03/24(金)
「はあ………はあ………」
とある街の路地裏に、一人の少女が逃げ込んだ。
息を切らし、怯えきった顔で度々後ろを確認し、一心不乱に走る。
少女は追われていた。
中学生の、まだ成長途中な顔や体には傷や痣ができ、カジュアルな衣服は所々破れ血糊がついている。
体に無理を言わせ、擦り剥いて血が垂れる脚を引き摺り、得体の知れないバケモノから逃げていた。
「あ……」
少女の顔が絶望に染まった。
路地裏の先は高い塀に囲われ、行き止まりになっていた。
満身創痍な少女に塀をよじ登ることもできない。
背後からは足音が聞こえてくる。
少女は怯えながら、来た方へ向き直った。
その瞬間、乾いた男の声が耳元で囁かれた。
「だめじゃないか。
いけない子だ」
背後から。
「…………ひッ!?」
いつ後ろに回ったか少女には分からない。
まるで瞬間移動したかのように、白衣を身に纏った高身長の男は少女の背後に立っていた。
少女は思わず跳び退き、反射的に右手を男の方へ向けた。
すると、少女の胸の辺りが薄く光り、それに呼応するように右手からも光が溢れる。
その光は段々、ファンシーな魔法のステッキのような形になっていく。
だが、その途中で男は少女の右手を掴み、そのまま強く握った。
「ぐああ…!!」
痛みにより、ステッキ状に形成された光が散り、少女の体から発せられた光も消滅する。
「悪い子だ。
何もしなけりゃ楽に逝けたのに」
男はそう言いながら、より一層強く手を握る。
「いやあああッ…!!!」
少女は涙を流し悲鳴を上げた。
一回りも二回りも大きな男に手を握り締められ、その圧倒的な力に骨はミシミシ音を鳴らす。
体中の痣や傷も、すべてこの男につけられたものだった。
しばらくして、なにかが砕かれた感覚と同時に腕を引かれ、少女の心臓あたりに鈍い衝撃が響いた。
「がはッ…!!!」
少女は地面へ倒れ、強打に咳き込み、痙攣する。
かろうじて意識はあるが、体を動かすことはできず、息も絶え絶えとしている。
少女の顔に影が差し、その正体を知るため、全身の痛みに耐えながらなんとか目を開く。
(……………!!)
そこには男が屈んで、少女の顔の前に手を翳し、黒いエネルギーを収束させていた。
「あ…………ああ………」
少女は恐怖と絶望に体を震わせ涙を流し続け、言葉にならない声を発し続けた。
男は表情一つ変えず、エネルギーを集める。
エネルギーは球体に纏まり、禍々しいオーラを発している。
男は薄っすら笑みを浮かべると、その球体を少女の体に投げた。
それが少女の体に届く一秒にも満たない時の中、少女の頭に走馬燈が流れた。
家族や友達、仲間との思い出が蘇り、もう会えないこと、夢を果たせなかったこと、仇を打てなかったことを悔やみながら、彼女は
(……………みんな……)
エネルギー体の爆発に巻き込まれた。
爆発の衝撃は路地裏全体まで届き、爆煙が漏れ出して天へ昇る。
爆煙が晴れると、少女の胸には焦げ跡ができ、焼け切れた衣服の間から全身の生々しい傷を露出した、見るも無残な姿で倒れていた。
「この地区はコイツで最後か。
光の人間も弱くなったもんだ」
男はそう言いながら、脱力した少女の体を持ち上げる。
そして、体全体から黒い粒子が放出され、男の周りの空間が歪みだした思えば
「さあ、じっくり研究させてもらうよ」
その男の姿はもうそこにはなかった。
〜〜〜
04/12(水)
「頼む! また例のやつ貸してくれ!!」
「……断る」
新たな出逢いを見守った外の桜が、安心したように葉桜になり、もう1週間過ぎただろう。
登校したての朝、ものづくりが好きな小学6年生の小林直樹(こばやし なおき)は、友達づくりに後悔を覚えていた。
「頼むよ! あれ、金持ちの親戚から貰ったものって近所のガキに言いふらしちゃったんだよ…!」
「そう。じゃあ、その親戚からもっと凄いもの買ってもらえばいいんじゃない?」
「違うんだよ! そうことじゃねえんだよ!」
直樹にものを貸してくれと懇願する少年は、軒谷亘(けんたに わたる)。
2クラスしかないこの学校で、今年度で初めて同じクラスになり、直樹の友人からの紹介で友達になった。
直樹は友人からものづくりが好きだと紹介され、たまたま持ってきていた鉛筆型の水鉄砲を見せた。
それが思いのほか気に入られてしまい、口車に乗せられ、ついつい貸してしまい、今日もまた貸してくれないか頼まれているのだ。
「おはよー、お二人とも何してんのー?」
語尾を伸ばしたのんびりした口調で挨拶してきたのは木村翔(きむら かける)。
直樹とは1年生のときからの仲で、今学期に亘を紹介した。
「おはよ」
「キムー!
