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この世界において、虎杖に降りかかる悲劇は全自動だ。
彼が宿儺の指を飲み込んだ時点で、それはもう倒れ始めたドミノのように止めようがない。
全てを覆そうとするならば、それこそ五条を越えるほどの力を持つ存在が必要になるだろう。
天坂にはそんな力はない。いや、死ぬ気で考えて行動すればちょっとは影響を与えることはできるだろうが、そもそも悲劇を回避する気が毛頭無い。
渋谷事変まで積極的に死ねなくなった以上、天坂にできることは精々「流れに沿って
そんな思考回路しか持たない天坂は自分の存在と行動がどれだけ影響を及ぼしているかなど、気が付いていない。
「あー、いってぇ」
じわじわ侵食する毒に耐えながら
早くあの踊り場がある階まで行かなくては。
フラつきながら立ち上がったとき、あることに気が付いた。
体育館の壇上に倒れる人物。たしか吉野のイジメの主犯だっただろうか。
「死んでる…?」
顔は原型が分からないほどに変形し、紫色の痣が全身に広がっている。遠目からでも既に息絶えていることが分かった。
原作では最終的に里桜高校事件での死亡者は吉野だけだったはずだ。なのになぜ。
「いや、今はそれよりも急いだ方がいいな」
深くは考えずに
踊り場で起きた惨劇を
力なく倒れ伏す吉野
声もなく見入った。自分の力ではどうにもならない現実に、絶望の淵を垣間見ている人間の顔だ。
心に湧きあがる歓喜とどうしようもない羨望。
自分が死んだときも、そんな顔をしてくれるだろうか。
深淵を覗いていた瞳がこちらを向く。虎杖の唇が戦慄いた。
「にげ」
言葉が終わるより前に笑いすぎで目尻に涙を溜めた真人が二人の間に立つ。呪いとは思えないほど整った顔立ちが残虐な笑みをより恐ろしいものにしている。
つぎはぎの手が天坂の眼前に伸ばされた。
「なんだ。もう一人いたのか」
手のひらが顔に触れる。
そして、天坂の身体はバラバラに弾け飛んだ。
『真人に触られるまで』。
以上が天坂が形代に課した縛り。
天坂が形代を呼び出すときにはタイムリミットを制限として設ける。あまりに具体的過ぎる行動制限を付けてしまうと本当に「その行動だけ」しかできなくなるというデメリットがある。だから特定の状況を指定するだけにとどめ、ある程度制限を緩くしておく。同一の人格と記憶を持っているのだ。よっぽどのイレギュラーが無ければ自分の行動は大体予想できる。
今回で言うなら、絶対に自分が見に行くであろう「吉野の死」と「真人に触れられるタイミング」と言えばあの瞬間しかない。手で触れられたなら形代が消えるよりも早く真人の術が発動する。
なにより、真人なら絶対に自分を殺すと信じていた。
びくん、と天坂の体が揺れた。
「どうした?」
「いや…」
「うっわ、何アンタその顔色」
釘崎が指摘したように天坂の顔面は血の気が引いて青を通り越して白くなっている。いつの間にか息が上がっており、ひどく呼吸が浅い。
「おい何があった」
「悪い二人とも、先に先輩たちのとこ行っててくれ」
「ちょっと、ホントに大丈夫なの?」
「うん、いや、平気、無理、大丈夫、うん無理」
「どっちだよ!」
釘崎のツッコミに振り返る余裕もなくトイレに駆け込む。喉までせり上がっていた吐瀉物を便器にぶちまけた。胃が痙攣を起こしている。体の末端が寒くて仕方ない。
今、『天坂快里』は死んだのだ。
「はー、マジかよ……」
流れ込んできた記憶は想像以上に壮絶な感覚を伴っていた。
全身の肉が千切れ、骨を内側から無理矢理捻じ曲げられる感覚。吉野も同じ経験をしたのか。いや、意識があるまま身体を改造されたのだから天坂よりも感覚的には悲惨なものだろう。トラウマどころの話ではない。
あれが無為転変。あれが真人という呪い。
しかし、背筋を震わせるこの感覚は恐怖ではない。
意識が途切れる、その刹那。文字通り死ぬほどの激痛の中で天坂は確かに虎杖の顔を見た。
虎杖はあそこにいた自分を
あんな顔を、まるで。
世界の終わりでも見たかのような顔を。
涎まみれの口元から笑いが漏れる。
腹の底から湧きあがった罪悪感と背徳感が快感となって背中を駆け上がっていく。ゾクゾクとした感覚を押さえられず、両腕で体を抱きしめた。
「さいっこー…」
この感覚はあらゆる多幸感に勝る。脳内麻薬もかくやと思うほどだ。
あんな表情を見れるなら、もう二、三度死んだって構わない。
呆然とした天坂は目の前に現れた真人を見つめたまま動かなかった。
やめてくれ、もう奪わないでくれ。
そんな虎杖の願いも空しく、天坂の身体は風船のようにいとも簡単に弾けた。
飛び散った血液が虎杖の頬に跳ねた。まだ体温を残す生温かい液体が顎へ伝っていく。
目の前に広がる
脳が目の前の出来事を処理することを拒んでいる。耳鳴りがひどい。
