金髪の偶像   作:結城 理

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第3ピリオド:バイオレーション

 

……

…………。

 

「なぁ、樹里」「んー?」

 

軽い呼びかけに対して、重い固唾をのむ。

言わなければいけないことを言う前に別の話題を挟みたくなってしまう。

 

「明日の新人戦、シード校になったってマジか?」

 

「ああ、そうそう!一日練習できる日が増えてラッキーだよなー!」

 

決めていたじゃないか、この日には言うって。

話題を戻せ。ちゃんと樹里の目を見ろ。

 

「でも、シードになったら試合前は休みじゃなかったか?」

 

「何言ってんだよ、いつも通り付き合ってもらう約束だろ?」

 

…大丈夫だ。時間も、気合もまだある。

成功…するはずだ。

 

「……ん?どうした?顔、真っ赤じゃねーか。

もしかして、風邪か!?」

 

…………

……

「…今日さ、何日だったっけ」

 

心臓の鼓動が加速する。

 

「はぁ?何言ってんだよ。13日じゃねーか……あ!

アンタもアレか?義理チョコ、欲しいんだろ?」

 

季節に似合わない、手汗が止まらなくなる。

 

「アンタには色々世話になっちまってるからな、義理チョコぐらいは用意するから心配すんなよ!」

 

樹里が向けてくれる笑顔が枷になる。

今まで樹里と接した時間が圧力になる。

 

たった一言が、言えない。

好きだ、付き合ってくれ。と。

 

「そのチョコさ、本命に変えてくれないかな」

 

「……え?」

 

時間が止まったように感じた。

凍えるような風に靡く樹里の金髪が、本当には時間が止まっていないことを教えてくれる。

時間は待つことを知らず、ひたすらに急かしてくる。

 

「俺、樹里のこと、支えたい人だって、思ってた。

今までは、バスケをしている樹里を支えることが、俺の新しい夢だったから」

 

あの日の倉庫の時のように、樹里の両肩を掴む。

あの日の偶像が、揺らぐ。

 

「でも、樹里と一緒に部活後個別練習する度に、段々バスケをしている姿よりも、一人の女子として見ている時間が多くなって……その…」

 

あの日の時より、樹里の両肩はもろく感じて。

あの日の時より、手に力を込める。

 

「俺、樹里のことが、好きだ」

 

あの日の約束が、ないがしろになった。

 

「……アタシは、バスケをするアタシを応援してくれて、練習付き合ってくれるアンタがいてくれたから、バスケットマンに戻れた。

でも、新人戦が控えているこんな大事な時に、そんなことを言われたら…頭がこんがらがっちまうじゃねーか……」

 

だらんと落ちてしまった俺の腕に代わって、樹里の両腕が俺の方を掴む。

 

「おい、ふざけるのもいい加減にしろよ…!

アタシの気持ちを揺さぶって楽しいか!?

なんで試合前にアンタから先に告白されねーといけねーんだよ!」

 

失敗した。膝の力が抜ける。

失敗した。樹里の腕と怒声に押され、地面に倒れる。

失敗した。樹里の顔が滲んで見えない。

失敗した。樹里の声が風以外の原因で聞こえない。

 

「……ごめん…!」

 

失敗した。嗚咽交じりの声が聞こえる。俺の声だ。

失敗した。嗚咽が止まらない。

消失した。樹里の姿は見えず、冷たい夜空だけが嘲笑う。

失望した。自分に。恋心一つで、何もかも台無しになった。

 

「反則、するんじゃなかった……」

 

 

失恋した。西城樹里に、フラれた。

 

 

 

 体育大会の後、代休を挟んだ火曜日、樹里は再び女子バスケ部に顔を出した。

誠心誠意樹里は謝罪したらしいが、顧問や一部部員は当然簡単に許すはずはなく。

一か月間はボールに触れさせてもらえないどころか、体育館に入ることも許されなかった。

その間、一日20キロ、計400キロの罰走をこなすことで、ようやく女バス部員として練習に参加できた。

その間、俺は何をしていたかと言うと、図書室でバスケの勉強をしていた。

今年の4月から中学以下のバスケ選手はゾーンプレスが禁止となる。

夏の試合の動きを思い出し、樹里にとってその変更点は短所になっていたことを理解。

なので、バスケの基礎から、戦術について学んだ。

樹里が一人で広範囲をカバーできるようなシェルディフェンスの方法を学び、それを実現できる個人連メニューを練りだしてみた。

完成した翌日の昼休み、移動教室の途中だった樹里にその旨を伝えると、嬉しそうに納得してくれた。

樹里は罰走した後の河原で自主練をしていたらしく、新しいメニューが出来たと喜んでくれた。

成り行きで、樹里の自主練に付き合うことにもなった。

最初のうちは落ちていた体力を取り戻すのに必死だったが、樹里と一緒の時間が何よりも嬉しくて。

 

樹里を好きだという気持ちが加速していくのが分かった。

樹里が部活に戻れた後も、二人きりの河原で自主練をする習慣は続いた。

女バスの部員と一緒にいなくていいのかと聞いたが、まだ居心地が悪く、アンタと自主練する方がマシかもと答えてくれた。

樹里にとっては部員と馴染めなくなっているのは深刻なことだと思うが、俺は樹里に必要とされていることを、これ以上なく嬉しく感じてしまった。

 

…………。

 

互いに友達以上の関係になっているのも段々分かってきて。

樹里との時間が本当に輝かしく感じた。

誕生日も祝うことができた。

クリスマスも、プレゼントを交換しあえた。

年が開けて初詣でも、樹里と、振袖と共に新年の挨拶もした。

今年も、樹里との時間をバスケを通して過ごしていけますようにと、祈った。

冬期制服の樹里も、普段着の樹里も、振袖の樹里も、見れば見るほど可愛くて。

どんどん下がっていく気温に比例して、胸の奥はますます熱くなった。

カイロでも、病気でもない、恋心によるものなのだろう。

胸の熱が、初めはほくほくと、じんじんと、そしてぐつぐつと。

その熱が、俺を本来の夢から惑わせた。

その熱が、俺の恋路を急かし始めた。

その熱が、俺の偶像を燃やし始めた。

 

「樹里ちゃんにあんまり夜遅くまでベタベタくっつくの、やめてくれないかな?

