【完結】そのウマ娘、狂犬につき   作:兼六園

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再出発

 理事長・秋川やよいの手に、小さな、されど()()のあるバッジが転がっていた。

 

「──これが、君の選択なんだな」

「はい。俺は、トレーナーを辞めます」

 

 スーツを着こんだ青年・綾瀬 翠が、その手に花束を握ってそう言った。

 それから手元の花束を見て、困ったように眉をひそめてやよいに問いかける。

 

「……なんで花束なんですか」

「うん? ああ、仕事を辞めるときは花束を贈呈するものだとどこかで聞いたのでな」

「定年退職じゃないんですが……」

 

 ──その辺の知識は子供ゆえか、と内心で納得し、翠は薄く笑みを浮かべる。

 

「──しかし、本当に辞めてしまうのか?」

「やはり、俺にトレーナーを続ける資格はないでしょう。担当の無茶を止めずに、むしろ後押しした。ある種の自殺幇助が無罪な訳がない」

 

 こればかりは譲れない、そう暗に告げている翠に、やよいは仕方がない奴だとばかりに表情を和らげる。わかった、と口を開いて。

 

「ならば、このバッジは──預かっておく。預かっておくだけだ。いつか必ず、綾瀬トレーナーにはこれを取りに来てほしい」

「……理事長も強情ですね」

「自分から責任を取ろうとするほどに、君はウマ娘が好きということだ。いつかきっと、戻ってきてくれることを期待しているよ」

「────」

 

 やよいの言葉に、翠は目を見開いて、それからぐっとまぶたを強く閉じると、静かに開けてから左手で花束を掴んで右手を差し出す。彼女は左手にバッジを握り、翠の手を右手で握り返した。

 

「……綾瀬トレーナー、ありがとう、スピードホルダーに寄り添ってくれて」

「それが、俺の仕事でしたからね」

 

 最後にもう一度、二人は強く手を握りあって、そうして翠は理事長室を後にした。

 

 

 

 

 

 ──廊下を歩いていると、翠の視界に見覚えのあるウマ娘の背中が見えた。

 

「……どうも」

「──おや、綾瀬トレーナー。……ああ、二人は生徒会室に、私は少し話をする」

 

 話をしていたらしい黒毛のウマ娘二人が翠をちらりとみてから、すぐ近くの部屋に入って行く。翠に歩み寄ってきたウマ娘──シンボリルドルフは、笑みを浮かべて口を開く。

 

「まずは、お疲れ様……かな」

「はい。なんだかんだ、会長にもお世話になってしまいましたね」

「ははっ、生徒会長の仕事だからね。私としては、力になれていたか不安なくらいだが」

「まさか」

 

 ──そんなわけ、と続ける翠にシンボリルドルフもまた返した。

 

「正直なところ、君がスピードホルダーの担当をすることになったときは不安だった。だが、蓋を開けてみれば、君はスピードホルダーに──ウマ娘に寄り添う良き理解者だったんだよ」

 

「初めにも言いましたが、きっと俺もあいつみたいに……どこかしらが()()()()んですよ」

 

「そう卑下するものじゃない。君のお陰で救われたウマ娘が一人居たことは、確かなのだから」

 

 シンボリルドルフは、翠にそう言って、優しく笑いかけて肩を叩く。

 

「……またいつか、綾瀬トレーナーが戻ってくるのを、待っているよ」

「その頃には、シンボリルドルフ会長も理事長になってそうですがね」

「ははは、何年経っても生徒会長だったら、それはそれで怖いだろう?」

 

 ──違いない、と笑い、そろそろかと腕時計を見て翠は会釈をする。

 

「では、もう行きます」

「そうか……所でどこに行くつもりなんだ?」

「ああ、そうですね……」

 

 

 ふと、窓の外を見て──

 

「ひとまず実家に帰ろうかと」

 

 ──翠は、笑みを浮かべてそう言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──トレセン学園の駐車場、車の停められている一角の塀に、一人のウマ娘が座っていた。

 ぷらぷらと足を動かし、手持ち無沙汰で暇そうにしながら、純白の髪とそれに連なった耳と尻尾をパタパタと動かしている。

 

 そして花束を手に戻ってきた翠を見つけると、彼女は──スピードホルダーは、塀から飛び降りて駆け寄り頬を膨らませて憤った。

 

「こらっ、ちょっと遅いんじゃない?」

「バッジの返却に手間取ったんだよ」

「どうだかっ」

 

 翠は呆れたようにかぶりを振る。レースを終え、体の不調を辛うじて()()()()に留めることに成功した彼女は、トレーナーを辞める翠の実家への帰省に着いて行くことを決めていたのだ。

 

