――数奇な運命。
かつての人生とやらを思い返すと、ふと頭にそういった言葉が浮かび上がる。
かつてのってのはまぁ比喩表現や一昔前、なんて事じゃない。かつて人として生を受け、人として行き、そして俺は確かに人として死に――そして再び生を受けた。
いわゆる前世、という奴が俺にはあった。
「とはいえ、人生と言えるのはそこまでで」
シャクリ、とりんごに齧り付く。
身の丈ほども有るその巨大な……いいや。
「今じゃネズミなんだよなぁ」
畜生に落ちぶれちまったと嘯きながら、俺……今生では一匹のネズミは、縄張りの森のお気に入りの餌場で、腹を膨らませて寝っ転ぶ。
数奇な運命を辿った。本当に、そう思う。
前世の頃、俺は一人の人間だった。
何故か子供の頃から馬が好きで、特に白い毛並みの馬に視線を奪われていたのを覚えている。ある程度体が大きくなってからは両親に頼み込み、近場の牧場や乗馬クラブといった場所で馬と触れ合う日々を過ごした。
テレビで競馬があれば必ずチャンネル権をもぎ取った。馬を扱う本や漫画、アニメといったサブカルチャーにも傾倒した。そんな中、手にした一つの作品。「みどりのマキバオー」を目にした時、涙が止まらなかったなんて事もある。
中学を卒業する頃には家族も俺の馬狂いぶりに観念、もとい匙を投げ、騎手学校への入校を認めてくれた。
騎手としての成績は上々だったと思う。20半ばの頃に念願の重賞を制した後は、トントン拍子と言っても良い速度でキャリアを積み。数度の外国遠征も行う、まぁ一流と言っていい騎手だった筈だ。
体がついてこなくなって騎手を引退した後は長年お世話になった厩舎で調教師となり、数年後独立。小さな厩舎を運営し、少しずつ実績を重ね、育てた馬でGⅠにも挑戦し。さぁ次はダービーを、今度こそ。
そして――
そこまで考えた所で、パチリと目を開く。どうやら、軽く眠ってしまっていたらしい。
「柄にもねぇ」
ふぅ、と一つため息を付きむくりと起き上がる。腹ごなしに歩くか、となんとなく思い立ち、鼻歌を歌いながら縄張りの森を練り歩く。
少し前までこの森の主だった野犬を落とし穴で始末して以来、この森には俺の外敵は存在しない。たかだか獣が人間様の知恵に勝とうなんて、と。
そこまで考えて、ふと気づく。
「今は俺もケダモノ、か」
ついつい心のなかに浮き上がる人だったという過去からくる傲慢・自負心といったものにへっと自嘲を浮かべ、鼻歌を歌いながら静まり返った夜の森を歩く。
たかがネズミの一匹が偉そうにと、心の中に居るかつての人間だった自分が
――そろそろ夜も更けてきた。
DIYと言えば聞こえは良いが、厩舎を運営していた頃には暴れ馬にぶっ壊された舎屋を自分で修理していた事もある。なにせ連中馬力だけは有り余っていたからな。毎回業者に頼んでたんじゃすぐに経営が傾いてしまう。
まぁ苦労した甲斐があったというか。その頃の経験を駆使して大きな木の根っこに作った巣は風も雨も入ってこず、床には羽毛まで敷き詰めてある寝心地抜群の自慢の家となった。
……自慢の家すぎて元森の主に目をつけられる事になったのは、必要経費と割り切るべきか。いや、これは余計な考えだな。
