屑鉄の錬金術師   作:超電磁加湿器

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第二話 三章

 

 大きな振り子時計が規則的な音を発し、食堂の薄暗く静謐な空間にアクセントを加えていた。

 もしこの音が無ければ、苛ついていた俺は机を人差し指でトントンと叩いてストレスを発散していたのかも知れない。

 ストレスの原因はと言えば、目の前に置かれている一枚の絵画に他ならない。

 真っ黒な背景の中、中央に縦長の鳥籠がたった一つ描かれている小さめの絵画。鳥籠は長方形で柵は異様に細い針金として描かれており、何故かその柵は七色に着色してあった。

 その籠の中に入っているのは緑色の蛇。底で何重にもとぐろを巻き、木の枝を咥えた三角形の頭部を細い柵の間から出して正面を向いている。

 題材も分からなければ絵の名前も不明。絵を渡されてから一時間以上顔を突き合わせて知恵を絞っているが、全く意味を窺い知る事が出来ない状況に陥ってしまっていた。

 

「あーすっきりした。あんちゃん、解けたか?」

「お前のクソ長すぎだろ!?一緒に考えろよ!」

「そんなに長い訳ねえよあんちゃん!屋敷の中を見て回ってたんだよ」

 

 そう言うと、カミルは手に持っていた羊皮紙を机の上に広げた。どうやらこの屋敷の設計図らしい。

 細かく記された寸法や角度、建設上の備考などから、実際にこの屋敷が建てられた時に作られた物であろう事は明白だった。ドロテー夫人から受け取って来たのだろうか。

 

「一階の西側にさ、ドロテーさんの旦那が使ってた書斎があるみたいなんだ。色々資料が残ってるかも知れないよ」

「……そうだな、どうもここじゃ考えが出てこない。探索もしなきゃいけないだろうし、行ってみるか。―――鍵は?」

「ドロテーさんから借りたよ」

 

 絵の納まった額を抱えて立ち上がる。カミルに先導されながら大きい食堂の扉を開けて廊下に出ると、太陽の光が長い廊下全体に行き渡り、少し暑いほどの室温になっていた。

 今さっき見た設計図によれば、屋敷は中央部分に大きく採られた中庭のスペースを囲う様に建てられており、俯瞰すれば四角形に見える造りになっているらしい。

 その為に廊下を歩く距離が無駄に長くなっている気がしないでも無いのだが、屋敷の建設当時はこういう造りが流行っていたのだろうか。

 

「…ここだよ、書斎」

 

 カミルが数あるドアの内の一つを示して前に立つ。小さい銀の鍵を使ってドアを開け中に入ると、長年使われていなかったはずの室内は綺麗な状態で俺達を待ち受けていた。

 一瞬違和感を持ったが何の事は無い、今までにやって来た錬金術師がこの部屋を調べ、またドロテー夫人もこの部屋を定期的に清掃していたというだけの話だろう。

 

「うわ…、本がいっぱいだね。こんなに大量の本見た事無いや」

「お前は本を読まなさ過ぎるだけだろ」

 

 四角い部屋の内、三方は天井まで届くほどの高さの本棚が置かれており、立派な装丁の本がきっちりと整頓されて収められていた。

 部屋の端には大きめの机があり、ペンや定規、ラジオなどが雑然と置かれている。そして、その机の上部には大きめの窓。ガラス越しに外を眺めると、丁度中庭を一望できる様に作られているらしい。

 一通り室内を見回した後、俺は不自然に綺麗な室内が原因ではない、別の違和感にまたもや囚われた。

 ―――狭いな、この部屋。

 本棚の大きさによる圧迫感だろうか。入室前に想定していた間取りに対して体感的な空間の広さが食い違っている気がする。

 

「あんちゃん、本棚調べた?錬金術の本あったのか?」

「ん?…ああ、今やるよ…。お前も手伝え」

 

 カミルに促され、本棚にある蔵書の背表紙を片っ端から流し読みしていく。ここを使っていた資産家は晩年に錬金術を調べていた。この書斎の本はその為の資料や文献が殆どであるはずだ。

 だが、しかし。

 

「何でだ…!?全然関係無さそうな本ばっかりだぞ」

「なああんちゃん、ダンスの踊り方は錬金術の分野?」

「……中に何か隠されたりしてないか?」

「無いみたいだよ」

 

 本棚にあったのは、およそ錬金術とは繋がりの無さそうな本ばかりだった。一番関係がありそうな本でも大判の哺乳類図鑑位しか選び出す事が出来ない程に、本の分野は無茶苦茶になっている。隠された暗号や、それを入れるスペースが本の内部にある様にも見えない。

