※展開の関係上、どうしても出さざるを得なかったので今回はオリジナルウマ娘が登場します。
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ウマ娘の脚質に、“逃げ”と言うものがある。スタートから最高速に近いスピードで走り、それによって得たリードを最後まで保つ戦法だ。
才覚のある者がやれば華のあるレースに出来る一方、“逆噴射”と俗に呼ばれる、急激な失速によって無様な最後を迎える事もまた、往々にしてあり得る。まさしく先手必勝、あるいは攻撃は最大の防御を体現するものだ。
これは、“異次元の逃亡者”と呼ばれた、あるウマ娘。その復活までの軌跡・・・・・・・・・・・・
☆★★★★☆
十一月一日、東京レース場、第十一ラウンド。
《第三コーナーを曲がって先頭は・・・・・・あっと、これはどうしたことか!?》
誰もが信じたくなかった。見たくなかった。
「嘘・・・・・・嘘ですよね・・・・・・?」
皆が時間よ止まれと、何度も願った。
「スズカさんッ!!!」
URA、そしてトゥインクル・シリーズ始まって以来の大事件。後に“沈黙の日曜日”と呼ばれるそれは、一人のウマ娘の脚を奪う形で終わった。
☆★★★★☆
「あれ・・・・・・私・・・・・・?」
目を開いたとき、彼女―サイレンススズカの視界に入ってきたのは、見知らぬ白い天井だった。
「えっと、確かレースで・・・・・・・・・・・・!!」
記憶を確かめようとして、ふっと視線を動かす。そこに入ったのは、ギプスに包まれ痛々しい姿と化した、己の両脚。その瞬間、全てを思い出した。
まず、右足に痛みを覚えた。空き缶を上から潰したような、ぐしゃりと音が聞こえてきそうな嫌な鈍痛。
次には左足だ。これまた、折れるなどと言う生やさしいものではない。砕ける、あるいは割れる。そう表現できるほどの激痛。
崩れ落ちそうになる体をなんとか精神力だけで支えて、コースから外れた所まで何とか走り、そしてそこで力尽きたこと。
医療スタッフに担架で運ばれ、そのままトレーナーと共に救急車に乗せられたことも。
「そっか・・・・・・私、駄目だったのね・・・・・・」
以前から、予兆自体はあったが、顕在化したのはレース本番の一ヶ月ほど前―秋の天皇賞の前に出走した、毎日王冠からだ。その時はまだ湿布薬で押さえられる程度だったので、単純に負荷の掛かりすぎと思っていたのだが・・・・・・サイレンススズカの想像以上に、深刻な状態だったらしい。
「バチが・・・・・・当たったのかしら? フクキタルからもらった置物、文鎮代わりにしたから・・・・・・?」
「スズカ、起きたのか?」
いつもの癖で変な方向へ思考が回り始めようとしたその時。カーテンの向こう側で待っていたであろう、彼女のトレーナーが隙間から声を掛けてきた。
「トレーナーさん? あっ、はい、大丈夫です」
「じゃあ、入っぞ」
カーテンを開き、いつもの格好―ネルシャツにジーンズとラフな服装のトレーナーが現れる。レース本番の時は、欠かさずオーシャンブルーのジャケットにグレーのスラックス姿だったため、自分が少なくとも数日は眠っていた事をサイレンススズカは感じ取っていた。
「具合は・・・・・・聞くまでもない、か・・・・・・」
「はい・・・・・・ご心配をおかけしました」
「先生の話じゃ、完治の見込みは十分あるそうだ。ただ・・・・・・その・・・・・・」
「トレーナーさん?」
二言三言と話す内に、彼の表情が段々と曇っていく。何か重大なことを隠しているのではないか、そう思った彼女は話さずにいられず・・・・・・
「はっきり言ってください。私の脚は、どうなったんですか?」
「スズカ・・・・・・。わかった、心して聞いてくれ」
その表情に覚悟は決まったのか。今までに無い真剣な面持ちで、トレーナーは告げる。
「脛骨の疲労骨折。加えてあの後、無理に走ってコースアウトした結果、さらに複雑化。完全に治るには、少なくとも半年はかかる」
「半年も・・・・・・・・・・・・・・・」
「レースは・・・・・・この際はっきり言う、絶望的だ。仮に復帰できたとしても、これまでのようなパフォーマンスは期待できないだろう」
「・・・・・・!!」
サイレンススズカは、凍り付いた。
ウマ娘にとって“走る”と言う行為はもはや三大欲求並かそれ以上の喜びである。レース以外でも、足を使って走り回る職業にウマ娘が多く就いている理由の一端で、レーサーを志す者が多い最大の理由でもある。
