誤字修正。貧弱な自分様、広畝様ありがとうございます
――――漁師の朝は早い。
深夜。凍えるような寒さのなか船に乗り、船長の経験を頼りにポイントへ。魚群探知機を使用しながら位置を調整しつつ網を設置していく。大きく楕円を描くように網を広げた後、少しの休息を取った後船員たちは配置に付き、底曳網漁は開始される。
『そら引けぇー!』
「おおおおおぉぉぉぉ!!!」
「しゃあぁぁぁぁぁ!!!」
船長の掛け声に合わせて引かれる網。本来、人手によって行われる底曳網漁はそれほど大きな網を使うことはない。しかし、事この船においてはそれも事情が変わってくる。
ズルズルと、本来なら十人近くの人間を用いて引かなければいけない大きさの網がどんどん巻き取られていく。それを成すのは二人のうら若き乙女達。
リンシャンカイホー、メンタンピンドライチとソウルネームを持つ二人は、ウマ娘漁師としてこの船に乗り、屈強な男たちの補佐の元自慢の
「……なぁ、リンシャン」
「なによ、ザンク!!」
そんな中。二人並んで網を引いている最中、ふと何かに気づいたようにメンタンピンドライチが隣で網を引くリンシャンカイホーに声をかけた。
「私等、なにしてるんだろうな」
「漁でしょ!!」
「……………………そっか!」
ただ一言そう告げられたメンタンピンドライチは、何かに吹っ切れたように大きな声を上げて網を引き始める。
その日の漁獲量はここ最近でも一番という素晴らしい物で、取れた分の幾ばくかを現物支給として受け取った二人は意気揚々と朝焼けのなか牧場への帰路についた。
「おう、お疲れさん」
「つっかれたぁ……」
ガラガラと音を立てて牧場に台車が帰ってくる。朝の配達は無事終了、時間差こそあるが皆想定の範囲内で帰ってこれた、か。
「台車は元あった場所に並べといてくれ。台車を戻したら全員、しっかりと体操をしとけよ!」
「あいよー……」
「ああ、余った牛乳があったら飲んで良いぞ。腐らせるのももったいねえからな」
「ほんとか!? やったぜ!」
朝の牛乳配達を終えた面々の様子を見ながらそう声をかけると、やたらと元気が有り余っているコウタローが頭の耳をバルンバルンと振り乱しながら喜びの声を上げる。
こいつらがこの牧場に来て2週間。体作りをメインにしてきたが、こいつとホタルノヒカリはやっぱり別格なのか。他の面々が必死になって台車を引いている中、余裕の表情を浮かべることが多い。
「水……水分をくれ……」
「……なんでこのバカ……こんなに元気なんだ……」
「うまっ!? なにこれウマいんだが!?」
「こいつが元気なのは兎も角、お前らも体が出来てくりゃコレくらいは出来らぁ、見ろよ、タレゾーを」
息も絶え絶えに牛乳瓶に手を伸ばすウマ娘たちにそう言って、くいっと顎をしゃくる。その言葉にその場のウマ娘たちは緩慢な動作でタレゾーに視線を向け――
「はぁっ!?」
「うそっ?」
「うめぇ! うめぇ!」
「んあ? 親分、もう良いのね?」
彼女たちが引いていた台車の上に積まれた、彼女達が持ち運んだ牛乳瓶のおよそ数倍にも及ぶ空の瓶の山。それがうず高く積まれた台車の横で、ペタッと地面に胴体がくっつくほど体を折り曲げたタレゾーの姿に、彼女達は思わず声を失った。
「おら、全員しっかり柔軟しろー」
「いや、マキバオー、あの量……いや……柔らかくない?」
「あれが本来、ウマ娘が出せる
体が固いとその分そこに負担が集中しちまうからな。怪我の元になるし良いことなんて何一つない。
この牧場に来た当初から、タレゾーには重点的に柔軟運動をさせてきた。走り込みによる心肺機能の強化と、柔軟な体作り。すくなくともここから1年は、レースの練習よりも土台を磨く事に集中させるつもりだ。
「なるほどなぁ! 俺も体が小せぇ方だし、負けてらんねぇぜ!」
「ならタレゾーが最初にやってた柔軟やってみるか?」
「お、良いのか!?」
