ハルウララ杯が出来るまで   作:MRZ

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いよいよ出走です。


走れウマ娘

「するっ!」

 

 それがターボのその日初めて誰かへ返した第一声だった。

 相手は当然ウララであり、その前に彼女からかけられた言葉は「ターボちゃん、ウララ達と一緒にレースしてくれる?」だった。

 

 こうして最後の一人も無事参加が決まり、その日の放課後、生徒会室に初めてとなる程の大人数が集まる事となった。

 

「さて、では僭越ながら司会進行は私、エアグルーヴが務めさせていただく。で、今日ここに集まってもらったのは他でもない。ハルウララ杯のコースを、ターフかダートかどちらにするかを参加者全員で決めるためだ」

「決まってないのか?」

 

 意外そうな声でウララを見たのはハヤヒデだった。ブライアンも同意見なのか少しだけ目を見開いていた。

 

「うん、それだけはみんなで決めようと思ったんだ。みんなって、普段走ってるのは芝が多いけど、だからダートでやるのも面白いかなぁって」

「……そういう事か」

「確かにな。これだけの面子がダートレースなんてまず出ないしやらないか。そう考えれば面白い」

「展開が予想つかなくなるなぁ。タイシンはどう?」

「どっちでもいい。これだけの相手とレース出来るんだ。ならターフだろうがダートだろうが滅多に出来ない経験になる」

 

 ブライアンの言葉にチケットが同意しタイシンはターフかダートかの決定を放棄した。

 それよりも早くこのメンバーで走りたいというのが本音なのだろう。生徒会室に入ってから今までずっと尻尾が忙しなく揺れていた。

 

「ボクはどっちでもいいって意見のままだよ」

「私も構わない。勝敗を競い合うならターフだが、面白さを求めるならダートかとは思うが」

 

 ルドルフの意見にハヤヒデやマヤノが同意するように無言で頷く。そしてそれは他の者達も同様だった。だからこそそれを察してマヤノが口を開く。

 

「マヤもそう思うな~。だから、いっそ両方やるっていうのは?」

「両方なぁ。ウチは構わんけどその場合休憩挟まなあかんやろ」

「そうだな。それに時間の事もある。その日、レースの間は授業を休みにすると学園長が言ってくれたらしいが、さすがに一日全部とはいかないんじゃないか?」

 

 オグリの問いかけにルドルフが黙って頷く。つまりあまりレースを長引かせるのは他の生徒達の迷惑ともなってしまう。

 

「かといって別日にするのもどうかと思うし……」

「時間をずらして朝と放課後ってなるとトレーニングの邪魔になりますもんね」

 

 スズカの言葉にスペが補足する。本音を言えばここにいる全員の意見は一つだ。

 それは両方やってみたいという事。これだけのメンバーで芝もダートもレースをしてみたい。それが偽らざる本音である。

 

「それでも両方やりましょう」

 

 雰囲気が重くなりそうだった瞬間、小さくとも通る声がその場に響く。当然その発言者へ全員の視線が向いた。

 

「ライスちゃん……」

「このレースはウララちゃんがみんなで一緒に走りたいって気持ちで始めました。だったら、楽しむ事だけ考えませんか? みんなの中でターフがいいとかダートがいいって声がないなら、それって両方がいいって事ですよね? どっちでもいいのはどっちもやりたいって事ですよね? じゃあ両方やりませんか?」

「うんっ! ウララも両方走りたい! みんなで、芝も、ダートも、どっちもレースしたいっ!」

「……決まりましたね」

 

 微笑みながらグラスが周囲を見回す。もうそこには笑顔しかなかった。

 そして抑えきれない興奮があった。これまで彼女達は誰かが決めたレースしか走ってこなかった。

 だが、今回は自分達で決めているのだ。距離こそウララが決めたが、それも長すぎず短すぎずレースをやるための方法と聞けば文句はなかった。

 むしろ嬉しく思ったのだ。勝ち負けよりも大事な事があると、そう思い出させてくれたウララの在り方をそこから感じ取れて。

 

「なら先にターフで走りましょうっ! そっちでテンションを上げて、ダートへ雪崩れ込むデスっ!」

「いいですわね。先に普段のレースのような状況を楽しんでから、普段とは違う状況を楽しむというのも」

「それにダートの方が足への負担はターフよりも少ないです。なら怪我の危険性も減らす事が可能かと」

 

 ブルボンの意見に誰もが頷いた。先に負担の低いダートでレースを行い、若干とはいえ疲弊した状態でターフでレースをするよりも安全だと思ったのだ。

 

「よ~しっ! あとはいつやるかだな! ウララ、いつだ? いつやるんだ?」

 

