『山岸由花子の兄』は、一目惚れをする。   作:臓物暗刻

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『山岸由花子の兄』はシンデレラに惹かれる/素直を知る

『山岸由花子の兄』はシンデレラに惹かれる

 

 

女性は誰しも美しくになりたいと願うものだ。

男である俺もそんな心理はわかる。当然男だってブスよりはハンサムである方がマシだろう。

ところで自分の妹は贔屓目なしに見てもとりわけ美人な訳だが、何も“こんなところ”に通わずとも良いと思っていた。

 

「エステ『シンデレラ』…?」

 

妹の由花子が制服のポケットから落とした一枚のカード。そこには『エステ“シンデレラ”』と書いてあった。好奇心から気になって店まで向かってみたわけだが…なんの変哲もないごく普通の女性が通うエステ店だった。こういったところは名前ぐらいの知識しかない自分は、エステへの興味というよりなぜここに由花子が通ったのかの方が気になっていた。

 

「…あら?」

 

『シンデレラ』の扉を開けたのは金髪の美しい女性だった。はっきりとした顔立ちだったけれど、どこか気怠げな印象を受けた。

簡素な制服らしきワンピースを着ているのでこのエステの従業員なのだろう。彼女は自分の顔をじっと見るとこちらへ近寄ってきた。

 

「…由花子さん?…じゃあないわね」

 

互いの息が掛かるほどの距離に詰め寄ってきた美人に思わずたじろいてしまう。同時に、低く薄い息と共に出た由花子という言葉に聞き間違いじゃないよな?と思いながら「由花子?」と聞き返す。

 

「……あなた男性ね。でもよく似てるわ……杜王町に瓜二つの美人がいるなんてね……ドッペルゲンガーってやつ?」

 

彼女の口振りは由花子を知っているようだった。彼女はフゥと息を吐きながら自分の頬を触って似てると仕切りに言う。

 

「もしかして由花子と面識が?」

「ちょっと前にうちに来たお客さんよ。…フ〜〜〜……低血圧っぽい話し方するけど…気にしないで」

「は、はぁ…」

「…由花子さんと関係あるの?」

「俺は…山岸由紀雄と言います。由花子は俺の妹で、この店のことを…」

「なるほどね……どうりでよく似てること…フ〜〜…」

 

従業員らしき女性は自分から少し離れると、絵描きが景色の絵を描くときのように顎に手を添えてじっとこちらの顔を見る。そんなふうに面と向かって見られると居心地が悪くなる。由花子がなぜここに来たのかが気になっただけでここまで赴いたので、今更何しに来たのか?と問われると答えに困る。正直に言えば引かれるだろうし、でも他に建前も思いつかずに黙り込んだ。

 

「試してみます?…興味あるんじゃあないの?」

「興味?」

「由花子さんから聞いてない?……フ〜〜……ここは『愛と出逢うためのメイク』をするの……由花子さんも一度試したことがあるのよ…」

「愛と出逢う、メイク…?」

 

女性にどうぞと誘われ、背を押されるままに店の中へと足を踏み入れた。ひかれた椅子に腰掛けると、姿見が自分の顔を映す。女性は自らを「辻彩」と名乗り、このエステを経営しているのだと説明した。

 

「まぁ……パーツ自体は由花子さんとよく似てるけど、微妙に違うみたいね〜〜……」

「あ、あの」

「人相は大事よ…愛される顔になれば愛と出逢えるようになるんだから…」

 

何かカメラを向けられて、側にある小さなモニターに目を見開いた間抜けな自分の顔が写り込む。彼女はふぅ、と相変わらず小さく息を零しながらモニターを見る。

 

「由花子さんは目と眉の形が良くなかったけど…あなたは…」

「…?」

「目と唇が良くないわねぇ…」

「…あの、これは一体…俺はメイクには興味ないんですが、」

「フ〜〜………あなたは妙なタイプね……自分が好きだと言える?」

「は…?」

「まわりから好意は持たれるけど…あなたはその好意に気がつかないの…なぜなら『自分には愛されるほどの価値がない』と思ってるから。そんな経験ないかしら?」

「そ、んなこと…は、」

 

初対面でただ顔のパーツを見ただけ、何もまだ話していないのに。何故か自分の本心を言い当てられたようにどきりとする。

妹が誰かを好きになるたびに離れていく姿を見て、自分だけは妹の味方であろうと思い続けた。晴れて妹のことを大事に思ってくれる存在ができてとても幸福だった。しかし自分は、満たされた妹に反して何かを失ってしまったようにぽっかりと穴が空いていた。

