【完結】そのウマ娘、狂犬につき   作:兼六園

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消毒

「いっ、づづづ……」

 

 人目を避けてなんとか保健室にたどり着いた翠。彼は片手で肩の歯形から滲む血を押さえながら、ガラリと扉をスライドさせる。

 

「──おや。悪いけれど、保険医なら留守にしているよ……、うん?」

「……君は?」

 

 中に入った翠が最初に見たのは、保健室の先生ではなく、制服を着たウマ娘だった。茶髪に、どこか狂気的な気配を漂わせる眼光。

 そのウマ娘は、翠が押さえる肩を見て、ふぅン……と興味深そうに息を吐く。

 

「どれ、消毒くらいなら私でも出来よう。診てあげるからそこに座りたまえ」

「えっ、あ、ああ……」

 

 あれよあれよと座らされた翠の対面に座るウマ娘は、てきぱきと消毒液とガーゼ、テープやピンセットと消毒綿を取り出す。

 綿に消毒液を染み込ませると、ウマ娘は翠に淡々と告げた。

 

「手を退けてくれ」

「ああ」

「染みるぞぉ」

「おう──あ゛あ゛っ!?」

「はははは」

 

 グリっと押し付けられた綿から染み出した消毒液が、痺れるような、燃えるような痛みを発生させる。笑いながらもしかして素早く血を拭いつつ消毒を済ませるウマ娘に、翠は何も言えない。

 

「ふぅン。この噛み痕、歯形の小ささから察するに……ウマ娘にやられたのかい?」

「っ──そうだ」

「愛されてるじゃないか」

「さあ、どうかな。会って二日目にしてこれだ、愛とは違いそうだが」

 

 くっきりと残る歯形にガーゼを被せてテープで止められ、ワイシャツの前を留める。

 まだ痛む肩からの刺激に眉をひそめる翠だが、取り敢えずはとウマ娘に向き直り言う。

 

「消毒ありがとう。俺は綾瀬、君は?」

「私はアグネスタキオン。それと、トレーナー君。ちょっと着いてきたまえ」

 

 ウマ娘──アグネスタキオンは、そう言いながらベッドに置いていた自前らしい白衣を翻して羽織ると、翠を手招きして部屋を出た。

 

 

 

 

 

 ──トレセン学園の研究室に通された翠は、ウマ娘──アグネスタキオンの向かいに座ると、早速と質問を投げ掛けられた。

 

「きみ、アレだろう。噂のウマ娘……スピードホルダー、だったか。彼女と契約しているんだろう? トレーナーに噛みついて怪我をさせたウマ娘なんて、私が知る限りでもアレくらいだ」

 

「まあ、そんなところだ」

 

「それで? きみは解約するのかい?」

 

「……いや、そのつもりは無い」

 

 恐らく口癖なのだろう、「ふぅン?」というタキオンのため息混じりの声。

 

「マゾヒスト?」

「違うが」

 

 どうだかね、と独りごつタキオンは、ビーカーに直接入れた紅茶をゴトリと翠の眼前に置く。頬をひくつかせて引き気味の彼は、恐る恐る出された紅茶を一口すすった。

 

「して、きみはこれからもスピードホルダーと共にレースを勝ち進むわけだが、最終的な目標は当然URAファイナルズ優勝なのだろう」

 

「そうだな……何が言いたいんだ?」

 

「いいや? ただ、私とてスピードホルダーのことは噂でしか知らないし、その姿を見たのもつい数時間前のレースが初めてだが──」

 

 どぼどぼと角砂糖をこれでもかと紅茶に放り込みながら、片手間で携帯を取り出して、動画サイトのムービーを再生して翠に見せる。

 

「これはスピードホルダーのレースを撮影していた観客のモノだが、はは、凄いな。こうも速いウマ娘は見たことがない。2着と6バ身も引き離しての圧倒的なゴールだ」

 

「ああ。俺には勿体ないくらいだな」

 

「謙遜するなよ、この競走バ──いや、狂犬と付き合えるのはきみくらいさ。そのうえで聞くが……おかしいと思わないかい?」

 

 机に置いた携帯の中で走るスピードホルダーを見下ろして、ムービーの半ばまで巻き戻してもう一度再生する。そこはちょうど、スパートをかける前の場面だった。

 