全員分の余りものを一人で飲み干したコウタローが、足首の筋を伸ばしながらそう言ってくる。お前の背後で他のウマ娘たちが悲鳴を上げてるんだが。というかその牛乳で膨れた腹で柔軟する気なのかこいつは。
……まぁ、本人がやりたいというなら仕方ないか。
「とりあえず座って、前屈の姿勢だ。限界まで体を倒してみてくれ」
「おう!」
オレの指示に従い、コウタローが前屈を始める。足の先までは手が届く、というくらいか。
「じゃあ猪之助、頼むぞ」
『猪突猛進! 猪突猛進!』
「おう……うん?」
コウタローの現状を確認した後、最近は番犬代わりに広場に小屋まで立てられた猪の猪之助を呼ぶ。
猪之助の奴、あれで加減が上手くて限界をきっちり見極めてくれるんだ。言ってる言葉はよく分からんけどな。
猪に伸し掛かられ絶叫するコウタローを尻目に、牧場の中へと足をすすめる。そろそろ漁に行った二人も帰る頃合いだ。栄養価に合わせた食事メニューを考えなければ。
「「「「いただきます!」」」」
一斉に重なる食事の挨拶。そしてついで沸き起こる轟音のような食器を叩く音。バクバクと食材を書き込む総勢9名のウマ娘たちに、牧場主とその娘は苦笑を浮かべながらもぐもぐと箸を動かした。
「うめぇ! うめぇ!」
「お、今日はカニもあるじゃ~ん!」
「うるせぇぞ駄バどもが……」
最も騒がしいのはいつものごとくコウタロー、ついでオッペケペー。その二人の喧騒に頬をひくつかせながらホタルノヒカリが文句をつける。
ごくごく最近のミドリ牧場の、朝の風景である。ホタルノヒカリ、お前素が出るとほんと口が悪ぃな。
「お魚美味しいのね!」
「おぉ、タレゾー、良い食べっぷりじゃねぇか! でっかく食って早くでっかくなれよ!」
「タレゾーって呼ばないで欲しいのね」
「ナ、なにおぅ!?」
そしてこちらも最近ではよくある光景だ。初日のレースでタレゾーを気に入ったらしいコウタローは何かに付けてタレゾーに絡んでいくのだが、その都度そっけない態度で袖にされている。
「諦めるとか察するとかいう言葉を知らんのか、あいつは」
「ちうちうたこかいな、ちうちうたこかいな……しらんのと違う?」
「お前ぇも飯の最中までそろばん弾くなよ」
ついつい呆れたような口調でそう口にすると、隣で飯を書き込みながら片手でそろばんを弾くコイコイがそう返してくる。随分とまぁ器用な事をする奴だ。
「堪忍してぇや。過去の帳簿がどれも当てにならへんから、今総当たりで記録漁ってるんや。時間なんか幾ら合っても足らへん」
「……そこまで酷ぇか」
目の下にクマを作ったコイコイの言葉につぅっと視線を滑らせて牧場主である飯富のオッサンとミドリコに視線を向けると、居心地が悪そうに二人は視線を逸した。
飯富のオッサンの適当さは前前世でよぉく知ってたが……奥さん。あんたもか。
「が、頑張っては居たのよ? ただ、ほら。数学なんて小学校以来で」
「借金なきゃ良いかなって」
額に汗をかきながらそう口にして手をパタパタと誤魔化すように動かすミドリコと、一切悪びれずに鼻をほじるオッサン。これで親子とは。母親の遺伝子しか仕事してないんだろうな。
「夫が生きてた頃は、全部彼がやってくれてたから……その前は亡くなった母さんが」
「ここ5年で急に数字があやふやになったん、それが原因ですか。というかミドリコさん、一応高卒」
「……訓練校は、レースの事しか勉強しないの」
「あ、はい」
視線を明後日に向けたままのミドリコの言葉に、そろばんを弾くのも忘れてコイコイは引いた。傍目にも分かるドン引きぶりだった。とはいえ、この世界では割と当たり前の話らしいんだがな、それは。
俺が前世で通っていた騎手学校も似たようなもんだったが、あっちは中卒程度の学力は求められていた。その点こっちのウマ娘訓練校とやらは、中学に当たる中等部の頃からひたすらレースに関してだけを詰め込まれていくらしく、走ることはやたらと詳しいがその他はからきし、という大人のウマ娘は数多く居るそうだ。