 

彼女は側の機械をいじり始める。モニターに映る自分の顔がグニャグニャとアニメーションのように動き始めた。鼻が突然大きくなったり、唇が口裂け女のように広がってみせたり、散々動いた後で「これがあなたに最適なお顔ですわ」と見せてくれた。

 

「最適な顔…」

「妹を愛するあまり自分への愛を忘れる…素敵な兄妹ね…おまけに美人だし気に入ったわ…」

「これに、変えられるということですか?」

「そうよ……フ〜〜…」

「せ、整形手術をするということですかッ」

「由花子さんも同じことを言っていたわ……あくまでメイクとマッサージだけで施します。心配しなくても大丈夫よ」 

 

女性がするもの、としか思っていなかったメイクやマッサージという単語が並び、その技術だけで自分の顔を変えてみせるという。理解が追いついていない俺に、彼女は手のひらで頬を包んで顔を引き寄せた。

 

「このメイクをすればあなたは自分を愛せますわ。『シンデレラ』のメイクは絶対…」

「絶対って…」

「ただし変えた顔は30分しか持たないの。自分になんの変化も感じられなかったら料金はお返ししますわ」

 

彼女は強い口調でそう言う。30分しか持たない、と言ってもたかがメイクとマッサージで何が変わるのか?と未だに疑心暗鬼だった。

全身を変えればもっと変化を実感できると提案し、どんなものかと理解できずにいると、唐突に股間を軽く握られた。

 

「い゛っ゛!!?」

「ここも変えれば…もっと自分に自信が持てるようになりますわ。男性ですから、大きい小さいいろいろあるでしょう?……でもここを全く違うものにして…女性として生きることも可能よ。フ〜〜〜…顔だけみれば由花子さんの生き写しですものね」

「ぃ、嫌、です!結構です!!」

「そう?まあいいわ…」

 

突然恐ろしい提案をしてきたエステティシャンに全力で否定した。股間…一部を変えるまではまだしも、そこを無くすなんて男として背筋が凍る思いだ。女としての自分を一瞬頭で想像して吐き気まで催した。

それはそれとして、顔だけのメイクに関しては、効果がなければ料金を返すと言うので騙されたと思って…と了承した。

 

「由花子さんはおっぱいに黒子があったけど……あなたは泣き黒子なのね〜〜……」

「は…!?」

「一度彼女の全身を“愛に無敵の身体”に変えたことがあるの……その時に見たのよね〜……」

「いまそれを言わなくていいじゃあないですかッ!そんなこと聞きたかなかったです!」

「良い運を持ってるって思っただけよ……さあ目を閉じて…始めましょうね」

「……なんだか不安なんですが…」

「大丈夫。目を閉じて…動いちゃあダメよ…」

 

 

 

 

 

具体的にどこが変わったのか分からないまま店を出る。『これであなたは、愛される自分を許すことができるわ。大丈夫』と背中を押し出されたがそう言われても実感がわかない。

ここに由花子も『愛と出逢うためのメイク』をしたのだろうか。それで康一と?いろいろ疑問に思うところはあるが、妙な場所ではなさそうだったことが、ひと安心ではある。

しかし…エステに行って顔をふわふわとした何かで触られてそれにお金を払っただけ。一体何をしに行ったのかと言いたくなる。

自分の無駄足具合にげんなりしながら歩いていると誰かから、おいと声をかけられた。

 

「く、空条さん」

「また一週間ぶりだな。…電話の一本ぐらいあるかと思っていたが」

「…別に何もなくて…ちょっと忙しくなっただけです…空条さんこそお忙しいと思いましたし…」

 

まさかこんないきなり、ここで空条さんに会うとは思わなかった。タイミングが良すぎるというか、悪すぎるというか。

また連絡がなかったことを指摘されてしまって頭が痛い。好きな人相手に容易く電話をするのは自分にはハードルが高い、ということなんとなくでもいいからわかって欲しい…と思うのは贅沢だろうか。

空条さんみたいに周りが勝手に言い寄ってくるような人にとっては、自分みたいに踏ん切りがつかない奴は珍しいのかもしれない。

忙しかったとすぐバレるような嘘をついて、目を逸らしていつでも逃げられるようにしておいた。のだが、腕をがっちり掴まれてしまった。もしかして怒られる?と思って、自分の視界を埋める白い背中に向かって何かを聞いても「一週間分のツケを払え」と言わず、有無を言わさずにどこかに向かって歩き始めた。

 

 

