担当ウマ娘がダンボールかぶってる 作:徐々に奇妙な冒険
ラッパの音が鳴り、トレーナーはもう何度聞いたかわからないその音に心地良さそうに伸びをする。
なんと横浜ステークスは特設の観客席が置いてあり、普段はトレーナーや同じチームのメンバーが通常観客席へ行くところを、扇風機があってアイスコーヒーを飲むことができ、なによりウマ娘の走りを大画面で見ることができるVIPな部屋へ通されたのだから、誰しも上機嫌にはなるものだろう。
横浜ステークスのオーナーや他のトレーナーもいるので警備が厳重で、持ち物検査をされるがまぁそんな不審物持ってねぇし些細なことだ。
窓から走りを生で見ることはできるが、その場合通常観客席より少し高めの位置に建設されているこの場所では、豆のような影しか見ることができない。
トレーナーは大人しく、部屋に設置された大画面モニターで横浜ステークスを観戦することとなった。
一方ハリボテエレジーはダンボールの中に手をつっこみ、額に流れる汗を拭う。
緊張などではなく単純に暑いのだ。だが取ろうという気にはならない。
どうせトップスピードを超えたら全身に風が当たるのだ。運動によって熱が生まれようと、走っている間は霧散するだろう。
『今話題沸騰中、1番人気の一枠、ハリボテエレジーさん、心境をお聞かせください』
『えっあっ……がんばります』
『気合充分ですね!!』
「はは、こういうのの練習もしときゃなきゃかな」
ガチガチに緊張した担当ウマ娘を見て苦笑いするトレーナー。
横浜ステークスは遊び心を重視したお気楽なレース。決して舐めているわけではなく、賞金や名声は関係なくただただ走るのを見たいだけの人が集まった、レース好きのためのレースなのだ。
『お次は5番人気二枠ナイスネイチャさんです。ダートコースは目立った経歴がありませんが、これは?』
『どーも、ナイスネイチャでーす。……そうですねぇ、強いていうなら挑戦したくなったってだけで……っとと、はは、どうもどうも、応援ありがとうございまーす』
『新しい道にも臨んでみる、と!! ありがとうございました!!』
ふむ、とトレーナーが顎に手を当てる。
やはりナイスネイチャがダートに突入するのはファンも驚いたらしい。5番人気は、今まで積み重ねてきた人気と、さすがにダートは無理だろうという困惑が混ざって生まれた数字なのだろう。
そして三枠四枠とインタビューが次々行われた、ついに最後の一人。
『ナツマッサカリ……あ、いえ、ハルウララさんですよね?」
『うらら』
『勝負の意気込みは?』
『天の道を行き総てを司る』
あれが……ハルウララ……?
トレーナーの顔が宇宙に在籍するNEKOのようになったのを控えていたスタッフがおろおろして見守る。
なぜならトレーナーの中のハルウララは天真爛漫で明るく、ただただ走るのが好きな……と、ここでトレーナーに電流走る。
そういえば強化合宿のときにマッチョになっていたではないか、と。
あの筋肉はギャグ表現ではなく本当に鍛え上げられ作られたものなのだ、と。
「(ひえっ……)」
ダンボールの中でハリボテエレジーは震え上がった。
確か前回見た時は可憐な少女だったはずだ。最終的にはマッチョになっていたが。
何が怖いって、先程からハルウララだけ堀が深すぎて画風がアメコミ調になっているのが1番怖い。世界でも超えているのではあるまいか。
だが、震えていても何も始まらない。
ガクガクと本能的に恐怖する脚を叩き、ハリボテエレジーは少し向こうで今まさにゲートに入ろうとしているナイスネイチャを見た。
今回14枠ある中の2枠、ハリボテエレジーの隣へ位置するナイスネイチャは、そのもっと奥から放たれる謎の威圧感を受けても汗ひとつかいていなかった。
それもそのはずである。
「(……よし、いける。ダート練習はたくさんしてきた)」
