「君な、私が
「すみません。……あの、もうちょっと優しくしてもらえると」
「人の厚意を無下にするやつはこれくらいでちょうどいい」
家入からの少々荒っぽい治療に涙目になる。
花御との戦いで無傷なんてことはあるはずもなく、あちこち切れたり折れたりした天坂も他の負傷した生徒たちと同様に家入のもとへ運ばれた。
「君のやり方は脳に負荷をかけすぎてる。人間はストレスに弱いんだ。常に反転術式で脳を保護するなんてでたらめなことが仮にできたとしても、自分の死に際を追体験し続けてたら精神が先にダメになるよ。記憶内の死を脳が誤認して君自身がショック死、なんてこともあり得る」
「さすがにショック死は困りますね。俺もうちょっと長生きしたいんです」
「困るとかそういう話じゃない。天坂、君の術式がある限り一生その危険と隣り合わせなの、分かってないだろ」
もっともすぎる家入の忠告にイエスともノーとも言える曖昧な笑顔で返す。
欲望が先行しすぎていてショック死の可能性なんてまったく考えてなかった。人間の脳は単純だ。たとえ自分が体験していなかったとしても脳が現実だと感じたらその影響は肉体に反映される。どこかの国で行われた、水の滴る音を自分の出血の音だと思い込み死んでしまった死刑囚の実験の話を思い出した。
たしかにあの『苦肉の策』は文字通りのものだ。
経験も浅く、肉弾戦も人並み、術式も戦闘に向かない天坂が虎杖のいる土俵に立つには多少なりとも無理をするしかない。と、思っていたがこれからは命の使いどころをよく考えなければならないだろう。使い時さえ誤らなければ強力な手札になるはずだ。嗜好的な意味でも。
終わり、と腕に巻かれた包帯の上から軽くはたかれて悲鳴を上げる。
「その顔の勲章は治さなくていいの?」
「ああ…」
指差された右頬をおさえる。虎杖に殴られたあと、みごとにジンジンとした熱を持ち腫れていた。幸いにも骨は折れていないようだ。
「自戒こめてこのままにしておきます」
「そ。なんにせよこれ以上死体を増やしてくれるなよ。もう無茶の面倒は見ないからな」
「肝に銘じておきます……」
予告なく頬に湿布を貼られ、また悲鳴を上げた。
医務室を出ると先に手当てを終えた虎杖が待っていた。
鋭い瞳が天坂に向けられる。ちょっと尖ってた中学生時代を思い出させる剣吞な表情だ。呑気に懐かしんでいると普段より幾分か低い声が投げかけられた。
「まだ怒ってるから」
「ん、悪かった」
「あんなやり方が正しいと思ってんなよ」
「そのへんは家入さんにも言われた」
「……でも、殴ったのはごめん」
声色がわずかに柔らかくなる。先ほどまでの射殺さんばかりの眼光の迫力も鳴りを潜め、視線が天坂の右頬に移る。
なんの構えもなく虎杖の拳を受けたせいで天坂の頬は湿布で隠れているもののそこそこ腫れている。切れた唇の端は赤黒くアザになっていた。
「痛え?」
「まあ、それなりに。悠仁にこんな思いっきり殴られたのはじめてだな」
天坂は笑いながら頬を押さえる。激情をぶつけた一撃は子供の頃の喧嘩やじゃれ合いとは比にならない強さだった。
虎杖もついカッとなって手加減を忘れてしまった。それでもギリギリ踏みとどまった方だ。虎杖が本当に本気で殴ったら天坂の首は今ごろ90度回転している。
「謝るなよ、俺だって殴られたのには納得してる。心配してくれてるのも分かってる」
「……けど」
「それに、前にも言ったけど俺は悠仁にやられて嫌なことなんてないんだって。ほら、そろそろ伏黒のとこ行こう」
そう言われてしまえばもう黙るしかなかった。
いつだって、天坂は受け入れてしまう。
