メジロ母子がミドリコに会いに来る数ヶ月前。
迫りくる危機、黒王軍。国内全てのウマ娘に影響を与えかねないかの存在の脅威をホタルノヒカリから伝えられ、ミドリ牧場はその脅威に立ち向かうべく行動を開始――
オッペケペェェェ!
「頑張れ頑張れ。あと3往復な」
「いやぁウマ娘はぱわふるだぁ」
する暇もなく、日々の糧を得ることに追われていた。喰わなきゃ死ぬ。世知辛いが先の脅威に備える前に明日の食事を確保しなければ生きていけないからな。
「あんな大きな犁引っ張ってよく走れるもんだ」
「ウマだからなぁ」
ご近所で農業を営む田吾作さんの言葉にそう返して、木製の大きな犁を引張るウマ娘を見る。今日の当番のオッペケペはどちらかというと線の細いタイプだが、100kgは優に超える大きな犁を苦もなく引っ張って土を耕しているいる。同じことを普通の人間がするにはそれこそ10人は要るだろう。
体の小ささからあまりパワーのないウマ娘だと思っていたが、評価を改める必要がありそうだ。
「いや……むしろ足場、か? 重めが得意ってウマも居るには居るが」
「ネズミさん、ところでお礼の話なんだが」
「っと、ああ。味噌漬けなんかの保存食で良いんだが――」
田吾作さんの言葉に我に返り、頭を軽く振る。いかんな、ああいう片鱗を見るとついついどうトレーニングを積ませるか考えてしまう。ネズミに生まれ直したというのに前世の職業病とは今生でも付き合っていく必要があるらしい。気を取り直して、オッペケペが走った後に視線を向ける。
「そっちの調子は……良さそうだな」
「んあっ! んあっ!」
犁を使っているオッペケペが大雑把に耕した後を、タレゾーは
「あの娘、ミドリコさんの娘さんだべ。手ぇ怪我すんでないか?」
「ああ、その点は気をつけてる。両手にハメてるグローブはうちにいるウマ娘が誂えてくれた奴でな。鉄板や皮革で補修してあるんだ。あれもまぁ由緒ある訓練の一つだよ」
「ほー。ウマ娘の練習てなぁ色々あるんだなぁ」
犬が穴を掘るような姿勢で動き回るタレゾーの姿に、田吾作さんは感心したように何度も頷いた。まぁウマ娘というよりは武術の修行なんだがな。前世で人間だった時、みどりのマキバオーが連載されていた雑誌の先輩?が行っていた訓練を工夫して真似してみたんだが。
「んあっ! んあっ!」
「思った以上にタレゾーに合ってる……? すげぇな亀仙流」
隣に立つ田吾作さんに気付かれないように小さく感嘆の息を吐き、両手で土を掻き分けるタレゾーを見る。
コウタロー達との一戦はタレゾーに大きな影響を与えてくれた。全身全霊で走る。それを意識し、身につけることができたからだ。
今まで出し切れていなかった全力を出せるようになったというのはタレゾー……いや、競争するウマ娘にとって一つの段階を超えたと言って良い出来事だ。努力していても全力が出しきれないって奴もそれなり以上に居るんだからな。
だが、全力が出せるからこそ表面化した事もある。
体が小さいからこそ、軽いからこそ。そしてなによりもそんな小ささに見合わない
それは通常の姿勢のまま走ると、全力を出した際にタレゾーでは風の抵抗を受けすぎる、というものだ。
これが通常のウマ娘であれば問題なかっただろう。だが、タレゾーの体は通常のウマ娘より頭4つは小さく、体重は30kgにも満たない。入学したばかりの小学生とほぼ変わらない体格のタレゾーが、時速50kmを出すんだ。逆風に耐えきれるわけがないというのは考えれば……いや。こればっかりは実際に走ってみなければ分からない事でもあるか。
そして、だからこそ見つかったタレゾーの新たな走法。それについても、なんだか色々と複雑な感情がこみ上げてくる。
「……四足なぁ……」
ポリポリと頬をかきながら、ため息とともに言葉をこぼす。アレに関しては、本当に予想の斜め上としか言いようがなかった。
最初は本当に偶然だった。風を受けてバランスが崩れるなら、と様々な走法を試していた時。風を受ける面を減らせば、と体をできる限り前傾させて走っていた際にそれは起きた。
