屑鉄の錬金術師   作:超電磁加湿器

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第一話 最終章

俺が再び独りになった豪雨の夜から、もう三日ほどが過ぎていた。 あの夜雨をひたすら降らせていた空は、今や全くの快晴で俺に覆い被さっている。

涼しい夏風を頬に感じながら、俺は手に持った酒瓶を煽る。喉元から腹の方へと刺激が移り、胃がじんわりと温まった様な感覚を覚えた。

目の前を通行人達が忙しなく行き交い、彼方へと消えていく。

ここは、土砂崩れによって通行不能となっていた山道の先にある町だ。俺の不完全な記憶が僅かに憶えていた、また色々な記録から推測した、俺が来るべきと判断した町。

 

「…何も、得られなかったな…」

 

 記憶の中からごっそりと抜けた、俺の大切であったであろう女性。その手掛かりを探す為にこの町にやって来た。

 名前を書く事も読むことも出来ない状態の俺は、写真一枚を持って道行く人々にその所在、素性を聞いて回った。家族、友人、同僚。小さいこの町でそれらの関係の人々に出会わない訳が無い。そう思っていた。

 朝から歩き回り、聞き回り、人づてに彼女の働いていた仕事場へと辿り着いたのが昼過ぎの事だ。

 小さな二階建ての事務所の受付から社長室に通され、上等そうなスーツを着た男に開口一番言われた言葉。

 それを聞き、俺は動揺した。

 

「あの女は何処で死んだんだ?」

 

 冷たい目でも、怒りを持った口調でも無い。ただただ無関心な、「どうでも良い」と言う風に男は佇んでいた。

 俺の覚えている死に際の彼女を―――もちろん人体錬成の部分は省いて―――大まかに説明すると、男は用件はもう終わったかの様に俺に背を向けた。

 

「…あの、彼女はあまり働いていなかったとかなんですか…?」

 

 男の反応から推測し、最も有り得そうな可能性を確かめる。だが、帰って来たのは意外な返答だった。

 

「ん?ああ、あの女はまあ働いてたよ。ただ誰とも話そうとしないし、いっつもすぐに帰るから、社員の誰も良く知らないんだ。代わりになる人は居るし、正直困ってないね」

「…そう、なんですか…」

 

 事務所から出た時点では、彼女は仕事を淡々とこなすタイプだったのだろう―――そんな程度の認識しか俺は持っていなかった。

 しかし、彼女の自宅近くに住む人達や「彼女を良く見かけた」と言う人に話を聞くにつれ、俺の認識はかなり甘かったという事を思い知らされる事となった。

 

「え、この写真の人?あー、良く見かけたけど…。詳しくは知らないねえ」

「この人はお隣さんだよ。…え?どんな人かは知らないなあ」

「時々うちの店に来てた人だねえ。よく知らないけど」

 

 結局夕方まで聞き込みを続けても、彼女の事を良く知っている者には出会えなかった。

 ただの一人も、である。

 この段になり、俺は夕焼けの空に感じた言い知れぬ不安と恐怖を無理矢理拭う為に酒を買い、店先で煽っていたのだった。

 透明の瓶の中、液体の量がかなり減った事を見て取った俺は瓶を地面に置き、膝を抱えて丸まった。

 頭の中を支配するのは、自分が覚えていない女性に対する懺悔だ。

 

「貴女は…俺以外にその笑顔を見せた事があったのか…?なあ…」

 

 誰とも話さない、誰とも関わらない。俺の記憶から奪われた女が、そうやって生きてきた女性なのだったとしたら。

 彼女の笑顔を、笑い声を、はしゃぐ様子を知っていたのがもし、俺だけだったのだとしたら。

 

「俺は彼女を殺した…。一度は俺の傲慢で…、もう一度は俺の記憶の中で…!!」

 

 本当の彼女を憶えている者がもうこの世に一人たりとも居ないのだとしたら。

 ―――それは、ただ死ぬよりも酷い仕打ちなのではないか。

 

「なんてこった。ほんとに、『なんてこった』だよ」

 

 最大限の自嘲と自虐を含ませ、俺は笑った。乾いた声で、二度、三度。

 再び吹き付けた夏風はその逃げ道さえかっさらい、通りの向こうへと去っていく。

 