 ターボが楽しそうに身を乗り出してそう問いかける。瞳をキラキラと輝かせている彼女を見てウララはエアグルーヴへ顔を向けた。

 

「いつなら出来るかな?」

「わ、私に聞かれてもな……」

「君が望むのなら明日にも可能だ。ただ色々と準備もある。せめて三日、いや二日は猶予が欲しいところだ」

 

 まさかの質問にエアグルーヴが戸惑うのを見てルドルフがすかさずフォローに入る。そこはさすが生徒会長と言うべき反応だった。

 早くても二日後と言われ、ウララは持っていたコース使用届を取り出すとエアグルーヴが使っている机へ近付いていく。

 

「ちょっとここ借りてもいい?」

「は? あ、ああ、別に構わないぞ」

「ありがとっ。えっと……」

 

 使用コースの項目と使用希望日を記入しコース使用届は完成した。

 それを見直して、ウララは満面の笑顔で頷くとルドルフの傍へと近付いていき……

 

「お願いします」

「受理しよう。確認するので少し待ってくれ」

 

 沈黙が流れる。何故か全員が固唾を飲んでルドルフを見つめていた。

 

「……うん、不備はない。ハルウララ杯のためのコース使用を許可しよう。開催日は今日から三日後だ。エアグルーヴ、生徒達への通達を頼む。私は学園長へ連絡してこよう」

「分かりました」

「みんなも聞いていたな? 三日後にターフ、ダートの両方でレースを行う。開始時刻は……一限の開始時刻でいいだろう」

「そうですね。私もそれがいいと思います」

 

 生徒会コンビが頷き合ったところで話し合いは終わりとなり、ルドルフを残してウララ達は生徒会室を後にする。

 そして残りの者達もそれぞれに三日後を楽しみにしていると言い合って別れて動き出す。

 

 それを見送り、ウララはライスと二人で歩き出した。行き先は決まっていないが、とりあえず外へ出ようと昇降口へと向かって。

 その途中でエアグルーヴによるハルウララ杯に関するアナウンスが始まり、それを聞きながら二人はふと足を止めた。

 

「あれって……」

「オペちゃんだ。お~いっ! オペちゃ~んっ!」

「ん? ああ、君か」

 

 テイエムオペラオーは昇降口掲示板に張り出されたままのハルウララ杯参加者一覧を眺めていた。

 だがウララの呼びかけに気付くと前髪をさっと掻き上げて顔を彼女のいる方へ向けた。

 

「何してたの?」

「いや何、よくこれだけ温かな舞台を作り上げられたものだと感心していたのさ」

「へ?」

「ど、どういう事?」

「僕が同じような事をしようとすれば確実にそれは一着を競うものになるだろう。それはそれで素晴らしく意味のあるものだ。でも、この舞台と同じような温かみはなかったはずだ」

 

 オペラオーはそう言うとウララを見つめて拍手を送った。

 

「見事だよ。やはり君は自らが眩しく輝く太陽ではなかった。その素朴さと優しさで誰かを、いや周囲にいる者達を笑顔に出来る存在だ。僕には出来ない在り方で生き方だ。本当に素晴らしいよ」

「えへへ、ありがとオペちゃん」

「だからこそ僕がこの中にいないのが納得出来た。僕はあまりにも眩しすぎる。ここに載っている人達が全て敵になってしまうからね」

「っ」

 

 そのオペラオーの言葉は決して嫌味などではなく彼女らしさ溢れるいつもの発言であった。

 けれど、ウララはともかくライスはその物言いに眉を吊り上げて口を開いた。

 

「そんな事ない」

「ん?」

「ライスちゃん?」

 

 ウララはライスが怒気を放っている事に小首を傾げる。対するオペラオーは何故自分の意見を否定されたのかが理解出来ない。

 実際存在感で言えばテイエムオペラオーはかなりのものがある。世紀末覇王と呼ばれる程に彼女は強いのだ。

 

 けれど、今回の事に関しては彼女は残念ながら“強者”とはなれなかった。

 

「ここに書かれてるのはウララちゃんが声をかけたり、ウララちゃんへ声をかけてきたりした人達。レースの事を聞いて参加したいと素直に言えた人達。そんな人達が敵になる? そんな事を言うような人にウララちゃんみたいなレースが出来るはずない。みんなで一緒に走る事が楽しくて、嬉しくてっ、大好きって気持ちのない人にはっ!」

「ライスちゃん……」

 

 怒り。純粋な怒り。それがライスの声には込められていた。

 それを正面から受け止め、テイエムオペラオーは自分が失言をしたと気付いてバツが悪そうに髪を指で弄った。

 

