「…おい、聞こえてるか。そこのファイルを取ってほしいんだが…」
杜王町の滞在中、久しく故郷の日本に足を慣らして、などと言う間もなく毎日は忙しかった。
自分の家系が関係したある用事が済んだと思えば、この杜王町自体に潜む何かを追うことになったり、あとは個人的な仕事であったり、個人的な楽しみであったり。やることは山ほどある。
今は唯一その楽しみの時間だったわけだが。
楽しさを共有する相手が心ここに在らずといったようにぼんやりとしていた。
伸び切ったゴムのように力なく元気のない背で、こちらの呼び掛けになんの反応も示さなかった。
さっきから数分おきに声をかけるが、最初の呼びかけには応えない。二回目でやっと「え?」と間抜けな声を出してこちらに答える。
そろそろ彼のことは把握できたかと思っていたが、それは意外と自分の思い込みなのかもしれない。とはいえこちらが彼に引いてみる態度など取れば、彼はいろいろ考え込んでしまうはずなので妙な態度はとれない。
…という考察ももう何度目だと自分で呆れる。
考え込むだろう、までは予想付いても彼の心の中までは今と同じように読めない。なのでいつもと変わらないように接しているが…いい加減2回も声をかける手間を数回繰り返しているので、鬱陶しくは感じている。ため息が出ないように堪えている自分を褒めてやりたい。
いま彼と自分は、自分の寝泊まりするホテルで適当に時間を潰していた。潰すと言っても、自分は仕事を片しながら、彼は傍でその様子を見ているか時々コーヒーを注いでくれたり、灰皿に溜まった吸殻を捨ててくれたりなど…やらなくても良いのに、と思わずにはいられないことをしてくれていた。彼としても何か動いている方がいいと言うので、ルームサービスみたいなものと思って好きにさせてはいる。
それすらこなした後は、自分の持っている海洋生物に関係する雑誌なんかを眺めていることが多い。
しかし自分も彼のことを呼び出しておきながら、具体的になにをするかなどは考えていなかった。とりあえず話でも聞いてほしい、疲れたから顔を見たい、そんな気持ちで会う約束を取り付けていた。
こういう過ごし方は今回が初めてではない。最初の半ば連れ込みのようなそれも含めるなら、今日で4回目だ。
4回も来ているのに彼は相変わらず油の切れた機械のように一挙一動に音が鳴りそうなほど緊張していた。だが緊張はしていたとしても、いつもは反応に時間差はない。今日は緊張もあるがそれよりも、何か他に気になることがあって放心しているように見えた。一緒にいるのに自分よりも気にかかることとは一体?と気になりだすとどうしても本人の口から聞きたくなる。
それにしても前の…よく知る高校生二人に挟まれた彼を見たときには目を見張ったものだ。彼は自分のパーソナルスペースとやらが狭いタイプの人間だと思っていた。
こちらが踏み入ると離れようとするのはそのせいだろうと考えていたら、あんなに仲良く歳下の学生に肩を組ませているのを見て何だ違うじゃないかと思った。
…まあ、歳の差もある。
年が近い方が彼も接しやすいのかも知れない。頭では理解しつつも、言葉や態度に明確に表すのは恥ずかしく感じるほどの、自分には珍しい幼稚な気持ちが若干霞んでいた。
なぜ思うように彼は自分に接さないのか。というより、自分は彼にどう接してもらいたいのだろうか。今更そんな疑問が浮かぶ。
年の近いあの二人のように接してほしい?…いや、ああいうノリは自分のキャラじゃない。
彼に求める付き合いとは……いや。わからない。
しばらく手を止めて考えてみたが、明確にこうして欲しいという希望ができあがらない。
向かいに座る彼は注いだ紅茶の水面をぼんやりと見つめている。目になにも浮かんでいないあたり、ただ呆然としているのだろう。