 ますます訳が解らなくなっていく。死んだ資産家は錬金術の研究をここで行っていたのでは無かったのか。

 ―――本が駄目なら…後は…。

 

「カミル!その机を調べろ。取り敢えず引き出しを全部抜き出すんだ」

「了解!!」

 

 言うが早いか、カミルは手早く大きなオーク材の物書き机から引き出しを抜いていった。右側に四段、左側は椅子を入れるスペースの上に長くて平らな引き出しが一段。

 俺はそれらを慎重に赤いカーペットの上に並べて、中身を確認していく。

 

「机は本棚と違って整頓されてないんだな。ぐちゃぐちゃだ…。ペンにインク、紙…。封蝋と…、こりゃ彫刻刀か」

「こっちの引き出しには写真が入ってるよ。…ドロテーさんの旦那、元は軍人だったみたいだ」

「軍人?」

 

 引き出しを抜き終えたカミルが手に持っている写真立てを見ると、確かに軍服を着た初老の男がセピア色の空間の中に写っていた。年の頃やこの場で発見した事から考えても、これがドロテー夫人の元夫と考えるのが筋だろう。

 アメストリス軍の事はよく知らないが、胸や肩の勲章の数を見る限り結構良い所まで上り詰めて行ったであろう事は想像に難くなかった。

 だが、引き出しには写真以外に軍属であった事を示す資料や小物の類は無い。退役時に処分してしまったのだろうか。

 それに加えて、本来探していた「錬金術に関する手掛かり」も一切見つからなかった。

 俺が溜息を吐き窓の外を見上げた時にはもう陽は沈みかけ、爛熟した様な何とも言えない紅色をその身に纏っている状態だった。

 

「まずい。もう日暮れだ…。今日は帰るぞ」

「え!?ここに泊まらないの!?絶対豪華なもん食わせてくれるって!」

「理由は分からんが、ここじゃ落ち着かないんだよ。それにこの屋敷には使用人が居ないんだぞ?あの人が一人で作れる料理なんてたかが知れてる。老人に無理させる気かよ」

「嘘ぉ…」

 

 カミルは未練がましく俺を睨んでいたが、渋々腰を上げて服の埃を払った。

 

 

 

 久しく見ていない街の明かりが目に入る頃には、もうとっぷりと日は暮れていた。一番星に続き、次々と星座が空に現れる。

 星というのは一体幾つ存在するのだろうか。そんな壮大な思索を始めようとした俺の頭を、ゲップの音が横切って現実に引き戻してきた。

 

「ドロテーさんのくれたローストチキンサンド、結構美味いよ。あんちゃんも食ったら?」

「お前なあ…」

 

 バスケットの中にはまだ幾つかのチキンサンドが詰められていた。屋敷を出る事を伝えた時、ドロテー夫人が申し訳無さそうにもてなし出来なかった事を謝りながら持たせてくれたのだ。

 一つ掴み取り口に入れる。甘辛いソースと柔らかく香ばしいチキンが絡み合い、少し湿ったパンまでもが食感のアクセントになって全体の味が調和していた。

 ―――確かに美味い。

「ドロテーさんに訊いたんだけどさ、旦那は確かに軍人だったみたいだよ。随分昔に紛争地で出会って結婚したんだって。…それ以上は話したくないみたいだから訊かなかったけど」

「…まあ、馴れ初めが戦場なら色々あるんだろ」 

 

 一度物を食べてしまうと腹はどんどん空いてくるらしい。

 もう一つ口に入れようと俺はバスケットに伸ばす。すると、いきなりその左手首をカミルにきつく掴まれた。

 

「なっ…何すんだよお前」

「…あんちゃん、喧嘩とかした事無いだろ。手で分かるよ」

「はあ?いきなり何…痛たたたた!!手を捻るな!!」

 

 カミルが突然俺の手首を捻り、掌が半回転以上回転して鋭い痛みが腕に走る。カミルは手首を持ったまま俺の後ろに回り、今度は腕全体を上に捻り上げた。 

「はあ…。やっぱりね、あんちゃん勉強ばっかりやって運動は全然だろ」

「うるせえ。取り敢えず手を放せ!」

 

 ようやく解放された左手首をさすりながら、呆れ顔で俺を見るカミルを睨み返した。

 

「いきなり何すんだ。そういうのは専門外なんだよ。……言っとくが運動が出来ない訳じゃ無いからな?父親から剣術と槍の扱いは一通り習った」

 