強い力でただ引っ張られ続けた俺はどうしようもないまま、空条さんが寝泊まりするホテルの部屋に案内された。

当然なんでここにと聞いたけど、そんなことを聞く必要があるのかと言われてしまう。よく分からずに謝ると空条さんは俺の頭を撫でた。

触れられたと思うのと同時に、いつもは心配になる程うるさく動く心臓が今日は落ち着いていることに気がついた。

なぜかいつもと違って今の状況を幸せに感じてしまう。そして幸せに感じる自分を許容できている。普段なら絶対にありえないことだ。いつもなら慌てるし、逃げるし、何より由花子に怒られるかも…と不安を感じている。

しかしそんな不安が頭にない。心地よい緊張感が全身を巡っていた。もしやこれがあのメイクの効果なのだろうか?

もし本当にそうなら、今は自分に正直になっても良いのだろうか。それならばと思って、今日は落ち着いてるし、メイクの力のせいにして思っていることを全部言ってしまおうと思った。

 

…そうしたらまさかこんなことになるとは、座ってるソファに逃げ場はなく目の前には空条さんがいる。鍔からかすかに覗く左目と目が合った。微かに身をよじれば、自分の腰元にソファについた彼の腕が当たる。

「いつもそれぐらい素直になってくれ」と低い声が今まで一番近くで響いて、思わず腰が抜けそうになる。やっぱり不気味なほどに自分の頭は落ち着いていた。目の前にいる、だけで頭が処理しているなんて普段なら絶対にありえない。

などと思っていたが、突如部屋に響いた電話の音に頭に回る熱がグッと下がった。冷えて清々しい酸素が頭に入ってきたように、急に頭が冷静になる。

 

自分の腕に嵌めている時計が目に入る。5と9の数字をそれぞれ針が指しており、6時までに帰るという由花子との約束を思い出した。

と同時にエステティシャンの彼女に言われた言葉も思い出す。メイクの効果は30分まで。店を出た時は確か15分だった。今は45分。もし本当に効果があったならこの電話が鳴った時ちょうど効き目が失われたということになる。

そしてそれを裏付けるように、車に乗っていた時よりも近くで匂う煙草の香りに、今すぐ顔を手で覆いたい。きっとだらしない顔をしている、帽子の鍔で自分がよく見えないと思うからそれだけが救いだ。

しかしいまだ電話に出る様子のない空条さんからどうにか早く逃げたくて

由花子を言い訳にしようと思いつく。

 

「あ、門限言われてたかも!」

 

名案だ!と勢いのままに口に出したせいで思わず大きな声が出てしまう。空条さんは何故か固まっていたのでそれ幸いにとソファから滑り落ちるように抜け出した。

相変わらずずっとこの部屋の主を呼び続ける電話に、もしかしたら俺ではなく彼自身の要件かもしれないと思い、出なくて良いんですか?と聞く。空条さんはひどくゆっくりとした動きで電話のもとまで向かった。

 

「…君の妹からだ」

「やっぱり!」

「…………」

 

由花子でよかったと心底ほっとする。これが全く別の電話だったならあの後どうなったのか、考えると背筋が粟立ってしまう。とはいえあんな間近で空条さんの顔を見ることなんてなかなかできない経験だろうなと思う。相変わらず彫刻のように美しかった。

もうとっくに冷めているコーヒーを喉に流し込めば、少し落ち着いたような気がした。それにしても改めて考えると空条さんの部屋にいるなんて、いや考え出すと気絶しそうになるのでやめよう。早くここから出なくては。ごちそうさまでしたとお礼をいってドアまで向かった。

分厚く大きな板の前に立って取ってを掴んで引っ張るが、何故か開かなかった。押すタイプ?引くタイプ?などとしばらく動かしていたが、自分の上を黒い影が覆っているのに気がついた。

恐る恐る上を見上げると、空条さんがドアに手をついて自分を見下ろしていた。

 

「ひょっ…」

 

人生で初めて間抜けな声を出した。空条さんは気にしていないみたいで屈んで顔を近づけてきた。ドアについている手が擦れてグググとドアの塗装が鳴く。

 

「君の妹に今度は一日中借りると伝えておいてくれ。近いうちに会いに行く」

 

伝言だ、と彼は言うと屈めていた背を元に戻した。急なことで力が抜けてしまった自分の手はドアノブに添えられただけである。

そんな貧弱な手の上から、大きく厚い手のひらが重ねられてドアノブに力を込めた。これは空条さんの手なのかと思った時には、廊下へと身体が出ていてバタリとドアが閉まっていた。

空条さん相手にあまり調子に乗って素直になりすぎるのはダメだ、自分にとって。と改めて思うのだった。

 