キムからも言ってよ! またあの水鉄砲鉛筆貸してやれって!」
亘は翔を見るなり飛び付き、説得するように言った。
翔はにこやかな顔で直樹を見ると、助けを求める視線を感じ、だいたい状況を理解したのか、直樹に笑顔を送った。
「わかったわかった。
言っておくからー」
「お! ありがとー! 助かるよキム!
じゃ、悪いけど俺トイレ行ってくるから!
さっきからガマンしてたの忘れてたあ!」
翔になだめられた亘は、笑顔でお礼を言うと、急いで教室を出て行った。
「ありがとう。助かったよ」
直樹はホッと一息つくと、安心し切った顔になりお礼を言った。
「いいよー。ごめんねー、けんちゃん普段は優しいから」
「それはなんとなく分かってるよ。
俺も貸してやりたいのは山々なんだけどね。
乃々実がいつ使いたくなるか分かんないしなあ」
「妹思いなんだねー」
「ありがとう。そう言ってくれて嬉しいよ」
少し面倒くさがり屋で、積極的に人と関わろうとしない直樹にとって、あまり深く突っ込まれずのほほんと受け入れてくれそうな翔は、二人だけのときはとても居心地が良かった。
「……そうだな、今作りたいアイデアに詰まっちゃったし、あと2日くらい待っててって伝えてくれる?
もう一つ作るから」
そんな翔に失敗の報告をさせたくなかった直樹は、折衷案として告げた。
「わかったー。ありがとねー」
「いいよ。乃々実がよく壊すからさ。
同じの作るの慣れてるから」
「じゃ、もうすぐ朝の会始まるから戻るねー」
「おう」
翔は手を振り自分の席へと戻り、直樹も手を振り返す。
それと同時に亘が戻ってきて、翔の報告を聞くと、席に着き後ろを向いて手を合わせるジェスチャーをした。
直樹はいいよと、顔の前で手を横に振った。
〜〜〜
「それではこれで帰りの会を終わります。
みんな知ってると思うけど、隣町あたりで行方不明になってる人が多いから気を付けて帰ってくださいね。
それでは、さようなら」
『さようなら!!』
退屈だったり面白かったり、いつも違うけどいつも通りの授業が終わり、担任の袴田貴美子(はかまだ きみこ)の締めの言葉を合図に、皆ランドセルを背負って教室を出て行く。
「小林! ありがとな!」
亘はランドセルを背負うと一目散に直樹へと駆け寄ってきた。
「しつこいな。聞き飽きた」
「いいだろ! それ程嬉しいんだからさ!」
「はいはい」
嬉しそうにお礼を言う亘を、軽くあしらうようにする直樹。
それでも口元は緩んでおり、満更でもない様子だ。
「さ。帰ろー」
マイペースにのんびり歩いてきた翔が二人に呼び掛ける。
「ああ」
「おう! そうだな」
二人は返事し、纏まって教室を出た。
「なーおーきー君!!」
そのとき、教室の前で待っていた一人の少女が直樹に声を掛けた。
「………。二人とも行こう」
しかし、直樹は面倒くさそうな表情をしながら、亘と翔のランドセルを押して、無視して先に進む。
この少女は森井杏奈(もりい あんな)。
高い背にウェーブの入った長い髪型、落ち着きがありながらもしっかりと纏まった服装で、大人な印象を与える。
「待ってよー!
