『山岸由花子の兄』は、一目惚れをする。   作:臓物暗刻

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『空条承太郎』は思っている。

あの少年を見かけた。とあれば声をかけない理由はない。

一週間ほど空いただけだが、少年の姿を見るのは久しく感じた。向こうもそのようで目を丸くしてこちらを見る。

少年は軽い荷物だけを持っており、“妹の買い出し”に出ているようには見えなかった。

自分より二回り以上も小柄な少年に肩を並べて彼の歩幅に合わせて歩き始める。

 

連絡がなかったことを問えば、少年は申し訳なさそうに目を逸らして謝罪した。これは少年の思い切りの無さが大きな原因として占めているのではないと承太郎は思った。

それぐらい彼から自分に対する警戒心や遠慮を前よりも取り除いていると思っている。

彼は前よりも自分に慣れてくれたと思う。出会った当初ならきっと逃げている。

 

だから彼が連絡できなかったのは、彼の妹である山岸由花子が自分を警戒してのことだろうと察していた。

大人気ないと自覚しつつも、妹が関わっているという疑念の真相を聞きたいがために、少年に連絡が取れなかった理由を聞き質す。

 

「別に何もなくて…ちょっと忙しくなっただけですよ。…空条さんこそお忙しいと思いましたし…」

 

建前の言葉を並べて理由とされたことが気に食わない。少年は承太郎の目から逃げるように顔を逸らし、歩幅をわざとずらす。

そんな仕草をいじらしいとか思うよりも、またかと思う方が勝った。

歳の差、既婚…いろいろ考えて(妹の入れ知恵もあって)彼なりに、いまだに気を使っているのだろうが、そんなことはしなくて良いと何度も言っているのになぜ分からないのだろう。

 

現に自分は遠慮などするつもりはなかった。

自分が彼に近づくのは、一言で言えば、単純に好みというシンプルな理由だ。

一つ手を動かすだけで騒ぐ黄色い好意と違って、自分を純粋に慕いたいと、久しく忘れていた自分へ向けられる素直な感情に、なぜか答えたいと思った。

好みだから、とだけ聞けばやましさがあるように聞こえるが、最初は少年へ応えたい気持ちから気になっていたのが、連絡が寄越されない時期を繰り返したせいで、応えたいというよりも少年を知りたいという欲が強くなっていった。

 

彼が心配する自分の家族のことはもちろん頭にある。

家族に対しての感情や考えを、家族にあまり理解してもらえていないことも。

そのことへの不安やまだ小さい娘の心配も、一族にまとわりつく呪いのような執念のことも、考えない日は一日もない。

百年を生きた吸血鬼を殺したあの時に、死んだ仲間の命に釣り合えるように、背負う必要がなくとも背負わなければならないと誓った。

 

時々この背負うものの重さを、まざまざと見せられる場面に何度も遭遇した。

億泰の父のことや、弓と矢がもたらす善悪の可能性、自分の命が持つ間にこの全てに清算をつけることはできるのかと何度も不安に襲われた。

 

固い誓いであるにも関わらず、この不安を一時でも拭える時間が欲しいと思うようになった。

そんな自らの幼いわがままのような不安を、この少年にぶつけたくなる自分がいた。

弱さを見せられない。そんな自身を、彼相手にならば、かなぐり捨てられるような気がしたのだ。

素直なまでに自分を欲する彼ならば、どんな自分であろうとも受け入れてくれると思えた。

だから彼に遠慮はしない。

彼が自分に恋慕の感情を抱いているなら余計だ。

遠慮すれば彼は傷ついてしまうだろう。

 

ようやく一週間前に彼だけを連れ出して、本心も聞いて、本腰を入れた関係を築くことができると思った矢先に、また一週間もの間が空いて、連絡が途絶えてしまった。

家に電話しても妹が出れば今外してるなどと口を立てて上手く交わされるだろう。

彼に再び会うにも、彼からの連絡がなければどうにも動けないままにいた。

 

街中で遭遇するなんてこの杜王町でもそんな確率は低いだろうと思った矢先、少年に会えた。

自分と比べて、いや歳の近い仗助や億泰と比べれば彼の身体は線が細くて、頼り気はない。

しかしどうして、この背中に気が付けば手を伸ばしていた。

一週間連絡を取らなかった分のツケを払ってくれと、慌てる少年を無視して人の流れと逆行するように道を進んで行く。

 

 

どこ行くんですか?と仕切りに後ろから聞いてくる少年の声を無視して人の波を掻い潜っていく。行き先は杜王グランドホテルだ。

少年の細い腕を強く握りしめて、早く戻りたいのか、自然と足が早まっていく。身長のせいで自分は早歩きでも、後ろの彼は引っ張られているとはいえ小走りになっている。

 