 鍛冶屋の父は主に刃物を造っていた為ある程度武器の扱いに通じており、俺も子供の頃厳しく指導された覚えがある。

 ―――今にして思えば、あの頃が最も親子らしい時期だったのではないか。

 僅かな感傷に浸る俺をカミルは鼻で笑い、中空に拳を突き出した。

 

「それだけじゃ駄目だよ。武術の基本は素手なんだからさ、まずそこから覚えないと」

「……お前のその輝いてる目はどういう意味を持ってるんだ…?」

 

 何となく今後の展開が予想でき、俺は深い溜息を吐いた。恐らくこいつは俺に数少ない「自分が教えてやれる事」を見つけて目を輝かせているのだろう。

 ―――仕方ないか。

 カミルはこうなると強情だと、今までの行動を見ても分かる。もう逃れる事は出来ない事も想定できた。

 別に知っていて害になるものでも無いだろう。面倒臭いので聞くだけ聞いておいてやる事にした。

 

「…手短にな。理論だけ教えてくれ。あとチキンサンド寄越せよ」

「よろしい。素直な事は良い事だよ、あんちゃん。じゃあまず…」

 

 まさか初めて来た街で、小悪党のガキに喧嘩のやり方を教わる事になるとは。

 ローストチキンを食みながら、偶然の積み重ねが生んだであろうこの状況に俺は嘆息した。

 

 

 

少し硬いベッドの脇に旅行鞄を置くと、俺はふう、と一息ついてその上に腰掛けた。

そのまま、目の前で喋り続けている小悪党を冷めた瞳で一瞥する。

 

「おーい、武術の講義は何時まで続くんだ」

「身体の幹を―――え?あんちゃんもしかして聴いてなかったの!?折角真剣に話してやったのに!」

「馬鹿言うな。一通りは覚えたよ」

 

腕を捻られてからこの安ホテルに入るまでずっと、カミルは喋りっぱなしだった。時間にしては二十分ほどだろうが、中々の情報量だった様に思う。

 首を回して凝りをほぐしながらカミルの話を頭で纏め、復唱する。

「喧嘩の大原則は『まず逃げる事を考える』、『何でも利用する』、『一対一の状況で戦う』…。いざやるときは腹を括って殺す気で、但し冷静に。要するにこういう事を言いたいんだろ?」

「技術面は覚えてるのか?」

「当たり前だ…むしろそっちの方が力学的で解りやすかったぞ。パンチは最短距離で脇を締めて打つ。蹴りは素早く、相手には親指の付け根か踵を当てる事。蹴り足じゃない、軸足の方も重要なんだと言ってたなお前は」

 

 その場で直立し、右足を上げて前蹴りの体勢を作る。

 

「軸足を曲げ、体勢を低く保ったまま蹴りを出す。お前は言わなかったが、こりゃ重心と円運動の力学の応用だ。ホテルの前辺りで言ってた『パンチを打つ時は反対の腕を引く』ってのも振り子の原理だしな」

 

 話しながら脚を振り上げる。幸い俺の要約は的確だったらしく、カミルは満足気だ。

 

「足捌きも大切だって言ってたのは?」

「それも覚えてる。地面の状況はかなり大きな関係要因だと―――」

 

そう呟いた瞬間だった。武術の事で占められていた俺の脳内に、昼間見た絵画がフラッシュバックしたのは。

―――地面。床。底。

何かを掴みそうだ。俺はいきなりの閃きに戸惑いながら、額を叩いて必死に思考を引き出そうとする。

 

「どうしたの、あんちゃん…!?」

「何か解りそうだ!あの絵画の意味を掴めそうなんだよ!!」

 

 懸命に絵画の細部を思い出し、答えの模索をしばらく試みる事、十数分。

 またもや突然に、思考の地平が拓けた。

 

「カミル…訊きたい事がある」

「な、何だい…」

 

カミルの顔には怯えが浮かんでいた。当然だろう、今の俺の顔は少なからず鬼気迫るものがあったに違いない。

意識して平静を作り上げ、穏やかな口調で問う。

 

「屋敷に関してだ。建物の周囲に樹木は在ったか?中庭じゃないぞ、屋敷の外側だ」

「樹木って…屋敷の周りは林だったじゃないか。木なんて幾らでも…」

「そうじゃない…!何処か不自然な場所には無かったのか!?覚えてないのか!?」

 

急く様に問い質す俺にたじろいだカミルだったが、何かを思い出したらしく急に目を大きく見開いた

 