もう、て・れ・や・さん!!」
「照れてない!
いつもいつも誤解のある発言はやめろ!」
杏奈は直樹の腕を両手で掴んで止めるが、直樹はすぐにそれを払う。
「ヒューヒュー!
お似合いだねえ!!」
大々的にこんなことをされて、小学生が黙っているはずもなく、クラスのお調子者の柳沼俊光(やぎぬま としみつ)がからかってきた。
「ほら、ああ言われるからやめろって」
「何言ってんの。クラスが別々になっちゃって、帰りにしか会えないからすねてんの?
かわいいんだから!」
「違う!」
「なおきー! 下駄箱で待ってんねー!」
「頑張れよ!!」
始業式からの恒例なので慣れたのか、二人は直樹を置いて先に行ってしまう。
「おい!! 翔! 軒谷!
裏切るな!」
「さーあ。直樹君!
これから二人で愛のトークでラブラブ語り合いましょ!」
先へ行ってしまった二人に、珍しく強い口調で叫ぶ直樹の腕を、杏奈はまた掴んで引き寄せた。
「お前と話すことなんかねえよ!
いい加減防犯ブザー鳴らすぞ!!」
「あら、脅しなんか覚えちゃって!
でも、杏奈には効かないかなー!」
「どいて。邪魔」
教室の方から不機嫌そうな声が聞こえた。
気分を害された杏奈は、鬼のような形相となり、声の方を向く。
「……なに、アンタ?
杏奈のラブラブタイムを邪魔する」
「そういうのいいから。早くどいて。
人だかりができて迷惑なんだけど」
声を掛けたのは刀根三晴(とね みはる)。
体は細く、小ぢんまりとした地味な見た目だが、薄汚れた紫色の所々ほつれた服を着て、どこか殺気立っており、とっつきにくい女の子だ。
「はあ? どういう意味よ!?」
杏奈は三晴に至福の時間を邪魔されたことに怒り、直樹から手を離して、見下ろすように正面に立った。
直樹はチャンスと思い、杏奈の隙を見てギャラリーの合間を縫い、逃げ去った。
「ああ! 直樹君!!
もう、アンタの………」
杏奈は言い掛かりをつけようとしたが、もうすでに三晴の姿はなかった。
直樹は早歩きで階段を駆け下り、玄関へと向かった。
「おーい!」
下駄箱の前で談笑する亘と翔が見え、手を振りながら駆け寄る。
「お、小林!
いつもより早かったな!」
「おつかれー」
二人はからかうようにそう言うと、それぞれの靴があるところへ向かった。
直樹はもう少しなにか労いがないものかと、釈然としない表情で二人を追い掛ける。
「なあ、それで実際どうなんだよ!?」
靴を履き替えながら、亘がニヤニヤした顔で直樹に訊く。
「なにが?」
「なにがって、森井のことに決まってんだろ!
ほんとの所、どうなんだよ!?」
「……どうでもいい。迷惑。
それに尽きる」
「そう。迷惑」
どこからか不機嫌そうな声が聞こえた。
三人が振り向くと、三晴が直樹と亘を睨みながら立っていた。
「突っ立ってないでどいてくれない?
靴、取れないんだけど」
「あ、ああ。
ごめんなさい」
直樹は自分の体で、三晴の下駄箱を塞いでしまっていた事に気づき、急いでそこをどいた。
「またお前か。
鈍臭いんだな」
三晴は靴を履き替えながら、直樹を睨み、嫌味のように言うと、早歩きで校舎を出ていった。
「なんだアイツ? 感じ悪いな」
亘が三晴の後ろ姿を見ながら嫌悪の表情で言う。
「同じクラスの刀根さんだよ」
「確かー、なおきと全学年同じだよねー」
「え、そうなのか!?