 

 

 酒が尽きた頃、太陽はすっかり地平線の向こうへと隠れていた。

 

「よし。―――よし!」

 

 半ば無理矢理に足に力を入れて立ち上がる。長時間同じ体勢で固まっていた腰や膝が少なからず軋んでいた。

 ずっと考えていた。殆ど何も知らない女性の為に、俺は今から何が出来るのかを。

 そして、一つの答えに辿り着いた。

 

「…最低の野郎かもな、俺は。ハハハ…」

 

 先程まで瓶を握っていた手には、何の変哲も無い茶色い小石が握られている。

 そう、「石」だ。

 それを手中で転がしながら、俺は目的を持って通りを歩き始めた。

 

 

 

 「アーブラハム古書店」と書かれた古びた木の扉を開けると、黴臭い臭いが鼻を突く。

 顔をしかめた俺がまず目にしたのは、うず高く積まれた本の山と大量の本棚だ。

 

「お、久し振りじゃな。また錬金術の本を買いに来たのか、グラウズ」

 

 本の山の奥からにゅっと顔を出したのは、禿げ上がった光る頭と片眼鏡が印象的な老人。この古本屋の主人であるこの上ない稀覯本マニアの爺さんだ。

 この古書店は、南部の辺鄙な田舎町には似つかわしくない程に錬金術などの学術書を取り扱っている事で有名だった。

 俺自身も頻繁にここに本を買いに来ていた客の一人だ。

 

「今日は違うんだ。その逆、本を引き取ってもらいたい。後から台車で持ってくるが、俺の持ってる本を全部だ」

「ほ!?全部?そりゃまた何でかね」

 

 全ての本を売ると宣言した俺の顔は、険しかったのだろうか。それとも吹っ切れた様な顔だったのだろうか。

 驚いたままのアーブラハムに対し、困った様な笑いを向けた。

 

「やる事が出来たんだよ。人生を賭けてやる事がね」

 

 その言葉に、何も言わずただ微笑むアーブラハム。その余裕と度量を一瞬、俺は羨ましいと感じた。

 

 

 

 嗅ぎ慣れた薬品の臭い。何度も見た天井。板張りの床には俺の失敗と傲慢の証である人体錬成の陣が描かれたまま放置されていた。

 今まで散々本を引っ張り出し、手持ちの本を加えてきた本棚を眺め、俺は「全て売るなんて言わなければ良かったか」と溜息を吐いた。

 家の本棚は五段造りで二つ。冊数としては三百を超えているはずだ。よくもまあこれだけ集めたものだ、と我ながら呆れる。

 

「…この本を全部纏めるのか…」

 

 そう独り言ちながら、無意識にベッドの上を見る。そこには白い布で包まれた、ごつごつした「何か」がいた。

 三日前、俺が人体錬成によって得た唯一の物体。呼吸と脈動をする、異形の生物。

 扱いに困り、かと言ってどうこうする気力も起きずそのまま放置していた所、錬成を行った翌日の昼頃には既に事切れていた。

 とは言っても、何か感傷的な気分に浸ってしまった訳でも無い。物扱いして手袋をしながら布に包み、今現在まで放置している始末だ。

 ―――埋葬してやらないといけないな。

 幸い、今ならば雨のおかげで地面もまだ柔らかい。本の整理をする気が起きなかった俺は、軒先に出てスコップで深く深く穴を掘り始めた。

 一メートルほど掘り進んだ所で、はたと気付く。俺は錬金術師ではないか。

 

「何やってんだよ…」

 

 スコップを捨て、その場で両手を合わせて地面に押し付ける。青い錬成光と共に、長方形のしっかりとした墓穴が一瞬で完成した。

 

「さあ、あの生き物を―――」

 

 穴に背を向けた時、俺は一連の行動の異常性に気付いた。

 人体錬成に失敗したにも拘らず、ごく普通に錬金術を使おうという心境になった事もそうだが、それよりもおかしな事を俺は無意識下でやってのけていた。

 すなわち、「錬成陣無しの錬成」を。

 

「……」

 

 思わず自分の手を見る。もう一度手を合わせ、地面に押し付けてみた。

 すると、先程と同様に地面に長方形の穴が錬成された。

 