「……すまない。僕の言い方が良くなかったようだ。訂正するよ。僕がこの中にいないのは君の言ったように純粋にレースを楽しむ気持ちが弱かったからだ。ありがとう。僕はもう少しでとりかえしのつかない失態を演じるところだった」

 

 華麗な所作で一礼するオペラオーはまさしく歌劇の中の存在のようだった。

 その見事さにウララは感嘆するように息を吐き、ライスはそこで我に返ってあたふたとし始める。

 

「え、えっと、わ、分かってくれたのならいいから」

「そう言ってくれると助かるよ。さて……」

 

 安堵するように笑みを浮かべ、オペラオーはウララへ顔を向ける。

 

「どうかしたのオペちゃん」

「今回は無理だったが、次回は僕をこのレースへ出してくれないだろうか? 君と、いや君達と純粋に走ってみたいんだ。敵なんて言葉が存在しない、そんなレースを」

「うん! オペちゃんともちゃんと走ってみたかったし、ぜったいやろうねっ!」

「ああ、今回は観客として君達の作るオペラを楽しませてもらうとするよ」

 

 最後に笑みを向け合い、ウララはオペラオーと別れた。

 去り際オペラオーはライスへ改めて感謝と謝罪を行って。

 

「ライスちゃん、オペちゃんは悪い子じゃないんだ」

「うん、分かってる。でもさすがにあの言葉は聞き流せなかったんだ。ごめんね」

「ううん、いいの。オペちゃんもよくない言い方だったって言ってたしね」

「でも最後には一緒に走りたいって言ってくれたね」

「うん。オペちゃんも本当はみんなで走るのが好きなんだよ。でも、最近はそうじゃなくなってきてたのかも」

「え?」

「えっと、オペちゃんこう言ってたから。敵なんて言葉が存在しないレースって」

 

 テイエムオペラオーはそのあまりの強さ故に、最近ではレース中は自分以外全てが敵となってしまい、徹底的にマークをされる事も珍しくない存在となっていた。

 だからこそ彼女は本音を漏らしたのだ。自分も可能ならば争うのではなく競い合うレースがしたいと。それこそがあの言葉に秘められた想いだった。

 

 ウララはそれをしっかりと感じ取って受け止めた。

 ハルウララ杯に“敵”などいない。どれだけ強いウマ娘ばかりだろうと周りはみな走る事を楽しむ仲間達なのだから、と。

 

「……そっか。あの子も苦しんでるんだ」

 

 人知れず心を締め付けられる日々、時間。それを知るライスだからこそオペラオーの抱える孤独を少しは理解出来た。

 ヒールでも苦しいがヒーローらしくあり過ぎても苦しいのだと、初めてライスは知る事が出来たのである。

 

(もしかしたら……あの振る舞いも自分を強くあり続けさせるための方法かも……)

 

 そう考えるとオペラオーも辛いのかもしれない。そう思うライスであった……。

 

 

 

 それからハルウララ杯開催までの時間は学園中がどこか浮ついていた。口を開けばハルウララ杯の話題となり、誰が一着になるかを予想し合う者が続出した。

 だがもっとも学園中を騒がせたのはその開催までの昼休みの食堂である。何せ参加者全員が集まり食事を共にしたのだから。

 

 それは知らず参加者間の親密さを育む事となり、今まで接点のなかった者達が仲を深めるきっかけとなっていく。

 

 例えばタイシンはマヤノとゲームを通じて友人となったり、チケットはマックイーンとスポーツ絡みで仲良くなったりと、本来であれば繋がるはずのない者達がウララを介して縁を紡ぎ出したのだ。

 

 そして遂にその日は来る。

 

 ハルウララ杯当日、雲一つない青空の下で学園中の者がトレーニングコースの周囲へ集まっていた。

 ウララ達参加者は勝負服へ着替えコース内のスタート位置、即ち学園から見て正面辺りに立っている。

 

「注目っ! これよりハルウララ杯の主催者にして発起人であるハルウララにこのレースの目的を説明してもらう! ハルウララ、前へ!」

「はいっ!」

 

 学園長に呼ばれてトタトタと愛らしく小走りで駆け寄るハルウララ。

 そのまま学園長の横へ招かれ、たづなからマイクを手渡された。

 

「落ち着いて話せばいいから。あと電源を入れ忘れないようにね」

「うん、ありがとう」

 

 たづなの声掛けに笑みを返し、ウララは笑顔のままマイクの電源を入れると口元へ近付けた。

 

「えっと、みんなおはよう! わたしがハルウララだよ! このレースはね、誰が速いとか強いとかじゃなくて、ウララが本番のレースで走れない人達が多くなっちゃったから一緒に走りたいなって思った事が始まりなんだ!」

 