余計なことを考えるようになったのはこの体も大人になったという事か。いや、俺の場合は大鼠、だろうかね。
ぽりぽりと頭の毛並みを指で整えながら嘆息をもらす。
駄目だな。日々の糧に困り、外敵も居ないとなると、今度はやることがなくなってしまう。余計なことを考えるのもそのせいだろうか。
気分を誤魔化すように適当なフレーズの歌を口ずさみながら、足は自然と今生の住処へと向かっていく。
「ららら~~♪ るるる~~♪ っとくらぁ! さぁてりんごもたらふく食ったし一眠りでも……あん?」
こういう場合はとっとと寝るに限る、と愛しの我が巣へ足を踏み入れ……ようととした所で、俺はある違和感に気づき足を止める。
扉代わりに置いてあった板がどけられている。ただ倒れたわけじゃないしこじ開けられた訳でもない。ご丁寧に入り口の脇に立てかけられてあるのだ。
何かが居る。巣の中、板をどける程度の力はあり、しかもどうやら頭も回る。予想サイズは少なくともこの間始末した野犬に匹敵するレベルに設定し、ピンッと尻尾を逆立たせながら息を殺して注意深く巣への入り口を覗き込む。
居た。やはりでかい。少なくとも俺の数十倍はあるサイズ。
俺が敷き詰めた羽毛のベッドの上で丸くなったそいつは、白い毛並みを寝息で上下させながらすやすやと寝息を立てている。ご丁寧に俺が用意した藁束を掛け布団代わりにひっかぶって。
「なんだこいつ」
思わずそう口に出し、おっと、と口元を手で抑える。下手に物音を立ててこの距離で暴れられても敵わん。なにせこっちは一匹のネズミ。寝相で押しつぶされるなんて事も起こりえる。
とはいえ住居不法侵入なんてやらかした奴に遠慮するのも癪に障る。以前の犬っころのように土に返すかは兎も角として、その罪を体に刻んでやる必要はあるだろう。
一先ず正体がわからん事にはどうしようもない。不届き者の面でも拝んでやろうか、と巣の中に入り込み、藁束の山を迂回しようと歩いたその時。
目の前を白い毛の塊が覆い尽くした。
ファサァ……ファサァ……
白い毛並みの何かは優しく俺の顔をはたいていき、また逆方向から元に戻るように頭をはたいていった。何が起きたのか混乱していると、その白いなにかはまた同じように、流れるような動きで俺の顔をファサっていく。
これは、尻尾、だろうか。短めの尻尾らしき何かが、一定の速度で振られている。
「……おちょくってんのか?」
思わず一言、言葉が漏れ出る。
いや、寝ているのは分かっている。恐らくは寝相なんだろうがしかしピンポイントで尻尾で人の顔を叩いていくか。ひくつく頬をそのままに、暴れる尻尾から少し距離を取る。
少し落ち着こう。深呼吸を一つ。混乱の極みに有る頭に新鮮な空気を送り込み、頭のリセットを――
「んあ~……もう食べられないのね……」
「マジでなんだこいつ……」
寝言だろう言葉に怒りを通り越して呆れを感じながら、目の前をゆらゆら揺れる尻尾に視線を送る。色々馬鹿らしくなってしまったが……まぁ、仕方ない。
寝相だからかそれほど力も込められていないそれを渾身の力でもって鷲掴みして動きを止め。
「とりあえず制裁しとくか」
ガブリ、と思い切りよく尻尾に歯を突き立てる。
ミギャアアアアアアアアアアッ!!!
