たのしい宮永一家   作:コップの縁

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微笑

 この歳になると一日中動いていただけで身体が重くなるものだ。昨日など午前中はずっと列車の座席に座りっぱなしだったし、午後も午後であちらこちらに出向いたり歩いたり――まぁ、色々あった。お陰で昨日の夜は布団に横になるだけで気持ちよく眠りに入ることができたし、そのままずっと寝ていたい気分だったのだが………

 

「――――――さん、照さんってば!ほら、起きてくださいよ」

 

 その安眠を妨げたのは京ちゃんだった。そして私はようやく、隣で携帯のアラームがけたたましく鳴り響き続けていることに気がついたのだ。昨晩セットした時刻は朝の八時、そして今は九時半を少し過ぎた頃だろうか。何度もスヌーズが掛かっていたようだ。

 

「まったく、ずっと鳴ってるのに起きないから起こしに来ましたよ」

「…………おはよう。お気遣いどうも」

「何か用事でもあるんですか?」

「うん、ちょっと出掛けないといけなくて」

 

 そこまで言ったところで移動手段がないことを思い出した。今回は電車で帰ってきたから愛車は東京に置いてきてしまったし、歩いていくには余りにも遠すぎる。そもそもそんなことでは約束の時間に間に合うはずもないだろうと打算した私は、やはり目の前の男を頼るほかあるまいという結論に思い至った。

 

「ただ足がないから貸してほしい」

「いいですよ。車の鍵はいつものところに置いてありますからお好きに」

「欲を言えば二輪がいいんだけど」

「バイクですか?でも400ccしかないし」

「免許はある。しばらく乗ってないけど多分大丈夫なはず」

「そういうことなら構わないけど…………一応言っておきますけど、この時期だと相当寒いと思いますよ」

 

 普段から専ら四輪しか乗らないしバイクは所持していないが、二輪には二輪の良さがあることはよく知っているつもりだ。窓の外は雲ひとつ無い日本晴れで、こんな日には風を感じながら走るのも悪くないんじゃないだろうか。少しくらいの寒さは我慢しよう。

 私は持ってきた防寒着がどのくらいあったかを思い返していた。

 

 

 

 校舎へ続く道は鉄門によって固く閉ざされていたが、どうしたものかと一旦バイクから降りて立ち尽くしているうちにこちらに気付いた守衛さんが鍵を開けて中へ案内してくれた。駐車場で携帯を取り出すと、私は連絡帳から一人の女性の名前を探した。ア、カ、サ、タ。田内、高木、高橋、田口………あった。

 

「もしもし」

『あら、遅かったじゃない』

「ごめんなさい。少し実家に用事があったから先にそっちを済ませてきた」

 

 それを聞いた彼女は「ふーん」と興味なさげに言うと、この後どうすればいいのか手短に指示をよこしてきた。まず新校舎の事務所に向かって来客者証を貰ってから旧校舎へ………電話の向こうで誰かに呼ばれているのか、私が最後まで相槌を打ち切らないうちに、ツー、という電子音が数回流れて通話の終了を知らせた。

 『新校舎』とは言ったものの、建てられてから数十年が経過したであろう今では節々に年月の経過を垣間見ることが出来る建物に入る。玄関でスリッパに履き替えた私を出迎えてくれたのは愛想の良い三十代くらいの女性だった。

 

 

「来客者証をいただきたいんですが」

「わかりました……大丈夫ですか?顔色がすごく悪いみたいですけど」

「別に」

 

 冬のツーリングが想像以上に寒かっただけだ。

 

「そ、そうですか……お名前をお伺いしてもよろしいですか?」

「宮永です」

「ミヤナガさんですね、竹井先生からお話は通ってますよ」

 

 それから受付の女性は脇のファイルを開くとボールペンで何かを書き込みはじめ、最後に私へカードホルダーを渡した。よく見ると名前までご丁寧に印字されている。

 軽くお礼を言って立ち去ろうとすると、不意に彼女は私のことを呼び止めた。

 

