君の傷になって死にたい   作:サイnon

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19.主客転倒

虎杖の強烈な拳が壊相を追い詰める。

壊相の血による毒と腐食の激痛があるはず。なのに虎杖の動きは鈍るどころか勢いを増していき、壊相は思うように反撃にうつれない。

そのうえ厄介なのは絶妙なタイミングで叩き込まれる「共鳴り」だ。

身体の内側から呪力で突き刺される強烈な痛みが行動に躊躇を生み、躊躇が隙を生む。

 

血塗も釘崎に攻撃をしかけようとしているが、視線が指先の五寸釘につられ注意が散漫になっている。

「共鳴り」への警戒で身体を強ばらせ足を止めてしまえば、呪力をまとった釘が飛んできて身体を撃ち抜く。

弟の受ける痛みが、飛び散る血が、壊相の焦りを募らせる。

そして、虎杖は生まれた隙を見逃さない。

ひときわ強烈な打撃が壊相の脇腹に突き刺さった。衝撃をもろに受け、勢いを殺せずに壊相は後退する。

 

その瞬間、虎杖と釘崎はするりと立ち位置を変えた。

虎杖は血塗へ、釘崎は壊相へと攻撃の矛先を向ける。

 

壊相は選択を迫られる。

蝕爛腐術の術式を解くか、否か。

距離を取られてしまった上に、「朽」の発動中は「翅王」は出せない。「翅王」なしに目の前の釘崎を殺すことができても、虎杖は既に血塗へとその拳を振りあげている。

いま遠距離攻撃で応戦しなければ弟を助けることはできない。

迷ったのはほんのわずかな時間だった。

虎杖と釘崎の身体から術式が消える。それと同時に壊相の背中に現れた血の(はね)が二人へ迫る。

 

釘崎の瞳にはその光景がスローモーションのように見えていた。

毒は身体に残っているが、術式による痛みが消えたことで釘崎の意識は壊相への一撃ただひとつに集中していく。

「翅王」が到達する前に、振り抜いた金槌が正確に五寸釘を捉える。

 

虎杖は背後に攻撃の気配を感じながらも、目の前の血塗から目を逸らさない。

「共鳴り」で血塗にとどめを刺すわけにはいかない。血を媒介にせず肉体を叩けばそのダメージは本来の肉体の持ち主に直撃するだろう。それは釘崎も虎杖も分かっていた。

だからこそ、虎杖は絶対に血塗を仕留めなければならない。

 

二人の攻撃と同時に、黒い火花が散る。

放たれた黒閃は壊相と血塗の肉体で弾けた。

 

 

 

虎杖と釘崎は八十八橋へ戻るため暗い森を歩く。

逃亡を図った壊相を倒し、遺体は血塗とともに置いてきた。

重い沈黙を終わらせたのは釘崎だった。

 

「……なにモジモジしてんのよ」

「ごめん釘崎」

「なにが。主語を言いなさい主語を」

「釘崎に、ほとんど任せちまったの」

 

天坂の形代を素材とした受肉体。倒すしかなかったと理解していても胸にわだかまったものはすぐに消えない。

 

「べつに、私は何とも。アンタの方がキツいでしょ」

「……だんだん分かんなくなってきたんだ。俺が巻き込んだくせに何回も目の前で守れなくて、いっつもどうにもならない。そのくせ、いま釘崎が生きててホッとしてる」

「術師やってて思い通りになることの方が少ないわよ。たとえ身近な人間だったとしても、今日隣にいるヤツが次の日また会える保証なんてない」

「……」

「ぶっちゃけ今回のことは自分の術式を制御しきれなかった天坂にも非があるわ。それに、あそこまで強力な術式を持ってる奴を長期間拘束なんてできない。結局できることなんて限られてる」

「分かってる。でも」

 

虎杖は死んだ弟に涙を流す壊相の姿が頭から離れなかった。

 

「向こうにも譲れないもんがあって、守りたいって気持ちは同じだったのかなって。そんだけ」

「……そっか」

「うん」

 

短く応えて、虎杖は再び口を閉ざした。

 

 

 

八十八橋の結界があった場所で、血塗れの伏黒と天坂が倒れていた。

二人が恐る恐る覗き込むと、伏黒だけが目を開けた。

 