裏を返せば、それを奪われるのは即ち、死刑宣告にも等しい行為だ。ましてやサイレンススズカは重賞レースの常連で、今を時めくスター。加えて趣味と特技に“走ること”と、割と臆面も無く書けるくらい、走るのが大好きなウマ娘だ。そのダメージは、並の連中とは比較にならないだろう。
「今現在、上と協議して今後どうするかを決める。それまでは、治療に専念して欲しい、と言うのがたづなさんからのメッセージだ」
「・・・・・・・・・・・・はい」
「・・・・・・それじゃあ、俺はいったんトレセン学園に戻るから。何か必要な物があったら、UMAINEで教えてくれ」
「・・・・・・はい」
その後、用事を済ませたトレーナーが戻ってからも、彼女の病室には見舞客が耐えなかった。まず真っ先に飛んできたのが、同じレースに出走していた生徒会副会長のエアグルーヴである。
“あの瞬間”、彼女はちょうど二番手に付けており、第四コーナー間際で仕掛け始めていたまさにその時。友人であり、最大のライバルとお互いが認め合っていた存在を、横目に見ながら走って行った時。
サイレンススズカが付いてこなかったわけを知ったのは、ゴールした直後であった。
「一時はどうなるかと思っていたが、ひとまずは無事で何よりだ」
「ごめんなさい、トレーナーさんもそうだけど、エアグルーヴにまで・・・・・・」
「気にするな・・・・・・とはあえて言わん。今の私は、正直不完全燃焼気味だ。だから必ず戻ってこい」
「ええ」
次に来たのは観戦していたスペシャルウィークとグラスワンダー、エルコンドルパサーの三人だった。サイレンススズカよりも後にデビューを果たし、日本ダービーでは真っ向からぶつかり合いを演じた彼女らは、後輩として彼女を慕っていた。
「ス”ズガザン”、よ”がっ”だでずぅ”~」
「スペちゃん、ここは病院だからあまり大きな声を出してはいけませんよ。気持ちは分からなくはないですけど」
「ウ~、エルも同じデース。あのままスズカ先輩がどっか行ってしまうと思って・・・・・・でも、死神はエルがピンフォールしたから大丈夫デシタ!
怪我は必ず治るもの! トランキーロ、デース!」
「エルはエルで騒ぐんじゃありません」
「ケ!?」
夕方近くには、クラスメートでもあるマチカネフクキタルもやってきた。
「スズカさん! 怪我の快癒と無病息災、健康長寿に諸々其の他、あらゆる開運グッズです!!」
「あ、ありがとう・・・・・・でもこんなにはいらないかな・・・・・・?」
「なんですと!?」
「でも、気持ちは嬉しいわ。ありがとう」
彼女の背負ってきたリュックサックから出てきたのは、大量の開運グッズ達。どこかの猫型ロボットかと言わんばかりの量が出てきたので、サイレンススズカはやんわりと最低限受け取るのみにとどめていたが。それでも、マチカネフクキタルなりに励ましてくれている事を彼女は理解していた。
「良かったな、みんな心配してくれて」
「はい」
ギプスに寄せ書きもされ、普段ならあまり接点の無いようなウマ娘も尋ねてくる辺り、本人の人望が覗える。意外だったのは、所属してる栗東寮ではなく、美浦寮長のヒシアマゾンも来たことだろうか。
「どうしたんだ、スズカ?」
「あっ、何でもありません。ちょっと、気疲れしただけみたいです」
「そうか・・・・・・ん?」
日も暮れてもうすぐ面会時間も終わろうかという頃。サイレンススズカの表情は、西日のせいかどこか影が差しているようにトレーナーの目に映っていた。
「スズカ、良いか?」
「あ、はい大丈夫です」
「わかった。どうぞー」
「失礼致しますねぇ」
そろそろ帰ろうかと、トレーナーが立ち上がったその時。病室のドアを叩く音が二度、聞こえてくる。彼が入室を促すと、入ってきたのは一人のウマ娘だった。
編み込まれた鹿毛の明るい茶髪に、前髪の辺りにグラスワンダーと同様の白い星が付いている。トレセン学園の制服―薄紫色のワンピース風セーラーを着ているが、垂れ気味の双眸とまとう雰囲気も相まって、かなり大人びた風貌だ。最も、マルゼンスキーとは異なるたおやかなそれだが。
「サクラローレル先輩・・・・・・・・・・・・」
「知り合いか?」
「ええ。エアグルーヴが生徒会に入る前の、副会長だった先輩です」
「はぁい、その通り。みんなのお姉さん、サクラローレルですよぉ」
