死を待つくらいなら、やるだけやってみても良いのでは無いだろうか。可能性がある以上、諦めないで足掻いてみるのも大切だ。

 それに何より、俺はもう一人になりたくなかった。また寒々とした家の中でたった一人、誰とも関わり合いにならずに生きて行くことを考えると背筋が寒くなる。

 ―――俺には彼女しかいない。今ここで何もせずに見送れるほど、この女性は俺にとってどうでもいい人間ではないはずだ。

 一旦目を閉じ、両手を組んで額を叩いた。無意識に、神に祈るように。

 

 

 

 

 彼女の顔色はかなり悪くなっていた。一時止まっていた出血も、また少し始まってしまっている様だ。

 だが、そんな事には目もくれずに俺は錬成陣と顔を突き合わせていた。

 

「錬成を…この要素を抜いて……。これならギリギリ抵触しないで済むか…?」

 

 俺が一心不乱に行っているのは錬成陣の改変だ。錬成陣をこのまま使ってしまうと、当然だが禁忌を犯して取り返しのつかない事になる。

 しかし、彼女はまだ生きている。最低限必要な部分だけを治療できれば良いわけで、錬成する範囲を小さくし、一般に行われている医療系の錬金術のレベルまで落とす事が出来れば禁忌を犯す事は無いはずだ。

 彼女も救い、俺も無事で済む方法。それを見つけるのは強欲過ぎるのだろうか。

 様々な事を考えながら、俺は全神経を集中させて陣を書き直し、書き加え、形を変え、求めるものに近づけていった。

 そして、約二十分後。

 

「…出来た…!これで何とか…!」

 

 修正を繰り返して真っ黒になった元の紙から完成した陣を読み取り、自分でも信じられない様な速さで、板張りの床に白いチョークを使って陣を模写していく。

 ものの一、二分で書き終えた錬成陣の上に、家中からかき集めた人体を構成する材料を配置していった。

 硫黄に水、炭素、ヨウ素に亜鉛とナトリウム化合物。怪我によって失われた分を推測し、少し余裕を持たせて用意しておく。

 そして、ベッドから彼女を抱え上げて錬成陣の中心にそっと寝かせた。

 

「ちょっと用意した物質に余裕を持たせたから…。太っちゃってたら謝るよ」

 

 聞こえているかいないかも分からない言葉を発し、俺は錬成陣の傍らに立つ。後は錬成陣を発動させるだけだ。

 だがここで、俺は急に不安になり始めた。もし自分の陣が間違っていたら。術者へのリバウンドによって俺自身が命を落としでもしたら。その後に残された彼女は何も解らぬまま目を覚ます事になるのでは無いだろうか―――。

 

「紙はどこだ…」

 

 近くにあった手頃な紙を見つけ、今までの経緯と俺がやろうとしている錬成の事、もしもの時の事などを殴り書きでしたためる。

 一通り書き終えた紙を折り畳んだ俺は、何か彼女の体の一部も一緒に入れておこうと考えた。

 何故そう考えたのかは自分でも定かではない。願掛けのつもりだったのか、単なる儀式としてなのか。

 とにかく俺は横たわっている彼女の濃い栗色の髪を一房切り取り、折り畳んだ紙で包んだのだ。

 

「……」

 

 これで準備は整った。両の掌を地面に向け、深呼吸をする。

 と、その時だった。

 

「…グラウズ…。そこに居るの…?」

「っ!!気が付いたのか!?」

 

 彼女の目は薄く開いていた。俺は一瞬色めき立ったが、すぐに冷静な思考が追い付いてきた。

 現状で意識が戻るほど回復している訳がない。これは偶然か、完全な意識混濁の直前で起こり得る生理現象の類と考えるのが自然だ。

 だがそれでも、その顔を覗き込まずにはいられなかった。

 

「ねえ…、何をしようとして…いるの…?」

「…心配いらないさ。すぐに終わるから…。楽にして、目を閉じておいてくれ」

「そう…。分かった…わ…」

 

 どこまでも安らかなその顔に、乱れていた心が癒されていった。

 もう失敗に対する恐怖は無い。自分の行動に悔いも無い。やるだけやってみるだけだ。

 

「…そうだ。すぐに、終わるから…」

 

 ゆっくりと、錬成陣に手を触れさせた。力が循環し、錬金術が発動する。

 全ての図形、全ての円、全ての線に力が行き渡っていった。やがて、陣全体が青白く発光し始める。

 ――――出来る。やってみせる。そう思えた。

 光はどんどん強くなり、陣の中心から激しく風が吹き出している様な感覚を覚えた。目が眩むほどの青い光と烈風。

 

 

 そして、俺は完全なる白光と虚無に包まれた。

 

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