「お、良かった。無事だな」

「無事だな、じゃねえよ!」

「ビビった!超ビビった!死んでるのかと思った!」

「声落としてくれ……」

 

起き上がって頭を押さえている伏黒とは対照的に、天坂はピクリとも動かない。

 

「え、コイツ生きてる?」

「ああ、そこまで重傷じゃない。突然白目剥いて倒れたけどな」

 

天坂の肩が呼吸で上下しているのを見て、虎杖はほっと安堵の息をつく。

釘崎の言うとおり、できることは限られている。そのなかで自分が最善と考えたものを選択するしかないのだろう。

橋の上から聞こえてくる新田の声に苦笑しながら、寝息を立てる天坂を抱え上げた。

 

 

 

時は少し遡り九相図の受肉前。

天坂は夏油と対峙していた。

 

取引というものは対等な関係でのみ成立する。

 

お互いに相手の利益となりえる手札を持ち、それが釣り合うときにようやく同じ目線での交渉が可能になる。

片方が不利な立場であった場合、それは交渉ではなく『脅迫』であり『命令』に他ならない。

つまり、天坂が目の前の男とまともな取引をすることはほぼ不可能ということだ。

 

「で、取引って?内通者とかなら頼む相手を間違えてるぞ」

 

どうせ自分が情報を渡さずとも、高専側の動きはすでに筒抜けのはずだ。なら、この男は何を目的に接触してきたのか。

相手は自身の目的のために特級呪霊や過去の術師でさえ手玉に取るような人物だ。こちらに得があるように見える条件であっても、あっさりと手のひらを返される可能性は大いにある。

渋谷で夏油の肉体を取り戻せなかったあの双子のように。

 

「君にはこれから私たちが行う作戦で、ちょっとした役目を引き受けてほしいんだ」

 

液体の中をゆれる九相図越しに夏油の視線がこちらを向く。

 

「五条悟が一番力を発揮できるのは一人でいるときだ。顧みるべき弱者がいなければ、いくら特級呪霊とはいえ彼に敵うものは現代に存在しないだろうね。だからこそ、枷が必要なんだ。非術師はもちろん、足手まといとなる術師、とくに顔見知りの生徒なんかは良い材料になる」

「……五条先生を見くびりすぎだろ。あの人が俺を気にして不覚取るなんてそれこそあり得ない」

「たしかに、五条悟は簡単には感情に流されない。いざとなれば生徒であっても『ある程度の犠牲の一つ』として割り切れるだろうね。だが彼の集中力が数パーセントでも君に割かれればこちらとしては上々なんだ。保険は多いに越したことはない」

 

つまり、この男は五条の封印の場に非術師のほかに天坂という守るべき対象を増やすことで、より負担を増やそうということなのだろう。

罠というものは成功すること以外にも、そこに存在して相手の思考力を削ぐことに意味がある。

呪霊と閉じ込められた一般人たちでごった返す渋谷駅の地下ホームに、いるはずのない生徒が突然現れたら、多少なりとも五条は動揺するかもしれない。

特級呪霊との戦闘に天坂が巻き込まれて死んだところで、夏油側が受ける損害はゼロだ。

天坂は非術師と比べて少しだけ利用価値のある使い捨ての駒、といったところなのだろう。

 

それに、と付け加えながら夏油はとても楽し気に自身の顔の輪郭をなぞる。

 

「五条悟も、人間なんだよ」

 

目の前の男の顔が、声が、この男との記憶が、現代最強の術師にとってどれほど弱点になるかを天坂は知っている。

()()五条が数秒もの隙を生んでしまうほどに、夏油傑という人間の存在は大きい。

渋谷事変の封印作戦は無下限呪術に対する対策のみならず、五条が兵器ではなく『感情を持つ人間であること』を前提に練られている。

 

「受けるならキミを殺さず解放しよう」

「それだけ危ない橋渡らせんのに、報酬がここから逃がすだけか。釣り合わないだろ」

「まさか。逃がすのは君を縛り付けている本体とのしがらみからだよ。君にはとても魅力的な提案じゃないか?」

「……」

「真人から聞いたとき不思議だったんだ。あの真人が本物だと誤認するほどに魂を感じる分身。こうして君を前にしても偽物には見えない。これは私の所見だけど、分身なんじゃなくて君も天坂快里自身なんじゃないかな?」