ほぼ45度まで体を倒した段階で、グラリと揺れるタレゾーの体。危ない、と思うまもなく咄嗟に地面に手をついたタレゾーは、何を思ったのかそのまま犬のように両手で土を
体の小さなタレゾーは両手と両足の長さの差が他の人間より小さい。それが理由かは分からないが、咄嗟に出てきたその走法?は予想以上にタレゾーにとってしっくりくるモノだったらしい。
両手を泥だらけにし、輝くような笑顔でそう語るタレゾーに生返事を返しながら――柄にもなく、運命なんて言葉を思い浮かべながら、俺は初めてタレゾーと出会った時に等しい衝撃を噛み締める。
咄嗟に両手をつき、土を
なによりも美しかった。
「ツァデビル。確かにこれぁこいつ生来の走りだよ」
「……? 親分、どうしたのね?」
「いや……おいおい、手がボロボロじゃねぇか」
「んあっ! ほ、ほんとなのね」
かつての生。この走りをモノにするために旅立ったモンゴルで出会った友の言葉は、間違っていなかった。それを世界を跨いだ今生で知れるとは、なんとも奇妙な運命である。
「とりあえず手、洗って消毒してこい」
「あ、赤チン嫌いなのね……染みる……」
「その前にミドリコさんに怒られるだろうがな。最初はともかく、10mくらいは調子に乗って走っただろ、お前」
両手の状態について気づいたのか、ブルブルと震えるタレゾーに事実を伝えると、タレゾーは泥のついた両手で頬を包みムンクの叫びのような姿を見せた。ああ、顔まで汚しちまってまぁ。
タレゾーは勿論その後ミドリコさんに叱られ、監督不行届で俺も軽く怒られる事になったがこれは仕方ない。走り方を探るためとはいえウマ娘の出せる速度で転倒なんぞしたら大事故になりかねんからな。
勿論トップスピードになるような事は無かったし禁止していたが、走っている最中に両手をついつまったのは俺の失態だ。もう少し考えて走らせるべきだった。
「そこまで考えなくても良いんじゃないか?」
「考えるべきなんだよ、調教師――トレーナーってのはな……おい。そこの掛け算間違ってるぞ」
「あん? そんなわけ…………」
勉強と書かれた鉢巻を頭につけたコウタローは俺の指摘に自信満々という表情で答え。徐々に尻すぼみになって最後には表情を消して該当部分の計算をやり直し始めた。
「お前せめて九九は覚えとけよ」
「う、うっかり」
てへぺろ、と舌を出して誤魔化そうとするコウタローに「赤点だったら追加一時間の勉強な」と告げ、小さなため息をつく。
こいつら全員に対してミドリコがかつて使っていた教科書による簡単な実力テストを行ったのだが、中学レベルの学力”は”持っていた他の面々と違って
「そちらのバカに関しては同意だが……なんで私まで」
「お前さんは小卒で学力が止まってるからだよ。訓練校ってのは本当にレースのことしか勉強しないんだな……」
そんなコウタローと並んで教科書を開いているのはホタルノヒカリだ。こいつ、ミドリコが所属していた訓練校に2年通っていたらしいんだが、競馬の歴史や成り立ち、レースのルールや法律はスラスラと出てくるのに微分積分は言葉すら知らないという有様だった。
ミドリコさんの内弟子扱いになるこいつらには最低でも年齢相当の学力は持たせたい。そう考えるとこの2トップを放置するなんて真似ができるわけもなく――同じ様に面倒を見るべきミドリコもその訓練校出身だから学力は推して知るべし――タレゾーの面倒がてら俺が勉強を見ることになったのだ。
ついでにタレゾーにも勉強させる動機にもなるしな。頑張らないとコウタローみたいになる、というとタレゾーも不承不承ながら机に向かってくれる。
「俺らはタレゾーのついでってか」
「おう。俺はあくまでもタレゾーについてるからな」
「行儀が悪いぞ。マキバオーは先生の娘。特別扱いも仕方ない」
行儀悪く鉛筆を口と鼻の間で挟むコウタローに、ホタルノヒカリの肘打ちが決まる。きれいに決まった脇腹への一撃に言葉もなく悶絶するコウタローに、ホタルノヒカリはゆるりと動いてチョークスリーパーを仕掛けた。