そういった走る事に特化していたウマ娘達の、社会に出てからの受け皿になっていたのが配達業や土木作業等の肉体労働で、人間の数倍以上の身体能力を持つウマ娘たちはそちらでも大層活躍していたそうだが――例の保護法とやらがその道すらも奪ってしまった、と。
政治家なんてろくなもんじゃねぇな、と思いながらリンゴを齧っていると、会話を聞いていたのか。皿に向けていた視線を上げ、ホタルノヒカリがポツリポツリ、と呟くように口を開く。
「ミドリコさんみたいに活躍できたり、稼業の有るウマ娘はまだいい。未勝利で終わった都市出身のウマ娘は悲惨だ。仕事もなく、毎日役所の前で配給される食料を待つばかり。あれはもう、家畜と変わらん」
その言葉に、食堂の中が重苦しい沈黙に包まれる。得意な分野で就労することは許されず、残された道はとてもじゃないが自身の能力では務まらない職業ばかり。簡単な計算すらできないんだからな。事務職なんか出来るわきゃない。
飼い殺し、という単語が頭に浮かび上がる。やけになって暴走する連中が出てくるのも頷ける話だ。
「あたしらも、思い切り飯を食べるなんていつぶりか分からんからなぁ」
「んだタメゴロー、思い切り飯を食ったことがあるのか! オレぁここに来て初めて満腹って言葉を知ったぜ!」
「お前はお前で重いんだよ話がぁ! 空気読め!」
「ナ、なにおぅ!?」
場の空気の重さに耐えきれなかったのか、気を利かせたのか。にへら、と笑ってそう口にしたタメゴローの言葉に、
道理で体が小さいわけだ、と奇妙な納得をしてしまいただただ頷いていると、コホン、とコイコイが咳払いを一つ。
「と、とにかくや。ここ数年……いや、5年分の間の牧場の収支は急いで調べとるけど、どこかに隠し財産でも隠れてない限り正直いつ現ナマ尽きるかわからへんで」
主に食費で、と言葉を続けて、コイコイは自身と仲間たちの食卓に並ぶ料理に目を向ける。
ウマ娘はよく食べる。これは走るために生まれてきたというウマ娘の、生態といってもいい位に共通した事柄だ。ミドリコのように引退し、走ることから身を引いたウマ娘は意外と食べないんだがそれでも成人男性以上には食べる。育ち盛りなら尚更だ。
そしてこの場にはその育ち盛り、しかも若干欠食気味のウマ娘が8名に、まだまだ体を作っている最中のウマ小娘が1名居る。この一回の食卓には、大家族どころじゃない金額がかかっている。
「近場の漁師に頼んで分けてもらってる魚介類と、牛乳配達の範囲も拡大して牧場の収入も増やしてんだろ。それでも厳しいのか?」
「厳しいなぁ。漁については正直助かっとる。この分も自前で用意しとったら最初の週に破産しとったわ」
「先に言っとくが、牛乳はもう売れる宛がねぇぞ。街の連中にも結構無理言って買ってもらってんだ」
コイコイとオレの会話に、飯富のオッサンが釘を刺す用にそう口にする。こういう所に大雑把なオッサンがわざわざ口にするって事は、本当に無理なんだろう。
こいつらがこの牧場にやってきた当初から心配していた食料問題について、どうやらそろそろ限界が来たようだ。
「なぁ。食事の量を減らすいうんはどうや? それならまだなんとかなる」
「却下だ。奥さんがお前らの面倒を見てる以上、そういった面で妥協する気はねーぞ。そもそもお前らの一番の仕事はトレーニングに耐える体を作ることだ。まだ始まってすらいねぇんだから、そこを削るのは本末転倒だろ」
コイコイの提案に首を横に振り、そう答える。それをやるんなら最初から受け入れなんて行わないほうが良かった。初日のレースで約束してしまった以上、こいつらを放逐するという選択肢はもう取れない。
それに何より、一度懐に入れてしまったせいか奥さんも、なんだかんだでタレゾーもこいつらに気を許してる。同世代とはいわんが、年の近いウマ娘に囲まれてる現状はタレゾーにとってもいい環境だ。