ホテルのエントランスに入れば、少年はここがどこか理解したようだが、不思議なものでも見るように息を呑んでいた。

空いているエレベーターに乗り込んで、部屋のある階数のボタンを押す。

小さな箱の中で、少年がわずかに荒くなった息を直そうとする息遣いだけが響いた。

エレベーターが到着のチャイムを鳴らして、分厚いドアが重々しく開く。

いつもなら気にしないドアの開閉も今日は遅く感じた。

 

反対の手でポケットに手を突っ込み、部屋の鍵を取り出す。少年の腕は離さないままだ。

自分が寝泊まりするいつもの部屋が今日はやけに遠く感じる。

お目当ての部屋の前にようやく立ち、鍵穴に鍵を刺して、解錠してドアを開けた。

開いたドアを思いっきり押して、自分と少年の体を滑り込ませる。

入るのをわずかに拒もうとした彼の腕を力一杯に引いて部屋に引き入れる。

少年は急に引っ張られたせいで体勢を崩して自分の胸元へと倒れ込んでくるが、鍵を締めるのと同時に、少年は自分の胸から手をついて離れていった。

 

「え…あの、ここは…」

 

承太郎とドアを交互に見ながらここはどこかと不安そうに少年は聞く。

 

「ホテルだ。この部屋は俺が寝泊まりしている」

 

彼もきっとそれは分かっているが、これは現実だぞと釘を打つように伝えてやる。

 

「え…えぇと…なんで…」

「理由がそんなに大事か。何かをしたい、会いたい、話したい…ただそれだけのことだが」

「ぅ、…すみま…せん…?」

 

視線を下に向けて申し訳なさそうにする少年の頭を撫でる。

撫でることが不慣れなせいで手つきはぎこちなかった。それが不恰好だと、自分でいつも思う。

確かに説明もなくホテルにまで連れてこられて驚くのも無理はないだろう。

しかし何故と問われても君に会えたから、それだけの理由なのだ。

 

「…コーヒーでも淹れよう。座ってくれ」

 

かすかに震えている少年をソファに座らせて、自分はコートを脱いで湯を沸かしに向かった。

 

「砂糖やミルクは入れるのか?」

「あー…はい。甘党で…」

「意外だな。ブラックを飲むように見えた」

「よく馬鹿にされるんです…由花子も子供舌だとか言ってくるし」

 

インスタントだが淹れたコーヒーを持って戻ると、彼は甘めのコーヒーが好みだという話を聞いた。

妹の話をして、年相応に恥ずかしがっている表情を見ると最初の頃に出会った彼を思い出す。

 

あの時の彼は『困ってるみたいだから仕方なし』と呆れるような表情を隠しもせずチケットを渡してきた。

その後彼は突然、まるで美術館に飾られた絵画を見るようにしばらく黙った。そして次の瞬間には慌てて言葉を繕っていた。

あの時の気怠げに自分を見る目も今はどこにもない。

あの表情と今の表情、交互に思い返して良いなと何か思った。何が良いのかはわからなかったが。

 

「…一週間…でしたっけ。あれから…」

 

彼は頬を指でかいて、話を切り出した。

 

「あぁ。時間が経つのは早いな」

 

彼の白い頬に艶のある黒髪が稲妻を走らせるように流れている。

その黒髪を指でどかして、彼の顔をしっかりと見たいという欲に駆られるが、そんなことを突然したものなら彼は驚いてコーヒーの入ったマグカップをひっくり返すだろう。

目を逸らして黒い水面に映る自分の顔を見つめてそんな欲は無視する。

 

「…空条さん、この一週間はどうでした?」

 

思いもよらない言葉に思わず手元のマグカップから少年へと目を向けると、透けた黒色の両目とかちあった。

 

「…どう、とは?」

「忙しかった、とか…つまらなかったとか」

「つまらなくはなかった…が、目まぐるしくはあったな。毎日何も起こらない日はない」

「へぇ〜…」

「君はどうだった」

「え?うーん…」

 

少年はそうですねぇ、と一息おいて、

 

「…空条さんのこと考えてましたね」

 

沈黙が代わりに相槌を打つ。

一瞬の間を置いて、彼は自分が言った言葉に気がついたのか、雨が突然降り出したかのように慌てだす。

 

「…それは喜んで良いのか」

「はい?!」

「どう思われていたのかは知らないが」

 

少年は言葉にならない声を出しながら言葉を取り繕りだす。

 

「妹からちょびっと怒られましたけど…この間は、その…楽しかった、ので…今度はいつ会えるかな…とか考えてました」

 

あはは、と照れ笑いを混ぜながら出された言葉は、承太郎にとって衝撃的なものだった。

楽しかった、と嬉しげに話す少年の頬は緩んでいる。

無自覚でこういうことを言うのか。

自分のことを考えていた、その上いつ会えるかと次のことを考えていた、彼がそんなことを考えていた事実に自分の頭がうまく回らない。

 