 そう小さくないどよめきが生まれる。その声を聞きながらウララは笑顔を崩さない。

 

「あのね、ウララはメイクデビュー以外じゃ一着取れた事ないの。だからそんなウララとみんなが走ってくれるか仲良しのライスちゃんは心配してくれた。でもみんな走るの好きだからだいじょーぶってウララは言ったの。でね、本当にそうだったんだ。マックイーンさんも、ブルボンさんも、テイオーちゃんも、会長さんも、エルちゃんも、スペちゃんも、スズカさんも、タマちゃんも、オグリさんも、ビワさんも、ブラさんも、マヤちゃんも、グラスちゃんも、チケットさんもタイシンさんもターボちゃんも、み~んなウララと走ってくれるって言ってくれたんだっ!」

 

 名前を呼ばれた者達がそれぞれ笑みを浮かべる。中には最初ウララと走る事を意識していなかった者達もいる。けれど、こうして彼女の考えと気持ちを知った今、純粋にみんなと走りたいと願うウララと走りたくないと思う者は一人としていなかった。

 

「今回はもう人数がギリギリだけど、またこんなレースをウララやるからっ! ウララと一緒に走りたいって言ってくれる人なら誰でもいいよってレースだからっ! 速いとか強いとか関係なくて、ただみんなで走りたいって思うだけでいいんだよ! だから、だからっ、今はそっちで見てるみんなともウララは一緒に走りたいっ! ウララと同じ気持ちになってくれる人は走ってみたい人に声をかけてみてっ! このレースは普段走れない人達と走るためのレースにしたいのっ! その人達を誘ってこのレースに参加してくれたらうれしいなっ! そうしたら、あなたの姿を見て他の誰かが同じように声をかけてみる勇気を持てるかもしれないからっ!」

 

 ウララの言葉に学園長とたづな、そしてライス達参加者たちが拍手を始める。それらは次第に他の者達へ伝播し万雷の拍手となってウララへ降り注ぐ。

 

「わぁ……ありがとうみんなっ! えっと、じゃあこれよりハルウララ杯をスタートするよっ!」

 

 直後湧き起こる大歓声。後にこのウララの言葉はハルウララ杯の理念として語り継がれる事となる。

 勝敗ではなくただ走る事の楽しさと喜びを求める事。それこそがハルウララ杯の目的なのだと。

 そして、自分は遅いと、弱いと思っているウマ娘へ勇気と希望を与えるレースでもあるのだと。

 

『さぁ、遂にこの時がきました。トレセン学園トレーニングコース、芝、2000m、第一回ハルウララ杯です』

『本当に夢のような出場選手ですね。これを実現させたのがあのハルウララと考えると感慨深いものがあります』

『先程の発言からもハルウララの想いこそが多くの実力ウマ娘達を動かしたという事でしょう』

 

 コース近くに即席で設けられた放送席にはお馴染みの女性二人が座っていた。

 学園長が今日のために特別招待したのである。

 勿論二人もハルウララ杯の出場メンバーを見せられ是非と言ったのは言うまでもない。

 

『ではここで枠番を確認していきましょう。一枠一番は異次元の逃亡者サイレンススズカが入ります。二番には長距離の覇者メジロマックイーン。二枠三番はダービー覇者ウイニングチケット、四番には二冠ウマ娘トウカイテイオー、三枠五番は日本総大将スペシャルウィークとダービーウマ娘が三人続きます。六番が漆黒のステイヤーライスシャワー。四枠七番に秘めたる闘志グラスワンダー、八番葦毛の怪物オグリキャップも静かな佇まいです。五枠九番怪鳥エルコンドルパサー、十番皇帝シンボリルドルフは余裕を感じさせています。六枠十一番はシャドーロールの怪物ナリタブライアン、十二番は葦毛の秀速ビワハヤヒデと姉妹で同じ枠番です。七枠十三番にはこちらも二冠ウマ娘のミホノブルボンが入りました。十四番は怒涛の追い込みナリタタイシン。十五番に不敵な挑戦者マヤノトップガン。八枠十六番白い稲妻タマモクロス。十七番逃亡者ツインターボはやや興奮気味か。そして十八番にはこのレースの発起人ハルウララです』

 

 そうそうたる枠番だった。あるいはこれ程珍しい枠番もないだろう。

 何せGⅠを一度も勝っていないウマ娘が二人もいるのである。しかも内一人など一着を取った事さえないのだ。

 

 けれど、だからこそハルウララ杯のらしさが出ていた。これは強さを、速さを競うものではなく、ただ一緒に走る事を目的としているのだと。

 

