日曜日の朝。
由花子に起こされた俺は、パジャマ姿でフラフラとリビングへ向かう。由花子は朝食を用意してくれていて、ラップがかかったお皿にはスクランブルエッグとミニトマトとサラダが盛られていた。パンぐらいは自分で焼いてたべて、と由花子は言うと慌ただしそうに姿見の前に立って右回り、左回りとくるくる回っていた。
春らしい柔らかな色で、薄い生地のロングスカートに白くふんわりとしたブラウスを身につけていた。頬がほんのりと薄く染まっているのを見て、(あ、今日はデートか)と思った。
「別に変じゃないよ」と焦る由花子を落ち着かせるつもりで声をかけると、「そんなこと言われなくても分かってる」と怒られる。デート前に女の子を怒らせるべきじゃなかったなと反省しながら、コーヒーを注ぐ。
反省しつつも、鏡の前であたふたするのを見て、どんな姿でも妹は世界で一番可愛いなとしみじみと思った。
「兄さん」
「ん?」
「髪を結って欲しいの」
由花子は服装には満足したのか、今度は櫛とヘアゴムを持って自分のそばへ寄ってきた。
幼い頃から由花子の長くて美しい髪の毛を触ってきたが、ここ最近はめっきり減ってしまっていた。触らせない理由は、なんでも「髪が呪われたみたいだ」と言っていた。俺には何のことだかわからないが、由花子が深刻そうに言うのできっと大事なのだろうと思い、彼女の髪の毛には俺も注意していた。
その彼女が、久々に髪を結って欲しいと言ってきたのだ。兄心ながら嬉しくて、間抜けな顔で了承していた。
由花子をドレッサーの前に触らせる。由花子の髪の毛は一段と艶が出て日光が当たると磨かれた黒曜石のように美しく光る。
どうして久しぶりに結って欲しいと言ってくれたのかと聞けば、髪の呪いとやらが解けた気がすると嬉しそうに言うので、俺も久しぶりに触れる由花子の髪を、宝石を磨くように優しく梳かした。
どう結んでも似合うが、今日は横に流すように髪を編み込む。いつも髪を下ろしているからこそ、こうやって結ぶと雰囲気が変わる。
髪を仕上げて、どうだ?と聞いたら、由花子は明るい笑顔で俺を見てありがとうと言ってきた。その表情に幼い頃を思い出して目がジンと熱くなる。
「うっ…」
「なに泣きそうになってるのよ」
由花子の呆れたような一言が出ると、家の呼び鈴が鳴った。康一くんだわ!と顔の色を変えて振り返りもせずに家を飛び出して行った。羽が生えたかのように二人並んで足取り軽く街中へ行く姿を見て、妹が幸せそうで良かったなぁと思った。
由花子の用意してくれた朝食を片した後、家の掃除をしたり、自分の学校からの課題をこなすなどして時間を適当につぶしていた。
気がつけば14時を回っていたが、昼食を用意するのも面倒で、お菓子でもつまむかと自分の部屋から一階に降りる。すると、家の呼び鈴が一回鳴った。誰だろう。由花子なら鍵を持っているからきっと勝手に入ってくるし、ほかに用がある人は…特に思い浮かばない。
…空条さんとはいろいろあって今度連絡を取ることを約束した。だが、まだ彼に電話をしていないから、彼じゃない。
誰だ?と思って扉を開ける。
「あ、どもっス。東方です」
「ども〜、億泰で〜す」
一瞬、固まってしまった。
何でこいつらがここにいる!?先日の改造学ラン姿ではない彼らは、緩い私服姿でやって来ていた。「康一から聞いたんスよ。お邪魔しま〜す」と言って、リーゼントの重そうな頭が足よりも先に家に入り込んでくる。
「な、なんだお前ら!勝手に来られても…」
「いや〜、俺ら暇なんスよね〜。康一は由花子とデートだしぃ」
「トニオさんとこ寄ったら、今日は食材の調達デースとか言っててよ〜」
「露伴のヤローは康一無しじゃ入れてくれねぇし、承太郎さんは仕事とか言うし、歳の近い遊べそうなやつってそういないンスよ」
「そーそー、だから由花子の兄貴んとこ行こうぜって話になったんだよなぁ、俺たち」
なんて身勝手な理由だろう!要するに暇潰しでたかれる相手を探していたということじゃないか!でもトニオだ露伴だと知らない名前が挙げられる中に空条さんの名前があって一瞬ドキリとする。