今日はなにかお互いに気持ちが悪い。
この気持ち悪さを次また会う時にまで引っ張りたくもなかった。
睫毛を伏せてじっと紅茶を見つめる彼の視線を遮るように、手元の書類を差し出した。
彼はびくりとして瞬きを数回繰り返す。ぼんやりとした目にようやく力が入ったように見えた。
「…何枚あるか数えてもらえるか」
「あ…は、はいっ」
おお、と内心で少し感心する。今日初だ。一発で返答してくれるのは。
彼は差し出しされた紙を受け取ると指でさばきながら数え始める。
「何かあったのか」
「…14、15…じ、…え?」
「いつもに増してやけに静かだ。どこか優れないところでも?」
「体調は普通…です。健康体です…」
「健康体、ね…」
「え、えぇ。すごく元気です…よ?…いつもですけど…」
「…その割に晴れない顔をするのはなんだ?今日はずっとそんな調子だ…いい加減気にもなるぜ」
「そんな顔してるんですか!?」
「……自覚ないのか?」
「そ、そうまで言われるほど顔に出てたとは…」
彼はええーだの、あーだの、言葉にならない声を出しながら手に持っていた書類で顔を隠す。あ、そうされるとは思わなかった。顔を隠すんじゃない。その書類を渡したくせに引っ張って取り上げようかと手を伸ばしかけた時、薄い紙の向こうから控えめに「……その〜…」と声が聞こえてきた。
「…えっ…と…」
「……?」
「………」
紙越しに無言で返したせいか彼からの返答がない。どんな顔して何を言う気でいるのか見てやりたい。
「言いたいことは面と向かって言ってくれないと何も分からない」
「…そーです、ね〜…ははは…」
「この前の素直さはどうした」
「あっ…、あああ!!やめてくださいその話!」
「何でも良いがとっとと言ってくれ。気になるんでね」
彼があの時の自分は自分じゃなかったと言う話を少しほじくり返せば、紙から顔を出して大声を出して制止してきた。よほど恥ずかしいのだろうか。こちらにとっては普段からあれぐらいで良いのにと思う。彼なりに年相応な振る舞いだと感じた。逆にあの高校生二人は素直すぎてもう少し遠慮を覚えろと言いたくなる。
「分かりました…今更ですもんね…恥ずかしがっても…」
「まあ…そうだな。好きです、も覚えてるよ」
「な、なっ、…なん…っ…………」
彼をおちょくるのはやめにしよう。こちらは楽しいが話が先に進まないし、顔を真っ赤にして目を吊り上げてはいるが声が震えている。泣かれては困るので悪かったと謝り、話を促した。彼は少しこちらを睨んでいるが何の威嚇にもならない。
彼は一つ咳払いをして目線を下にやりながら話し始める。
「その……どう言えばいいのか…」
「……」
「……い、言います…よ?」
「なんだよ…」
「こっ、この関係って、なんなんですかね!?」
「…関係?」
「だから…お友達…?と呼んでも良いのかな……など…考えて、ました…」
「…………」
「う、自惚れすぎですよね!?すみません!!」
「……自惚れまでは思わんが」
まさか彼の悩みの種が数分前の自分の疑問と同じになるとは思わなかった。自分は彼にどんな付き合い方を求めているのか、彼は自分との関係をどう形容すべきかとお互いに同じようなことで考えていたわけだ。
彼はいかにもやけくそだと言わんばかりに顔を赤くして謝っている。
そもそも好きだと言いのけた相手に対して、友達と呼ぶのが自惚れだと思うとか今更じゃないのか?と口から出そうになった。
しかしこんな場面でどう答えるのがベストなのか、久しくこんなことで悩む。
康一の現彼女、そして彼の妹である山岸由花子の過去の暴走具合は、以前仗助と億泰や康一本人からも聞いたことがある。