真綿のような優しさが時折不安になる。かつての何気ない日常では感じなかったであろう、血生臭い非日常で浮き彫りになる足元がぐらつくような感覚。叩きつけた怒りさえも柔らかく受け止められてしまって、手応えを感じられないことが不安感に拍車をかける。
自分のこの感情はちゃんと天坂に届いているのだろうか。
足取りが重く、天坂との距離が開いていく。
「あ、そうだ。いろいろあって言い忘れてた」
足を止めて、虎杖に笑いかける。いつもとは違う痛々しい顔で、それでもなお変わらない親愛がこもった表情で。
「おかえり、悠仁」
「…ただいま」
それでも、虎杖はこの繋がりを手放すことなんてできない。
「アンタらいつの間にあのゴリラと仲良くなったのよ」
「いや、仲良くなったっつーか……、あの時は俺が俺じゃなかったというか……」
「何、二人そろって酔ってたわけ?」
「待って釘崎、『二人』ってなに。なんで俺も含まれてるんだ」
「ゴリラと仲良く一緒に戻って来てたじゃない」
「違う違う、悠仁だけで俺は変な空気に流されてないから」
「俺が流されやすいみたいに言うのやめてくんない!?」
騒がしい同級生たちの声を聴きながら伏黒はピザを咀嚼する。
虎杖は強くなった。『死んでいた』時期に何があったか具体的に聞いてはいないが、そうならざるを得なかったのだろう。
少年院のときも、今回も、虎杖に選択をさせてしまった。伏黒は自分の信条を間違っているとは思わない。もちろん虎杖のも。だが、それでは納得ができない。
自分の考えを、信条を貫くなら強くなるしかない。
「俺も強くなる。すぐに追い越すぞ」
伏黒の決意に満ちた表情に、虎杖は嬉しそうに笑う。
「はは。相変わらずだな」
「おい、私抜きで話進めてんじゃねーよ」
「俺もがんばらないとな」
「で」
伏黒がくるりと天坂に顔を向ける。
「え、なに」
「天坂。オマエ、前言ってた
『アレ』が形代を使った自爆特攻を指していることは伏黒の怖い顔ですぐに分かった。
すぐさま顔を逸らす天坂。隣に座っていた釘崎がヘッドロックをきめた。逃がすまいとギリギリ音を立てて締め上げる。
「ぐぇ、ちょ、ギブギブ」
「オメーあんだけ説教されてなにも学んで無いとか脳みそ詰まってないの?それともこの耳がただの役立たずな穴なのかしら。いっそのことレジンでも詰めてやろうか」
「もっとやって良いよ釘崎。俺もさっき怒ったから」
「み、味方がいない……。緊急事態だったし仕方ないだろ」
締め上げられながら言い訳している天坂をよそに伏黒はピザを口に運ぶ。自業自得なので助ける気はない。
はじめて会ったとき、伏黒の目から見た天坂は『ただ呪いが見えるだけの一般人』だった。
虎杖ほど善良ではなく、かといって誰かを害することもない、社会からはみ出さないように生きるただの人間。だが、呪術師として同じ時間を過ごすうちにこの認識は決定的に間違っているのだと気づいた。
伏黒も戦いの中で命を懸けることはある。それは幼いころから五条に術師としての戦い方や心構えを叩きこまれ、それなりに死線をくぐってきたからできることだ。
虎杖が宿儺の指を飲むまで
献身というにはあまりに歪んでいる。狂気じみていると言っても良い。
少年院のときといい、この男には死への恐怖や忌避感というものが欠落しているのではないかとさえ思う。虎杖が関わることなら尚更だ。
小さな違和感は、少しずつ疑念に変わる。
献身ではないのなら天坂の異常性はどこに端を発しているのか。虎杖を含めて、自分たちは天坂という人間をまだ知らないのかもしれない。
「さすが
いつの間にか部屋に入ってきて平然と座っている東堂に全員の思考が一度止まる。
「え、コワ。いつ入ってきたの」
「麗しいがいかんぞ天坂。
「それやめてって言ってるだろ!もうヤダこの人話通じない!」
釘崎に絞められた体勢のまま叫ぶ天坂を見てると伏黒は自分の考えすぎな気がしてきた。