 

 

 

辻彩は時計を見た。山岸由花子の兄が訪れ、メイクを施した。あれから30分は経っている。

自分を愛するという愛に出逢うことはできるのか。魔法使いに憧れるものとしてどんなに回りくどい愛であろうとも実現させなくてはならない。あとは単に、美人で気に入っていた由花子の身内だから、そんな理由で彼にメイクを施した。

 

辻彩の目に映った山岸由紀雄は、ただパーツが綺麗なだけの、絵のような男だった。妹と瓜二つなのは顔だけで、佇まいに荒々しさはなかった。妹が動なら兄は静というやつだろうか。

彼を見ていると自分や周りへ注ぐべき愛を、妹に対して慈愛や恩愛という形で向ける時間が長すぎたと感じた。

もっと自分に素直になれば、あなたには掴める愛があるのにと辻彩は思う。

 

「誰かの為の愛だけじゃあなくて、自分のための愛と出逢わせる…のも魔法使いとして当然の仕事ね」

 

ふぅ、といつものように息をつく。

今日はもうおしまいと絵本を閉じるように店の看板を下ろした。

 

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『山岸由花子の兄』は素直を知る

 

 

 

 

「ケーキを作りたいぃ…?」

 

夕方に家の扉を叩いてやってきたのは仗助と億泰だった。久しぶりに見た顔な上にあんまり会いたくなかった二人を前にして冷や汗をかいていたら訳があって尋ねてきたと説明し始めた。

億泰の父親が誕生日なので、ケーキを用意したいという目標を掲げた億泰と、その目標を応援したい仗助がこうなった経緯を話した。

康一から聞いた、“由花子の兄はお菓子作りが得意らしい”という話を聞いて頼ってきたらしい。

口が軽すぎる康一を恨みながら話を聞く。

 

「俺のおふくろが代わりに教えてやれたらよかったんスけど、誕生日当日は丁度仕事がなんとかって言ってて…」

「トニオは予約が入ってるから無理っつーしよォ」

 

仗助は自分のうなじを撫でながら言うと、隣に立つ億泰の背中をバシっと音が鳴るほどの力で叩く。

おめーの頼みなんだからお前がキチッと頼めよ〜と催促している。

不良とはいえ二人の頼み自体は別に断る理由はない。しかしお菓子作りという言葉に、それも誰かに贈る用という部分がなかなか消化しきれずにいた。

 

「俺は人にあげられるようなものは作れた試しはないよ」

「でも作れるんだろ?そこをなんとか頼ンますよぉ〜」

「いやだ」

「冷てーやつ…ひとの親父の誕生日だってのによォ」

「…っ…あー、もうッ!わかったよ…作る工程は隣で教えるから、混ぜたり焼いたりするのは二人でやってくれ…」

「まじスか?よっしゃー!」

 

何をそんなに大はしゃぎするのか分からないが、年に一度の誕生日という大事な日に父親へ何かを贈れることに安心しているのだろうか。不良のわりに律儀なやつ…と思いながら、億泰へ父親の誕生日はいつかと聞く。

 

「明日!」

「明日ぁ!?」

 

億泰は元気はつらつと答える。

だから焦っててよ〜とヘラヘラする目の前の学生二人に呆れて何も言えない。

 

「ざ…材料は?揃えてる?」

「なんにも分かんねえからよォ、まだ何も買えてねぇよ」

 

ある程度予想のついた回答に清々しさまで感じる。

材料ぐらいは自分たちで揃えろと言おうとした瞬間、仗助が閃いた!とばかりに両手をバチンと叩く。

 

「明日、ぶどうヶ丘高校まで来てくれよ!帰りに材料買ってよォ、俺の家で作るってのはどーよ?」

「おっ!頭良いなぁ〜仗助!」

「だろ?仗助君の頭は冴え冴えよ」

「なっ…待て!部外者が高校でうろついてたら怪しまれ…」

「そこは由花子の兄貴って堂々とすりゃ良いだろ?迎えに来たとか理由付けときゃ、そう怪しまれねぇッスよ」

「マジで頭良いなぁ仗助ぇ」

 

頭が良いと仕切りにほめる億泰に、褒めても何も出ねーよと返す仗助を交互に見ながら口が空いてしまう。

しかし代案があるのかと言われると、自分の頭にそれは思い浮かんでいない。

これはもう乗るしかないのか…いや半ば乗らされている話の流れに身を任せて、ぶどうヶ丘高校で待ち合わせすることを約束した。

 

 

 