「タキオン先輩は誰が一着だと思います?」

「君はあのハルウララの宣言を聞いていなかったのかい?」

「い、いえ、それでもやっぱり気になるじゃないですか」

「まぁ気持ちは分かるがね」

「俺はやっぱスズカだな」

「別にあんたには聞いてないわよ」

「あん? 俺も別にお前に言ってねーよ」

「何よっ!」

「何だよっ!」

「……どうでもいいが私を挟んで睨み合うのは止めてくれないか」

 

 アグネスタキオンを挟んでいがみ合うダイワスカーレットとウオッカ。その後方ではセイウンスカイとキングヘイローがコースを見つめていた。

 

「キング、出たかったでしょ?」

「……ええ」

「キングって寮の部屋ウララと同じだよね? 声かけなかったの?」

「あの子は普段走れない相手と走りたいって言ってたでしょ」

「…………あ~、そういう事。相変わらず不器用だねぇキングは」

「ふんっ」

「ほ~んと、優しいね」

 

 ウララと同室故に時折一緒に走ってやっていたキングは、しっかりウララの理念を理解していたからこそ声をかけなかったのだと、そう察してスカイは笑うのだった。

 

 やがてスタートの瞬間が近付く。それを感じ取って誰もが息を呑んでコースを見つめる。

 

『第一回ハルウララ杯、いよいよスタートとなります』

『誰が勝つのか、ではなくどういうレースとなるのか。それを楽しみにしたいと思います』

 

 これから始まる大レース。それを彩るのは色取り取りの勝負服だ。

 期待の溢れるスタンドは大歓声を上げ、今日のハルウララ杯をめでたいと喜ぶ。

 

『さぁ、貴方の夢が、私の夢が、ハルウララの夢が今始まります! 第一回ハルウララ杯……スタートしましたっ!』

 

 一斉に走り出す十八人。だが一人出遅れる形となったウマ娘がいた。

 

『おっとナリタタイシンが出遅れたか。あとは綺麗なスタートです』

『彼女ならこれぐらいの出遅れは問題ないでしょう』

『先頭はツインターボ。今日もターボエンジン全開だ。それを追走するのがサイレンススズカとミホノブルボン。これは珍しい展開です』

『普段は先頭を逃げていくスズカとブルボンですが、やはりツインターボの大逃げには合わせない方がいいですからね』

 

 まるで七夕賞を思い出させるような走りのツインターボ。それを追い掛けるサイレンススズカとミホノブルボンだが、その表情はどこか楽しそうに笑っている。

 

(ぜったい、ぜったいに逃げ切るぞっ! それでテイオーに見せてやるんだ! あたしはずっと変わらないんだって!)

(凄いなぁあの子。でも、別に追い駆けるのが嫌いって訳じゃないからそれを教えてあげないとね!)

(あれが噂のツインターボですか。ですが……っ!)

 

 必死の形相で走るツインターボへゆっくりと距離を詰めるようにサイレンススズカとミホノブルボンが迫る。

 本来のレースであればスズカもブルボンもそんな事はしない。だがこれは楽しむためのレースである。だからこそ普段とは異なる走りをしようとしていたのだ。

 

『先頭を行くツインターボをサイレンススズカが静かに狙う。異次元の逃亡者は沈黙のヒットマンでもあったのか。ツインターボへジワジワと迫っていく』

「うぇぇぇぇっ!?」

「私相手に大逃げなんて出来ると思っちゃダメだよ!」

『序盤から凄い展開のハルウララ杯! 逃亡者を逃亡者が追い詰める! まだ第二コーナー前だというのにこれは面白い展開だっ! 先頭だけがレースを楽しみ出しているっ!』

「楽しくないぞぉぉぉぉぉっ!」

 

 実況へ文句を言うように叫ぶターボ。その3バ身後方にスズカが迫っていたのだ。更にそのすぐ後ろにはミホノブルボンもいるのだから堪らない。

 

『さて一度それぞれの位置を確認してみましょう。先頭はツインターボ、そこから3バ身程離れてサイレンススズカと連なる形でミホノブルボンです。これが先頭集団。それから5バ身程離れてライスシャワー、メジロマックイーン、トウカイテイオーと続きます。そのすぐ後ろにシンボリルドルフ、その外にマヤノトップガン。エルコンドルパサーがいまして、その内を通ってグラスワンダー。シャドーロールを揺らしてナリタブライアンがそれを追う。ビワハヤヒデはその内側です。その後方、スペシャルウィークとウイニングチケットのダービーウマ娘が並走するような位置取りでレースを進めています。オグリキャップが外からその二人を追い抜くように上がっていく。タマモクロスもそれに続きます。最後方はナリタタイシン、いやかなり離れてハルウララです。最後方はハルウララ。一人ぽつんとハルウララが最後方』

 

 出遅れたタイシンよりも圧倒的に離れて走るハルウララはたった一人の旅路となっていた。

 それでもその顔は苦しそうでもなければ悲しそうでもなかった。彼女は楽しそうに走っていたのである。

 

(すごいすごいっ! みんな本当に速いんだねっ! でもウララも負けないよ~っ!)