「いや、それはまぁ分かるけど。でも、言うて食い物の量増やすくらいならもっと米やらを増やすだけで事足りるん違うか? こんな色々な野菜やら買わんでも」
「栄養バランス考えてメニュー作ってるからな。そこは削れねぇよ」
「……は、誰が? ああ、ミドリコさ」
「オレに決まってんだろ。オッサンや奥さんが出来ると思うのか?」
ギョッとした顔をしてそろばんから頭を上げたコイコイにそう答えると、あんぐりと口を開けたままコイコイの動きが止まる。いや、コイコイだけじゃない。献立を考える際に事情を聞いていたミドリコとタレゾー以外の面々が一斉にこちらに視線を向けてきている。
「なんだお前ぇら……」
「いや、お前本当にネズ……ネズミ?」
「どこで学ぶんだよ、林間学校か?」
「大学でだよ。厩舎……ああっと。個人で訓練校の教官みてぇな仕事があったんだが、その勉強のために大学に行ったんだ。あと林間学校は学校行事で本当にそういう学校があるわけじゃねーぞ?」
森育ちだから林間ってか。誰が上手いこと言えと。そう続けようとして、ふと気づく。
「が、が、が、」
「ああ。そういや言ってなかったか。オレぁ前世で人間だったんだが……」
「「「学士様ぁ!!?」」」
「お、おう?」
ガタガタっと立ち上がり、そう叫び声をあげるウマ娘たちにトスン、テーブルに座って天井を見上げる。時代背景がまた謎に包まれてきた。テレビがあるから昭和中期くらいだと思ってたんだが。
わーわーと騒ぎ立てるウマ娘たちを落ち着かせ、仕事に必要な分を学んだだけだ、と納得させる。前世の部分? ウマ娘はその存在自体が前世から転生してきた連中だ。そこで疑うような奴は居ないらしい。
まぁ、ネズミが転生してきた、という点については驚きの声を上げていたが。
「つまりお前はネズミ娘、いや。ネズミ男ってわけだ」
「妖怪になった覚えはねぇんだがなぁ」
コウタローの言葉にそうぼやきで答える。
「嘘だろ……学士様……は、初めて見た」
「いや、流石に学校の教師は大卒だろ――待て。そういやお前ら、学校はどうしたんだ?」
なんともいえないという顔でこちらを見るメンタンピンドライチの言葉に返事を返し、ふと疑問に思ったことを口にする。関東から北海道まで。移動時間も考えればすでにかなりの日数が経過しているはずなのに、こいつらの口から学校に関する事柄を聞いたことがほとんど無かった。
タレゾーの様子を見るに小学校は義務教育だろう。こいつらの見た目は見るにタレゾーよりも3,4歳は上。恐らく中学校から高校くらいの年齢だろう。中卒で、暴走ウマ娘とやらになったか?等と思いながらそれぞれの回答を聞いていき。
「――分かった。とりあえずお前ら、仕事が終わったら全員タレゾーと一緒に勉強な」
「「「「はぁ(んぁ)!?」」」」
「たりめーだ。中卒すらいないってのはどういう事だ?」
出した結論がこちらである。予想外……というよりも予想以下の結果だった。
年齢は推測通り。最年長のヒカルゲンジが15歳で順当に進学していれば中3か高1という辺りで、最年少がコウタローの13歳。予想通り全員が中高の年齢であり――予想外だったのは、全員がろくに学校に通っていなかったという点だ。
「バカはレースに勝てんぞ? 仮に勝てるとしたらよっぽど才能と運に愛された奴だけだ」
頭の中に浮かぶ
驚愕の声を上げるタレゾー含めた9名を尻目に「奥さん、という事でよろしいか」とこの件の最高責任者に話をふると、話の流れに思うところがあったのか。ミドリコは特に口も挟まずにオレの提案を了承した。体が出来上がれば何度か走らせてみて、それぞれ適正を見て、という風に奥さんと相談していたんだがなぁ。
自分の適性、体力を把握し、周囲の状況を見ながら走る。これが出来なきゃどんだけ素質に優れていても普通は勝てない。こいつらが今後公式戦に挑むことがあるかは分からんが、奥さんに師事すると決まっている以上、ドバカのままで居させるわけにもいかんしな。