 

明日は短縮授業日だから昼の3時には終わるという二人の話を信じて、ぶどうヶ丘高校へ3時ごろ向かった。女子生徒や男子生徒が談笑しながらまばらに校舎から出てくるのを見て、あのリーゼント頭を探す。

次第に中等部の生徒も混じり始めて校門から出てくる生徒の数が増えてきた。

人が思いの外多くて押されるせいで上手く探しきれなくなる。

仕方がないので校門を跨いで少し目立つところにいようと思い、学生達の間を縫うように渡ろうとした。

 

「いてぇ!」

 

急にそばであげられた大声に驚けば、隣にいた男が自分を見下ろして睨んでいる。

まばらに染まった金髪に、これでもかというほど空いたピアス。まごうことなき不良にメンチを切られていた。嫌悪感に思わず眉が寄る。

 

「おいテメェ、俺の足踏んどいて何睨んできてんだこのスッタコがよぉ」

「睨んでないぞ」

 

大勢の人の波の中で誰かの足を踏んでしまったことなど記憶にない。しかしイチャモンをつけられたように思えて思わず言い返してしまう。

もしかしたら踏んでいたのかもしれないが、この不良に対してただ謝るだけで済むだろうか。

馬鹿みたいに大きな声で怒鳴り散らせば周りが萎縮すると思っていそうな低俗な頭が気に入らない。

 

「あぁ?テメー、制服着てねぇじゃあねえか。

おいおい、知らねー奴が学校に入り込もうとしてやがんのか?」

 

不良が唾を撒き散らして大きな声で喚く。

当然周囲にいた生徒はギョッとして自分を見る。

 

「違う。俺は」

「うるせーッ!黙ってろよクソカス野郎がよォ!」

「人の話を聞け、」

 

口ごたえしたことが気に入らないのか、不良が拳を高く振り上げた。

この状況で由花子の兄だともしバレたら、由花子にとんでもない迷惑がかかってしまうという最悪の可能性を考えた。だから来るべきじゃなかったのに、と殴られるかもしれない状況で後悔していた。

 

「あ〜、悪ぃ悪ぃ。遅くなっちまった」

 

ドン、と代わりに体へ当たったのは不良の拳ではなく誰かの腕だった。

瞑っていた目をうっすら開けて何が起きたのか周りを見れば、肩に回されていた腕は億泰のもので、殴ろうとしてきた腕をすんでのところで止めていたのは仗助だった。

 

「他校のヤツだからよォ〜、よく知らねーで入っちまったんスよ。悪かったって」

「東方、仗助…」

「足踏まれたって言ってたっけ。病院行かなきゃヤベーほど痛い?俺が治してやろうか?」

「……クソッ!」

 

不良は仗助や億泰の顔を見たとたん、額にうっすら脂汗をかいてどこかへ行ってしまった。

怒涛の勢いだったことと久しぶりに不良に怒鳴られたことに血が上った。そのせいで僅かに息が乱れていた。

突如現れてきた仗助と億泰に周りの生徒、主に女子生徒たちがキャーキャーと歓声を上げ始める。

主にそれを向けられている仗助は、軽い会釈で答えるとさっさと行こうぜと声をかけてきた。

 

「一発殴ってやればよかったのに!」

「出来るわけない…痛いのは嫌だ。それにあんなに悪目立ちしたら由花子に迷惑がかかる…ていうかいつまで肩組むつもりなんだ…」

「まあ殴られずに済んで良かったな」

「重っ…二人して肩回すな、やめろ…っ!体重かけてきてるだろ!」

「知らねェ〜」

 

校門から出た後でかい不良二人に挟まれて歩き出す羽目になった。当然校門前の学生からも、通行人からの目は痛かった。

横断歩道が赤信号で止まった時、傍を止まっていたタクシーの中に見知った白いコートの男が座ってこちらをじっと見ていたが、由紀雄は気がつかなかった。

 

 

 

 

なんとか買い出しを終えた仗助達一行は、そのまま仗助の家へ向かってケーキ作りへいざ!と意気込んでいた。

エプロンと三角巾を真面目につける不良二人の図にその似合わなさに少々吹き出しながら、自分もきちんと身につける。

スポンジから手作りでやると言うので手間や工程はかかると思ったが、本人がやると言うので仕方がない。

作る手順と工程を教えれば、二人とも手際良く済ませていた。

その間、果物を切っていた由紀雄に仗助が声をかけてきた。

 