もしかして今この場も答え方次第によっては、彼も何かしら化けるのではないかと思うと、答え方だけじゃなく態度ですらも慎重になってしまう。さらに自分の方は彼との付き合い方をどうして欲しいかの答えを持っていない。なかなか難しい場面になっていると思った。
「…そうだな。ならどこまでなら許せる?」
「ど、どこまで…?」
卑怯な真似かもしれないが、自分は答えずに彼に答えさせることにした。どちらにせようまく言葉にするのは苦手なので、直接行動で示した方が早い。腰掛けていたソファから立ち上がって、向かいに座る彼の隣に座った。突然のことで、彼は尻を浮かせてずろうとするのも間に合わずにべたりと近くなる。彼の膝が自分のふくらはぎに当たるほどには近くなった。
「この距離が許せるみたいだな。今こうしていられるなら友達ってやつだ」
「友達で!?いくらなんでも、こんなに近いのは想定外過ぎ…」
「想定内だ。現に俺の知り合いはこれぐらい近かったぜ。…フランス人だが」
「それ空条さんだけの話じゃないですか!」
別に嘘ではない。砂漠を渡る車の中でこれほどかって具合に押し込まれた時に、あの特徴的な髪型のフランス人が「スキンシップも兼ねてよ〜」などと言っていたのを思い出す。
本調子を取り戻したのかギャアギャアと騒ぎ始めた。さっきから顔の色が忙しいぐらいに赤に青にと変わっている。普段はこんなに表情豊かなタイプじゃないはずだ。ませて大人びたような表情をすることが多い綺麗な顔を、自分の前では嬉しかったり恥ずかしかったりで小さな子供みたいに歪ませてる、と思うとなぜか頭を撫でてやりたくなった。しかし空条さんという響きに引っかかった。そのついでに前々から思っていたことを言う。
「それも気になるな…友達であれ、それ以上であれ、いつまでも苗字呼びじゃ狭む距離も狭まらない」
「は、?」
「空条さんは封印だな」
「え」
「言ってみろ。ほれ」
「…いやいやいや、年上の方をそんな…」
「そうか。君からすればオヤジか…俺は」
「お、オヤジとまでは言ってませんよ?!」
「なら名前で呼べるだろ」
「そんな極端な…」
何だか喋ってると揚げ足を取って困らせてやりたくなる。酔ってるのか?と自分でも思うほど気分が妙に浮ついていた。
いつまでも苗字で呼び続けてくるのは彼だけだ。彼の中で遠慮する気持ちがあるから、無意識とはいえ壁を感じる呼び方をしてくるのだろう。
しかし彼は頑なに無理だと言って、空条さんと言い続ける。何をそんなに意地を張るのかわからん。むしろここまで頑固だと逆に言わせたくなる。どうにか言わせてやるために彼の肩に腕を回してやる。回した後で丁度この前の仗助達みたいだと思った。
「お前がそれをやめるまでこのままだ」
「ひっ」
「言いやすくなっただろ」
右も左もどっちも塞さがれてようやく観念したのか、彼の強ばった肩が緩むのが回した自分の腕越しに伝わる。顔はこっちを向かないが、おそらく真っ赤なのは分かる。
「噛んでも笑わないでくださいね…」
「噛むほど呼びにくい名前じゃあないはずだが」
「緊張するんです!」
「人の名前を呼ぶ程度で?」
「これだから…っ、これだからモテまくってる人は…!さ、察しませんか、普通!」
「モテまくってる人ってのはどこの誰のことかな…君もそうじゃないのか?」
「……ぅ…っ、承太郎、さんの!ことです!!」
彼は一際大きな声で叫ぶように言った。
顔はこっちを向いていないが、まあ良しとしよう。一度呼んでしまえば大したことじゃないと分かってくれるはずだ。いい加減空条さんとかいう他人行儀な呼び方をどうにかしたいと思っていたし、今日は都合が良い。気持ち悪いと言ったことは撤回する。