噛み付いた瞬間、藁束の中からこの世の物とは思えない叫び声が響き渡る。随分と甲高い声だ。
「なんなのね!? 痛いのね!? なんなのね!?!?」
「おうおう混乱しとるなぁ」
暴れまわる何某から距離を取り、丁度いい高さの木の根っこに座る。声をかけたからか暴れまわる何某はこちらに気づいたようで、尻尾を痛そうにブンブン振り回しながら、藁束の中から恐る恐る、といった様子でこちらに視線を向けてくる。
藁の中から除く二つの目玉。明り取りのために開けた木の洞から除く月明かりに照らされてキラキラと輝くその視線と、俺の視線がぶつかり合う。
「あ、あのぉ……た、食べないで欲しいのね……」
「あん?」
先に視線をそらしたのは、藁束に包まれた何某であった。甲高い声。先程の叫び声から考えてもこいつは――
「食べるつもりはねぇよ」
「か、かじるのもやめてほしいのね……」
「かじらないかじらない」
「俺の住処に勝手に入ってきた奴が居たからな。懲らしめてやろうと思っただけだ」
「ご、ごめんなさいなのね……」
「おう。まぁ、頭を下げるんならこれ以上あーだこーだする気はないさ」
怯える様子の何某に苦笑をもらす。でかい図体で、とは言わない。親から逸れた子供は臆病すぎる位でなければ生きていけない。それが野生の獣だ。
「で、お前さんどこの群れから逸れたんだ。東の森の猪か? それとも西の森の狐かい」
「あ、いえ。その、街の方から歩いて……」
「ほう……街ぃ? 人間の?」
聞き間違いかと訪ね返すと、藁束を器用に被ったままブンブンと何某は頭を縦にふる。街から流れて、となると犬か猫。しかし、藁束を被ったその姿を見るに飼い犬や猫としては流石にデカすぎる。
それこそ人間くらいじゃないと……人間?
「おめ、ちょっと面見せてみな」
「ええっ!?」
「噛みやしねぇから。そのままじゃカカシと話してるみてぇに感じるんだよ」
「あ、じゃ。じゃあ……」
まさか人間、いや、この辺りは人里からは相当離れているはずだ。幾らなんでも人間の、しかも話す感じではまだまだ子供という印象のこいつが一人出歩いてこれるとは考えられない。
しかし、もし仮に人間であるなら大問題だ。かつて一人の人間だった自分が心の中で喚き立てる。そう騒ぐなよ、と心の中で呟いて、藁束から出てくる白い毛並みに視線を送る。
「こ、これでいいですか……?」
チラチラと見えた白い毛並みはやはり地毛だったらしい。ぴょこぴょこと頭の上の耳を不安げに動かしながら、藁束の中から現れたモノ――人間としての年の頃は、見た感じだと10歳前後という所か。
月明かりに照らされて白く輝く髪をショートカットに揃えた一人の少女は、つぶらな瞳をこちらに向けてそう訪ねてきて。
そして――――その姿に、時が止まるような衝撃が俺を貫いた。
「…………お、」
口から言葉を出そうとして失敗し、深く息を吸って、吐き出す。
ああ、だとか。おう、だとか返事を返すべきなのだろう。体が言うことを聞けば、勿論そうしただろう。
だが、動けない。どれだけ動かそうとしても、動けないのだ。
「たれ蔵……」
「えっと……たれ……なんなのね?」
口から自然と漏れ出た言葉。バクバクと高鳴る胸の鼓動。怪訝そうな表情を見せる少女の姿に、ガンガンと頭痛が襲いかかってくる。
覚えている。記憶にない、記憶になかった光景だった。姿形も違う。けれどたしかに俺は。
初めて会った時はなさけない顔で、悲鳴を上げてオレから逃げ出した。その頃から森一番の俊足だったオレを置き去りにする程の足で、けれどまっすぐにしか走れない猪みたいな奴だった。
ああ、そうだ。たれ蔵って名前もその時につけたんだ。こいつ野犬に尻を噛まれた拍子にぶりぶりっとやっちまって、それがまぁなんと……くくっとその時の様子を頭に思い浮かべ、目の前でこちらを不安げに見る少女と、母親を求めて森を彷徨っていた白い珍獣の姿がダブる。
「ひっでぇ寝相とよだれだな」
「ひょぇっ!?」
「よだれ寝相でタレゾー。おめぇはタレゾーだ」
「なんて嫌な命名!?」