窓から飛び出していった虎杖と東堂を三人で見送る。
「アンタ追っかけなくていいの」
「や、なんか忘れてる気がして……」
「そういえば、オマエ団体戦中に出した形代回収したのか」
「…………あ」
ぼんやりとした頭がハッキリするにつれ、違和感は激痛へと変わりようやく現実を認識する。
薄暗い部屋の壁に
すぐに現状を理解した。
呪胎九相図の受肉だ。本編では誘拐された民間人が受肉体になっていたが、なぜかその立ち位置が
さすがにかなり気が滅入る。本体との縛りで自害はできないし、仮に逃げ出せたとしてもここには確実に真人と夏油がいる。まず生きて帰れない。
なにより、受肉は死と言っていいのか。身体も、人格も、魂も上書きされて別の存在へと変化してしまうなら、今の自分の魂はいったいどこに行くのだろう。
考えれば考えるほど吐きそうになってきた。いっそのことふて寝でもしてしまうか、ともう一度目を閉じようとしたとき部屋の扉が開いた。
「目が覚めたかい。悪いね、真人が手荒に扱ったみたいで」
怪しく笑う長髪の男。額には不気味な縫い目がある。
特級呪詛師、夏油傑。正確にはその死体を乗っ取り暗躍する千年前の呪術師。
そして、おそらく虎杖悠仁の生みの親だ。
「ずいぶん落ち着いているね」
「こっちは前に身体吹っ飛ばされてんだ。捕まった時点でそれなりに覚悟してる」
「へえ、やはり分身の記憶を引き継いでいるのか。なかなか面白い術式を持ってるね」
口を滑らせた気がする。
「まあ、落ち着いて話ができるならその方がいい」
「話……?」
部屋に入ってきたのは夏油のみ。何故か真人の姿は見当たらない。
てっきり有無を言わさず呪肉体にされるのだと思っていたが、どうにも
「殺される側としては焦らさないでサクッとやってもらいたいんだが」
「せっかちだね。それより、まず君に確認したいことがあるんだ。少年院で宿儺が出てきたとき、君はどうやって生き延びたんだい?例えば、虎杖悠仁の肉体の掌握権について宿儺と縛りを結んだ、とか」
何と答えたらいいのか分からずきゅっと唇を引き結ぶ。
自分の殺し方に注文を付けたら気持ち悪がられて見逃された、なんて正直に言ったところで信じてもらえるとも思えない。
そもそも、こうして話していたら真人に怪しまれるかもしれないのに、この男は何を意図して自分との対話の時間をわざわざ用意したのか。
「何も。俺を生かしたのなんて気まぐれだろ」
「まさか。災害は殺す対象を選ばない。己の快不快のみが行動指針ではあるけれど、宿儺が目の前の命をわざわざ見逃さないことくらい対峙した君がよく分かってるだろう。それこそ何かしら利用価値がない限りはね」
「……だとしても、災害の考えることは凡人の俺には分からない。聞かれたところで答えられることなんてねぇよ」
夏油はジッと天坂の顔を観察する。爬虫類を思わせる無感情な目がそこそこ怖い。
負けずに意地で目を合わせてると、すっと笑みが戻る。
「そう、まあいいか。こちらが把握してない縛りが無いならそれに越したことはないし」
「そうか。じゃあさっさと殺ってくれ」
「まあ待ちなよ。本題はここからなんだから」
まだあるのか。もうかなり胃が痛くなってきてるのに。
夏油は足元の試験管をひとつ拾い上げる。液体のなかで揺れるモノがこちらを見た気がした。
「君と取引がしたい」
「……今から死ぬのに受けると思ってるならだいぶ見当違いだぞ」
「もちろん、受けるか受けないかは君次第。断ってもいい。その場合はこのまま九相図の素材になってもらう。でも、君にとっても悪い話じゃないと思うよ」
かつて自分の手で孕ませ、堕胎させた胎児を手に、おぞましい野望を持つ呪詛師は柔らかく微笑む。
「君の、大切な子についての話をしようか」