【完結】そのウマ娘、狂犬につき   作:兼六園

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覚悟

『凄い末脚だったな、スピードホルダー』

 

 ──確か、欠席が出た模擬レースに、暇だったからと飛び入り参加して。

 

『よかったら一緒に昼食でもどうだ?』

 

 ──それも終わって芦毛の子と話をしていた。

 

『上位5着までのウマ娘限定で、特上人参ハンバーグが食べられるそうだ。

 私はこれに温泉卵をトッピングするのだが、スピードホルダーは「ごぼっ」どうする──』

 

 ──楽しそうに話している芦毛ちゃんのゼッケンに、口から溢れた血がびちゃっと跳ねて。

 

『…………スピードホルダー?』

 

 ──ズキズキと、肺が、喉が、痛くて。

 

 ──鉄錆と芝と土の匂いだけが、鼻の奥に入り込んで、記憶にあるのはそこまでだった。

 

 

 

 

 

「スピードホルダー!」

「もぐもぐもぐもぐもぐ……あら、トレーナー。思ったより速かったわね」

「………………」

 

 シンボリルドルフのご厚意で一人だけで部屋に訪れた翠が目にしたのは──大盛りのお粥を平らげるスピードホルダーの姿だった。

 

「……元気そうでなによりだ」

「そうでもないわよ~。肺にダメージが入ったから、今も息するだけで気絶しそう」

 

 ──などと言いつつ、横の机にお椀の乗ったトレーを置いて退ける。よく見れば、うっすらと彼女の額に汗が滲んでいた。

 

「あの芦毛ちゃんには悪いことしちゃったわね。まあでも……勝負服に血をぶっかけたわけじゃないからセーフよセーフ。ほら、染み抜きが大変だから下手したら訴えられちゃうじゃない?」

 

「スピードホルダー」

 

「ああそうだ、次のレースの為にトレーニングもしないと。ここで休んだ分たくさん走って遅れを取り戻さないといけないでしょ」

 

「──スピードホルダー」

 

 捲し立てるスピードホルダーに、翠は傍らに座りながら窘めるように声をかける。

 

「自分の体がどうなっているか、そしてどうなるかを、お前はちゃんとわかっている」

「……そうねえ」

「そんなお前に、俺はレースを続けろと言うことは出来「トレーナー」

 

 ──瞬間。ざわ、と、病室の空気が変わる。窓の外で小鳥が逃げるように飛び去り、翠は座ったまま無意識に後退りしようとした。

 

 病衣を着たスピードホルダーのまぶたがカッと開かれ、紅い瞳は爛々と輝き、僅かに開かれた窓から入る風が色の抜け落ちた白髪を揺らす。

 

「危ないからやめろ、とか。お前のことを心配してる、とか。そういうワゴンセールに並んでいそうな安っぽい言葉なんて、私のトレーナーは絶対に言わない」

 

「────」

 

「お願いだから、貴方だけは走るのをやめろなんて言わないで。だって──なんの為に生きているのか分からなくなってしまうから」

 

 

 スピードホルダーは、全てを理解していた。自分がなぜ生まれ、どうやって生きていけばいいかを、きちんと理解していた。

 ただ疾く、早く、速く走って、一番でいなければならないと理解していた。故にこそ、翠は──地獄に落ちる決意をする。

 

「じゃあ、どうせなら、走って死ぬか」

「……トレーナー」

「死に花を咲かせるのも一興。ここでごねて勝手に走られるくらいなら、せめて──目の届くところで死んでくれ、スピードホルダー」

 

 意地でも止めるべき時に、翠は背中を押す選択肢を取る。どうあっても止められないと判断して、それならせめてとこの判断を下した。

 

「──そろそろ面会の時間も終わる。また明日も来るから……じゃあな」

「うん。──あっ、ねえトレーナー」

 

 立ち上がり背を向けた翠に、スピードホルダーはおもむろに声をかける。

 

「貴方は、私が死んだら苦しんでくれる?」

「………………、当たり前だろ」

 

 一瞬、硬直して。それから翠は答えると、扉を開けて出ていった。その背中が見えなくなっても、彼女はずっと、扉を見ていた。

 

 

 

 ──病室の廊下に備え付けられたベンチに重く腰を下ろし、深いため息をつく。

 そんな姿を待機していたシンボリルドルフに見られても、取り繕う余裕は無い。

 

「……大丈夫……と聞くまでもないか。スピードホルダーは、どうだった」

「──いつも通りでしたよ。俺にはもうあいつを止められない。それならいっそ、一緒に地獄に落ちるしか……ケジメをつけられない」

 

 シンボリルドルフが覗き込んだ翠の顔は、悲痛さと無力感に歪み──その瞳から一滴、滴のような涙がぽたりとこぼれ落ちた。

 

「どうして──走るのが好きなだけのお前が、こんな目に遭わないといけないんだ」

「……綾瀬トレーナー」

 

 彼女はただ、翠の肩をさするだけしか出来ない。全てのウマ娘が幸福な世界を作ろうと努力するシンボリルドルフに、『死ぬとわかっていながら、それでも走ることを喜びとするウマ娘』が幸福なのかを、決めることなど出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──残されたスピードホルダーは、扉から窓に視線を動かして、肺の痛みを無視して大きく息を吸うと、小さな声で唱えるように歌う。

 

 

Some superhero(色んなスーパーヒーローや)

 

Some fairlytale bliss(お伽噺のような幸せな日々じゃない)

 

Just something I can turn to(ただただ、頼りになって──)

 

Somebody I can miss(居なくなったら、恋しくなる人)

 

I want something just like this(そんな人が、居てくれるだけでいいの)

 

 

 ゴホゴホと、咳をして、シーツを赤混じりの唾液で濡らしながら、スピードホルダーはそれでもにこりと笑って脳裏に翠の顔を浮かべる。

 

「──『貴方がトレーナーで良かった』と思える人生を歩みたい。だから貴方が、『スピードホルダーが担当で良かった』って笑ってくれるなら、ただ、それだけでいいのに……」

 

 ふふ、意地ね、意地。スピードホルダーは、そう言ってくつくつと笑っていた。




本当の救いは目の前で、
悲劇と同じ姿をしていた。
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