夢を叶える努力貯金 作:ほお袋
「努力貯金をしよう!」
彼は嬉々として鞄から大きな赤いポスト型の貯金箱を取り出して言った。
この突飛な行動に、会議室に呼ばれたウマ娘、ミホノブルボンは首をこてん、と傾げて「努力貯金とは?」と聞き返した。
「君が努力するたびに、俺はこの虹の蹄鉄コインを与えよう。それを、君はこの貯金箱に投入する。それだけのことさ」
「不可解。これにどのような意味が?」
「やっているうちにわかるさ。俺はこれを継続してトレーナー試験に受かった! 効果は俺がトレーナーであるという事実で保証する! ほら、昨日のトレーニングはハードだっただろ? まずは一枚。ほれ」
差し出される虹の蹄鉄コイン。それがとんでもない貴重品であることは、ミホノブルボンもよく理解していた。
「それは希少な品だと聞き及んでいます。それほどの物品は受け取れません」
「いや、これ俺が持っててもただのインテリアだからね? 俺からしたら数百円の価値もないし。だから大丈夫。宝の持ち腐れはもったいないのさ!」
「しかし」
「よし、じゃあこうしよう!」
受け取りを渋るミホノブルボンに、彼は嬉しそうに指を立てる。どこか愚かしくも芝居がかった仕草に、しかし彼女の反応は揺るがない、かと思われた。
「この中身が100枚溜まったら、どんな願いも一つ叶えよう」
「っ!」
ピン、と彼女の耳が天をつく。尻尾の毛は逆立つように外に跳ね、耳と同じく起立していた。
「どのようなことも?」
「うんうん。どんなことでも。今のうちに誓約書でも書いとく? 俺は逃げも隠れもしないけど!」
「はい。速やかに誓約書の作成手続きを開始します」
「お、おう。食い気味だね君」
ぎらり、と鋭く光る彼女の眼光。前のめりな姿勢に、彼は自分で言い出しておきながら引き気味に、鞄の中からファイルを取り出した。
「はい、これ」
「拝見いたします」
あまりにも早い手刀。俺でなきゃ見逃しちゃうね――などという冗談が、目の前で本当に繰り広げられた。
あれ? と手元を見た時には、もうミホノブルボンがその書類を読み進めている。
「……マスター。この達成報酬についての詳細を求めます」
「え、いや。そこに書いてある通りだけど……」
「『10枚達成ごとにミホノブルボンのお願いを一つ聞く』では、余りにも曖昧です。これでは、100枚達成時の内容と釣り合いがとれません。より小さな要求を快諾するもの、という意図があると思われますが、これでは認識の相違が発生する恐れがあります。スコープの内外について詰める必要があると判断します」
「……え、君は俺に何させたいの?」
「決めかねています。暫定では、新たなトレーニング器具の調達。有力なウマ娘との合同トレーニング。両親よりのオーダー、『社会性の向上』のための社会見学になります」
「食いつきまくった割に普通で安心したわ」
肩を落として息をつく。そんな仕草までジッとミホノブルボンは注視している。休まる様子がなさそうだ、と彼は肩をすくめて口を開く。
「今言ったやつなら問題ない。……まぁ、万単位の買い物連発はさすがに俺の経済力的に厳しいから、一ヶ月に5万円までの制限はつけよう。来月に貯蓄も可能、ってことで」
「わかりました。その旨を誓約書に加筆させていただきます」
(遊びというか、気晴らしのつもりだったのになぁ……)
もしかしたら信用されていないのだろうか。いや、ミホノブルボンは非常に几帳面で、物事を俯瞰的に捉えようとする。信用とは別に、こうした決まり事は綿密に決めなければ気が済まないのだろう。
「マスターの目元が4ミリ上がり、眉が7ミリ下がるのを確認。口元の固さ、並びに呼吸が深く、長くなっていることから、ステータス『傷心』と推測。何か不備がありましたか?」
「……いや。もしかしたら俺は、まだまだ君のことを知らないのかもしれないって。そう思ったんだ。不甲斐ないな、って」