俺、あんなカルシウム足りてなさそうなのと6年間同じとか無理だわー」
「まあ、確かにちょっとトゲがある人だけど、そこまで悪い人じゃないよ」
「へー。
小林、アイツの事庇って、まさかお前」
「……なぜそうなる」
何でも恋愛に発展させたがる亘に呆れた様子を見せる直樹。
「そうだよー。なおきにはののみ………」
「おい!! 翔!!
何言ってんだ!!?」
その横から翔が和やかな笑顔で自然の流れのように言おうとしたのを、直樹は顔を赤して止めた。
「えー、なんだよ! ののみって!?
まさか、彼女か!?」
「違うって!!
翔! ややこしくなるようなこと言うなって!」
「ふふふ」
〜〜〜
「でさ! 柳沼の言い訳が面白くてな!!」
「あれは笑ったねー」
「そうだね。
俺も可笑しくてつい吹きそうに………
あれ? 二人とも寄り道?」
駄弁りながらの帰り道。
いつものルートから逸れた亘と翔に直樹は訊いた。
「いや、まっすぐ帰るけど。弟の面倒見なきゃな」
「僕もー。塾あるしー。
なおきは寄り道するのー?」
「いや、俺もまっすぐ帰るけど、こっち遠回りじゃないか?」
直樹の言葉に二人は立ち止まり、あたりを見回すと不思議そうに顔を見合わせる。
「何言ってんだよ? 遠回りもなにも、いつもの道だろ? な、キム?」
「うん。僕もそう思う」
「え、でも………」
直樹は困惑する。
二人の言動に、人をからかうような素振りはなかった。
翔はそういう感情を隠すのは得意だが、亘は下手なので尚更だ。
改めて道を見渡しても、たまに気分転換で通るわきに花畑が広がる道で、いつも通っている所ではない。
外に広がるように湾曲しており、出るところも同じなため、明らかに遠回りだ。
「どうしたー? ののみちゃんと喧嘩でもしたー?」
翔は直樹の行動を家に帰りたくないものだと思い、心配そうに声をかける。
「いや、ううん。平気。
なんでもない。忘れて」
翔に心配をされ、このまま主張を突き通すと変な空気になりそうだったので、直樹は追求するのをやめた。
「そう。なにか悩みあったら聴くよー」
「ありがとう。本当になにもないから、気にしないで」
「うん。わかったー」
「よく分かんないけど、無理すんなよ」
そう言うと翔は歩き出し、亘も横に並ぶ。
(………おかしいな。)
直樹は釈然としない表情で、後を追うように歩き始めた。
〜〜〜
「ただいまー」
「あ、おにいちゃん!!
おかえりーー!!」
直樹が家に帰ると、妹の小林乃々実(こばやし ののみ)が遊んでいた人形を片手に駆け寄ってきた。
「おおー! 乃々実ー!!
ただいまー!
待っててね、今、手洗ってくるからー!」
乃々実を前にした直樹は、学校での気怠げな態度とは真逆に、とろけたような声や顔で言った。
年が離れ、今年度幼稚園に入園したばかりの可愛い年頃の乃々実は、目に入れても痛くないほど直樹は溺愛している。
森井杏奈に捕まったことも、刀根三晴に嫌味を言われたことも、道がいつもと違うことも、今日あった嫌なことはすべて、乃々実のおかえりで浄化される。
「はーーい!!
おにいちゃん! おにいちゃん! きょうね、ののみ、おえかきしたんだー!!」
乃々実は元気に返事をしたが、待たずに直樹の足元に付いて回る。
その様子が可愛らしく、直樹は顔を綻ばせながら洗面所へと向かった。
「そうかそうか! どんな絵描いたんだ?
おにいちゃんに見せてくれるかなー?」
直樹は手を洗いながら、嬉しそうに言った。
しかし、乃々実は残念そうな表情をし、目を俯かせてしまった。
「ごめんね、おにいちゃん。
ののみも、おにいちゃんに見せたかったんだけどね!おにいちゃんのためにがんばってがんばったんだけどね!