彼女―サクラローレルは、差し出された椅子に腰を下ろす。
それから当たり障りのない世間話から始まり、楽しそうに談笑する。学園の近所にあるパティスリーが、新作のにんじんシフォンを出しただの、またダジャレの意図を見抜けなかった副会長がモチベーションを下げていただの、本当に当たり障りのない話である。
「ん~、トレーナーさぁん、ちょっとだけ席を外してもらってもぉ、よろしいでしょうかぁ?」
「えっ?」
「人間には人間にしか分からない悩みがあるように、ウマ娘にはウマ娘の悩みがあるんですよぉ。ましてや、男の人には聞かれたくないことも、ありますしぃ」
始まってから数分ほどだろうか。突如として出てきたこの言に、トレーナーは最初戸惑う物の、確かに(肉体的には)異性と同性とでは、話せる話題も違うだろう。彼はひとまず、そう納得することにした。
「あぁ、そういうことなら仕方が無いな。何か飲み物でも買ってくるよ」
「はぁい、ゆっくりでかまいませんのでぇ・・・・・・さて」
トレーナーが病室を出た直後。今までのオーラを雲散霧消させたサクラローレルは、打って変わって真剣な表情でサイレンススズカの方を見やる。
「その怪我、トレーナーさんかお医者様からはレースには出られない、と言われた口でしょうか」
「!? ・・・・・・・・・・・・はい。以前のようには走れない、とも・・・・・・。あの、私自身はともかく、仮にこのまま引退したら、トレーナーさんはどうなるんですか?」
「うぅん、少なくともいい目には合いませんね。トレーニング中ならいざ知らず、レース中、それも秋シニア三冠の一角である秋天で起きてしまった事ですから・・・・・・。無理なトレーニングを強いた挙げ句、最悪のタイミングで爆発させてしまった。世間からは“無能”呼ばわりされるかも、しれませんね。
キャリアも、それで終わりかもしれません」
「そんな・・・・・・・・・・・・!! トレーナーさんは、無能なんかじゃありません!」
厳しい一言を前に、サイレンススズカは狼狽した。
『走りはするが、レーサーに必要な“闘争心”に欠ける』。
周囲からの評価が今ひとつ低かった彼女を見いだし、“競り合う”事を敢えて捨てた大逃げ戦法を提案してくれたトレーナー。
『逆に考えるんだ、“先頭は譲らない”、と。レースでの勝者は、ゴール板を最初に駆け抜けた者だからな』
その一言に、どれだけ安心させられたか。自分はこのままでも良い。ただ早く、より速く、只管疾く。理想の走り―先頭の景色を見続けることを肯定してくれた。恩以上の何かを感じていたのだ。その彼が、自分のせいで終わってしまうかもしれない。罪悪感以上の何かが、サイレンススズカの胸にこみ上げてくる。
「私のせいなんです・・・・・・不調があったことを素直に話していたら、こんな・・・・・・ことには・・・・・・」
「ふぅむ、それではここで一つ、昔話をしましょうか。昔あるところに、一人のウマ娘がいました」
すると何を思ったのか、おもむろにサクラローレルは昔話(?)を始めたのだ。あまりにも脈絡のない行動に彼女は面食らってしまうが、自然と。鹿毛の先輩の話に耳を傾けつつあった。
「そのウマ娘は、走るのがとても大好きで、誰よりも優しいウマ娘でした。でもある日、大けがをして走れなくなってしまったのです
ウマ娘は毎日毎日、泣いて過ごしていました。お姉ちゃんも妹たちも励ましてくれましたが、それでも悲しい気持ちはなくなりません。
また別の日、ウマ娘の前に魔法使いのお爺さんが現れたのです」
まるで絵本を読み聞かせるかのように、幼子に話しかけるように、サクラローレルは続ける。
「『この魔法の靴があれば、君はきっと走れるようになれるよ』。
そう言ってお爺さんは、ウマ娘にピカピカの靴をプレゼントしてくれました。
それからというもの、ウマ娘は誰よりも速く、誰よりもたくさん走れる様になりました。その子はお爺さんにお礼を言うと、お爺さんは
『その靴には魔法は掛かってないよ。君の走りたいという気持ちが、最高の魔法さ』
と、言いました。ウマ娘は呆れて笑ってましたが、とても幸せでした。どんと晴れ」
そうして最後まで聞かされて、サイレンススズカは気がついた。“魔法使いのお爺さん”、“大けがをしたウマ娘”。いずれも、トレセン学園に籍を置く身なら知っている存在だ。わざわざそれを話したのは・・・・・・!