空条さんと彼らの関係性は一体なんだろうか。こんな不良とあんなに上品で聡明な人が関わりがあるようには見えない。
「ほかに、あるだろっ!俺じゃなくても!」
ドアを必死で閉めようとするが、反してドアを開けようとする仗助は力が強くてなかなか敵わない。
「だってよ〜、承太郎さんに友達になって〜って頼み込んでたじゃないっスか」
一番掘り返してほしくないことを言われてしまってドアを押さえていた力が抜ける。
馬鹿にされたような気がして恥ずかしくて俯いてしまう。何でそんなこと盗み聞きしてたお前が覚えてるんだ…。
次に来る言葉はきっと、俺を貶すような言葉だと身構えた。しかし、仗助が続けた言葉は想像と違うものだった。
「…承太郎さんは置いといて俺らも由花子の兄貴と友達になりてーな〜って思ったんだよ。
さっきも言ったけど、歳の近い遊べるやつっていないんスよね、学校の先輩は俺らのこと目付けてるし…」
仗助は恥ずかしそうに頬をぽりぽりとかいて、隣にいる億泰に同意を求めた。億泰はウンウンと相槌を打つ。
「康一から話聞いてどんなやつだろ〜って気になったし…あ!あと、俺らから承太郎さんのこともいろいろ聞けるチャンスでもあるし!」
空条さんの名前を聞いて、ドアを開けてしまった俺は、多分チョロいのかもしれない…
「えぇ!?く、空条さんと、親戚!?!なんで…?」
仗助達を呼び入れて適当なお菓子とジュースでもてなしたら、あっという間にお菓子は無くなったし、家にあったジュースも一本空になった。
億泰がジュースおかわりというので、それを注ぎに行こうとソファから立ち上がった時だった。
仗助は俺もおかわりというノリで「でも承太郎さんは俺の甥なんだよなー」と言った。
手に持っていた億泰のグラスを床に落としたが、構わずに仗助へ続きを催促する。
「こいつの家は超複雑でよぉ〜、えーっと、お前の爺さんが、承太郎さんの親父なんだっけ…」
「違ぇよ億泰、承太郎さんの爺さんが俺の親父なの!俺の親父からしたら承太郎さんは孫なのよ」
「ど…どういうことなんだ…」
家系が複雑すぎてさっぱり分からない俺に、仗助は俺の背中を叩いて「承太郎さんとお近づきになりてーなら、まずは俺とも仲良くすべきっすよ〜!」などと恐ろしいことを言ってくる。
「不良なんかと仲良くできるか!」
「え〜?承太郎さんも昔はすげ〜悪だったんスよ?」
「え?」
「昔の頃は刑務所に居てたとか何とか…って言ってたよな億泰」
「おう!言ってたぜぇ〜」
「そ、そんな…あの人が…」
頭の中にある空条さんのイメージが崩れていく。不良…だけでなく“刑務所”!?空条さんが前科持ちだったなんて考えたくもなかった…
「相当理想高かったんスね〜、承太郎さんに」
「…うるさいなっ」
「ま、ムショにいたって言うのも、訳があって入ってたわけで…何かヤベーことやったからってことじゃないみたいっスよ。俺らからしたらチョー不良って感じで最高にグレートですけど」
「何がグレートなんだ…不良の基準なんて分かりたくもない…」
ショックも冷めないうちに億泰からジュースとお菓子の催促をされて、フラフラと立ち上がって台所へ向かう。空条さんの不良の姿を想像するが…いまの彼からあの二人のようなイメージが湧かない。頭が緩そうで、誰彼構わず喧嘩を売るような人だったのだろうか。…いいや、そんなわけないと思う。彼は寡黙な不良だったと思う!そう思いたい!…でも不良かぁ。
ショックが癒えない俺のことなど放っておいて、不良二人は好きなだけ食べて飲んで、自分たちが持ってきた漫画を読んで好きなだけぐうたらしていたら、いつのまにか夕方になっていた。
『もしもし兄さん?そろそろ帰るわね』
「あー…気をつけてね」
『疲れてる?まさかまた“承太郎さん病”じゃあないでしょうね』
「違う!今日はそれどころじゃないんだよ…
早く帰ってきてくれ…頼む…あと康一がそばにいるなら言っておいてくれ、『俺のことをあの馬鹿二人に教えるな』って!」
『ふぅん…あら、康一くんに伝言?』
由花子からもうすぐ帰宅すると外の公衆電話から家へ電話がかかってきた。電話越しに伝わった俺の疲れを由花子は勘違いして、茶化すがそんなことは断じてない!
