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「でさ!ナナミンの戦い方マジですげーの!峰打ちなのにズバーってぶった切ってて」
「へー。一級術師の人だよな?俺も見てみたい」
一日に限られた時間だけ天坂と通話することは許されていた。
虎杖は匿われている身のため、どうしても接触できる人間は『虎杖の生存を知っている人』に限られてくる。伏黒と釘崎には交流会まで会えない。外を歩くことも制限されているため、仕方ないことだと分かっていても息が詰まる。
そんな寂しさを紛らわせる時間が今だった。
「そっちは?伏黒と釘崎は元気?」
「元気なうえに交流会に向けてめっちゃ気合い入ってる。特に釘崎」
「なんか前に京都の先輩にちょっかい出されたんだっけ?それでか」
「ちょっかいの範疇越えてたけどな…」
天坂から聞ける近況報告が楽しみだった。
女の趣味云々で京都の先輩と喧嘩になったと聞いたときはさすがに意味が分からなかったが、元気そうなら何よりだ。
「いいなー、俺も早く二人に会いてぇな」
「すぐ会えんだろ。…なあ、悠仁」
「ん?」
「大丈夫か?」
言葉に詰まった。
電話越しでも空元気を見破られた。十年近い付き合いは伊達じゃない。
七海とともに向かった川崎市のキネマシネマ。そこで戦ったものは呪霊ではなく、呪霊のような姿に無理やり変えられた人間だった。
解剖の結果、死因は体を改造されたことによるショック死だと家入は言っていた。殺したのは虎杖ではないとも。
しかし、虎杖の胸には小骨が引っ掛かったような感覚が残っていた。
きっと天坂なら家入と同じことを言ってくれるだろう。でも、天坂だって頑張っているのだ。自分ばかりが甘えてはいられない。
「大丈夫だって」
「…そっか。悪い、余計なお世話だったか」
「そんなわけないだろ。ありがとな」
通話を切ってスマホをポケットにしまう。
明日も調査は続く。気を引き締めなければ。
監視対象である吉野とは話が合った。
少し前まで映画漬けだったこともあり、あれはつまらんこれは面白かったと会話が弾んだ。
なんとなくその場の流れに乗って、吉野の家で夕飯までご馳走になった。
酔い潰れてしまった母親に吉野がそっとブランケットをかける。
「母ちゃんいい人だな」
「うん。虎杖君のお母さんってどんな人?」
「あー…俺会ったこと無いんだよな。父ちゃんはうーっすら記憶にあんだけど」
幼い頃の記憶はぼんやりとした輪郭で、その後は祖父と天坂がほとんどを占めている。
「俺には爺ちゃんと快里がいたから」
「快里?」
「幼なじみっつーか、親友っつーか。ほぼ家族みたいなもんかな」
「へぇ」
吉野の表情が僅かに曇ったことに、伊地知からの電話に出ている虎杖は気付かない。
「虎杖くんは呪術師なんだよね?」
「おう」
「人を、殺したことある?」
一瞬、脳裏によぎったのはキネマシネマで戦った改造人間たち。
「……ない」
「でも、いつか悪い呪術師と戦ったりするわけだよね。その時はどうするの?」
「…それでも殺したくはないな」
「その快里って人が殺されても?」
息を呑んだ。はく、と唇だけが取り残された様に動く。
守ることばかりに思考が傾いていて、考えが及んでいなかった。
今まで生きてきてムカついたこと、イラついたことはあれど虎杖は本気で腹の底から他者を憎んだことがない。怒って取っ組み合いの喧嘩になっても次の日には仲直りをして終わる。その程度だった。環境にも友人にも恵まれていた。そんな周囲を疑わずに生きてきた。
それをひっくり返す存在が現れたら、自分は果たしてどうするだろうか。
熟考してから虎杖は口を開いた。
「…答えは変わらねぇよ。俺は殺したくない」
「なんで?悪い奴だよ?」
「なんつーか、一線超えたらもう戻れなくなる気がするんだ」
一度引き金を引いてしまえば、次はもっと簡単になってしまう。「殺す」という行為が日常の選択肢の一部になってしまう。命の重さが曖昧になって、守るべき大切なものの価値まで見失ってしまったら、取り落してしまった大切な人を気付かず踏み潰してしまうかもしれない。それが、とても怖い。
なにより、虎杖が手を汚して仇討ちなんてしてもきっと天坂は喜ばない。
「俺は、大事な人を守れなくなるような生き方はしたくない」
それが、虎杖の答えだった。
吉野は一人部屋で考える。