「すみません、少しいいですか?」

「なんですか?」

「宮永照さんですよね。プロ雀士の」

「はい、そうですけど」

「やっぱり!どうしよう、困っちゃうなぁ!……ごめんなさい。実は私、宮永プロの大ファンなんです」

「――私の?」

「小さい頃インターハイを観てからずっと応援してて、それで、ええっと…………」

 

「……ありがとう」

 

 ついさっきまで凍えていたはずの身体がもう暑くなってきた。上着の――レザージャケットでも着ていれば様になったのかもしれないが、生憎に着膨れするダウンしか持ち合わせていなかった――のファスナーを下げながら窓ガラスの向こうの女性を少しだけ見つめた。目は口ほどに物を言うという通り、彼女は言葉が纏まらない様子で如何にも申し訳無さそうにしていたが、それでも言わんとすることは嫌というほど伝わってきたのだ。

 それから彼女は微笑んで、

 

「行ってらっしゃいませ」

「……………………あの」

「どうされましたか?」

「旧校舎、どっちに行けばいいですか」

 

 

 

 校門を出て脇の坂道をしばらく歩くと「補修工事」と書かれた大きなボードが見えてきた。そびえ立つ建物の外装は鉄骨の足場に囲まれて見えなかったが、入口から中に入ると内装は以前来た時の姿を未だに残していることがわかった。

 朧気な記憶を頼りに軋む階段を一歩、二歩と踏みしめ、廊下の端にひっそりと佇むとある部屋の前で立ち止まる。部員たちは裏手から聞こえてくる工事の騒音もよそに対局に集中していたが、私の姿を認めると一斉にぴたりと手を止めてこちらを振り向いた。

 

「お邪魔します」

「こ、こんにちは!」「うわっ、本物の宮永プロじゃん」「すげー」

「ほら、よそ見してる暇があったら集中して打ちなさい!」

 

 その数はおよそ二十人くらいだろうか。女子が大半ではあるが、中には男子だけの卓も立っているらしい。そんな中に唯一制服を来ていない女性が一人、部室の端の方で近くの卓を眺めていたが、周囲に叱咤を飛ばすとこちらへとゆっくり歩み寄っていた。

 

「いらっしゃい、インハイぶりかしら」

「それも最初の方に何度かすれ違ったくらいだけれど」

「細かいこと言いっこなしよ。さて、立ち話も何だし場所を変えましょうか」

 

 近くに居た男子生徒を呼び止めてお茶を運ぶよう伝えてから、私を引き連れて隣の部屋へと向かう。

 竹井久――二十六年前に清澄高校麻雀部をインターハイ初出場ながら優勝へ導いた当時の部長で、現在は母校で英語教師を務める傍らこの部活の指導者として活躍している。そんな彼女の名を一躍世間へと知らしめたのは、やはりこの夏のインターハイだった。

 

「汚い部屋でごめん。ささ、座って」

「………」

「どうしたの?」

「懐かしい形の椅子だなって思って」

「なんだか新鮮な感想。でも確かに、普段から学校に関わりがない人はそう思っても不思議じゃないかもね」

 

「遅くなったけど優勝おめでとう。清澄のレジェンドさん」

「懐かしい響きねぇ、それ」

「この前の”WEEKLY 麻雀TODAY”にも載ってたよ。『選手と監督、二度の栄冠を手にした清澄の伝説(レジェンド)』って」

「それのお陰で生徒にはからかわれるし、赤土さんからも未だに冷やかされるし………まったく、恥ずかしいったらありゃしないわ。今度会ったらゆみに苦情入れないと」

「目立つのは好きじゃなかったっけ」

「まさか!透華じゃあるまいし、こう見えても結構あがり症なのよ」

「それでも名前が売れるのは悪いことじゃないから」

「意外。照ってあんまりそういうの好きじゃないと思ってた」

「ちょっとね」

 

 その時、背後の扉を開けて一人の少年がこの準備室へと入ってきた。学ランに雀荘のエプロン、両手には金属製のお盆――そして緑がかった短髪という奇怪な出で立ちの彼はこちらへ向かってくると、