トウカイテイオーなどの、磨く前からその輝きを放っていた原石たちと何回も戦ってきた彼女が、ただ体が大きいだけで畏怖するわけがないのだ。
13枠のウマ娘はハルウララの威圧感にすでにグロッキー気味であったが、それは頭に無い。
ダート経験の無さは、実力と場数で埋める。
それができるから、ナイスネイチャは不動の人気を誇るのだった。
ハリボテエレジーの震えは、いつの間にか治まっていた。
他のウマ娘は気にしない。もし邪魔するようであれば、その時に考えればいいのだ。
今はただ、目の前の砂睨んでおけばいい。
『さあ、天気はやや曇り空、湿気で少し砂が固まっております横浜ステークス。ウマ娘たちが今泥を巻き上げんと、全身に力を入れてゲートへと収まって行きます。ハルウララ、少しつっかえているか。大きい体が仇となる。……最後に残ったのは期待の新星ハリボテエレジー。ダートコースで走るのは初めてですが、どうなるか……ハリボテエレジー、ゲートへ収まりました』
静寂が、会場を包む。
暗く、そして静かなゲート内。
目の前の鉄の扉が開くまで、あと何時間かかるのか、そんな間隔に囚われた時。
───ガシャコンッ
「「「「ッ!!!!」」」」
『スタートしました。各ウマ娘、出だしは順調に見えます。先頭を行くのは3番マックスダンパー、続いて4番、ピタリとくっつくようにヘルアント。少し離れてバ群が形成されております、頭だけ出しているのは2番ナイスネイチャ。バ群後方でハリボテエレジーがいつもの追込の姿勢を見せています』
『バ群の中で大きなシルエットのハルウララが目立ちますね。というかあの子本気で走っていないと思います。脚を溜めているのでしょうね』
ハルウララの大きなシルエットは風除けに適している。
そう思ったウマ娘がハルウララの背中へと移動していった時、ハルウララはニヤリと笑って大仰に砂を蹴飛ばした。
「痛ッ、あっ───」
『おおっとマイニングリバー転倒!! 脚を抑えています!!』
「(……絶対、わざとだ……)」
後方のハリボテエレジーは全てを見ていた。
ハルウララがわざとバ群の中へ潜り込み、手頃なウマ娘を後ろに簡単に入れたと思ったら、大きく地面を蹴って泥を浴びせたのだ。
目に砂が入ったマイニングリバーは急に視界が塞がった驚きでペースが大きく乱れ、足がもつれ転倒。
そのとき、ハリボテエレジーは聴いてしまった。
己が1番慣れ親しんだ、何かが砕け、折れる音が。
「(……ウララちゃん……なにかがおかしい……)」
とっくに通り過ぎたマイニングリバーを、後ろで救護班が助けようとしている声がハリボテエレジーの耳に届く。
悲鳴も聞こえる中、ウマ娘たちは走る。
ハルウララに泥をかけられることを警戒してか、ウマ娘たちはハルウララの後ろへ立とうとはしない。
当のハルウララはナイスネイチャの後方で、羊を追い込む犬のように獰猛な笑みを浮かべていた。
「(私は……眼中に無いってこと……?)」
ハリボテエレジーの中で燃え上がる闘志。
ハルウララに勝つ。そして、なぜあんなことをしたのか問いただす。
そのつもりで、ハリボテエレジーはギアを上げた。
『さあここで第四コーナーへ入ってきました!』
「(ここで……抜かす……ッ!!)」
嫌な予感を押さえつけ、ハリボテエレジーはぐんぐん加速する。
バ群の中に突っ込み、そしてカーブを、自身の最速の三分の二程度の速さで突っ込んだ。
それを見たトレーナーが、
「やめろハリボテエレジー!!」
と叫ぶが、遅かった。
ハリボテエレジーの足元が、染み出した水でぬかるむ。
時間の流れが、ゆっくりになる。
ただ誰もが、期待の新星を見守っていた。
そんな中、ハリボテエレジーは。
聞きたく無い音が───こんどは自分の脚から鳴るのを、泥に顔をつっこみながら聴いた。