「この森の親分たるオレの命令は絶対だ。お前がなんて名前だろうと俺はタレゾーと呼び続ける」
目を白黒させる少女にくつくつと笑いながらそう答える。少しずつ引いていく頭痛、思い出してきた光景を整理しながら、目の前で藁の中に座る
「か、かんけんおーぼー! かいさんせんきょ!」
「なんだそりゃ」
「てれびじょんでやってたのね! 偉い人に文句を言う時はこうするって」
「どんな時代だこりゃ」
タレゾーと自分が共に居た時代は平成だったはずだが。首をかしげながらふとある事を思い出し、なおも喚き立てる白いウマのような娘に視線を向ける。
「おいタレゾー」
「タレゾーじゃないのね……」
「わかったわかった。で、そのタレゾーじゃないお嬢ちゃん、名前はなんていうんだ?」
あの耳を見る感じ、この娘が普通の人間ではないのは間違いない。だが、自分の知るたれ蔵と眼の前の少女の姿は明らかに違う。多少、心当たりはあるがそれが当たっているかを確かめるにしても名前を知る必要がある。
――いや。違うな。
名前を尋ね、そして少女に視線を向ける。
「オレの名前はチュウ兵衛。この森の大親分だ」
こいつの口から、直接聞きたいんだ。
あの感動を。あの情熱を。あの思い出の中に眠る――
「ぼくは。」
少女が口を開く。
「ぼくはミドリマキバオー。ミドリコの娘、ミドリマキバオーなのね」
「……そうか」
その名前を。
再び、お前の口から聞くことが出来る。ただそれだけが、こうも胸を熱くさせるとは。
「ありがとよ。タレゾー」
「んあー!? ま、またタレゾーって!!?」
万感の思いを込めた呟き。その一言に鼻息荒く憤るタレゾーの姿に苦笑を零しながら、天窓代わりの洞から覗く月を見上げる。
どういう奇跡か奇術かは定かではない。だが、どうやらどこぞの誰かさんはオレとこいつの邂逅を望んでいたらしい。
思惑は定かではない。それが誰かにどう影響するかも。
だが……
「ありがてぇこった」
そこから覗いているかは分からない。こんなネズミ一匹の事を今も見ているかも分からない。
ただ、この出会いを演出してくれただろう誰かさんに一言。お礼の言葉を呟いて。
今生でもチュウ兵衛と名乗り一匹のネズミは、目の前で機嫌を損ねてしまった少女を宥めるために苦笑しながら、彼女に話しかけた。
ウマ娘列バ伝 ミドリマキバオー
トゥインクルシリーズ
G1:2勝、G2:4勝、G3:3勝
クイーンクラウンシリーズ
G1:6勝、G2:5勝、G3:8勝
マザーズカップシリーズ
未登録
クイーンクラウンシリーズ登録競走バ
ドバイトレーニングセンタースクール主任トレーナー
WRC(世界ウマ娘レース普及委員会)名誉会員
トゥインクルシリーズ創設期から黎明期において活躍、成人したウマ娘のみが走るクイーンクラウンシリーズ、マザーズカップシリーズ等の創設にも一躍買っており、賭博や非合法レースなどで荒れていた国内のレース制度を整備した立役者の一員である。
世界的にも珍しい真っ白な地毛の持ち主で、『10代前半のまま時が止まった』とも言われる愛くるしい容姿、ドバイの王子が彼女を見初めてウイニング・ライブ中に求婚したという事例も相まって、【日本の白雪姫】という異名を持っている。
同世代のライバル、特に凱旋門賞バであるカスケードと比べると実績では劣っているが、彼女が走るレースはたとえオープン戦だろうとG1並の白熱度になる、と言われる名勝負メーカーであり、四足で走るというその特徴的な走法もあり知名度と人気に関しては日本どころか世界的に見ても有数のウマ娘である。
また世界でただ一匹のネズミトレーナー、チュウ兵衛の愛弟子であり彼のトレーナーとしての技術の全てを引き継いだウマ娘としても知られており、自らのレースの傍ら数多くのG1ウマ娘達を育て上げている。
「奇跡をただ起こすんじゃない。タレゾーは、奇跡が起きるかも知れないと思わせてくれる。そんな不思議な感覚を、応援している連中皆に与えてくれるウマ娘なんだ」
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