夢を叶える努力貯金 作:ほお袋
コインが見えない空洞の中を舞い、カチャン、と他のコインにぶつかり硬質な音を奏でた。
「ミッション、コンプリート。10枚目のコインの投入、達成しました」
誓約書に則り、ミホノブルボンはトレーナーへのお願いの権利を得た。10枚ごとに手に入る権利のおかげもあって、自己評価において「絶好調」を維持してトレーニングをこなすことができた。
貯金箱を揺らしてみれば、まだまだ高い音だが、たしかにジャラジャラと金属同士が擦れ合う音が聞こえて来る。その中身が努力の証となれば、感慨も一入だ。これだけ頑張った、という質量が、確かに貯金箱の中に詰まっていた。
「……胸の奥からの発熱を確認。つまり『高揚』のステータスを実感」
貯金箱を揺らして音を聞けば、自然と口元が綻んだ。満足するまで、チャリ、チャリと控えめに音を鳴らすと、彼女はそれを小さな金庫の中に仕舞い込む。
そして向かうのはクローゼット。開けてみれば、閑散とした中に、上下4着ずつのシャツとパンツ、そしてパーカーが2種類ある。体操服や部屋着は箪笥の中に仕舞っている。
「権利執行の予定日。最高気温は31℃、最低気温は25℃と調査済み。例年通りであれば湿度は82%と予測。体感温度は非常に高く、薄着が望ましい……」
情報の精査は終わっている。あとは出かけるための服を選ぶだけ、だったが。
手札は10着。冬用の5着を除けば、実質の手札は5着のみ。組み合わせは四通りにパーカーの着脱のみ。
「当日のデータから、この2着が最適解と判断……」
合理的な判断は、薄手のシャツにパンツのシンプルな組み合わせ。それが正しい選択なのだと、すぐに導き出せる。
「……計画を修正。当日、持参するドリンクの数を3本から5本に変更。タオル、その他の付属品の持ち込みが必要と判断」
しかし、最善は違うのだと再計算。
頭の中で計画を練り上げながら、ミホノブルボンは準備に取り掛かった。
(天気は曇り。降水確率は午前20%、午後40%の予報。過去10年の記録を遡り、類似データを分析したところ、午後の降水確率は93%に上昇。折り畳み傘の準備、完了。持ち物……オールクリア。間もなく出発予定時刻、9時12分21秒。……寮より出発します)
寸分の狂いなく、ミホノブルボンは自室から足を踏み出した。
そこからは、ラップタイムとの戦いだ。計4つのポイントに絞り、彼女は目標タイムを設定していた。
(次の信号までの残り時間、2分10秒。赤信号により1分3秒の停止後、先陣を切り信号を横断)
その目標タイムは、早くても遅くても許されない。正確無比な計画と、速度が要求される。
(これより直線上に――)
ラップタイムを正確に刻む。そうして到着するのは、待ち合わせの駅前広場。
「マスター、お待たせいたしました」
「ん、俺もちょうど来たところ。待ってないよ」
(オペレーション『お決まり』を達成)
ミホノブルボンの口元が緩む。
彼はそんな彼女から何か感じ取ったのか。「お!」と声を上げる。
「リングからリボンに変えたのか。いいね。可愛く決まってる」
「……!」
ミホノブルボンは普段、右耳に水色に発光するリングをつけている。しかし、今はそのリングの代わりに、鮮やかなワインレッドのリボンがワンポイントとして結び付けられている。
(ステータス『高揚』を感知……体感気温、更に5℃上昇)
「少し安心した。オシャレに興味があるなら、立派な女の子だ」
「……ありがとうございます」
「ん、それじゃあ行こうか。切符はもう買ってるから大丈夫」
そういって、彼は先導するように前に行く。
ミホノブルボンの前を行ける。もはや、そんな存在は彼だけだろう。
小気味良くコツン、と靴の音を鳴らして。ミホノブルボンは、彼の後に続く。自分の両手を隠すように後ろでぎゅっと握り込み、その大きな背中を見続けた。
権利の執行……オペレーション『お出かけ』は昼食までプラン通りに進んだ。ゲームセンターで遊んだ後に、静かな本屋の空間に浸り、昼食はカフェで軽く済ませてコーヒータイムに。
「今更なんだが」
小さな音を立ててカップをソーサーに置きながら、彼は対面に座るミホノブルボンを見る。
相も変わらず、表情の変化に乏しいウマ娘。その耳と尻尾の反応も、飲食店の中というだけあってかほとんど動かない。時折遊ばせるように尻尾が横に揺れ、耳が反射的にピクリと動く程度だ。
「10枚目の達成報酬『お出かけ』だけでよかったのか?」
「はい」
短く、きっぱりと彼女は断言する。ふわり、と栗毛の尻尾が宙をかく。
「てっきりトレーニング用品とか、備品の買い出しの付き合いかと思ってた」