「い、いや。あたしら、修行した後は関東に帰るし」
「その修業の前段階にも至ってないんだよ、お前ら」
「んあ……勉強、嫌い」
「ちゃんと頭動かさないとこんなんになっちまうぞ」
勉強、という単語にあからさまに声のトーンを落としたコウタローを横目で睨みつけ、指でコウタローを差しながら渋るタレゾーにそう言うと、タレゾーは心底嫌そうな顔を浮かべてちらっとコウタローを眺めて無言のまま頷いた。
「そういやぁ、お前ら。なんでわざわざ北海道くんだりまで修行なんざしに来たんだ」
「お、おいタレゾー! その視線はどういう意味だ! オレぁこう見えて小5まで学校にも通ってだなぁ!」
「ただ公道を早く走りたいってだけで弟子入りなんざ大仰にも程があらぁな。どこぞの訓練校にでも編入してぇってのか? いや、関東にだって実績のあるウマ娘は居るはずだ。わざわざ北海道まで」
「親分以外が、タレゾーって呼ばないで欲しいのね!」
「お前らなぁ……」
まじめくさった顔で話をしているのがバカみたいに思えるタレゾーたちのやり取りに、言葉を切ってため息をつく。ぎゃあぎゃあと喚く二人に毒気を抜かれ、重くなっていた食堂の空気も気持ち軽くなったように感じる。
これを狙ってやってるんならスゲぇんだが。くくっと口元を歪ながらそう呟いて、さて。と気持ちを入れ替える。
「で。さっきの話の続きだ。話辛いってーなら」
「……いや、聞いてくれ。世話になる以上、いつかは話そうと思っていた。今が、頃合いなんだろう」
オレの言葉にホタルノヒカリがそう答え、周囲に視線を向ける。回りに居る他のウマ娘もその考えを支持しているのか。ホタルノヒカリの視線に黙って頷きを返している。
唯一その視線に気づかずタレゾーとじゃれ合っているコウタローは……無視するらしい。まぁ、当然だわな。本当にこいつはなんなんだ一体。
「なぜ関東の有力なウマ娘に師事しないのか、だったな。疑問は最もだ。わざわざ海を超えて北海道まで来るぐらいなら近場で済ませるほうが良い。当たり前の話だ」
「ああ。ソッチのほうが手間も時間もかかりゃしねぇしな」
「……そうだな、その通りだ。
ホタルノヒカリはオレの言葉を正しいと肯定し、そして小さく首を横に降る。
「時に、戦国バ将というものを知っているか、ネズミ男」
「チュウ兵衛だ。いや、知らねぇが。名前を聞くに戦国武将のようなものか?」
「ああ。大まかにはその認識で間違っていない」
そう言って一息、ホタルノヒカリは間を取り、少し思案した後にゆっくりとした口調で語り始めた。
「ウマ娘は、本質的に穏やかな人種だ。激情家や気性の荒いウマ娘も居るが、そういったウマ娘も多少言動や行動が荒いだけで、他人に危害を加えるといったことはない」
「……そう、だな」
視線を未だにギャーギャーと喚くコウタローとタレゾーに向ける。仲良く喧嘩する二人だが、それが暴力であるとかそういったものに発展しそうな気配は見えない。
普段の行動を見るとバカにしか思えないコウタローだが、初日のように相手の状態に合わせて会話を選択する事が出来るやつでもある。タレゾーの方はカッカしやすい質だが暴力とは縁遠い性格をしている。
その他のウマ娘も奥さんを筆頭に、基本的におとなしい性格の者たちが多い。口の悪さで言うなら、目の前のホタルノヒカリが最も口が悪かったりするしな。
総じておとなしい人種。確かに、そのとおりなんだろう。
「だが。何事にも例外が存在する。長い歴史を紐解けば、そういった例は枚挙に暇がない。例えば我が一族の祖であるメジロキタノ。彼女は皇の
指折り数えるようにホタルノヒカリは様々なウマ娘の名前を上げていく。マケドニアのブケパロス、モンゴルのテムジン、ヨーロッパのマレンゴ……歴史に名を刻む彼らの名を、ホタルノヒカリは淡々とした口調で語っていく。