「康一っつーか、由花子から聞いたんだけどよぉ、なんでお菓子作りやらなくなっちゃったンスか?」

「な、な、なんで、それ…」

「そんなこたぁいいんスよ。で、何で?」

「…別にやめたわけじゃない、けど」

「え?じゃあ作ってんスか?」

「自分用…たまに作る」

「へぇ〜?」

「小さい頃に作ったのを食べた由花子が数日寝込んだことがある。生焼けだったせいだ。…それ以来誰かに作ったものを贈るのは嫌なんだ」

 

言いながら当時のことを思い出した。

小さい妹が苦しむ姿に呆然と立ち尽くすしかなかった。いま考えると腹を崩しただけだが、当時の自分は由花子が死ぬかもしれないと不安で押し潰されそうだった。

いま作ってるケーキだってどうか分からない。

オーブンの前で目をキラキラとさせる億泰を見ながら不安が頭を過ぎる。その時、指にちくりとした痛みが走った。手元をよく見ていなかったせいで包丁で軽く指を切っていた。

 

「あー!何やってんだよ、大丈夫か?」

「た、大したことない、そろそろ焼き上がるぞ!」

 

チンと焼き上がりを教えるオーブンの扉を開け、綺麗にできた生地を見た仗助と億泰はおぉ…とため息をこぼす。

大丈夫そうだと安心して自分は絆創膏を、と思ったところでここが自分の家でないことを思い出した。深くは切っていないが止まる様子のない血を見てどうしようかと悩んでいると、「大丈夫スか?」と仗助が後ろから声をかけてきた。

 

「あ、あぁ。その…絆創膏欲しいんだけど…」

「絆創膏?傷見せてみろよ」

「大丈夫だ、」

「いいから」

 

腕を出し渋っていると腕をぐいと引っ張ってきた仗助に切った指をみられる。片手で抑えられていたのがなくなったせいで血が指から垂れていった。

 

「うん、もう大丈夫っスよ」

「え?」

 

もう大丈夫と腕を返されて切ったはずの指を見るとどこにも傷がなかった。おまけに流したはずの血のあともない。

切ったところの指を引っ張ってみても皮膚は元通りにつながって一枚の皮となっている。

ふと前に仗助達が家に来た時のことを思い出した。家にある時計が崩れてるのが気になると言っ

た仗助は、それに少し触れて直したと言っていた。

もしかしてこの傷も?と思ったが、いまも一度たりとも目を離していないのにどうやって?と思った。瞬きの瞬間の速さで指の傷が治った。傷薬を持っていたからなんて説明はつかない。

と思っていたら億泰が次はどうするんだと言うので、そっちに構っていると指の怪我のことなど忘れてしまった。

 

「か…完成した…」

「うぉ〜〜!!!やったァ!」

「ふぃ〜…結構苦労したぜ…生クリーム塗るのが一番めん…大変だったぞ。いちいち細けーんだよ、由花子の兄貴は」

「当然だろ、ケーキのクリームが不恰好じゃあここまでやってきたことが台無しだ」

 

普通のショートケーキをホールで作っただけだが久しぶりかつ苺のトッピングをなるべく綺麗にとこだわっていたら相当な時間と労力をかけてしまっていた。

仗助は自宅にある皿のうちの比較的豪勢な皿を取り出すと、このケーキを乗せて持って帰れと億泰に提案し、億泰は仗助の言った通りにケーキを持ち帰ることにした。

 

「助かったぜェ、教えてくれてありがとな」

「まあ…見栄えも悪くないし味も大丈夫…なはず」

「自信持たせてくんねぇのかよぉ」

「き、気持ちがこもってるから…」

「テキトーかよ」

 

じゃあと言ってケーキを持ち帰ろうとした億泰に、仗助が「あ、」と何かを思い出したように声をかけた。

 

「なあ、これってアンタが作ったやつだろ?」

 

仗助が指で指している先には余った材料を捨てるのがもったいなくて作った一口大のケーキがあった。

仗助は腹減ったし食って良いスか?と言ってこちらの返答を待たずに大きく口を開けて食べてしまった。それをみた億泰も食べる食べると言ってひょいと口の中へ入れる。

待てと止めた時には2人の喉が上下して飲み込まれたあとだった。

 

「…うまい!」

「……うんっまァァ〜い!」

「…え?」

 

2人のリアクションは予想してなかったもので間抜けな声が出てしまった。

 

「誰にもやらねーなんて勿体ないッスよ!なぁ、この最後の一個ちょうだい!」

「ずりぃぞ仗助ェ!」

「オメーは今からケーキ食うんだからいらねーだろッ!」

 