「…あっ…たよ、変な木立ってた立ってた!!確か東側の廊下だ、その木のせいでその廊下だけちょっと薄暗かったから覚えてるよ!!」

「本当か!!……よし、屋敷行くぞ」

「今から!?もうドロテーさん寝てるかも知れないよ!?」

 

カミルの言葉ももっともだ。俺としては明日の列車に何としても間に合わせたかったが、流石にいきなり押しかけるのはまずいだろう事ぐらいは理解できる。

「…分かった。俺はフロントから夫人に電話を掛けてみる。お前は外で待ってろ」

 

カミルと別れてフロントの従業員から電話を借りた俺は、踵で床を叩きながらドロテー夫人を呼び出す。 まだ夫人は起きていたのだろう、数コール目で声が入った。

 

「はい…。ドロテーです」

「夜にいきなりすみません。今からまた屋敷へ行かせて貰いたいんですが…」

「…今から、ですか…」

「ええ。絵の意味を解読出来たかも知れません。是非確かめたい。お願いします…!」

 

 声色から夫人が難色を示しているのはすぐ分かったが、時間的余裕がない。個人的理由だとしても時間がないのだ。

しばしの沈黙の後、夫人は屋敷への訪問を許可してくれた。

 

「私も謎が解かれるのを望んでおります。どうぞ、いらして下さい」

「助かります!では今からそちらへ」

 

 乱暴に電話を従業員へ突き返すと、転がる様にホテルを飛び出す。

 入口付近で腕を組みながら待っていたカミルが、全速力で走る俺の後ろに慌てて付いてきた。

 

「ドロテーさんは!?」

「起きてたよ!屋敷に向かうぞ!!」

「絵の謎を教えてくれよ!!」

「着いたら話す!!」

 

 速度を維持し、まだ賑やかな街中を人混みの間を縫いながら駆け抜けて行く。 両の足を動かすのは、今や「謎の先にあるものを見たい」という純粋な好奇心のみだった。身体より先に気持ちが走っている様な感覚だ。

だが、そんな俺を服の袖を引っ張って止めた者がいた。

 

「カミル!?急いでるんだぞ!」

「しっ!!」

 

 振り向いた時に見えたカミルの顔は、今までに見たことがないほど険しい。その表情に異常なものを感じ取った俺は、カミルの視線の先へと目を走らせた。

 いつの間にか街の外れまで来ていたらしく、もう往来に人通りは殆ど無い。しかし、そんな中にあって俺達二人を正面から見据えている人間が二人。

 風体は至って普通の市民といった感じだが、その鋭い眼光は明らかに只者では無い事を物語っていた。

 ―――狙っている。

 そう直感した。目線を逸らさぬまま一歩後ろに下がり、カミルに囁く。

 

「…元来た道を逃げるぞ」

「そうしたいんだけどさ。後ろからも一人来てる」

「何…!?」

 

 僅かに振り向き、同じ様な目付きの男が居る事を確認した俺は視線だけを動かして必死に退路を探す。

 すると、右斜め後方に丁度路地裏へと通じた脇道があった。これ幸いとカミルの服を引っ張る。

 

「後ろに脇道が」

「うーん…それしか無いね」

 

 そう言い終わるか終らないかの内に俺達二人は同時に踵を返して脇道へと入り込んだ。

 案の定、後ろから複数人の足音が響いてくる。

 このまま逃げ切れるかと思っていた矢先、俺は足を止めざるを得ない状況に追い込まれた。行き止まりだ。

 

「理論を学んだ後は実践か!有り難いね!」

 

 戦闘を免れられないと悟り、振り向いて半ばやけくそになりながら声を上げると、カミルも苦笑いして拳を胸の前で握り戦闘態勢を取る。

 とは言え、徒手空拳の喧嘩はろくにやった事が無い。さっき纏めた理論を真剣な顔で思い出していると、横目でそれを見ていたカミルがどこか申し訳無さそうに呟いてきた。

 

「…あんちゃん、喧嘩の話でさっき言い忘れた事があったよ」

「何だよこんな時に」

 

 男達が路地裏の奥、つまり俺の眼前まで追い付いてきた。三人共武器は持っていない様だが、数の上ではもう既にこちらが不利だった。

 

「色々話したけどさ…。結局喧嘩なんて勉強じゃないから、いくら頭で解ってても駄目な奴は駄目なんだよね…」

「お前…」

 

 ―――それを、よりによって今言うのか…。

 俺は心の中で、自分のやけくそ度合いが一層強くなるのを感じた。

 

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