彼はこの心臓に悪い変な流れはもう終わりなどと思っているように見えるが、どんどん楽しくなってきたので止める気はない。
「…これでようやく友達関係とは言えるな」
「こういう友達が普通なんですか…?空条さんの中では…」
「空条さん?」
「…………見逃してください…」
「…まあ良い。じゃあ次だな」
「次!?」
「友達の次だ」
彼に体重をかけるようにもたれ掛かる。友達の次と聞けばそれが何を指すのか分かるだろう。が、あえて呼ばなかった。そこまで馴染んだ関係ではないことは理解していたし、まだまだこれからという気持ちもあった。駒は着実に進める派というほど慎重すぎる性格ではない。どちらかというと見定めて今だというタイミングで仕掛けるタイプではあるが…彼に対してはどうも“らしく”なくなってしまう。良い意味で調子が狂うというか…
「友達の次って…なんですか?気が許せる…親友みたいなことですか…?」
衝撃の一言。時が止まったのかと思った。自分が言うと比喩でも冗談でもなくなってしまう…が、そんなことはさておき、変化球すぎて受け止めることも打ち返すこともできなかった。
これは逆にあえて違うと俺から言わせるための意趣返しというやつなのか?と考え出す。
目線だけこちらに向けて、合ってるのか違ってるのかと彼は不安を滲ませた目でこちらを見上げる。
この様子だと本気で言ってるように見えるが、狙ってやってるなら随分と計算高いヤツだと思う。彼は人からの好意にどう対応するのか経験がないせいで耐性も無いのだろう。こんな風に詰められておいて何も分からないとは、いま詰め寄ってる張本人とはいえ心配する。
「気を許せるのは正解だが…」
「うーん…?」
「……察しが悪いと言われるんじゃないか?」
「…それはさっきの空、…貴方にもお返しします」
「………」
あれはそういう冗談のつもりと言いたかったが黙っておいた。その辺も察せないから察しが悪いと俺は言っているのに。あと空条さん呼びの回避の仕方が可愛げがなさすぎる。
ふとこの悪ふざけの元は、どんな付き合い方をしたいか、の自分の疑問から始まっていたことを思い出す。言葉では示し難いが、何か形になりそうな気がする。この気持ちに急かされるように彼の腕を引っ張ってソファから立ち上がった。
向かう先はバルコニーだ。ポケットに煙草が入っているかを確認して彼と共に外へ出る。生温い風が彼を掴む手を掠めて通り過ぎたのを合図にするように、彼から手を離してポケットに入った煙草を取り出した。
箱から飛び出た一本を彼に差し出す。吸わないのに?という疑問の言葉を隠しもせず顔に出しながらおずおずと煙草を受け取る。そして自分も一本取って口に咥えて、いつものように火を灯した。
「あの…吸ったこと、ないんですけど…」
「…口で挟め」
「でも…」
「いいからやれ」
彼は焦りながら煙草を咥えた。それを見て煙草の火を寄せる。自分の煙草の火を近づけて火を移してやる。彼の口に咥えられた煙草が小さく火を燻り始めているというのに、放心してどこか視線は遠くの方を向いている。彼の煙草を一度取り上げる。
形のいい唇に咥えられた煙草のフィルターは、先程箱から取り出した時のままだった。よっぽど呆然としていたことがわかる。挟まれていただけの煙草が落ちずに済んでいたことが奇跡だ。
口にあったはずの煙草がなくなったことでようやく放心状態から戻ってきたのか、大袈裟なまばたきをして、自分の指に挟まれた咥えていたはずの煙草を見て困惑していた。
「最初は気分が悪くなりやすいが…」
「え…」
「慣れれば美味く感じてくる」
彼の口に再び煙草を押し付ける。僅かに開かれた隙間に差し込んでやれば、彼は見よう見まねで煙草を指で挟み、咥え直していた。