真人は人に心なんて無いと言った。その考え方に救われた。力も与えられた。
今なら憎む相手を全て殺すことだって訳無いだろう。しかし。
『大事な人を守れなくなるような生き方はしたくない』。
その言葉を聞いたときに真っ先に母親のことが頭に浮かんだ。もし、自分が人を殺すことで母の魂が穢れてしまうなら、きっと自分に人は殺せない。
いつか、この力を母のために使える日が来るだろうか。
七海が負傷して帰ってきた。
一連の事件の首謀者と思われるつぎはぎ顔の人型呪霊のアジトに単身で赴いたのだという。
「俺は足手纏いかよ、ナナミン」
七海とて何も考えずに虎杖を置いて行ったわけではない。呪術師とは血生臭い職だ。いつの日か、救う余地すらない人間を殺さなくてはならない時が来る。だが、少なくともそれは今ではない。
虎杖はまだ守られるべき子供なのだから。
苦し気に俯く虎杖を諭す七海の声はいつもより幾分か柔らかい。
「理解して下さい。子供であるということは決して罪ではない」
里桜高校に帳が下りていると窓から通報が入ったのは七海が出立した後だった。
「どいてくれ、伊地知さん」
「…私たちの仕事は人助けです。その中には君たち学生も含まれます」
伊地知は後悔していた。あの時、上の命令であっても特級呪霊のもとへ学生を放り込むべきではなかった。だから、今度こそ間違えない。
「虎杖君、行ってはいけない」
「…ごめん、伊地知さん」
伊地知の横をすり抜けて行こうとした虎杖の襟首が何者かによって掴まれた。伊地知のため息が聞こえる。
「あんま伊地知さん困らせんなよ」
「快里…?なんで」
「本物じゃないけどな。前電話したときちょっと気になったから、伊地知さんに
「本当なら、天坂君も行かせたくないんですが」
「そこはホラ、本体じゃないから大目に見てくださいよ」
からりと笑う天坂は虎杖の背中を軽く叩く。
「力になれるかは分かんないけど、一緒に行かせてくれ」
「…ああ」
子供であることは罪ではないと七海は言った。それでもここで動かなかったらきっと後悔する。
そんなこと、もう御免だ。
里桜高校に下りていた帳はあっさりと二人の侵入を許した。外から入ることは自由にできるようだ。
不気味なほど静まり返っている校舎。気配を感じるのは体育館だ。扉を開け放つと大勢の生徒たちが倒れている。
壇上には巨大なクラゲの式神を従えた吉野と宙吊りにされぐったりと身体を弛緩させている男子生徒。
「何してんだよ!順平!!」
虎杖の絶叫に対して、吉野は凪いだ視線を向ける。
「引っ込んでろよ、呪術師」
吉野の背後にいたクラゲが突進してくる。振りかぶられた無数の触手を避けるが、鋭利な棘の一つが天坂の右腕を抉った。紫色の斑点が腕に広がっていく。
吉野はクラゲを盾に外へ飛び出していく。
「快里!」
「いいから、追いかけろ!俺に構ってる暇ないだろ」
傷口から侵食する痣に顔を歪めながら天坂は虎杖を諫める。
「話、ちゃんと聞いてやれよ。友達なんだろ」
「…っ、分かってる」
脇目も振らず、虎杖は走りだした。
「もう一度言う。引っ込んでろよ呪術師。関係ないだろ」
「それはオマエが決めることじゃねぇ!」
「早くさっきの仲間を助けに行かないと、一時間もしないうちに死ぬぞ」
「オマエ…!」
かっと頭に血が上る。何故こんな事をしたのかという疑問より、そんなものを無抵抗の人間に向けたのか、という吉野への怒りが先走る。
猛毒である特級呪物を既に取り込んでいる虎杖の体に毒は効かない。
毒が効かない以上、純粋な力比べで有利を取るのは考えるまでもなく虎杖だ。
吉野は校舎の外に放り出され、トタン屋根の上に落ちる。追ってきた虎杖の着地寸前を狙うが、強烈な膂力で足場を崩された。
「オマエは自分が正しいって信じたいだけだろ」
呪力を纏った拳が吉野を捉える。防御することもできず吉野は窓を突き破って校舎の中に転がり込んだ。
「順平の動機は知らん。何か理由があんだろ。でも、それはあの生活を捨ててまでのことなのか?人の心がまやかしなんてあの人の前で言えんのかよ!」
吉野は血が滲むほどに強く拳を握る。
「人に心なんてない」
「オマエ、まだ」
「ないんだよ!そうでなきゃ…」
戦闘で乱れた前髪。涙で顔をぐちゃぐちゃにした吉野の額には無数の根性焼きの痕があった。
「僕も母さんも、人の心に呪われたって言うのか」