「一回実家に帰って事情を説明して車を持ってきてバッジを返却して……まったく、ここまで面倒なことになるとは思わなかった」

「自分から余計に面倒なことにしたくせにぃ。……私を切り捨ててトレーナー業を続けることだって出来たんでしょうに、律儀よねえ」

 

 …………うるさい、と照れ隠しのように呟いて、翠が車の後部座席のドアを開けて雑に花束を投げ入「ぶぇっ」れる。

 

「……ん?」

 

 第三者の声が聞こえて、後部座席を確認する。そこには奥に頭を置く形で、こちらに足を向けながら仰向けに寝転がっているウマ娘が居た。

 

「…………なんか居る──っ!?」

「そういえばさっき一人追加で来てたわよ」

「なんで止めなかった……?」

「だって貴方の知り合いみたいだし……」

 

「──人の顔に花束を投げ込むとは、いったいどういう了見だい……?」

 

 のそりと起き上がったウマ娘は、肩の出ている紫の私服を着込む、アグネスタキオンだった。頭に花びらを乗せて、その顔は苛立たしげに口角をひくつかせている。

 

「人の車に勝手に乗り込むとはいったいどういう了見だ? タキオン……」

「……ふん、書類偽造の件がバレて停学処分さ。理事長曰く、『暫く戻ってくるな、()()()()()()を頼ってみろ』だとさ」

「──体よく押し付けられている……」

 

 頭を押さえる翠に、フンと鼻を鳴らして頭の花びらを取りながらタキオンは続ける。

 

「スピードホルダーの()()()()()()役を押し付けられた、という意味では私もその言葉を使わせてもらいたいくらいだけれどねぇ」

「ねえ、貴方たちすっごいナチュラルに私のことマシン扱いしてない?」

 

 ──間違ってないだろ、という翠の慈悲の無い指摘に彼女は「うぐう」と胸を押さえた。

 

「どうせなら盛大に色々と記者会見で暴露してから引退すれば良かったわね」

「理事長の胃が破裂するからやめてやれ」

 

 脳裏に『胃痛!』と書かれた扇子を手にいい笑顔をしているやよいを思い浮かべる翠は、ため息をつきながらタキオンに向き直る。

 

「……まあ、別にツレが一人増えるくらいは構わないけど、それこそタキオンはいいのか? トレセン学園を離れることになるわけだが」

 

「ふぅン、このご時世、なにも顔を突き合わせなくとも話は出来るだろう? 私としては寧ろ、スピードホルダーの体を研究して、よりよいウマ娘の『脚』の進化に利用したいくらいさ」

 

「あの~、そういう会話は本人の居ないところでしてくれない?」

 

 後部座席で外側に体を向けながら脚を組んでいるタキオンは携帯を片手にそう言い、スピードホルダーが色白の肌に青筋を立てる。

 

「はいはい、じゃあ、話はこの辺にして……そろそろ車に乗れ、早めに出ないと帰る頃には夜になってしまうからな」

 

 ──はぁ~い、と渋々スピードホルダーが助手席に、タキオンがそのまま後部座席に。翠が運転席に乗り込み、おもむろにバックドアの方に視線を向け──大量の機材を目にした。

 

「おい」

「なにかな」

「お前は俺の実家を研究室にするつもりか」

「はっはっは、あれでも数を絞った方だよ」

 

 こいつ……と独りごちる翠は一拍置いて重く息を吐きながら車を発進させる。

 道路に出て、暫く走り、それからスピードホルダーがふと問いかけた。

 

「トレーナーの実家ってどんな所?」

 

「俺はもうトレーナーじゃないぞ。まあ、そうだな……まず大前提として空気が綺麗な所だ、お前の肺にも良いだろう。あとは……近場に地方のトレセン学園があるから、リハビリに使わせてもらえるだろう。たぶん、おそらく」

 

「地方のトレセンがあったのに、貴方はどうして中央に来たの?」

 

「……さあねえ。でも、俺は中央に来て良かったと思ってるぞ。少なくとも、お前の担当であったことは──誇りに思ってる」

 

「…………へぇ~~~?」

 

 それとなく視線を翠から外に変えながら、スピードホルダーは顔色を朱に染めて縮こまる。タキオンが後ろで会話を聞いて、呟いた。

 

なぁにをイチャついてるんだか。なあトレーナーくぅん、音楽流しておくれよ~。無音は退屈だ」

「ワガママだな……あー、ラジオで音楽番組でも流すか。なんかやってるだろ」

 

 翠が片手間で適当に合わせた番組から、ちょうどよく音楽が流れ始める。

 それは、どこか哀愁を、どこか懐かしさを想起させるメロディで。三人が不意に見上げた空を思わせる歌詞が、不思議とストンと胸に落ちた。

 

 

 

 ──ああ……この雲一つ無い快晴は、確かに、背伸び程度で届くような空ではない。


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