 

 諦める。そんな言葉はウララの中にはない。どんな状況だろうと楽しみ、前向きに、明るく生きる事が出来る。それがハルウララというウマ娘なのだ。

 例え普通ならば心折れる状況だろうと、ウララはそれさえも励みに変えて走る事が出来る。何故なら彼女は走る事が大好きだからだ。

 

『依然先頭はツインターボ! だがサイレンススズカとミホノブルボンがすぐそこまで迫ってきているっ! 残りは半分を切ろうというところで各ウマ娘達がペースを上げる! 七夕賞もオールカマーも大逃げを決めたツインターボにそうはさせじと迫る二人の追跡者! だがそれは本来彼女と同じ逃亡者ですっ! 逃亡者を倒せるのは同じ逃亡者なのかっ!』

『本来では決して有り得ないペースでスズカもブルボンも走っていますからね。これは大逃げ自体は失敗でしょう』

『さぁそうしている間にも後方で動きが起こっている! 最初に飛び出してきたのは』

(行くよっ!)

(行くかっ!)

『帝王と皇帝だっ! 同時に動き出して先頭集団へと迫っていくっ!』

 

 示し合わせるかのようにテイオーとルドルフがペースを上げて先頭集団へ接近を始める。

 そうなれば当然それに気付いた者が選ぶ道は一つだった。

 

(テイオーが動いたのならっ!)

 

 ライバルと認めた相手と競り合うためにマックイーンがテイオーの動きへ合わせ、外のルドルフとテイオーを挟みこむ形となる。

 

『マックイーンも上がっていくぞ! テイオーとルドルフと共に三人並んで前へ向かう!』

 

 さあもうこうなると残る者達もレースを楽しむためにやる事は一つだ。

 

(仕掛け時には早いかもしれませんがっ!)

(楽しむならここからっ!)

(待っててくださいスズカさん!)

『エルコンドルパサー、グラスワンダー、そしてスペシャルウィークも上がっていくぞっ! 同世代が一斉に先頭目指して進む進むっ!』

 

 何と言ってもレースの醍醐味は先頭争い。一着を競って全力を尽くす事こそが本懐だ。

 しかもこの三人はサイレンススズカというウマ娘と縁浅からぬ者達なのだから。

 

(姉貴、こっちは先に行くぞっ!)

(そろそろブラちゃんが動く頃だよね!)

 

 いつかの阪神大賞典ではマヤノトップガンがナリタブライアンを誘うように前へ出たが、今回はブライアンの動きを読み切ってマヤノが応じる形となっていた。

 

『ナリタブライアンが動くのと同時にマヤノトップガンが動き出した! どうなってるんだこのレースっ! 誰かが動けば誰かが呼応する形となっているっ! あ~っと今度はBNWだぁ!』

(普段ならばまだ待つところだが!)

(楽しまなきゃ損だっ!)

(一気に前へ出てやるっ!)

 

 その世代で一人だけならば三冠も狙えたBNW。今までも何度も同じレースで競り合い、時に涙を、時に喜びを与え合ってきた三人は、心を同じくするように先頭へと向かって加速を始める。

 

 そうやってレースが終盤を迎える中、ウララは完全に取り残されるような位置を走っていた。

 そしてそんな彼女を気遣うように走るウマ娘達もいる。

 

『気付けば後方集団が出来上がっている! オグリキャップ、タマモクロス、ライスシャワーです! そこから大きく離れてハルウララがいる!』

『まるで三人がハルウララを待っているようですね』

 

 解説の言う通りだった。三人は先頭争いではなくウララを励ます事を選んでいたのだ。

 

「ウララちゃん、頑張ってっ!」

「速度を上げろウララ!」

「アンタなら出来るはずや! 根性見せぇ!」

 

 先頭が第四コーナーを回り出した頃、まだウララは第三コーナー手前にいた。

 もう一着どころか入着さえ無理な状況。それでも諦める事なく、全力でウララは走っていた。

 

「ライスちゃんっ! オグリさんっ! タマちゃんっ! ありがとうっ! わたし、わたしっ、がんばるよっ!」

 

 自分の事を待ってくれている三人の姿と声に元気をもらい、ウララはその足を動かして僅かではあるが加速していく。

 

「だから先に行ってくれていいよっ! ウララはだいじょーぶだから! ライスちゃん達もレースを楽しんでっ!」

「ウララちゃん……」

「行くぞライスシャワー」

「でも!」

「ウチらもレースを全力で楽しむ。それがウララの望みや。分かったり」

「……はいっ!」

 