虎杖の思考が一瞬停止する。『話、ちゃんと聞いてやれよ』と天坂の声が脳内で反響する。頭に上っていた血が急速に冷えていく。
「君に分かるはずないだろ…。こんな所までついて来てくれる友達がいるくせに。僕には、もう」
守る人さえいないのに。
力なく呟かれた言葉と共に澱月が毒の棘を構える。その声に篭っていた掻き毟るような苦悩。
放たれた攻撃を虎杖は避けなかった。吉野の目が驚愕に見開かれる。
「なんで、避けないんだよ」
血を滴らせながらゆっくりと吉野に近付く。
虎杖の胸に後悔が渦巻く。何も知らない癖に、知ったような口を利いて、吉野を責めて。天坂には自分よりずっと状況が見えていたというのに。
「確かに俺には順平の気持ちは分かんねぇ。でも、分かりたいとは思う。だから、何があったか話してくれないか」
片膝をついて吉野と目線を合わせる。
「俺はもう、絶対に順平を呪ったりしない」
吉野から語られた母親の死と何者かによる呪い。それはあまりにも理不尽で、惨いものだった。
「順平、高専に来いよ。バカみてぇに強い先生とか、頼りになる仲間がいっぱいいるんだ。快里も絶対に順平の味方になってくれる。順平と母ちゃんを呪った奴に必ず報いを受けさせる」
吉野の手を力強く握る。
「一緒に戦おう」
引き戻せると思った。一度は間違えてしまったけれど、まだやり直せると。
だからこそ、上階からゆったりと降りてくるつぎはぎ顔の人物に気が付くのが遅れた。
「はじめまして、宿儺の器」
左腕がぐにゃりと変形する。
吉野の制止も空しく、肥大化した腕が虎杖を壁に叩きつけた。
七海の報告にあった姿を自在に変える、つぎはぎ顔の人形呪霊。一連の事件の主犯と言うべき呪いだ。
「逃げろ!順平!」
拘束を解こうともがきながら叫ぶ。
「こいつとどんな関係かは知らん!でも今は逃げてくれ!」
「落ち着いて虎杖君!真人さんは悪い人じゃ…」
そう言いかけて、吉野は今まで目を逸らしていた、否目が覚めたことで思い至ってしまった疑問に思考が持っていかれる。
人間をおもちゃのように弄ぶこの人は、果たして
つぎはぎの手が吉野の肩に触れる。
「順平って頭は良いんだろうけどさ、熟慮は時として短慮以上に愚行を招くものなんだよ」
優しいと思っていた声が、今は吉野のすべてを嘲るように囁く。
「順平は君が馬鹿にしている人間の、その次ぐらいには馬鹿だから」
術式が奔る。他者の魂に干渉し、存在そのものを意のままに歪める、醜悪を煮詰めたような術。
無為転変。
吉野の体が変形する。ずんぐりとした爬虫類のような姿はもはや吉野の面影を残していない。歪な巨体を揺らしながら拳を虎杖に容赦なく打ち付ける。
「順平!しっかりしろ、今治してやるから!」
内臓を揺らす打撃に息を詰まらせながら叫ぶ。まだ救う道があるはずだ。
「宿儺!」
「なんだ」
「俺はどうなってもいい!だから俺の心臓を治した時みたいに順平を治してくれ!」
「断る」
虎杖の懇願をあっさりと一笑に付した。虎杖は宿儺の条件通りに「契闊」に関する記憶を失っている。それだけで宿儺には十分だ。
「矜持も未来も!オマエの全てを捧げて俺に寄り縋ろうと何一つ救えないとは!」
他人を救うために呪いにさえ縋る。あまりにも愚かな姿に笑いが止まらない。
「惨めだなぁ!この上なく惨めだぞ小僧!」
宿儺の笑い声に真人の声が重なる。
反響する嘲笑の中で、ようやく虎杖は理解した。
どれだけ言葉が通じようとも、どれだけ人に近い外見をしていようとも。
今目の前にいるものは紛れもなく『呪い』でしかないのだと。
「ゆ…うじ…」
人でないものに成り果てた吉野が縋るように虎杖のズボンの裾を引く。
「な、んで…?」
その言葉を最後に吉野は事切れた。
呆然とそれを見下ろしていた虎杖の視界の端で何かが動いた。
下の階へ続く階段、踊場へ繋がるそこにいつの間にか天坂の姿があった。呼吸が止まる。
天坂の位置からは
「にげ」
踏み出そうとした足が裾を掴んだままの吉野の手に引っかかる。
虎杖が言い終わる前に、真人が眼前に割り込んだ。
「なんだ、もう一人いたのか」
虎杖が伸ばした手が届くことはなく、代わりに真人の手のひらが天坂の額に触れる。
そして、天坂の五体は粉々に砕け散った。
全然関係ありませんが小説版の虎杖君の話に出てくる男の子の名前がまさかの「かいり(海里)」でひっくり返りました。なんだその偶然。