しかし煙を肺にまで入れて吸っていないのが分かる。咳き込みながら眉に皺を寄せて不快な表情いっぱいで吸っていた。不慣れな吸い方を横目で眺めながら、自分の煙草の灰を近くに置いていた灰皿に落とした。
「あの…なんで煙草?」
「…なんとなくだな」
「え…なんとなくって…」
「慣れればなんともなくなるさ」
「慣れるまで吸えってことですか…?」
「……そうだな……煙草を吸うヤツが身近にいないせいで、一人で吸うのが時々つまらなく感じる」
「なる…ほど…?」
「できれば俺の吸っている銘柄の煙草に慣れて欲しい…他の味のする煙草を吸われると不味くなる」
「んん…??」
「…わからないか?察しが悪いどころの話じゃあないな…これは」
煙草を吸わせてみたのはただの好奇心からだったが、思いもよらず会話の流れが良い感じに向いたというのに…あまりに彼と意思疎通が出来てなさすぎる。口が悪いが、彼は人の情に対してあまりに察しが悪すぎてもはや頭が悪いの域ではないかと感じる。しかし彼は、困惑満点だった顔をいきなり明るくさせた。水を得た魚のような表情と態度に何か嫌な予感がする。
「承太郎さん!」
「……っ、」
…どうしてあれほど呼ぶのを嫌がっていた下の名前でいきなり呼び始めるのか。急に呼ばれたせいで驚いて妙な顔をしてなければいいが…など思う。
「言いたいことは素直に言ってもらわないとわかりませんよ?…とか!言ってみたり…」
「…………お前…」
「い……、ぃ、いや…ごめんなさい…調子に乗りすぎました…」
「………」
正直に言うなら、決めてやった、みたいな顔にコイツ…と思いはした。時々可愛げがないことをやってきやがる。俺が言いたいことを素直にいえばきっと変な声をあげて逃げるに決まってるくせに。…とはいえ確かに経験のない相手に向かって少々どころか、かなり伝わりづらい口説き文句だったかもしれない。
自分自身としても前からもっと説明しないと相手に通じないと言われていたような気がするが、この場合は彼の方に非がある。洞察力も、情の駆け引きじみた場面の経験もないから俺の言葉がわかってないだけだ。…と思う。
黙った自分に「あの」と彼が声をかけてきた。
「…茶化しちゃってごめんなさい」
「…そこは気にしていない」
「あの、俺…」
「…なんだ」
「じ…承太郎さんにとって…友達の次になれるように、その…煙草に慣れますね!……うーん…慣れるように、頑張ります…?」
彼はそういうと手に持った煙草を再び口に寄せて吸い始めた、がやはり咳き込んでいた。
「…その調子じゃいつになるか分からんな」
「げほっ、ん、へ?」
「ただそばに居てくれれば良い…煙草に慣れようが慣れまいが…」
「……え??」
「望み通り素直に言ったぜ。これで少しは理解できたか?」
良い歳して学生みたいな真似をしてると思った。
少し口調が荒くなってガキくさくなってしまったと後悔していたら、彼は楽しそうに小さく笑いを堪えていた。それが気に入らなくてまだ半分ほど残った煙草を灰皿に押し付けて、部屋に戻ろうとした。
「これでおあいこですね!」
彼がそんなことを自分に向けて言ってきたので思わず足を止めて振り返った。口は綺麗に弧を描いて、時々目尻を指で拭っていた。そこまで笑えるものか?…なるほど。恥ずかしい真似をお互いにさせたというわけかと知り、やれやれだとつい口から飛び出た。自分で冷静に感情を分析するのも恥ずかしいが、不貞腐れてると表すのが正しいぐらいにこの場の空気から逃れたかった。
視線を少し外した隙に、いつの間にか近づいてきていた彼は自分と肩を並べていた。彼の吸っている煙草は未だ指の合間に挟まれていた。
「じゃあ…承太郎さんのそばにいて良い関係になった、って言っても良いですか?」