 意識を切り換えてスパートをかけるライス。オグリとタマモもそれに合わせて速度を上げていく。

 既に先頭集団は最後の直線へと出ようとしている。もうここからでは追い付くのは難しいと、誰もが思った。

 

 それでも懸命に三人は走り、最後の直線は凄まじいデットヒートとなる。

 そんな熱戦とは縁遠くウララは一人第三コーナーへ入っていこうとしていた。

 ゴール前の接戦が決着したかどうかも関係なく、ウララは不慣れな芝を踏みしめて走る。

 

 と、そんな時だった。

 

『これはどうした事だ? ゴールしたはずのウマ娘達が何やら話し合ってから再びコースを走り始めたぞ?』

『これは……まさか……』

『その間にハルウララは第三コーナーを回る。たった一人で駆けていく。もうそこには誰もいない。そうしている間に先にゴールしたウマ娘達は第一コーナーへと入っている』

『もしかして……でも……』

『ハルウララはゴールが遠い。まだ最後の直線にさえ出られていません。二週目に入ったウマ娘達は第二コーナーへ向かう』

『……やっぱりそういう事、なのね』

『はい?』

『彼女達はハルウララと一緒に最後の直線を走るつもりです』

『ええっ!?』

 

 実況と同じタイミングで観客達も驚きの声を上げた。何せ今も二周目を走る者達はその疲れた体で第四コーナーへと入ろうとしていたのだ。

 

『このハルウララ杯は勝敗を競うのではなく、普段走れない相手と一緒に走りたいというウララの願いから始まったレースです。だから彼女達はそこからハルウララと一緒に走るつもりなんですよ』

『な、成程……』

 

 第四コーナーをお世辞にも速いとは言えない走りで回り、ピンクの髪の可愛いウマ娘が最後の直線へと出てきた。

 

 もう前に誰もいなくなったそこを、健気に、懸命に、全力で駆けていく。

 

「はぁ……っはぁ……」

(もうみんなゴールしちゃったんだ。誰も見えないもんね)

 

 多少回復した元気は既に底尽きていた。たった一人で走る寂しさがウララのスタミナを奪ったのである。

 そこへ彼女の耳が後ろから近付く足音を捉えた。それも一つや二つではない。多くの足音だ。

 

「? 何だろう?」

 

 不思議に思ったウララが振り返るとそこにはもうゴールしたはずのスズカ達がいたのだ。

 第四コーナーを回って最後の直線を目指すような走りにウララは思わず目を見開いた。

 

「みんなっ!?」

「ウララちゃん走ってっ!」

「最後はみんなで一緒に走るんだよっ!」

「ウララちゃんの願いは! 目的はそれなんでしょ!」

 

 スズカ、テイオー、スペが笑顔で呼びかける。

 

「真剣勝負だけがレースじゃない! それをお前が思い出させてくれたっ!」

「こうやって誰かと走る! それだけで楽しい事をっ!」

「そして一緒に走りたいっちゅー気持ちもっ!」

 

 ルドルフ、オグリ、タマモが楽しそうに叫ぶ。

 

「こんな楽しいレースは久しぶりデースっ!」

「だからウララちゃんにも楽しんで欲しいのっ!」

 

 エル、グラスは微笑みながら叫ぶ。

 

「勝ち負けを着けるのも悪くはないがっ!」

「たまにはただ走るだけってのもいいよねっ!」

「気の合う奴と一緒になっ!」

 

 ハヤヒデ、チケット、タイシンが嬉しそうに叫ぶ。

 

「こうやって何も考えず走れる幸せを忘れていたっ!」

「ユーコピー☆ だからウララちゃんもハッピーになろうよっ!」

 

 ブライアン、マヤノが笑みを浮かべて叫ぶ。

 

「ウララ! 私達を相手に最後まで走って最初にゴールを駆け抜けてごらんなさいっ!」

「貴方も一着を目指していない訳ではないはずですっ!」

 

 マックイーン、ブルボンが凛々しく叫ぶ。

 

「ウララちゃんっ! 勝負だよっ!」

「ライスちゃん……うんっ!」

 

 自分へ近付いてくる多くのウマ娘達を見てウララは満面の笑顔で頷き、元気よく走り出した。

 