なんともないのかと聞けば2人同時にないと答える。そのケーキは単に材料が勿体無かったから、誰にあげるようでもないから適当に作っただけのものだと説明するが2人は聞いていない。ケーキは大丈夫なはずだ。念入りに確認したし。

まさかこれを見つけて食べられるとは思わなかった。これはケーキの時以上に適当に使ったから不安だったのに。

 

「もし腹壊したって仗助に治してもらえるしよぉ、大丈夫だろ」

 

億泰はパンと自分の腹を叩くと、またなと手を振ってケーキを持って帰っていった。治してもらうってなんだと思いながら、仗助が「足元気を付けろよ〜」と言っている間に残り一個のケーキを強引に口に入れた。

 

 

億泰のケーキ作りが無事に?終わったので帰ろうとしたら仗助からバス停まで送ると言われた。そこまでしなくて良いと言ったが、仗助はもう玄関を出ていたので肩を並べて歩き始める。

 

「最後のケーキ食ったの?」

「…当たり前だろ。腹悪くしたって知らないからな」

「心配し過ぎなんスよ〜、死ぬわけじゃあねぇし」

「…ケーキは多分大丈夫。もし何かあったら…本当にごめん」

「そんなこと気にしなくて良いンスよ。億泰も億泰の親父も元々身体強ぇし、それでも何かあれば俺が治してやれるしさ」

「その治すって、さっきの俺の指みたいに?」

「エッ!?……と、ソーネ、ソーデス」

「…まあ…よくわからないけど、さっきはありがとう。億泰たちも…大丈夫だといいけど」

 

やっぱり仗助の言う“治す”という言葉の意味がいまいち理解はできなかった。しかしなぜかその言葉に、それを発する仗助に対して不思議と安心感があったので、どういう意味か分からなくとも大丈夫なんだろうと漠然と思った。

 

話題は億泰のことへ移った。

どうして突然ケーキ作りなんて?という話から、掘り起こすと根の長いような話にまで発展してしまった。

数ヶ月前まで彼には兄がいたらしい。しかしとある事故で帰らぬ人となってしまった。億泰の父は事件の後遺症で介護を必要とするらしく、それは仗助の“治す”という何かを持ってしても治らないのだと、彼の事情というものを知った。

そして仗助自身も、自分のことを茶化しながらもぽつりぽつりと話し始めた。尊敬する祖父の話、幼少期に助けてくれた“リーゼント頭の誰か”。この前よりも二人に関する深い話を聞いた。

聞いて良いものかと思いつつも、話を聞いているうちに億泰が父への誕生日にケーキを作りたいという気持ちに、少しは協力できて良かったのかもと心のどこかで感じていた。

 

「由花子に兄貴がいたってのもびっくりスけど…あいつ自分のこと滅多に話さねぇしよ」

「簡単に自分をひけらかさない子なんだ。ついでに不良を相手にするような子でもない」

「やっぱシスコ…なんでもねー、…あー、だからなんちゅーの、…」

「なんだよ?」

「ま、まあ……に、っつーか…」

「え?」

「…だっ…から!…アンタのこと、…ダチで兄貴みたいに!思いてーンすよッ!」

 

思いもよらない言葉に、思わず思考が月まで吹っ飛んだぐらいには驚いた。勢い任せに言いました、と言わんばかりの仗助の顔は紅潮していた。確かにそんなに照れくさい発言をかまされるとは思わなかったし、こっちも小っ恥ずかしくなってくるじゃないか。熱が移ったように顔が熱くなるのがわかる。

 

「そ、んなこと面と向かって…恥ずかしくないのか!?言ってて…」

「だっ…!は、恥ずいに決まってんでしょーよッ!」

 

重そうなリーゼント頭が揺れて仗助の顔を隠している。「ンなことわざわざ言うんじゃあねーよッ!」とこちらに指を指してくる。そんなこと言われても勝手に恥ずかしいことを言い出したのはそっちなのにと思って、仗助の照れが移りそうで逃げるように目線を逸らした。

気が付けばもうすぐそこにバス停が見えている。

 

「…その、なんというか…」

「…ス」

 

スってなんだと言いたくもなるが、タイミングよくバスが来て、ゆっくりと速度を落としてそばに止まる。

いつもなら恥ずかしくてバスへ乗り込むところだろうが、なぜか仗助が自分へくれた言葉をそのままにして帰ろうという気にはなれなかった。とはいえこんな率直な言葉を貰ったのは初めてでどう答えて良いのか分からない。

素直になるべきところなのかもしれない。

 