どれだけあれは本物ではないと自分に言い聞かせても、心臓は狂ったように早鐘を打ち続けている。
自分が見てしまったから。視線を向けてしまったから真人に気付かれた。
自分のせいで。
「ぅえ゛」
胃から逆流してきたものを床に吐き出した。
天坂の体が膨れて弾け飛ぶ瞬間が何度も何度も頭の中で再生される。
「あれ?ちゃんと殺したと思ったのにな」
真人は不思議そうな顔で天坂を肉片へと変えた右手を見る。
確かに手で触れたはずだ。しかし、干渉できたのは肉体までで魂に触れた手応えがない。触れる前にするりと躱されたかのような肩透かしな感覚だった。
恐らく本体は別の場所にいるのだろう。死体が残る分身というのもかなり奇妙ではある。
「ふーん?まあ、いいか。その内ちゃんと殺せる機会は来るだろうし」
その言葉でようやく虎杖の体が動いた。
容赦なく真人の顔面に拳をめり込ませる。真人は強烈な一撃に吹き飛び、鼻から血が滴った。
今まで、自分が口にしてきた言葉が全て嘘だったのではないかとすら思える。守るだの、悲しませたくないだの、綺麗事ばかり並べやがって。
思考はすでに理性を引き剥がし、ただ一つの目的のために動いている。
虎杖を突き動かしているのは後悔ではない。悲しみでもない。
ただひたすらに、目の前が真っ赤に染まるほどの純然たる殺意。
「殺す」
腹の底から出た言葉を真人は嗤う。
「祓うの間違いだろ。呪術師」
真人の目的は宿儺有利の縛りを虎杖と結ばせることで宿儺を味方に引き込む確率を引き上げることだった。
虎杖は自身を犠牲にすることを厭わないが、他者が犠牲になることを許せない。
ならば、目の前で人間を変えてやれば虎杖はまず間違いなく宿儺に頼るだろう。吉野が虎杖を引き当てた時点で流れはできていた。虎杖以外の術師が侵入してきているのは想定外であったが、大した障害ではないと思っていた。
肉片になった術師を見た虎杖は、先ほどまでと明らかに顔つきが異なる。
虎杖の身体には宿儺がいる。常に一つの体に二つの魂が存在することで、虎杖は無意識のうちに魂の輪郭を捉えている。魂の形を本質とする真人にとって天敵もいい所だ。
厄介なのはそれだけではない。打撃の後に遅れて呪力のインパクトがやってくる変わった攻撃と全力の体術に全力の呪力を乗せた強烈な攻撃のランダムな
全力の打撃に備えて防御を固めれば二連の打撃に弾かれ、遅れてくるインパクトを警戒すれば100%の呪力を込めた拳に強行突破される。
時折攻撃の仕方が噛み合っていないところを見るに、恐らく意図的ではない。だからこそ先が読めずこちらが削られる。
真人の予想以上に虎杖は強い。しかし勝機がないわけではない。
現状、虎杖は自分の負傷を省みずにひたすら真人へ攻撃を続けている。呪力で体の欠損を補完できる呪霊ならまだしも虎杖は人間だ。今は感覚が麻痺しているだろうが、アドレナリンが切れれば出血と痛みで動けなくなるのにそう時間はかからない。
それまでにどれだけ虎杖を追い詰められるかにかかっている。
肉体の一部を硬質化させて虎杖へと放つ。虎杖は掌の皮が剥がれるのも構わずそれを掴み思い切り引き寄せる。真人の足が浮いた。人間離れした膂力で振り回され、窓ガラスを突き破りグラウンドに墜落する。地面に叩きつけられる寸前に足の形状を変え、ダメージを最小限に抑える。
真人の頭上に影が差した。拳を構えた虎杖が落ちてくる。咄嗟に真人は後退した。
全体重と落下エネルギーを合わせた一撃が真人をかすめて地面に突き刺さる。衝撃でグラウンドが陥没した。
着地の動作を全く考えていない特攻に真人は思わず笑った。
「ずいぶん必死だね。そんなに順平のこと気に入ってたのか、それとも」
虎杖は真人の腕を掴み、腹に蹴りを叩き込む。しかし、近付きすぎたせいで逆に真人の体から飛び出した棘に貫かれた。
虎杖の体を抉りながら真人は唇を吊り上げる。
「なんにもできず無駄死にしたあの呪術師の方かな?」
「テメェ…!」
「ま、どっちでも良いよ。俺の目当ては君じゃないし」
つぎはぎの手の平が虎杖の腹に触れた。宿儺に接触すべく無為転変を奔らせる。
宿儺を味方に引き入れることができれば万々歳だ。
真人の目に積み上がった骸の上に鎮座する呪いの王が映る。
「あの
絶対零度の視線が真人に注がれる。
「共に小僧を腹から嗤った仲だ。今回だけは許そう。二度はない。さっさと失せろ」
その言葉を最後に真人は宿儺の生得領域からあっさりと弾き出された。
傷が広がるのも構わず虎杖は真人の頭を掴む。
「オマエの目当てなんて知るか」
真人の顔面に全力の頭突きを見舞う。回復の隙など与えない。何度も額を叩きつけ、砕けた顔面をさらに蹴りで潰す。
頭は未だ殺意で煮立っている。怪我なんてどうでもいい。どれだけ血を流そうとも、たとえ共倒れになろうとも。
「ここで絶対に殺す」