「―スズカ、オレンジジュースとウーロン茶どっちにする?」
「どうやら時間みたいですねぇ。それじゃあ、お邪魔虫は退場致しましょうかぁ。
後はお二人次第、ですよ。スズカさんも、トレーナーさんも、ね」
丁度良いと言うべきか、トレーナーが飲み物を手に戻ってきたのを見て。入れ替わりに退出していくサクラローレル。最後に意味深なフレーズを残して行ったため、室内はなんとも言えない空気となる。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・スズカ」
「はい?」
先に静寂を破ったのは、トレーナーの方だった。
「・・・・・・エアグルーヴから聞いた。内にため込みがちだから、たまには吐き出させてやれ、だと。だから・・・・・・その、貸せるほど広くはないが、受け止めるくらいはできっぞ」
「――――――!!」
おずおずと。不器用に話す彼に対して、サイレンススズカは無言だった。その代わり、翡翠色の瞳からは大粒の涙を流しながらだが。
「おっ、おい!? 何か、その、気に障るような―」
「違うんです・・・・・・違うんです・・・・・・」
その様に慌てふためく担当に対し、彼女は絞り出すようにして言葉を紡ぐ。
「私・・・・・・このまま終わっても良いんじゃないか、って・・・・・・。走れなくなるのは確かに辛いですけど、これが運命なら逆らえないんじゃないかって・・・・・・。でも、トレーナーさんの事を考えると、私・・・・・・私・・・・・・!
まだ走りたい・・・・・・! 走っていたい・・・・・・! トレーナーさんのおかげで、やっと見えてきた“景色”・・・・・・そこに、たどり着きたいんです・・・・・・ッ!!」
まるで慟哭するような、彼女の言葉。普段の物静かな、“戦士”ではなく“求道者”然とした栗毛のウマ娘の本心。この日トレーナーは、初めて本当の意味で、触れられた様な気がしていた。
その後も、止めどなくあふれ出てくる感情を、サイレンススズカは只管にぶつけ、トレーナーは黙って受け止め続ける。少なくとも面会時間は過ぎている筈なのだが、気を利かせてくれているのか。誰も入ってこない。
「・・・・・・・・・・・・ごめんなさい。私ばかり一方的に話してしまって」
一通り吐き出しきったのか。サイレンススズカは、またいつものおずおずとした調子で口を開く。その目には、もう後悔は残ってなかった。
「いや、俺の言いたかったことも全部言ってくれて助かる。改めて聞くが、諦めたくないんだな?」
「はい・・・・・・!」
「古来より、故障から復活を遂げたウマ娘は、それだけで偉業レベルだ。それでもやるか?」
「はい・・・・・・!」
「なら、やろう。俺たちは運命共同体だ。最後まで足掻くぞ、サイレンススズカ!」
「はいっ!!」
再起を誓う二人。手術も無事完了し、リハビリの許可が下りたその日に、彼らは早速行動を開始した。
手始めにトレーナーの伝手で専門のリハビリトレーナーを招聘。ウマ娘向けのリハビリメニューを共に作成し、歩行機能の回復に努める。
「ワン、ツー! ワン、ツー! その程度か! それで終わるか!? 嫌なら歩け! 足を動かせ!!」
「はいっ・・・・・・!!」
事情の知らない者達からすれば、オーバーワーク以外の何物でもないリハビリは早朝から日暮れまで続く。三度の食事はとにかく体を作るための、治療中に衰えてしまった全身の筋肉を鍛え直すための素地作り―“最速の機能美”と呼ばれた、究極のアスリート体型を取り戻すための栄養分を、積極的に摂取させる。
休みの日であっても少しでもレースの感覚を取り戻すため、過去のレース映像を片っ端から鑑賞。停滞してしまった知識を矯正し、さらに蓄えさせていった。
そうしてリハビリ開始から半年。漸く完治したとお墨付きをもらえば、今度は復帰戦に向けたトレーニングを開始した。併走トレーニングに坂路ダッシュ、トレセン学園の誇る最新鋭のトレーニング機器をフル活用した筋トレと、水泳での心肺機能強化。あらゆる手段で徹底的に体をいじめ抜く。