でも、まだできてない子がいるから、もってかえっちゃだめなんだって!」
一生懸命説明している内に、乃々実は泣きそうになってしまっている。
直樹は急いで、石鹸を洗い流し、タオルで手を拭くと、乃々実の頭に手を乗せ優しく撫でた。
「そうか。一生懸命頑張ったんだな。
それだけでも、おにいちゃんは嬉しいよ。
幼稚園の先生もイジワルして絵を取ったわけじゃないんだ。絶対に後で返してくれるよ」
「ほんとに?」
「ああ。本当だ。
それに、楽しみが増えるっていいことだと思うな。
ののみもワクワクするの好きだろ?
どんな絵描いたのかなー、楽しそうなのかなー、ビックリするのかなーって、アレコレ想像するの」
「うん! すき!
ののみも、おにいちゃんがどんなおもちゃつくってるのかワクワクしてそーぞーするのすき!!」
説得が効き、さっきまでの悲しそうな顔はどこへやら、目を輝かせ、とびっきりの笑顔で直樹に抱き着いた。
「ああ。
よし、じゃあ何して遊ぶか選んでおいで!
おにいちゃんはさっさと宿題済ませちゃうから」
「うん!!」
乃々実はギューッと抱き締めると、元気よく洗面所を出て子供部屋へと戻って行った。
直樹も少し駆け足気味に洗面所を出て、リビングでランドセルをおろした。
「直樹ー! おかえり!!」
庭で洗濯物を取り込んでいた母親の小林明美(こばやし あけみ)が顔を出す。
胸の前には抱っこひもに抱えられた生後7ヶ月になる妹の小林野々(こばやし のの)が眠っている。
「お母さん。ただいま!
プリント、真ん中に置いとくねー!」
直樹は返事すると、ランドセルからファイルを取り出し、保護者用にと配布されたプリントをテーブルに出した。
連絡帳から、今日の宿題を確認し、ノートと教科書を出そうとしたが、
「あれ?
………ない?」
宿題の範囲である算数の教科書がどこにも見当たらなかった。
(今日は授業で使ったから、家に忘れたってこともないし……ってことは、学校!?)
直樹は一瞬気が遠くなるような感じがした。
(翔は塾だし、軒谷は弟くんと公園に遊びに行くって言ってたしなあ……。
……………とりにいくか……?)
視線の先は子供部屋だった。
そこではドアを開きっぱなしにして、おもちゃ箱をひっくり返し何で遊ぶかを考える乃々実の姿があった。
(あー。算数の学田先生、宿題忘れに厳しいからなあ。
うーーーーん。あー、もう!
すまない! 乃々実!!)
直樹は覚悟を決め、子供部屋へ向かった。
「ののみー」
「あ! おにいちゃん!!
しゅくだいおわった!?」
乃々実の無邪気な笑顔に、直樹は胸が痛くなる。
「いや、それがさ。ののみ」
「まってて!
もうすこしでえらぶから!!」
楽しそうに選ぶ姿を見て、これから告げる言葉はどれたけ残酷だろうか、直樹の想像に難くない。
直樹は心の中で何百何千何万回も謝り、口を開いた。
「ののみ……。ごめんな…。
おにいちゃん、学校に忘れ物しちゃってさ……。
取りに行かなきゃいけないんだ……」
「え……?」
乃々実の口角が明らかに下がり、忙しくおもちゃを探す手も止まる。
それを見て、直樹は手を合わせて必死に謝る。
「本当にごめん!!
すぐ帰るから!! ダッシュで戻る!!」
「………………」
乃々実は顔を俯かせて、唇を尖らせ、手に持ったおもちゃを乱暴に振り回す。
「本当に! ほんとーーーに!! ごめん!!!」
「……あそんでくれるって言ったじゃん。
うそつき。わからずや」
「………ののみ……」
直樹はショックをうけながらも頭をフル回転させて考える。
乃々実は怒っているとき、よくわからずやと言う。
この言葉が出た後、対応を間違えれば大号泣し、物を当たりに散らかしての大惨事になり、教科書を取りに行くどころの騒ぎではなくなる。
「そ、そうだ! ののみ!!
おにいちゃん、幼稚園で描いた絵も見たいけど、新しい絵も見てみたいなー!!」
「………ほんと?」
「ああ。ほんとほんと!