時計を見る。コウタローとホタルノヒカリが一緒に居ると大体1時間位で乱闘になるから、丁度良い時報代わりになる。
「程々にしとけよ」
「わかってる」
「グエエエエェ!!」
躊躇なく締めに行くホタルノヒカリに「こいつこそ戦国バ将とやらなんじゃないか?」と疑問を懐きながら、二人の回答に目を向ける。まぁ、進歩は見えるか。それぞれの学力に合わせた問題を出しているとはいえ、地頭は決して悪くないんだよな、こいつら。
惜しむらくはそれまでの環境が、勉強を必要としなかった事だろうか。いや、必要とされないように仕向けられていた、というべきか。少なくとも近代にかけての政府によるウマ娘への政策は、ひたすらに肉体労働に特化させて頭脳を用いる職種や知識層から切り離す、という代物だった。
それがここ数年で急に肉体労働を取り上げられた、とあればまぁ歪みも出てくるだろう。本当に歪に過ぎる世の中だ。
「黒王ってのも案外それを是正したいのかもしれんなぁ。首輪は引いたが」
こいつらから聞かされた風聞ではただの世紀末ヒャッハー共の集団だが、破った暴走ウマ娘たちを自身の農園で野良作業やなんだか良く分からない石臼を複数人で回させたりと、強制労働させる代わりに衣食住は用意していたらしいからな。
市役所の前でただただ配給を待つよりはまだマシに思えるのは、直接その現場を見ていないからだろうか。
「……おい、ネズミ男」
「チュウ兵衛だ。いい加減名前くらい」
「この一月余りでお前の指導の正しさは分かった――食がどれだけ力になるのか。実家から離れて、初めて理解できた」
「グエェェェェ」
「お、おう。殺すなよ?」
メキメキと音を立ててコウタローの首を絞めながら、神妙な顔でホタルノヒカリはそう口にする。
「漁業も農業も、それに牛乳配達も。どれもが良い訓練になるのも理解している。だからこそ。それだけの識見を持つお前にだからこそ」
「ェェェ…………」
青い顔をして、ぶくぶくと泡を吹きながらコウタローが何度もタップしているが、それに気づいているのか気付かないのか。ホタルノヒカリはギュッと力を腕に込め、俺に鋭い眼差しを向ける。
「黒王に対してどう行動を起こすべきか。それを、お前の口から聞きたい」
「おう。まぁ、わかった」
ホタルノヒカリの言葉に頷きを返す。別段放置するつもりもないんだがな。話に聞く状況が本当なら、数年近く本州が荒れることになりそうだしそのまま放置するとタレゾーの将来にまで影響が出かねない。
こんな片田舎の牧場に居候するネズミに何が出来るのか、という話になる気がするんだが。行政が頑張れよ! と思わなくもないんだが。
「まぁ、幾つか考えがないこともない。収入面を何とかした後になっちまうが」
「! ほ、本当か!?」
「おう。たかが暴走集団がこの国のウマ娘全体に影響――ってのはまだピンとこねぇんだが、話に聞くその黒王ってのと取り巻き共が北海道まで来たら、という前提でな。ただ……」
そこまで口にして、ポリポリと頬を掻く。
「いい加減、離してやったらどうだ?」
「……あ」
大きく舌を出し、目を飛び出させながら窒息一歩前のコウタローに視線を向けてそう口にすると、ホタルノヒカリは小さく間の抜けた声を上げた。
アレは危なかった。コウタローの奴、きれいな川の向こうで見たこともない爺さん婆さんが手を振ってるのを見たって言うからな。流石にじゃれ合いで死者を出すのは不味い、とミドリコと一緒に夕飯までホタルノヒカリを説教する事になった。
「……分かっている。ミドリの口からホタルの名前が出てきた段階で覚悟はしていた。賠償金はこれくらいで足りるかしら」
「いえ、あの。アサマ、違うのよ? 私はただアサマの親戚だという娘を預かったから連絡をね?」
「やっぱりアイツこそ戦国バ将とやらじゃないのか?」
目の前で札束をギッシリ詰め込んだアタッシュケースを開き、ミドリコに向かって頭を下げるメジロアサマの姿に毎日のように浮かぶ疑問が首をもたげてくる。名前を聞いただけでなにかやらかしたと思われるって相当だぞ。