『これ以上は続けるべきではない。今度こそ再起不能になってしまう』。
『彼女を殺す気か』。
『なぜ今なのか。クラシックならともかく、シニアならまだチャンスはあるはずだ』。
周囲からは、要約すればそのような忠告が飛んでくることもあった。だがそれでも、二人は歩みを止めなかった。まるで何かに突き動かされるように。
「ふはぁっ・・・・・・! スズカさん、大分調子が戻ってきましたね!」
「ありがとう、フクキタル。トレーナーさんも、春のオープン戦からレースに出られるようにする、っておっしゃってくれてるし、これならまた走れそうだわ」
この日も併走トレーニングを終え、手伝ってくれたマチカネフクキタルにサイレンススズカは謝意を述べる。その顔は、かつて絶望の淵にあったとは到底思えない程だ。彼女は初めて、進み続ける喜びを知った。これまで以上に、走ることが楽しくてしょうがないのだ。
「なんのなんの! スズカさんのトレーニングを手伝う、それが今日のシラオキ様のお告げですし! なので、必要とあればいつでも承りますよ!」
「うふふ、ありがとう」
それから更に三ヶ月―五月に行われたオープン戦、“宮古富士ステークス”にサイレンススズカは出場し、得意の逃げ脚を炸裂させて快勝する。“異次元の逃亡者、帰還す”、新聞の見出しにはそう書かれていた。
―目標は、次の天皇賞です。あの日ターフに置いてきてしまった忘れ物を、獲りに行きます。
―走りきって見せます。本当に見たかった景色のために。
インタビューにて、そう語った二人。決戦は、十一月二日。“天皇賞・秋”、阻む者は、何一つ無い・・・・・・・・・・・・
――――――
《十一月二日、芝二千、天皇賞・秋。“沈黙の日曜日”からきっかり一年、今日の空も、あの日と同じ快晴であります》
六ヶ月後の東京レース場。実況も言うとおりの憎らしいくらいの青空の下、パドックには白い勝負服に緑色のマントを纏ったサイレンススズカの姿があった。
「大丈夫だ、スズカ。お前ならやれる、いつだって敗北を置き去りにして、勝利へ向かって逃げてきただろう?」
「はい・・・・・・!」
「“女帝”に“怪鳥”、果ては“総大将”に“栗毛の怪物”、間違いなく最強のメンバーだ。だが勝つのは、逃げ切るのはお前だ。行ってこい」
「はい。トレーナーさんも、ゴールで待っていてくださいね」
《五番人気は一番、サイレンススズカ。前走の宮古富士ステークスでは、ブランクを感じさせない走りを見せて快勝。一年越しのリベンジに向け、仕上げてきております。
六番人気は―》
トレーナーに激励され、パドックを歩いて行く彼女。周囲の目線は、期待が四割、驚きが五割、残りの一割は嘲りだろうか。
―過去の遺物が何しに来た
―怪我から復帰しても、勝利は取れない
言外に伝わってきそうな気配に、サイレンススズカは目を伏せてじっと耐える。
〈ローレル先輩は、諦めない事の大切さを伝えるために来てくれた・・・・・・。トレーナーさんは、そんな私を信じてくれた・・・・・・なら・・・・・・!〉
「戻ってきたようだな、スズカ」
「エアグルーヴ・・・・・・ええ、帰ってきたわ、ここに」
場所をコースへ移し、ゲート前で静かに精神統一していた所へエアグルーヴが話しかけてきた。彼女の後ろには、スペシャルウィークを始め、あの日観客席にいたウマ娘達が、勝負服姿で立っている。
「スズカさん、私、負けません! スズカさんも全力で来てください!!」
「日経賞での借りはここで返させてもらうデース! スズカ先輩、いざリングへ!!」
「うふふ、二人とも張り切ってますね」
「グラスちゃんはどうなの?」
「私ですか? ウフフ、『健闘を』、だとか『頑張りましょう』、だとか、敢えて言いませんよ。お覚悟を」
「今日は大安吉日! 最高のレースになる予感がしますよ!」