「走ることと同じほどに戦を好み、その才に恵まれ、戦いに彩られた人生を送る。それがバ将という存在だ」
そこまで語った後。 ホタルノヒカリはふぅ、と小さなため息を付き、学ランの上着を脱ぎ始めた。
「なぜ関東から出てきたのか、と言ったな。出てきたんじゃない、逃げたんだ。私は、私達は」
学ランの下。首の裾で隠れていた
「関東全てを勢力下に収める暴走ウマ娘、黒王軍。私達は奴らに挑み、破れ――コウタローに助け出されるまで、首輪に繋がれ囚われていたのだ」
ジュークボックスから、歌が流れてくる。壊れかけのそれは酷い音質であったが、問いかけられた人物にとってはどうでもいい事だったのだろう。専用に誂えた椅子――身長2mを超す巨躯に合わせて作られたそれの上で、目を細めながら彼女はその歌声に耳を傾けていた。
白いショートカットの髪、浅黒い肌。全身に無駄なく付けられた筋肉は、その巨躯が鈍重さとは無縁であるという事を見るものに伝えてくる。
ただ佇まいだけでその力を示してくる。その部屋で一人佇む女は、そういう類の存在であった。
「黒王様」
「なんだ」
そんな彼女の部屋に、雑音が一つ。黒王の返事を待ち、扉を開けて芦毛のウマ娘が入ってくる。側近として彼女に使え、雑事の全てを受け持つ女だ。彼女は室内を見渡した後にツカツカと歩み寄り、黒王と呼ばれた女の前で跪く。
「東海遠征の準備、万端整えてございます」
「北はどうか」
「東北不敗フウウンサイキ、並びにマツカゼ。どちらも動きはありません」
「……コウタローは?」
「北に逃れたとの報告を最後に、行方は……」
そこまで報告を受けた所で、黒王は立ち上がる。全身を漲る覇気が、目の前で跪く女に浴びせられる。息を飲み込むほどの圧力。
「ならば良い。捨て置け」
「は、ははっ!」
ガタガタと震える芦毛のウマ娘を尻目に、黒王は出口に向かって歩を進める。己の体躯に合わせて作られた扉に手をかけ、力強く扉を開く。
そこには、軍衆の姿があった。
ウマ娘も居ればバイクに跨った人間もいる。思い思いの格好や装備に身を包んだ彼ら彼女らは、その粗野な姿格好からは想像できないほどの統一された動きで姿を見せた黒王に跪き、頭を垂れる。
彼らは、黒王軍。ただ一人に従い、ただ一人のために存在する軍勢。
彼ら彼女らの一糸乱れぬ動きに、ぐるりとそれを見渡し――
「ウヌ」
満足げにそう口にして、最新最強のバ将と呼ばれる女。黒王は微笑みを浮かべた。
ウマ娘列バ伝 ホタルノヒカリ
日本競バ
G1:3勝、G2:3勝、G3:6勝
トゥインクルシリーズ
G1:2勝、G2:1勝、G3:2勝
クイーンクラウンシリーズ
G1:1勝、G2:2勝、G3:1勝
マザーズカップシリーズ
G1:4勝、G2:4勝、G3:5勝
マザーズカップシリーズ登録バ
関八州ウマ娘プロレス連合所属
逃げるホタルに
中央訓練校中退から出戻り→G1制覇という今後恐らく出てこないだろう経歴を持った人物。
実家は名門メジロ家の分家筋であるがここ数代メジロの冠名を持ったウマ娘も居らず、レース結果も良くないという
その後の彼女の活躍により放校処分の原因となった髪色に関するいざこざはは各訓練校、後のトレセン学園においても重大な教訓として残されている。
日本競バからトゥインクルシリーズへの過渡期に活躍した、言わば競バ史最後の世代の最強バとして君臨し、その後もクイーンクラウンシリーズ、マザーズカップシリーズと活躍。人気のコウタロー、実力のホタルノヒカリという関係は、現在もプロレスに舞台を変えて続いている。
なおメジロ家の令嬢たちがプロレス技を多用するのは彼女の影響である、という説がまことしやかに囁かれているが本人は否定している。
「コウタローに引っ張られ、コウタローを引っ張って。良いライバル関係だよ。本人はそう言うと嫌そうな顔をするんだがな」