見透かされているような洞察力。彼が同じように彼女のことを見ると……垂れている耳と動かない尻尾から、ほんの少し落ち込んでいることに気がついた。目元や口元は変わらないが、思いの外わかりやすいのかもしれない。
「マスターの口元が綻ぶのを確認。機嫌の向上を感知しました。原因は不明」
「いや、思いの外。君のことわかるのかもしれない、って。それはそうと、何か落ち込んでいた、のかな?」
「……はい。マスターは私のことについて、『知らない』と自己評価を下しました。しかし、トレーニングの質、並びにレースの出走など。これまでもその手腕は的確であったと判断します。つまり、『私の社会性の低さが問題』ではないかと痛感しました」
「うーん……君に比べて俺は君のことを理解できてない、って痛感してたわけだけど。お互い様、ってことかな」
「『隣の芝は青い』あるいは『似たもの同士』……な状態と判断」
「はっはっは! そりゃいい。それなら、何もネガティブなことはない。むしろ、最高の状態だね」
そう断言すれば、ミホノブルボンはその口端をわずかに緩めて、微笑みを浮かべてしっかりと頷いてみせた。
「はい」
それでは、次は期限の記述がないことについてですが――と、話は続く。少なくとも、二人にとっては和気藹々とした様子で話を繰り広げて。
それが終われば、ミホノブルボンは、赤いポストの貯金箱をぎゅっと抱え込み、片手には誓約書の写しをしっかりと握り。寮へと足早に戻っていった。
一枚の蹄鉄コインが電灯に照らされきらりと、虹の輝きを残像のように映した。
自室の机の前に座りながら、ミホノブルボンはジッと蹄鉄コインを見つめる。見つめれば見つめるほど、力が湧き上がるような、胸の奥から温かさが溢れてくる。
虹の蹄鉄コインは、ウマ娘にとって値千金の価値がある。数枚あれば購買で高性能なトレーニング器具、あるいは高品質なニンジンと交換することが出来る。数十枚あれば、オーダーメイドの靴、蹄鉄、勝負服さえ特注することが可能な逸品だ。
100枚集まれば、どんな願いもかなえられる、というのもあながち嘘ではない。それほどの価値が、虹の蹄鉄コインには詰まっている。
ウマ娘であるミホノブルボンでも、そのレートがどのような理屈で設定されているのかはわからない。採算のとりかた、というのも謎だ。あるいは慈善事業かもしれない、と思わせる非生産的な一面も備えている。
虹の蹄鉄コインの入手経路は限られている。G1レースに出場して1着を掴むこと。何か特別な成績を残して、理事長よりいただくこと。『URAファイナルズ』を勝ち抜くこと。判明しているのはこの程度で、他にも何か入手手段はあるのかもしれない。
加えて、このコインは原則として譲渡が禁止されている。指導元のトレーナーからウマ娘に、あるいはウマ娘からトレーナーに、という譲渡だけは認められているが。
「……誓約書、第5条1項『努力貯金により譲渡された虹の蹄鉄コインは、貯金以外の用途で使用してはならない』……」
このような文言が取り込まれている、ということは即ち、そういうことなのだろう。
悪事に手を染めている、とはミホノブルボンも思っていない。ただ、正規の手段で手にしたものではない、ということはうかがい知れる。
「……」
穴が開くほど見つめていた。彼女が噂通り目からビームでも撃てるのなら、コインは原形をとどめずグズグズに溶けていただろう。
「……オーダー、開始します」
気合を一息。固唾をのんで頷けば、彼女はそのコインをゆっくりと、赤いポストの投函口に近づけて。
――カラン、と硬く乾いた、寂しい音が響き渡る。
「オーダー、完了」
手帳に正の字の一画目「一」を刻むと、彼女はその貯金箱をジッと見つめて。時には左右に揺らして、その中身の所在を確認する。カランコロン、と寂しい音ばかりが響き渡る。
「……」
しかし、確かに中身がある。揺すれば音が鳴る。
これこそが最初の一歩。小さくとも、寂しいと思えども。「0」から「1」への変化に、彼女の口元は確かに綻んだ。