「──こんな格好でデートだなんて、トレーナーはセンスが無さすぎるわっ」
「そもそもデートじゃない」
「つーん」
ウマ耳を押さえ込むベースボールキャップに、髪を後ろで一つにまとめてジャージの中に仕舞い込み、更には尻尾を隠すロングスカート。
オシャレの欠片も無い格好での"お出かけ"に、スピードホルダーは不満を漏らしていた。
「仕方ないだろう、今のお前は大人気ウマ娘なんだから。顔なんて出したら囲まれるぞ」
ちらりとベンチに座るサラリーマンを見れば、手にある新聞にはでかでかとスピードホルダーの写真が載っている。コンビニの雑誌にはスピードホルダーの特集があり、街中の広告にはスピードホルダー、スピードホルダー、スピードホルダーと、もはや見飽きた顔が並んでいた。
看板の写真から隣に居る実物を見ると、ルビーのような紅色が翠を見ている。
「あら、なぁに?」
「いや。写真の方が美人だと思って」
「首に穴空けるわよ」
むすっとした表情で、がーっと八重歯を見せて威嚇する。それから不満げに、ピンっと指でキャップのつばを弾いた。
「……まっ、仕方ないか。
それじゃあトレーナーには、私が気分を害さないように気を遣ってもらおうかしら」
「もっと分かりやすく」
「はちみー買って?」
そう言いながら、手を合わせて顔の横に持って行き、パチリとウィンクを一つ。
ふっ、と鼻を鳴らすように笑って、翠はハイハイと雑に返して店に向かった。
──ズゴゴゴゴ、とストローで底の水滴を啜る音を奏でるスピードホルダーは、公園のベンチに翠と横に並んで座り休息していた。
「トレーナーは飲まなくて良かったの?」
「普通の人間は蜂蜜を直に飲めないんだよ」
「あらやだ、人生の8割は損してる」
「親戚に酒もタバコもギャンブルもしないって言った時も同じ事を言われたよ」
翠は言い終えながら、空のカップを掠め取って公園端のゴミ箱に向かう。その背中を見ていたスピードホルダーの、キャップの中に押し込められた耳がふと子供の喧騒を捉えた。
そちらに顔を動かせば、数人の子供が木の枝に引っ掛かったボールを見上げている。あらっと小さく呟いて、スピードホルダーは跳ねるようにとんっとんっとステップを踏んで近づいて行く。
「──おねーさんに任せなさいっ」
ジャージのポケットに両手を突っ込みながら、彼女は子供に歯を見せるように笑いかける。
男女入り交じる小学生たちの訝しむ表情が、一転して好奇に輝かせるまで、残り5秒。
「……なにやってんだアイツは」
ゴミ箱にカップを捨てて戻ってきた翠が目にしたのは男子が四人、女子が三人の小学生のグループに混じってサッカーをしているスピードホルダーの姿だった。
ひとっ跳びで木の枝に引っ掛かっていたボールまで跳躍して回収した彼女は、一躍子供たちのヒーローとなったらしい。
「スピードホルダーだとバレてないなら……まあ良いか。しかし、眩しいねぇ」
翠は日差しとは別の意味でまぶたを細める。どうやらレースでは最強最速でもサッカーはてんで駄目なようで、あっさりボールを奪われたスピードホルダーは見るからにムキになっていた。
当然だがウマ娘としての力で無理やり勝つという野暮なことはしないように努めているらしく、要するに本気だが、全力ではない。
「……そりゃそうか。アイツも妙なウマ娘とはいえ、まだまだ子供だもんな」
ボールを男子組に渡して、今度は女子たちと共に花冠を作ろうとしているスピードホルダーを見て翠はそんなことを口にする。
いびつな花冠を作って苦い顔をする彼女は、どう見ても普通の学生である。だが──その実態は異様な速さと癖を持つ異常な子供。
レースで勝利する度に噛みつかれ、まるで薬物中毒者の腕に出来る注射痕のように歯形が残っている首筋を無意識に指で触れる。
過去に不正を行ったウマ娘を殴り、自分の前のトレーナー二人に同じように噛みつき、謹慎として地下に監禁されていたウマ娘に──翠の中の好奇心が疼く。そもそもの疑問なのだ、果たしてこの事を両親は知っているのか?
「あら、帽子被ってたら冠被れないわね」
「────あのバ鹿っ」
女の子のうち一人が、綺麗に作れた花冠をスピードホルダーに渡す。
だが、ベースボールキャップをあっさりと頭から取ったことで、解放されたウマ耳がひょこりと天に向かってピンと伸びた。
──白髪に紅目、特徴的な人ならざる要素。
これらが合わさって、子供たちの間には静寂が訪れていた。
あっと声を発した彼女が、逡巡したのち花冠を受け取ると頭に被せて口を開く。
「今日のこと、学校で自慢していいわよ」
そう言いながら作った朗らかな笑みに、男子も女子も、全員が見惚れていた。
「このアホ。騒ぎになる前に帰るぞ」
「そうね。まあでも、楽しかったわね」
「そりゃよかった」
皮肉混じりの言葉にスピードホルダーは笑う。それから公園の出口に向かいながら、ジャージの中に仕舞っていた髪を出してヘアゴムを外し、ぶわりと風に舞うその髪を揺らめかせ──振り返って子供たちに声高らかに宣言した。
「スピードホルダーの応援、よろしくっ!」
そして、人が集まる前に、二人でその場から逃げるように走るのだった。
──まったく、と言う翠の声を、スピードホルダーは夕焼けが顔を覗かせる住宅街を歩きながら耳にしている。
「好き放題やったな。さぞご両親も嬉しいだろうよ、やんちゃに育ってくれたんだから」
「ゴリョーシン? なにそれ」
「──は?」
キョトンとした顔で、あっけらかんと彼女が疑問符を翠へと向ける。しかし、くすくすと笑って、冗談よっと言う。
「やあねえ、流石の私でも知ってるわよ、『ご両親』。父親と母親で、子供を産み出す存在。そんな人が
「────」
「……あ、これ理事長に口止めされてるんだった。ゴメン今の無し」
突然の盛大な爆弾発言に、翠の耳には聞かなかったことにするかのような耳鳴りがしている。
それはまるで、「楽しい時間は終わりだよ」と、悪魔が囁いているようで。
──ジィジィと、セミの鳴き声だけが二人の立つアスファルトに響いていた。