「現状、それらは『不必要』です。マスターのトレーニングメニューをこなすことが『最善』だと判断」
「そっか。やっぱり、刺激足りない?」
「……? 『刺激』とは?」
不思議そうに彼を見つめるミホノブルボンに、彼は曖昧な笑みを浮かべて「何でもない」と返した。そこからはジッとコーヒーを見つめて、何かを考えこみ沈黙する。
静寂の帳が降りる。他の客の話声、キッチンから聞こえる雑音。環境音には事欠かないが、それはミホノブルボンと彼の音ではない。
彼の瞳の奥はどこか、陽炎のように揺らいでいる。その強く、鋭すぎる視線がミホノブルボンに向けられることはない。否、誰に向けられることもない。しいて言えば、彼自身に向けるための視線だろう。
「……」
ミホノブルボンの瞳が、柔らかく垂れる。この静寂に全てを委ねるように、全身から力を抜きながら、彼のことを見つめる。
(非常に深い『集中状態』を感知。……先ほどの会話から、おそらく)
パタ、パタ、と些細な環境音が増える。
それからカフェで会話に発展はしなかったが。
その音が減る、ということもなかった。
ふと、目についたのは宝石店のショーウィンドウだった。
情熱的に、それでいて精巧で、繊細な輝きを放つ青の輝きに、目を奪われた。
(……名称『アウイナイト』。私には『不要』です)
しかし、そう結論付けても視線は吸い寄せられるように、アウイナイトに向いてしまう。
(エラー発生。原因……不明)
物欲に惹かれた、というわけではない。おしゃれに欲しい、と思ったわけでもない。そんなことを、ミホノブルボンは自発的に早々思わない。
ならばどうして、と考えても答えは出てこない。後ろ髪を引かれる思いながら、彼女は前に進む。エラーが深刻なバグに繋がらないために、視界との接続時間を減らすために。
「……」
水の中のように、まとわりつくような沈黙。
しかし、それも新たな区画に出れば自然と霧散するのだった。
さて、帰ろうか。
そんな時刻になった頃合いに、ざぁ、と音が響き始める。
「……げっ」
彼の口の端が引きつった。目の前で盛大に降り注ぐ雨に、心底うんざりとした様子で肩を落とす。何か忙しなく視線を泳がせるが、どこかに止まることはなかった。
「マスター。折り畳みの傘でよければ用意があります」
「助かる! いや、今日は午後40%だから降らないと思ってたんだ。君は用意がいいな」
「『備えあれば憂いなし』とは、まさしくこのことかと」
「ほんと、その通りだよ」
ミホノブルボンは早速、折り畳み傘を広げてみせる。一人で入るには十分な広さであり、雨粒がしみ込まない素材で出来ているそれは、実のところ日傘と兼用できる代物だ。白塗りの外側のふちには黒い兎が輪を作るように描かれており、内側は黒塗りとなっている。
「どうぞ、お入りください」
「……え、一本だけ?」
「……? 傘は通常、一本しか持ち歩かないかと」
「あ、うん。そりゃそうか。え、一緒に入るの?」
「はい。俗にいう『相合傘』というものです」
「言い直さないでよろしい。……」
キョロキョロと、挙動不審にまた周囲を見始める彼に、ミホノブルボンは首を振ってこたえる。
「この近辺に傘を売っているお店はありません。約300メートル先にならありますが……駅に着く方が効率的です」
「あー、うん。そっか」
「どうぞ、中に」
「……お邪魔します」
と、傘の中に入ろうとするが、そこで邪魔をしたのが身長差であった。
ミホノブルボンの身長160センチに対して、彼の身長は185に至る。およそ25センチの差に、レディースの折り畳み傘という狭く低い領域。
ミホノブルボンは、頑張って腕を天に突き上げているものの……彼の頭は傘の骨組みに当たりそうだ。
「お邪魔ついでに、傘を持つ重役、任せてくれないか?」
「……承認」
ミホノブルボンの切り替えは早い。彼が傘を手に持ったかと思うと、鍛え抜かれた足から繰り出される巧みなステップによって、ピタリとその横に張り付いた。
「……近くない?」
「傘のスコープ内に入るため『必要』であると判断。『問題ありません』」
「……うん、そっか」
二人は同じ傘に入りながら進む。蒸れるような暑さと、跳ね飛ぶ雨。高い湿度もあり、触れれば服が湿っぽい。そして触れずとも、お互いの熱は漂うように感じ取れた。
「……マスター。あと2センチ傘を右に寄せてください」
「ん? いや、いいよ。君の身体の方が大事だ」
「……」
雨音の中に、鼓動は溶ける。熱が触れ合う。
(オペレーション『お出かけ』……達成)
後日、彼が微熱を出してミホノブルボンに心配されるのは、また別の話。
サブタイトル入れ忘れたのでつけました