「訓練校の教官を半殺しにして放校処分になった娘がいつの間にか行方不明になり、数カ月ぶりに行方がつかめたと思えば親友の家に転がり込んでいた、と言えば私の心労が伝わるかしら」
「お、おう。思った以上にパーフェクトヤバいな」
「まぁあの件はホタルの髪に墨汁をぶちまけて『黒染めしてこい!』等と抜かした教官にこそ非があると私は思ったんだけどね」
「それは半殺しにしても仕方ないんじゃない?」
女の髪に手を出すなんて、と笑顔のまま圧力を放つミドリコの言葉に、俺とアサマは同意するように頷きを返す。昭和の頃の学校はどこも無法地帯みたいなもんだった、と騎手時代の先輩から聞いていたが、ほぼ女子校みたいなもんのケイ馬訓練校でそれをやらかす奴は本物のバカじゃないだろうか。周り全部敵に回してもおかしくないぞ。
あ、いや。だから刑事沙汰じゃなく放校処分で済んだのだろうか。まぁ事情が事情とはいえそういう経歴の娘がいつの間にか友人の所に転がり込んでたら不安になるのも分かるんだがな。
ミドリコがメジロアサマに連絡をとってから1週間も経っていないしな。相当急いできたのは間違いないだろう。
「――――で。ミドリコ、電話では見せたいものがあると言っていたけど。それが、さっきのレース? それともその世にも奇っ怪な喋るネズミさん?」
「このレースもその一部なのは間違いないんだけど……奇っ怪って」
ひとまず。ホタルノヒカリが何かをやらかしたわけではない、と知ったためか顔色を良くしたアサマの言葉に、ミドリコが苦笑を浮かべながら首を横にふる。
この世界じゃ喋る動物は居ないらしいからな。最初に生まれた世界じゃ狂犬病かなにかを患ってなきゃ大体の生き物は人と同じ言葉を話していたんだが、あれはあの世界だけの話だったようだ。
「おっと、挨拶が遅れちまった。手前、鵡川の森を仕切らせて頂いておりやす、チュウ兵衛でございます」
「あら、これはご丁寧に……ええと、メジロアサマと申します。お控えなすってって奴かしら? 時代劇のような言葉ね」
「どうにも敬語というものが苦手でしてね。改まった口調になっちまう」
頭をかきながらそう口にすると、メジロアサマは気にしないで欲しいと苦笑を浮かべて答えた。
「じゃあお言葉に甘えて……メジロの奥さん」
ふぅ、と一呼吸。まさかここまでフットワークが軽いだなどと思っても居なかったからな。あと半年、いや数ヶ月ほど時間があると思っていたんだが。
「一つ奥さんに訪ねたいんだが……」
だが、彼女はたった一度の電話でこの北海道にやってきた。予定していた準備その他はまだまだ整っていない状況。この状況で前倒しに計画をすすめるとどうなるか――いや。
「テレビ、新聞、ラジオ。メディアへのツテが有れば紹介して欲しい。勿論、対価は用意してある」
幸運の女神は前髪しかないんだ。掴むしか無いだろう、この機を。
「まずは話だけでも、聞いてくれないか?」
意外そうな表情を浮かべるメジロアサマに、口の端を歪めて笑いながら俺はそう尋ねた。
ウマ娘列バ伝 メジロアサマ
日本競バ
G1:2勝、G2:2勝、G3:3勝
トゥインクルシリーズ
未登録
クイーンクラウンシリーズ
未登録
マザーズカップシリーズ
G1:1勝、G2:1勝、G3:0勝
マザーズカップシリーズ登録競走バ(引退済)
中央トレセン学園元理事
日本競バキーストン世代と呼ばれた年代の有力バで天皇賞を制した同世代屈指のステイヤー。世代最強バであるキーストーンに挑み続けるもレース中の事故でキーストーンを失い、失意の中引退した。
実業家の夫と結婚した後はメジロ家の家督を継ぎ、後進の育成という形で競バに関わり続けていたが、マザーズカップシリーズの開催を機に現役復帰。ミドリコやスピードシンボリと競り合い往年のファンを沸かせた。
メジロ一族の天皇賞にかける情熱は彼女から始まっており、その結果がメジロティターン、メジロマックイーンと母子三代天皇賞制覇につながったと言われている。
「トゥインクルシリーズも。それに続く他のレースもあの人が居なければ実現できなかっただろうな。曲者ぞろいのメジロ一族で、あの人だけは別だった」