『ハリボテエレジー転倒───ッ!! 先頭ヘルアントがマックスダンパーを抜いてきた! 後ろからナイスネイチャが少し速度を上げる! ハルウララ、ハルウララがここで伸びてくる!! 残り───』
救護班が、ハリボテエレジーに手を伸ばす。
既に彼女の左足は本来なら曲がるはずのない方向へ曲がっていて、もし望遠鏡で見ているものがいたら口を押さえていただろう。
だが、無機質なダンボールフェイスは、表情で痛みを訴えることなく。
それでいて、救護班の手を。
───ぺしっ
振り払った。
ウマ娘たちがゴールへ向かい全力を出し始める頃合い。
ゆっくりと己の脚へ手を伸ばし、感覚のないふくらはぎを掴み。
位置を元に戻し、ぐっと太ももへ押し付けるように数拍待った。
そこまで痛いのかと、救護班が肩を貸そうとした時。
「大丈夫です」
横たわったハリボテエレジーが呟いた。
そして次の瞬間。
『……ッ!? ハリボテエレジー、立ち上がった!?』
ゆらりと立ちあがり、クラウチングスタートの姿勢をとろうとするハリボテエレジーが、そこにいた。
左足は骨が折れ筋肉がちぎれていることでガクガクと震えている。
震えているが、立っている。
「目を、覆ってください」
「……っ、目を塞げ!」
───[優勝トロフィー作成キット]───
そして、ウマ娘たちは震え上がる。
突如として鳴り響く、大砲のような音に。
───ッツッバゴォォォンッッッ!!!!
クレーターが、出来上がっていた。
『はぁっ!?』
『嘘だろおい……』
実況も解説も役目を忘れた。
ウマ娘たちは耳をつん裂く轟音に一瞬脚を止めてしまい、その中で動けるのはヘルアント、ナイスネイチャ、ハルウララであった。
だがしかし。
我に返って再び速度を上げようとしたウマ娘たちの隣を、泥被りのダンボールが通り過ぎる。
ゴールテープが切られ、一着、二着と掲示板が光り。
『……ハリボテエレジー、今ゴール……しました……?』
身投げをするような体制で、すでにゴールしていたハルウララに突っ込んだハリボテエレジーには、あえなく七着の文字が光った。
ハリボテエレジーの意識は、すでに暗闇の中へ沈んでいる。
「……を……呼んで……くだ……渡して……」
ハリボテエレジーが、やってきた救護班の手にダンボールの切れ端を渡す。
左脚は変わらず、あらぬ方向へとねじ曲がっていた。
スプラッタ光景に、トレーナーは口元を押さえる。
主催者である男が気を利かせ背中をさする中、部屋の扉がダンダンと荒々しく叩かれる。
部屋の外で何者かがスタッフと揉めているのか、声が部屋まで聞こえてきた。
「レースのやり直しを求めます!
「困ります!! 問い合わせは後日書類にて……!」
「今じゃないとっ、いけないのよぉっ!!」
他のトレーナーも少し引き気味になんだなんだと扉の方を見つめていた。
主催者の男が通してくれとスタッフに言うと、扉を開いたのはトレーナーも見知ったウマ娘だった。
「キング、ヘイロー……?」
「今回のレース……ドーピングの疑いがあります」
「なんだって!?」
どよめくVIP席。
キングヘイローが取り出した袋には、緑色の液体が中に付着した一本の注射器だった。
「……それは?」
「ハルウララが使っていた注射器ですわ」
「なんだって? ハルウララが、ドーピングを?」
トレーナーの言葉に、こくりと頷いたキングヘイロー。
続けて、「前から少しおかしいと思っていましたの」とぽつりぽつりと話し始めた。
「ウララさんが強化合宿メンバーに選ばれ帰ってきた時から、だんだんとウララさんの語彙が減り始め、代わりに虚空を見つめたり筋肉が痙攣したりしていましたの。ですから、少し怪しんで……今日はやけに調子がいいようで、レース前の緊張でもほぐしてあげようと控え室へ向かったら、ウララさんのカバンの奥に、これが」
「……それは、本当かね」