ののみがどんな絵描いてるのかなーってワクワクしたら、おにいちゃん、いつもより早ーく走れそうな気がするよ!!」
「……わかった。
はやくかえってきてね。やくそくだよ?」
「ああ。約束!
ほら」
直樹は小指を乃々実の前に出し、乃々実も自身の小指を出した。
「指切りげんまん」
「うそついたらハリセンボンのーます」
「指切った!
よし、じゃ! 行ってくる!!
本当にごめんな!!」
直樹は乃々実に謝りながら、手提げかばんを片手に、玄関へと駆け出した。
「お母さん!
ちょっと忘れ物したから取ってくる!!」
直樹は靴を履き、玄関を出ると庭に周り、母親に声を掛ける。
「あらら、気を付けていって来てね」
「わかったー! じゃあ、行ってくる!!
(本当にごめんな! 乃々実!!
明日は猛ダッシュで帰るからな!!)
直樹は庭から出ると、心の中で呪文のように何度も何度も乃々実に謝りながら、転びそうな程のスピードを出して、走っていく。
(…………! ここは……。)
気付くと、花畑の分かれ道までついていた。
(いや、考えてる暇はないか!!)
直樹は一瞬、寒気を感じたが、乃々実を待たせているため、より早く行って帰るためにいつも通りの道を選んだ。
その道に入った瞬間、あたり全体が薄暗くなったような気がした。
花畑の道と隔てるように大きな広葉樹が並び、反対側には小高い山が聳え、道を翳らせることがあるが、それを考慮してもいつも以上に暗く感じた。
(気味が悪い……早く行って帰って謝らなきゃな……。)
直樹は乃々実を待たせたことによる罪悪感で気持ちが暗くなり、そのせいでいつもより道が暗く感じているのだと思った。
直樹はこれでもかというほど腕を振り、脚を大股にして下を向き体を踏ん張らせて自分が思う最高速度で走った。
「ーーー…!」
全速力で駆けて数十秒したあと、前から男の呻き声が聞こえた。
「……?
なん
直樹は、顔を上げ声の出処を探そうとした瞬間
「だ……!?」
足元の大きくて少し柔らかい何かに引っ掛かり、全速力で駆けていた直樹は、ダイブするように体から激しい勢いで転倒した。
「いっ………つぅぅぅ………!
なんだ、ってうわ! 人…!?」
擦りむいてジンジンいう手のひらを気にしながら、何に引っ掛かったか確認すると、そこには身長180cmにも及ぶ男が仰向けで横たわっていた。
春の暖かい気候にも関わらず、黒いローブを身に纏い、顔には太極図のようなお面を被り、素肌は一切見えない。
「あ……あの、大丈夫………ですか?」
直樹は気味悪く感じながらも、さっき躓いたときに怪我をさせてしまったのではないかと思い、恐る恐る近寄り、声を掛けた。
「ーー!」
直樹がすぐ目の前まで行くと、それを感じ取ったかのように男はお面で籠もった唸り声を上げ、上体を起こし、腕を振り上げた。
「うわ!!」
目の前を掠めた、男の急な動きに直樹は腰を抜かしてしまう。
男の腕を見ると、黒色の粒子が溢れ出るようにして腕に纏わり付いていた。
(なんなんだ………やばいぞ……この人…!!)
奇妙な光景に直樹の頭は混乱する。
とても逃げたい気分だが足が震えて動かず、何かを投げて追い払おうにも小石の一個も落ちていない。
「ーーー!!」
(…………ッ!!)
漆黒に染まった男の腕が直樹に降りかかり、直樹は反射的に腕を顔の前で構え、これから来る痛みに備えるため目を瞑った。
「はあッ!!」
勇ましい女性の声が聞こえた。
直樹は恐る恐る目を開き顔を上げる。
「ーーーー……!!」
「またお前か」
「なっ………!」
そこには、手に日本刀を持ち、男の漆黒の腕と競り合う、直樹と同じくらいの年の女性。
「刀根さん…!?」
刀根三晴がいた。