「だったらなんだ」

「使役されてる式でもあるまいし、自由になりたいとは思わないか?同一存在に縛り付けられる義理もないだろう。私の作戦が成功すれば高専どころか日本自体が機能不全になる。同じ顔の人間がひとりやふたりうろついていたところで騒ぎにすらならない。それから好きに生きればいいさ」

 

すごい、考えたことなかった。

さすが目的達成のために千年ものあいだ肉体を渡り歩いてまで努力を続けているラスボス。倫理観がトチ狂っている。

つまりは高専を裏切って手を貸す代わりに渋谷事変で本体との縛りをうやむやにした後、とんずらこく手助けをするということか。

 

「いや、断る」

 

即答だった。

たしかに本体の存在に縛られず好きに生きることができるならとても魅力的だ。しかし、天坂にとっての好き勝手とは結局『虎杖のそばで生きて死ぬ』に行きつくのだ。

なら別に自分じゃなくてもいい。

最終的に『俺かもしくはこの俺を引き継いだ俺』が目的を達成できればそれで満足だ。

 

天坂の即答に少し間を置いてから、夏油はあからさまにため息を吐いた。

これだから大局を見れない人間は、と顔に出ている。

 

「実は少し前から君が気になっていてね」

「……はぁ」

「宿儺に見逃されたのもそうだけど、持っている術式もなかなか興味深い。だから、君のことを調べさせてもらった」

 

嫌な予感がする。まさか、知らない間に一番厄介な相手に興味を持たれていたとは。

 

「ずいぶん虎杖悠仁と仲が良いんだね。小学校から高校までずっと同じ。宿儺の受肉現場に居合わせ、呪いの被害に遭いながらも呪術高専に自ら志願して入学。虎杖悠仁が表向きに行動できなくなっても、術式を使って彼に付き添っていた。美しい友情だね」

 

端から見れば、とつけ足した夏油は怪しげに嗤う。

 

「実は協力者を通じて君の動向をしばらく監視していたんだ」

「えっ」

「君の行動原理にはいつだって虎杖悠仁が中心にある。だが『友達』と片付けるには少々歪じゃないかい?」

 

天坂の本性を見透かしたような言葉に、口元がひきつる。

よりによって見られていた。

天坂の監視が可能な『協力者』。思い当たるのはメカ丸くらいか。一体いつから、どこまで見られていたのだろう。

気持ち悪い笑顔をメカ丸に見させていたかと思うとさすがに申し訳ない。

 

「宿儺の受肉にはじまり、少年院、里桜高校、今回の花御たちの襲撃。今までの出来事のなかで君の行動のみを抽出すると、私には意図的に虎杖悠仁の前で死のうと動いているように思えてならないんだ。だが、なんの意図をもってわざわざ目の前で死ぬのかだけが分からなかった」

 

感情の読めない不気味な微笑みで天坂を覗き込む。

 

「天坂快里。君は()()()()()()()()()()()で、何をしようとしてるんだい?」

「……」

 

これは何かしらを企んでいると勘違いされているのか、特殊性癖を見透かされているのかどっちなのだろう。

普通に考えれば前者なのだが、この男のつかみ所のない態度はどうにも落ち着かない。

見透かされていたところで大した問題はないが、親しくもない他人に性癖を把握されているのは普通に恥ずかしい。

とりあえず前者であると信じて話を進める。

 

「なにを警戒してるのか分からないけど、俺は大層なことは考えてない。何回か死にかけてるのだって、呪術師やってれば珍しいことじゃないだろ」

「最近呪霊が見えるようになった虎杖悠仁と違って君は昔から呪いを見聞きしてきたはずだ。少なくとも彼より呪いの脅威を知っている君が、なんの思惑もなく命を使い捨てにするとは思えない」

「俺が自分の命より友情を優先する直情バカかもしれないだろ」

「バカにしてはずいぶん自己分析ができてるじゃないか。まあ宿儺と二人きりになるなんてバカの選択だね」

 