「……なあ」

「はい…?」

「…ひ、暇なときは…来てもいい。今日は…楽しかった、から」

 

いまの自分に言えるのはそれが精一杯だった。

どんなリアクションを取っているかは無視してバスに乗り込む。さっきは仗助の言葉に恥ずかしくないのかと言ったが、いまの自分の発言もそこそこに恥ずかしすぎたと思う。バスがゆっくりと動き出し、最初の信号で止まるまで顔の熱はなかなか引かなかった。

 

 

「お帰りなさい。電話もらったから事情は知ってるわ……」

 

由花子は玄関の前で仁王立ちをしていた。

怖いな、怒られるだろうかと目を合わせずにいると、由花子はふぅとため息をつくだけだった。

 

「…あれ?怒らないのか?」

「怒られたいの?」

「たくはない…」

「…兄さん変わったわね」

 

由花子はそう言うとリビングへと足を返す。

その後ろを追う自分を見て、言葉を続けた。

 

「前はそんなふうに誰かが頼ってきても無視してたじゃあないの」

「そうか?」

「女の子以外の頼みはね」

「そうかな…」

「アタシにすらケーキなんて作ってくれやしなかったのに」

「それは…」

「…それもこれもあの承太郎さんに出会ってから。兄さんまるで人が変わった」

「…そうなの?」

「なんなの?さっきから同じ相槌ばっかり」

「ど、どう返していいか分からなくて」

 

由花子は呆れも怒りもない口調で自分に語りかける。ここ最近の自分の行動に対して穏やかに見えるように話す由花子は珍しい。それが嵐の前の静けさと思わなくもないが、俺には由花子が許しているように見えた。

 

「…まあ、前の兄さんよりは多少マシかもしれないわね」

「多少マシ」

「でもみっともなく承太郎さんに縋る真似でもしたならぶっ殺すわ。たとえ兄さんでもね」

「ころ……殺す…一応、兄貴なんですけど…」

「殺すわよ」

「ア、そう…」

 

由花子は虫が出たら殺すと言わんばかりの平然としたトーンで兄に警告した。

まさか兄があの男に惚れたのがきっかけで、こうも性格が変わってしまうなんて、彼がそうさせたことは少し心残りはあるものの、もうそれで良いのかもしれないと由花子は思った。

兄が自分以外を信用して心を許している。不安なこともあるが、まずはこの変化を喜ぶべきなのかもしれない。だから今は兄の気持ちも目を瞑ろうと思った。

 

 

 

これは余談だが、ケーキを作った二日後に家へ空条承太郎がやってきた。しかしいつもの余裕のある威風堂々とした佇まいでなく、据えた目の奥で何かが揺れていた。

もちろん由花子は予定もなくやってきた存在に眉をひそめたが、兄に言ったところでもう変わらないと思い黙って様子を見ていた。

「一昨日、仗助と億泰に挟まれてる君を見かけた」と言われ、兄は答えを模索しているようだった。

あの二人から兄の作ったケーキが美味しかったと承太郎は散々聞かされたらしい。

 

「そ、そうですか?普通のケーキでしたけど…なんともなさそうで良かった…」

「…俺としてはケーキのことよりも、君の昨日の行動について聞きたいことがある」

「え?」

「借りるぞ」

「は、?うぉあっ!?」

 

借りるぞと言いながら、承太郎は由花子に一瞥もくれずに兄の身体を担ぎあげた。由花子の目には黒髪の青い身体をした屈強な何かが兄を掴んでいるのが見えた。

突然のことで暴れる兄のことなど気にせず、承太郎はそのまま家の前に停めてある車に乗り込んだ。

「え?!今からですか!?」と混乱しながら車に押し込まれ、兄を乗せた車はあっという間に走り去って行った。まるで逃げるように走り去る車の後ろを眺めながら、あの急くような雰囲気は女の勘として嫉妬じゃあないか?と由花子は思ったが、嵐のように去っていた兄が可哀想だと思うことしかできなかった。

 

その日の夕方過ぎにようやく帰ってきた兄はげっそりとしていた。聞けばケーキ作りの経緯についてもれなく説明したというがそれだけでそこまでへばるわけがない。何か他にあるだろうと聞こうとしたら、兄は「俺の口からこれ以上言わせないでくれぇ…」と情けない言葉を吐き出した。その姿があまりに惨めだったので、由花子はそれ以上追求するのはやめた。

しかし実際のところはこの間のホテルでの素直さはどこに行ったのかと時間をかけて問い質されただけである。だが由紀雄にとってはあまりに恥ずかしい時間だった、とだけ言っておく。

 

 

 

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