「やれやれだ…」

 

つい口癖が出てしまう。

頭が回らずに徐々に身体が熱くなるような気がする。

この前の小さく絞り出された好きだという言葉も、素直で控えめな言葉を投げられたことに久しい承太郎にとっては熱の回る言葉であった。帽子があって助かったと思うところもあるほどに。

 

「今日はその…偶然ですけど、会えて嬉しかったです」

 

隣に座る少年にこの熱が届いて欲しくないと思いつつも、彼に手を伸ばして自分に触れて欲しいと思ってしまう。

しかし今日このまま、マグカップ一杯のコーヒーをもてなして帰すという考えは頭になかった。

またこの会話から一週間、あるいは妹に警戒されて一ヶ月でも飛べば、などとそんなことを考えれば自分の身体は少年のそばへと近づいていた。

ソファに腰掛けて人一人分空いていた隙間を埋めるように近くに座る。

少年は急な動きに対応しきれずびくりと肩を揺らすだけだ。後ろに逃げないように彼が座る部分の背もたれへ、彼を腕で挟むように両手をついた。

 

「いつもそれぐらい素直になってくれ」

 

帽子を脱げばよかったかもしれない。彼の顔を間近で見れたというのに。

いま自分の頭や心を占めているのは安心感だ。

この感覚にひどく心が穏やかになる気がした。

 

…その安らかなひと時を奪ったのは部屋に備えてある電話の音だった。

 

[newpage]

 

 

「…君の妹からだ」

「やっぱり!」

「…………」

 

エントランスの女性が少々震えた声で『部屋にいるであろう小柄な男性を呼んで欲しいと…学生服の女性の方がいらっしゃっていまして…』と承太郎のいる部屋へと電話をかけてきた。

ホテルからの呼び出しを最初は無視した。

こんなところでも働く自分の勘の鋭さで、おそらくこの電話がかかってきた理由は山岸由花子だと察した。それでもこちらが無視していれば、いずれ諦めて帰るだろうと思ったら。

 

『あ、門限言われてたかも』

 

少年の、こう言っては悪いが間抜けな声と一言は承太郎の熱を一気に引かせた。

門限…だと、と驚愕のあまり身動きをピタリと止めた承太郎の腕からするりと抜けて、「電話出なくて大丈夫ですか?」と彼は聞いてきた。

ぽっかりと空いた自分の腕の隙間を哀れんだ後に電話に出れば、やはり彼を早々に返せという妹からの無言の圧であった。

少年はソファのそばに置いた荷物をまとめて、少し冷めたコーヒーを一息で飲んだ。

 

「コーヒーごちそうさまでした」

 

そう言うと彼は足取り軽く部屋のドアへと向かっていく。

大人気ないが彼の背を早歩きで追う。ドアノブに手をかけた彼を抑えるように、ドア自体に手をついた。

ドアノブを引っ張っても開かないドアに少し頭を傾げていたが、すぐに承太郎の存在に気がついたようで妙な悲鳴をあげてこちらを振り返った。

 

「妹に、今度は一日中借りると伝えておいてくれ。近いうちに会いにいく」

「ぇ、?」

「伝言だ」

 

ドアノブに手をついたままの彼の手に手を添えるように、自分もドアノブへ手をかける。

そして力一杯引けば、分厚いドアが名残惜しそうに開いて少年の体を外へと送り出した。

バタン、と閉まった後で年甲斐もなく青臭い感情を持つ自分に笑えてしまった。

 

 

 

「…兄さん?」

「ごめん…」

 

エレベーターの中で必死に息も顔も整えた。

が、そんな必要はないほどにエントランスのど真ん中で由花子が怒りを隠さずに仁王立ちしている様子を見て、顔も体も緊張が走る。

 

「またつけられてきてるじゃあないの」

「つけ…何が?」

「分からないの?煙草臭いって意味よ」

 

由花子は帰るわよ、と自分の腕を引っ張って出口へ近付いていく。

こんなに怒ってる由花子には抵抗しないほうがいい。おそらく次怒らせたら手に負えなくなりそうだ。由花子の瞼がピクついていた。

 

こうなる由花子はこれまで数回経験している。

幼少期に公園で遊び過ぎていた自分を迎えに来た時、中学時代にゲーセンにハマり過ぎて入り浸っていたのを迎えにきた時などがそうだった。

それを抵抗すると妹とは思えない腕力と言葉でねじ伏せてくるので言葉一つ、態度一つ気を付けなくては地雷直撃だ。

 

何かに夢中になると盲目になってしまうところは、兄妹揃って本当に似ているなと思いながら、由花子に引かれるままホテルを出た。

 

 

「あ、そういえば伝言って言われてた」

「はぁ?」

「今度は一日借りたいって。何をかは知らないけど」

「ダメに決まってるわ。一生ダメ」

「一生!?」

 

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