夏油は鼻で嗤う。誤魔化しも話をそらすことも許さないと言わんばかりだ。

 

「そうだな、例えば君は何かしらで虎杖悠仁を憎んでいる」

「は?」

「死を見せることは対象の精神的に負荷をかけるし、何よりそれだけで呪詛としても成立する。関係性が近ければ仕掛けやすいしね」

「いやいや、そんなことのためにこんな辛い術式使うわけ」

「相手を苦しめたいという意図があるなら大いに使う価値があるだろう。まあ、かなり常軌を逸していると思うけどね。懐に入り込んで信頼感を深める一方で、罪悪感と憐憫を注ぎ続けて相手の心を折る。なかなか外道なやり口じゃないか」

「とにかく違う。俺が悠仁のことを憎んでるなんてあり得ない」

「じゃあ何?君が死ぬことで生まれるメリットなんてそれ以外にないだろう?」

「だーもー!根掘り葉掘りしつこいな!俺は悠仁が好きなんだよ!特に苦しんでる姿が一番な!『俺が死ぬこと』でそれが見れるなら何だってしてやる!」

 

天坂の言葉に夏油はきょとんとする。

数秒目を丸くしたまま固まり、やがて肩が震えはじめ、盛大に吹き出した。

 

「あっはっはっは!き、君、最悪に気持ち悪いな!それ君の趣味かい?変態にも限度があるだろう!さすがにそんな動機で動いてるとは思わなかったよ!」

 

大口を開けて爆笑する夏油を仏頂面で睨む。

お前にだけは「気持ち悪い」なんて言われたくない。そう心のなかだけで叫んだ。

天坂も変態の部類に入ると自覚しているが、他人の身体を乗っ取ったうえで子供をつくるほど頭のネジは飛んでない。

しかも産ませる側ではなく産む側なのが最高に頭がおかしい。「この男の中身は経産婦」というパワーワードが頭に浮かんでしまう。

 

ひとしきり笑った夏油は大きく息を吐き、唐突に天坂の顎を掴んだ。

ギチギチと音がなるほど強く掴まれ口を閉じることができない。

 

「まあ、交渉決裂ならそれもしょうがない。予定通り素材になってもらうだけだ。ああ、脳にも少し細工をしないと。記憶をどこまで共有してるか分からないから、とりあえず全て封印しておこう」

 

嘔吐反射が起こる口の中にむりやり肉の塊が突っ込まれた。

九相図が喉を通り抜けた瞬間、全身が悲鳴を上げ始める。骨が外れ、筋肉が千切れ、すべてが形を変える。

 

「縁があったらまた会おう。生きてたらの話だけどね」

 

薄れていく意識のなかで、その言葉が最後に聞こえた。

 

 

 

長い、長い夢を見ていた。

 

どこにいるのか、自分が何なのかも分からない。

自我にも満たないおぼろげな意識だけが芽生えたものだった。

母の胎のなかを揺蕩うように、ただ流れる時間だけを享受するしかない。意識が無ければどれほど良かっただろう。

発狂することすら許されず、ただガラスの向こうの存在を心の寄る辺にする。

 

血を分けた兄弟。

人でも呪いでもない世界にたった九人の同胞。うち六人は意識すら感じ取れない。

兄と呼べる二人だけを頼りに150年の時を過ごす。

いつかガラスの外に出ることができるだろうか。

そのときは、たくさん話をしたい。

存在を感じるだけだった長い空白の時間を埋めるために。兄弟だけで、誰にも邪魔されない世界でたくさん、たくさん話がしたい。

そこには脹相の兄者がいて、壊相の兄者もいて、俺と六人の弟たちと、あともう一人弟と。

あれ。

 

末席に見覚えのない姿がある。

背中を丸めて深くうつむいていた人影がゆらりと上体を起こした。

顔が見えない、というより分からない。顔面には絵具をぐちゃぐちゃにかき混ぜて雑に塗ったような入り乱れた色彩が張り付いている。

 

誰だ。

 

口も目も鼻もない。とうぜん表情もない。

俺の問いに男は心底不思議そうに首をかしげる。

 

だれだっけ。

 

どろりと輪郭が溶け落ち、地面に滴った。

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