「これは…!!」

 

 理由は薄々感付いていた。あの空間、扉の奥の「真理」を見たせいだろう。莫大な情報を流し込まれ、錬金術の構築式も脳内に刻まれた故に、このような離れ業が出来るようになったと考えられる。

 ―――たった一つだけど、役立つものも得られたのか。

 それを気付かせてくれた異形の生物の骸を穴に収めた俺は、感謝の意も込めてスコップで優しく土を被せていった。

 

 

 

 土砂崩れから四日後。

 アーブラハム古書店に、錬金術関連の学術本が大量に増えた。

 

「お前さんが全部売っちまうって事は、相当な事をやる気か。ほれ、買い取り料だ」

「ありがとさん。…ちょっと多くないか」

「色付けといてやったよ。感謝するんじゃな」

 

 金の入った封筒を俺に渡した後、アーブラハムは片眼鏡の奥の目を細め、何とも言えない表情で俺を見つめた。

 悲しさと優しさが同居した様な、そんな目だ。

 

「…なんだ?」

「お前さんが今してるような顔を、わしゃもう随分前にたくさん見たよ。……皆、イシュヴァールの砂の中に散ってしまったがな」

「イシュヴァール…」

 

 そう言えば、十年程前にこの国はイシュヴァール地方での内戦を経験していたな、と記憶を紐解き、今の俺はそこまで悲惨な顔をしているのだろうかと、少し自分が心配になる。

 自分を安心させ、言い聞かせる意味も込めてアーブラハムに笑い掛けた。

 

「大丈夫だ、戦争に行くんじゃない。どっちかと言うとその逆だな」

「逆?そりゃあどういう…」

 

 俺はその問いには答えず、踵を返して古書店の店先を後にした。懐かしさすら覚える黴臭さが薄れていく。

 だが、俺はもう振り返らない。過去を懐かしみ、そこに留まるつもりは無かった。

 右腕を挙げ、アーブラハムが見ている事を願いながらひらひらと左右に手を振る。

 それが、精一杯の未練だった。

 

 

 

 小さな家の中には、もう薬品の残り香程度しか残ってはいなかった。

 家具や日用品は殆ど全て売り払ってしまった。散々錬金術の理論を考えた机も、食事を何度となく置き続けた食卓も、毎夜たった独りで横になり続けたベッドも。

 その全ては、もう無い。

 本も家具も金に変わり、残ったのは旅行鞄の中に詰めた最低限の生活必需品と、今手に持っている小さな革の手帳のみだ。

 真新しいその手帳には、今まで学んできた錬金術理論を要約し、最低限に集約して記してある。昨晩、不眠不休で取捨選択し、吟味して仕上げたものだ。

 錬金術師としての俺の全てが、今この手帳に書かれていると言っても良いかも知れない。

 その手帳の一番最初のページ、わざと書き込まないでいたその一ページを開き、ペンを取る。

 文字を書き始める直前に一瞬考え、決意を固めてペン先を押し付けた。

 俺の、これからの目的と生きる意味を形にする為に。

 

「…………」

 

 間違っているのかも知れない。無理なのかも知れない。愚か者の考えなのかも知れない。

 それでも、全てを捨てた俺にはこれしか残されていない。

 数多の葛藤を封じ込め、俺は記し終えた手帳を閉じる。

 

「行ってくるよ」

 

 誰に向けるでもなくそう言い放ち、俺は家を出、ドアを閉めた。

 南部の片田舎の空はひたすら青く、そこに浮かぶ雲はひたすら白く漂っている。

 手帳をしまい、歩み出す。

 たった今書き込んだ―――「賢者の石を手に入れる」―――その言葉を胸にしまい、歩み出す。

 俺一人の力で等価交換の原則を覆せないのなら、伝説の「賢者の石」を使えばいい。

 石の力を使い、全てを捨てる覚悟でもう一度、人体錬成をやってやる。

 名も解らなくなった、記憶も奪われた女性。その彼女に俺が今出来る事は、これしか無い。

 ―――諦めたくない。俺は錬金術師なんだから。

 夏風が生暖かく頬を撫で、後ろに飛び去って行った。

 だが、俺が後戻りする事はもう無い。

 

 

 

 第一話 完

 

 

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