由花子と電話を切った後で、床に寝転ぶ不良二人に近寄ってそれぞれの腰を蹴った。
「妹が帰ってくるから、お前達も帰ってくれ…
もう気は済んだだろ?」
「んぁ?もう由花子が帰って来んのかよ〜」
「もう来るなよ…」
「ん゛ーっ…まあいい時間だな。億泰も親父のことがあるだろ」
部屋にある振り子時計を見て、不良二人はどっこいしょと重い腰をようやくあげた。
億泰の方はテーブルに余ったお菓子をまじまじと見て、貰って帰っても良いのかと聞いてきたので、持って行け!と投げやりに返す。
仗助は時計を未だに凝視していた。
時計が何かあるのか、いやもう帰って欲しいと思って声を掛けようとしたら、
「あの時計、ちょびっと欠けてるっスよねぇ」
と時計を指さした。
「え?…アンティーク品だし少しは欠けぐらいある…」
「あんな欠け方あるのか?まーまー、今日遊んでくれたお礼に俺が治してやるっスよ」
「は?なおす?」
へへ、と気の抜けるような笑い声を出すと、時計に手を伸ばして、そっと指で触れる。
「はい、治ったっスよ」
「は…!?」
嘘にも程がある、何が治ったんだと思いながら仗助の側にある時計を見るために近づく。
「前から気になってて、欠けてる破片どっかにあっかな〜って思ったら転がってて。それをちょちょいとつけただけっスよ」
「そんな無理ある話あるか?」
「信じてくださいよ〜」
どこが欠けていたのかは分からなかったが、アンティーク品だったものが新品同様に綺麗になっていた。時計の針は錆びていたはずなのに、その錆がなくなっている。だがそのことを、この馬鹿でかいリーゼント頭に問いかける気力は起こらなかった。
「また来るっスよ〜」
「今度は由花子の兄貴もどっか遊びに行こうぜぇ」
「頼むから来ないでくれ…絶対遊びには行かない…」
無駄にたくましい背中を押して、ようやくこの家から二人を追い出した。
二人の靴がこの家から出て行ったのを見て、ホッと息がつける。
「楽しかったっスよ」
「由花子の兄貴って意外となんつーか…」
「な…なに言いだすんだ…」
「面白ぇ〜よなぁ」
「面白いっスよね〜」
二人揃ってケラケラと人の顔を見て笑い始めたので、疲れと怒りが頂点になってドアを勢いよく閉めた。
…人生で一番長いため息を漏らしたと思う。
家までの帰り道に、仗助と億泰に会った。
何故か自宅の方向から帰ってきた見覚えのある二人の姿に疑問が浮かぶが、兄からの電話で康一に伝えろと言っていた言葉を思い出す。
おそらくこの二人が押しかけてきたのだろう。
「お〜由花子じゃねえか。康一と楽しめたか?
つかよぉ、髪型似合ってるな」
「アンタ達に言う必要ある?」
「いや、良いけどよ」
「オメーの兄貴、すげーおもしれ〜よなぁ」
「兄さんに会ったの」
「康一がお前とお前の兄貴のことベタ褒めしてたからさぁ、どんなやつかな〜って気になって」
「兄さんは不良が大嫌いよ。ついでにアタシもアンタ達みたいな男、好きじゃあないわね」
二人の間を通って、無視して帰ろうとする。
自分の背中に向かって、仗助が声をかけてきた。
「『ユキオ』さんによろしくな〜!」
唐突に呼ばれた兄の名前に、思わず足を止めて後ろを振り返る。しかし仗助と億泰はすでに自分に背を向けて帰っていた。
どうして兄があんなに嫌ってる不良が兄の名前を知っているのかと、少し不安に感じながら、家へ帰る足を早めたのだった。