『最終コーナーを抜けて最後の直線っ! 各ウマ娘が一斉に駆け抜けます! 誰が先頭でゴールを通過するのかまったく分かりませんっ! おおっと後方から猛烈な勢いで走り込んでくるウマ娘がいるぞっ! スペシャルウィーク! スペシャルウィークだっ! 先頭は変わらずハルウララっ! 更にタマモクロスも上がってくるっ! だがまず先頭へ迫るのはサイレンススズカとミホノブルボンだっ! 大外からはナリタブライアン! 最内からはマヤノトップガンがくるぞっ! ビワハヤヒデ! ウイニングチケット! ナリタタイシンもやってきたっ! そこで間を割って現れるのはテイオーだ! 皇帝ルドルフもいるぞっ! エルコンドルパサーとグラスワンダーも伸びてくるっ! ライスシャワーとメジロマックイーンが競り合いながら先頭へと迫る中、オグリキャップが怒涛の勢いを見せているっ! 大混戦っ! 大混戦ですっ! ですがその先頭を走るのはハルウララでありますっ! ハルウララ先頭っ!』

 

 観客達は一様に拳を握りしめていた。頑張れと、そう叫んでいた。

 誰に対してかは分からない。あるいは誰にでもないのかもしれない。

 ただ、それでも頑張れと声を出さずにはいられなかったのだ。疲れた体で二週目を走る者達へも、それを受けて全力で走る周回遅れの者へも。

 

 まるでそれは夢か幻のようだった。居並ぶ有力ウマ娘達を従えるように、ハルウララが、デビュー以降未勝利のウマ娘が先頭を走っているのだから。

 

『もう分からないっ! 一体誰がハルウララを抜き去るのか! はたまた誰も追いつかせずハルウララが駆け抜けるのかっ! 第一回ハルウララ杯、芝2000m! その決着を告げるのは……ハルウララだ! 今先頭でゴールインっ! 僅かに届かなかったスペシャルウィークやサイレンススズカなど続々とゴールを通過していきます! そして万雷の拍手の雨の中、ハルウララの笑顔が満開と咲き誇りましたっ!』

『ウララおめでとうっ!』

 

 ウイニングランのように両手を力いっぱい上げて観客へ応えるハルウララ。

 

「みんな~っ! やったよ~っ!」

 

 見る者全てを元気づける笑顔がそこにあった。心をあったかくする希望がそこにはあった。

 最弱のはずのウマ娘はある意味で最強なのだと誰もが感じた瞬間だった。

 

「やったねウララちゃん」

「うんっ! ひさしぶりに先頭でゴール出来たよ!」

 

 一着とはウララは表現しなかった。けれどその顔は心からの笑顔が輝いていた。

 

「すぐにでもダートでレースしたいぐらいうれしいなっ!」

「さ、さすがにすぐは無理だよ……」

 

 キラキラとした眼差しでライスへ笑みを向けるウララ。その輝きに苦笑しライスは後ろを振り返った。

 そこにいる十五人は一様に疲れを見せているものの、それぞれ笑顔を浮かべている。

 

「あれ?」

 

 と、そこでライスはふと気付いたのだ。一人足りない事に。

 そんな中、一人ふらふらとウララ達の方へ近付いて倒れ込むウマ娘がいた。

 

「う~……まだ無理だぁ……」

 

 それは一周目で何とか一着となったツインターボだった。

 大逃げを信条とする彼女は多少の休憩ではとてもではないが走る事が出来ず、今までコースの目立たぬところで倒れていたのだ。

 

 それでもウララがゴールしたのを受けて疲れた体で彼女を出迎えようと動いた結果が現状だった。

 

「わわっ! だいじょーぶ!? しっかりしてターボちゃんっ!」

「……み、みずぅ……」

「分かった。お水だね」

 

 元気よく水を取りに動こうとしたウララだったが、その手へ水の入ったペットボトルを何者かが握らせた。

 

「ほれ、水な」

「あっ、ありがと。ターボちゃん、はい」

「みずだぁ……」

 

 砂漠でオアシスを見つけたかのようにペットボトルを掴み、ターボは蓋を開けて水を飲み始める。

 その姿に安堵するウララだったが、ふと自分へ水を渡した相手の声に聞き覚えがあったのか振り返った。

 

「あ~っ!」

「何だか面白そうな事やってんな。てか、何だこれ。模擬レースにしては手が込んでんな。ハルウララ杯?」

「ゴールドシップさんだ~っ!」

「あ? おうともよ。で、これは一体何だ?」

「えっとね……」

 

 突如現れたゴールドシップ。彼女が現れた事でハルウララ杯はもう一波乱巻き起こる事になるのだが、それは……

 

「ゴルシちゃん伝説のはっじまっりだ~っ!」

 

 ……また、別の話。




これにて終わり、のはずだったんですが皆様のおかげで一話だけ続きます。

……キービジュアルにゴルシがいないと気付いた時、自分でも「じゃあゴルシは芝で走り終った後に来るんだな」と合点がいきました。

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