「みんな・・・・・・!」
友人達と後輩達。それぞれの(一部を除いて)暖かい言葉に、スズカは目頭を熱くさせる。だがそれを振り切り、サイレンススズカはキッと目を開いた。
「ありがとう。お礼は走りでするわ」
マントを脱ぎ去り、スタッフへと手渡すと颯爽とゲートへと入っていく。もはや彼女らは、言葉で語る時間を終えている。ならば後は、ウマ娘として。己の全てをぶつけるだけだ。
《一番、サイレンススズカがゲートイン完了。さあ、秋の楯を求めて、府中に集ったウマ娘達! これから始まるのは、帰ってきた“逃亡者”による、一世一代の大逃亡劇か! それとも、追跡者達がその影を捉える、大捕物となるのか!! その結末は、三女神だけが知っている!! GⅠ、天皇賞・秋!!》
全てのウマ娘達がゲート入りし、スタートの瞬間を待つ。ヒリヒリとした緊張感が僅かな間漂い・・・・・・―
《さあ、スタートしました!! 真っ先に飛び出していったのは、やはりこの子だサイレンススズカ!! 栗毛をたなびかせて早速ハナを主張していく! 二番手にストリクスクアドロ、三番手はエアグルーヴ、その後続いてエルコンドルパサー! 二バ身離れてスペシャルウィーク、グラスワンダー、マチカネフクキタルがほぼ横並び! メリーゲート、バッカニアらが後方集団を形成しております!!》
一斉にスタートを切る中、得意の逃げで直ぐに先頭へと躍り出たサイレンススズカ。だがしかし、今回は地方のオープン戦ではなく天下の中央GⅠ。それもシニア三冠の一角である天皇賞だ。ライバル達も然る者で、差を最小限に抑えて追走していく。
〈さすがに、手強い・・・・・・! トレーナーさんは『後ろは気にするな、存分に逃げてこい』と言ってくれていた・・・・・・それなら・・・・・・!〉
チラリと後ろを見やりつつ、サイレンススズカは加速を続けるが差はなかなか広がらない。それが焦りへと繋がりそうになるが、冷静に前を見直し走り続ける。
《隊列はやや縦長になりつつあります! ここで残り一千メートルを切りましたが、ここまでのタイムは五十七秒四! 一年前と全く同じタイムで先頭集団が通過していきます! 第三コーナー、先頭はサイレンススズカ! エアグルーヴが順位を上げて二番手、スペシャルウィークもじりじりと順位を上げてきているぞ!》
「ふっ、それでこそだ・・・・・・! それでこそ、斃し甲斐があると言うものだ!!」
「世界最強は、エルコンドルパサー! コンドルのように、飛び越えてみせるデース!!」
「ここが勝機、推して参ります・・・・・・!!」
「はぁあああっ!!」
「来てます来てます、流れが来てます!!」
好機とみたのか、後続も溜めていた末脚を繰り出す準備をしつつある。レースは第三コーナーを通り、いよいよ終盤。東京レース場の象徴、大欅の見守る第四コーナーへと差し掛かっていく。
《さあここで大欅を抜けて第四コーナーを曲がっていく! 先頭はスズカだ! サイレンスズカが! 第四コーナーを! 曲がっていく!!
エアグルーヴ、エルコンドルパサーも仕掛けてきた! 内を通ってフクキタル! 大外一気にグラスワンダー! 間を割ってスペシャルウィーク!!》
だがここで、サイレンススズカは再び足に違和感を覚える。このまま足が、また動かなくなるのではないか。やはり運命からは逃れられないのか。そう思いかけたその時である。
『これからよろしくな、スズカ』
『逆に考えるんだ。“先頭は譲らない”、と―』
『俺は好きだな。何物にもとらわれない、スズカの自由な走りが』
『なら、やろう。俺たちは運命共同体だ。最後まで足掻くぞ、サイレンススズカ!』
「スズカぁっ!! 俺の愛バはぁっ!! 最速なんだぁっ!!」
走馬灯のように、彼女の脳裏に浮かぶのはトレーナーと共に過ごした日々。その一つ一つが掛け替えのない日々だった。自分と向き合ってくれたあの人と、大切なあの人と・・・・・・・・・・・・!!