ついさっきまで慌てふためたり驚いたり呆然としたりしていたくせに…経験がない割に調子が狂うような真似をどこで覚えてきてるのかと思った。
このまましてやったりな表情をされるのは気に食わない。彼の煙草を持つ手を掴んだ。
「そんなクドい言い方で伝わるか?」
「…?友達の次って言えば…」
「友達の次は恋人ってやつだ…それが世間一般で言う、『そばに居て良い関係』…だと思っていたんだが…」
「………こっ…ここ、…っ!?」
「鶏の真似が上手いな」
口がぽかんと開いた猫のようにあんぐりとさせると、彼はぴたりと動きを止めた。彼の手に挟まれた今にも尽きかけそうな燃えただけの煙草を、自分の口元に寄せて加える。いつもより妙に甘く感じた。それはきっと彼の飲んでいた紅茶が甘かったから、彼の口内にその味が残っていたからだろう。たまには胸焼けするような甘い煙草も悪くないかもしれないと思った。
「まあ…そのうちだな」
「…………」
「お前に一つ話があるんだ」
「……はなし…」
「大丈夫か?」
大丈夫か?と聞いておきながら、彼の目の焦点は合っていないから大丈夫ではないと見れば分かった。ぐるぐると目が回っているのか視点がフラフラとしていた。やはり直接的な表現は使うべきじゃなかった。気絶しないだけマシといえるぐらいにそこまで動揺されると困る。
一度深呼吸すると、今度はきちんとこちらに目線を向けて話を催促してきた。
「す…すみません…、それで話って…」
「……俺は近いうち、いやどちらにせよ一度アメリカに帰る」
「ぇ、あ…アメリカ…?」
「あぁ。…そこで、だな…」
「…?」
いずれはアメリカに帰る。これは変えようがないことで、別れを示唆するような言葉だ。この一言で彼の目が僅かに開いた。友達だ何だと言った矢先にいずれくる別れのような話を切り出されれば、誰だって衝撃を受ける。しかし彼が自分と離れることにそんなふうに僅かでも動揺する姿に、少しだけ優越感にも似た気持ちが芽生えた。
そこで、と間を持たせて先を聞きたがっているであろう彼の反応を見て満足した後に、単刀直入に切り出した。
「アメリカへ一緒に来ないか」
学校帰りに承太郎さんと偶然出会った。
殺人鬼を追っている中で色々物騒なことが続いたので、最後に会話をしたのは『靴のムカデ屋』での一件以来だった。
あれ以来印象がだいぶ変わって…無愛想で怖い人かと思いきや、実はとても優しい人だということに知って、今はものすごく尊敬している。
「奇遇ですね〜!なにかご用事ですか?」
「……康一くんか。いや…煙草が切れてしまってな。…買いに来たんだ」
承太郎さんは煙草を買いにふらりと街中を歩いていたという。煙草と聞いて由花子さんから聞いた話を思い出した。
「煙草と言えば…最近由花子さんのお兄さんも煙草を吸い始めたらしくて、由花子さんがすごく困ってたなぁ」
「……」
「苦めの煙草を吸うなんてらしくない、って少し怒ってて…由花子さんもきっとお兄さんの身体のことを思ってるから怒るんだろうけど…」
「……そうか」
ふと承太郎さんが手に持っていた袋が目に入る。おそらく言っていた煙草が入っているようで、白く透けるビニール越しに煙草の銘柄が見えた。
その銘柄の絵に見覚えがあった。由花子さんが吸い殻からこの煙草だと特定していて、『こんな苦い趣味なんか無いわ。兄さんはコーヒーも紅茶も甘くしなきゃ飲めない人なのに』と言っていたのを思い出す。
「あ、それ由花子さんのお兄さんが持ってるのと同じ…」
承太郎さんは何も答えなかった。見上げても帽子で隠されていて、頬と微かに口元だけしか見えなかった。でもその口元が少しだけ、ほんの少しだけ上がって見えた。