……もし付き合っているんだったら話は別なんだけどさ」

 

二週間前、同じクラスの桃城に突然そう言われた。

体育大会前に初めて知ったのだが、桃城は女バスの現副キャプテンだ。

最近樹里が部活の練習を、俺との自主練に体力を温存するためにサボりがちになっている為の警告だった。

樹里と付き合いたいという気持ちが、その瞬間より、付き合わねばという焦りに変わった。

その日より、告白する方法を決めるのにひたすら悩んだ。

毎日毎日、焦る気持ちに追われ続けた。

バスケなど、もう毛頭頭にないほどに。

樹里の夢も、頭の片隅に追いやれるほどに。

俺の偶像が、ぼろぼろと崩れそうになっていることに気づけない程に。

 

……そして、俺の考えうる最悪の形で、今に至る。

 

 

 

「にいちゃん最近帰りがまた早くなったよね~」

 

「うん。…勉強楽しいから」

 

取り返しのつかないバレンタイン前日の後から、一度も樹里と会っていない。

クラスが違うのだから、それを実行することは容易だ。

…どうしても、廊下で樹里と偶然すれ違う機会は出来てしまうが。

それが、俺にとっては大きな苦しみになっていた。

言わずもがな、新人戦はおろか、その後の試合も一切見に行っていない。

樹里の自主練も付き合わなくなり、放課後はまっすぐ帰宅する日々が戻った。

 

「そういや、最近ジャスティスⅤ見てないじゃん。もう見ないの?」

 

「うん!もうみんな卒業したから、僕も卒業!」

 

…卒業。特定の過程を終えること。

樹里に失恋したことは、樹里の夢を支えることに対する卒業ということになるのだろうか。

自室に戻り、ペンと参考書を手に取りつつ考える。

現に、もう樹里の夢は応援しているとは言えない。

樹里の姿を見るだけで、あの日の、ふざけるなと顔を真っ赤にし、告白を一蹴されたトラウマを思い出してしまう。

あの一瞬で、あの一言で、あの焦りで

 

「でも嫌だ…いやだいやだいやだ……」

 

……もう自由に樹里を思い出すことさえ許してくれない。

怖い。まだ心の中で、未練の感情が残っている。

諦めきった方が楽なことは、とうに分かっているというのに。

後悔が涙で流れ落ちない程に、強く残っている。

会いたいと、思っている己がまだいる。

 

「もう、ダメなんだよ…!」

 

塗りつぶせ!漆黒に塗りつぶせ!

もう俺は樹里を思う資格なんてないんだ!

樹里を好きな俺は、死ね!

バスケを勉強しても意味なかった!

スポーツ医学も、結局学力が全く足りないじゃないか!

何が憧れだ!何が金髪の偶像だ!

 

「死にたい……ッ…」

 

死ねないから、死にたいと願う。

樹里を諦めたくないから、ただただ絶望する。

似たような絶望に身を委ねていると、欠席が増えていった。

いつしか登校する気力が完全に無くなり、不登校になった。

課題さえ遠隔で提出すればお咎めナシだったのは、高山の配慮らしい。

西城を心の隅に追いやりたかった一心で、自宅でも学力はある程度維持できた。

自宅限定で精神は安定するようになった矢先。

4月1日のクラス発表の日は仕方なく登校する羽目になったのだが。

 

 

 

「……冗談だろ?」

 

エイプリルフールの仕様だと、思いたい。

俺の中学最後のクラスは5組だったのだが。

校内掲示板に張られたクラス表に、確かに『3年5組11番 西城樹里』と書かれていた。

あんぐりと口を開いている中、ちょんちょんと誰かに肩をたたかれる。

振り返ると、金髪が、まぎれもない西城樹里の狂おしい金髪が、春風に乗って靡いていた。

 

「久しぶりだな。

髪、すっげーボサボサじゃねーか」

 

少しニヤける樹里に、伸び切った髪の毛をがしがしと揺さぶられる。

揺さぶられた反動なのか、俺がしばらく虚像にしていた人物が目の前に実像でいるからか、金髪の偶像といた日々が瞬く間にまた思い返された。

顔が熱くなる。久しぶりの日差しにやられたからではない。

目頭が熱い。複雑な感情に吞まれて視界が滲む。

 

「やっぱり俺、樹里を好きだって想いを、諦めきれない…!」

 

抑えられるはずのない涙が溢れる。

44日ぶりに、樹里に泣いているところを見せてしまった。

フラれたら恋心は折れたままだと思っていた。

そんなことは全くなくて。

 

「おいおい、急に泣きだすから何言ったか分からねーよ。

ちょっと髪の毛触っただけじゃねーか」

 

樹里の声、手の感触、瞳、匂い、金色のままでいてくれた髪に至るまでが、恋しいままだった。

あの日から、ずっと。

 


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