「それが私の、本当に見たかった“景色”!!」
声が聞こえたかどうかはわからない。だが次の瞬間、彼女は風となった。吹きすさぶ烈風となりて、府中の坂を猛然と登り始めたのだ。
「ケッ!?」
「何とっ!?」
「まだこんな足が残っていたなんて・・・・・・!!」
「ふっ、まったく・・・・・・貴様という奴は・・・・・・!」
「スズカさん、凄い・・・・・・!」
《坂を上って、まだ加速していくサイレンススズカ!! 二バ身三バ身、なおも広がっていく!! 後続は絶対に追いつけない! 先頭は絶対に譲らない!!
なんと騒がしい歓声か!! どれほど待ち焦がれた光景か!! あの日の沈黙を切り裂いて! サイレンスズカ、一着でゴールインッ!!》
マチカネフクキタルが、エルコンドルパサーが、グラスワンダーが驚愕し、エアグルーヴとスペシャルウィークは悔しさ以上に喜びの方が勝っている。“異次元の逃亡者”が、復活の福音を奏でた瞬間だった。
《“栄光の日曜日”の主役はサイレンススズカ!! 一年越しの、大願成就ですっ!!》
―ワァアアアアアアアアア!!
ゴール板を走り抜け、都合百メートル以上ものオーバーランを続けて漸くアピールし始めるサイレンススズカ。それを見て、会場は更に大揺れする。帰ってきた“逃亡者”、それを歓迎する賛歌であった。
「おかえり、スズカ」
「ただいま戻りました、トレーナーさん!」
ウィナーズサークルへ戻ってきた彼女を、トレーナーは暖かく出迎える。勝者の証である楯と優勝レイが授与されると、再び会場は熱気へと包まれた。
「いやはや、まさか勝っちゃうとはねぇ。テイオーの有馬記念といい、これと言い。現実は時に創作を超える、とはよく言ったもんだよ、うん。セイウンさんでも見抜けなかったわ」
「急にどうしたの、セイウンスカイさん?」
「独り言だよ、独り言」
人知れずこのようなやりとりが観客席で行われていたが、それはひとまず置いておこう。
「えー、放送席放送席。今回のウィナーズインタビューは、見事! 栄冠を勝ち取ったサイレンススズカさんです! スズカさん、今の心境いかがでしょうか?」
「はい。追い続けてきたものに、やっと手が届いた気がします」
「以前より語られていた、“スピードの向こう側”ですね。決め手となったのはやはり、それでしょうか?」
「えっと、それもあるのですけど・・・・・・」
勝利者インタビューを受ける中で、このような質問をされたサイレンススズカ。彼女はチラリと最前列の方を見やる。
「私を信じてくれた人に、応えたかったからです」
そして一言、はにかみながらそう答えるのだった。
それから数年後。URAファイナルズをも制し、もはや誰も背中を捉えられないサイレンススズカは『やりたかったこと、見たかった景色、もう満足しました』のコメントを残し、卒業を表明する。
「それに・・・・・・」
「それに、何でしょうか?」
「今の私は、走ることよりも大切なものが、出来ましたから。それでは、失礼しますね」
その一言と共に、取材陣に別れを告げるサイレンススズカ。その左手には、翡翠のはめ込まれた指輪が輝いていた。
※実況の台詞は、こちらの動画を参考にさせていただきました。やはりプロの方は凄いです。
→ https://www.youtube.com/watch?v=bJMmdxSK9eA
・上位着順発表《第十一レース・第○○回天皇賞秋・GⅠ(東京・芝二千・良バ場)》
一着・一枠一番:サイレンススズカ(レコード)
二着・三枠五番:エアグルーヴ(四バ身)
三着・四枠八番:スペシャルウィーク(二分の一バ身)
四着・五枠十番:グラスワンダー(アタマ)
五着・七枠十四番:エルコンドルパサー(クビ)