「は、ハリボテエレジーのトレーナーさんはいますか! 彼女から、これを渡してくれと言われて……」
突如入ってきたスタッフ。
トレーナーに手渡されたのはダンボールの切れ端で、裏返すと泥で字が書かれていた。
しばらくその言葉の意を飲み込み、数拍置いたトレーナー。
「どうやら、本当のようです」
「……なんだって?」
「ウチの担当ウマ娘が……ハリボテエレジーが、これを」
ダンボールの切れ端には、「ウララ くび 穴」という掠れた字と、泥と混ざり合った緑の液体。
ゴール直後、ハルウララに抱きつくように突っ込んだハリボテエレジー。
その時、首の注射後と液体を確認したのだろう、とトレーナーが推測を立てる。
「……あぁ、すまないシンボリルドルフ、俺だ。少し厄介ごとに巻き込まれてな。やがてお前にも通達が行くと思う。覚悟しといてくれ」
『……胃薬を買っておこうか?』
「すまない」
トレーナーの携帯の向こうから硬く上擦った、しかしそれを悟られまいとする声が聞こえていた。
「どう、すれば……」
「キングヘイロー、ありがとう。お前のおかげで、今後トレセンが、そして
「……え?」
「ハリボテエレジーのところへ向かいます。失礼します」
震える肩を優しく掴み、トレーナーはゆっくりと部屋を出た。
そして、指をパチンと鳴らす。
「……お呼び?」
「お前、どこにでもいるな」
ゴルシであった。
「この前の強化合宿の時……なにか、怪しい動きをしているヤツはいなかったか」
「アグネスデジタル?」
「いや、人間だと思う」
「あぁ〜……いた気がする。黒いヤツだったぞ」
「……ちくしょう」
「あ? なんだ?」
「ハルウララにドーピングの疑いがかけられてる。というか、多分してる」
「ダメじゃん」
「けど……多分、ハルウララがやりたくてやったわけじゃないと思うんだ。だから、1番怪しいのはキングヘイローが言っていた強化合宿の時。何かが、あったはずなんだ」
後ろ手にトレーナーの後をついていくゴールドシップは話が読めねぇでゴルシ、と呟く。
ただその割には、目が据わっていた。
「探偵の再来か?」
「俺は一度も探偵になってなってないんだけど?」
「そうか? 猫探しから犬探しまで、なんでもこなすじゃねえか」
「動物しか探してないのかよ」
「実際そうだろ」
それは、トレーナーが生まれる前にあったとされている───今もどこかで蔓延っている───ウマ娘差別のことを言っているのか、トレーナーが振り向く。
それは隠語であるのか、ただ単純に動物を探すのが得意と言いたいだけなのか。それは今のトレーナーには無駄な思考であった。
「どっちにせよ、何かがあることに変わりはないんだ。たぶんこのレースはしかるべき処理を行った後仕切り直しになるだろうな」
「大変だねぇ、トレーナーってやつは」
「いつも思うよ。三女神は俺を見放したのかって」
三女神、とゴールドシップがオウム返しに声を出す。
その声はいつもより幾分か落ち着いていた。
「なぁゴルシ」
「んあ」
「その黒いヤツ、特徴は?」
「黒かった」
「そうか」
「んで、何人かいたな」
「そうか」
「変な音もしてた。ウニャウニャウニャって」
「それで?」
「真ん中にピンク色のなにかが混ざってたな」
「ハルウララだな」
ゴールドシップは、もはや絶対神であった。
知らないことを聞けば、全て教えてくれる。
昔から、なんでも知っていて君 気味の悪いヤツだったなとトレーナーは思った。
「ハリボテエレジーのトレーナーさんですか!? ハリボテエレジーさんの容態が……」
「ちょっくら行ってくるわ」
「おう……と、待て待て。せっかくだから渡しておくわ」
「これは?」
「部室にあった目覚まし時計。勇気くれるだろ」
「……最高、だな」
ふるぼけた目覚まし時計カバンの奥に入れるトレーナー。
ハリボテエレジーの元へと向かうその脚は緊張と覚悟で力み、震えていた。