「ほら見ろ、()()()()()()()()()()()()()のに、スパートで更にもう一段階加速した。まるで足にジェットエンジンでも搭載しているみたいだ」

 

「……それは、スピードホルダーが優秀なウマ娘だから、じゃないのか?」

 

「あのなぁトレーナー君。きみはウマ娘を、なにか凄い力を持つ特殊な生命体か何かだと思っているみたいだけれどね、人体構造は人間とそう変わらないんだよ。せいぜい耳と尻尾が生えていて、少しばかり出力が違うだけ」

 

 紅茶の熱で砂糖が溶けきったそれを一気に半分まで飲み干して、一息ついて続ける。

 

「だがスピードホルダーのこの速さは話が違う。まるで──そう、乗用車にF1カーのエンジンを積んでいるかのような歪さがある」

 

「……つまり?」

 

「彼女の走り方は、肉体の強度を度外視しているなら出せる速さ、ということだ。それに耐えられるだけの頑丈さがあるなら、私の危惧は余計なお世話ということになるのだがねぇ」

 

 残りを呷って、タキオンはビーカーを机に戻す。それから席を立って近くの棚から何かを探す後ろ姿を見せると、戻ってきた彼女は翠に錠剤の入った小瓶を手渡した。

 

「これは……」

「以前調合した、炎症を抑える薬さ。痛み止め成分も入っているが、少しばかり眠気が強くなる副作用があってね。1日1回、寝る1~2時間前にぬるま湯で飲みたまえ」

「……ありがとう。良いのか? ここまでして、タキオンにはなんのメリットが──」

「あるとも」

 

 ニヒルに笑うと、その狂気的な瞳でじぃっと翠を見て、まぶたを細めて言う。

 

「きみがスピードホルダーの担当を続けるのなら、私は彼女のレースを通して速さの果てを見られるかもしれない。あわよくば、さ。存分に利用させてもらうよ、トレーナーくぅん……」

 

 ぐっ、と。小瓶を掴む翠の手を、その上から包むようにして両手で握る。

 

 ──吸血鬼のようなウマ娘に、蛇のようなウマ娘。こんな連中にばかり絡まれるな……と、翠は小瓶を握りながら内心げんなりとしていた。

 

 

 

 

 

 ──夜、ボロ屋風のトレーナー寮に戻った翠は、玄関の扉の隙間から部屋を覗き込む白髪のウマ娘──スピードホルダーを見て眉をひそめる。

 

「……スピードホルダー、話があるなら入ってからしてくれるか。そろそろ痛み止めの薬を飲むから寝たいんだよ」

「ん。あのね、トレーナー……」

 

 のそのそと部屋に入ってくるスピードホルダーは、居間の椅子に座る翠の対面に腰掛ける。指を突き合わせて、もじもじさせると、手元と翠の顔を交互に見てから口を開いた。

 

「……怒ってる?」

「正直に言うと、困惑の方が強い。だがまあ……うん、なんだ。ちょっと個性的なウマ娘が一人や二人居たって、問題ないんじゃないか?」

「そう、かしら」

 

 手元の小瓶から一粒取り出して、口に放り込みコップの水で流し込むと翠は続ける。

 

「俺はトレーナーだぞ? 普通だろうとクセが強かろうと、担当したからには、ウマ娘のことを受けとめてやる義務があるんだ」

 

 どこか捨てられた子犬のような眼差しを向けるスピードホルダーを見て、コップを流しに置くと、翠は手のひらを彼女の耳の間に置くようにしてそっと頭を撫でて言った。

 

「申し訳ないと思っているなら、これからもレースで勝ち続けろ」

「トレーナー……っ」

 

 それと、と続けて、翠は小さく笑う。

 

「どうせ噛むなら、手加減してくれ」

「……ふふ、そうね。今度は痛くしないわっ」

 

 その言葉に、スピードホルダーもまた小さく笑って返した。同じベッドで寝たがる彼女を部屋から放り出した翠が改めてベッドに寝転がると、不意に──研究室での言葉が脳裏を過る。

 

『彼女の走り方は、肉体の強度を度外視しているなら出せる速さ、ということだ』

 

 

 

 ──あれはきっと、タキオンなりの冗談のつもりなのだろう。翠は薄れ行く意識のなか、そう願っていた。ただただ、そう思いたかった。

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