 

「どうぞ。この前焼いたクッキーが残っとったんでよければ」

「あら、ありがと」

「忙しいのにごめんなさい」

「いやいや、慣れてますから大丈夫ですよ」

「まこの英才教育の賜物ねー」

「そっか、染谷さんの息子さんなんだ」

「はい。染谷真嗣(シンジ)っていいます」

 

 喋り口調はからは染谷まこの親類であることが如実に顕れている。果たして大会直前の生徒をこんなことでこき使って職権乱用ではないのだろうか。そんなことを考えているうち、彼は二組のティーカップとお菓子の入ったプレートを机に置くと、頭を下げて足早に廊下へと消え去っていった。礼儀の正しい少年だ。

 久はクッキーをボリボリと音を立てて食べながら何かぼやいていたが、最後にお茶を一啜りしてから遂にこう切り出した。

 

「それで、麻雀界の大物がこんなところまで来てどうしたっての」

「明のことで話がある」

「明のこと?須賀くんじゃなくてどうしてあなたが」

「彼は関係ない。私が勝手に調べてることだから」

 

 久は明らかにこちらを訝しんだが、私はそれを気に留めず続ける。

 

「インターハイ以来、彼女の麻雀の打ち方が明らかにおかしい。あなただって気付いてるはずでしょ」

「あぁ、それのことね……なら心配は要らないわ。あれは私が言ったのよ」

「久が?」

「私が最初に異変に気付いたのは県予選の最終日だったかしら。あの日の明はやけに調子が悪かったから、それで気になってね」

 

 


 

 

―― 六月

 

 二十人も部員がいるのは有難いことである。これだけの人手があれば何をするにも上手く回るし、何より「人が足りなくて試合に出られない」などという心配もする必要がない。そして幸いにも清澄高校麻雀部にはそれだけの人を集める力があった。

 しかしこれだけ人が居ると統率を取るのも大変だ。なにせ箸が転んでもおかしい年頃の子供たちであるから、かなり声を張らないと好き勝手にガヤガヤと喋る彼女たちの耳には届かない。

 

「はーいみんな、県予選お疲れ様。明日は朝八時に部室集合だから今日は帰って早く寝ましょう」

「えー、全然ゆっくり出来ないじゃないですか。日曜くらい休みにしてくれればいいのに」

「あのねぇ、反省会っていうのはすぐにやらないと効果半減なの」

 

 そりゃあ私だって明日くらい休みたいわよ。ただでさえ普段の授業やその準備でてんてこ舞いだというのに、大会の季節にはそれ以上に部活の方が忙しくなるほどなのだ。これだけ学校の知名度向上に貢献しているのだから少しくらい仕事を減らしてくれても良い筈ではないかと思うのだが、その様子は一切ないどころか増える一方で、減るものといえば睡眠時間くらいのものである。生徒から飛んでくるブーイングに私は思わず溜息をついた。もっともそれは心の中でだけで、この大事な時期にネガティブな感情を部内に広めるわけにはいかない。

 それから幾ばかりの連絡事項を伝えると生徒たちは三々五々に帰っていったが、閉会式が終わった後の会場は未だ誰とも知らない人々で溢れかえっていた。あれはきっと鶴賀学園、あっちは今宮女子だろうか……などと考えながら自動販売機でコーヒーとジュースを買って、喧騒の隅にぽつんと取り残されたベンチに腰掛けた。私が呼び止めた明も一緒に。

 

「今日はご苦労様。頭を使った後はちゃんと糖分補給しないとね」

「ありがとうございます」

「コーヒーとジュース、どっちがいい?」

「じゃあジュースで」

「そうだろうと思った」

 

 梅雨に入ったばかりの六月の夜は冷たいものも飲みたくなるが、それでも疲れた身体にはホットコーヒーが一番だ。同じように疲れた顔の明がオレンジジュースを口に含み、また飲み干したのを見届けてから、タイミングを見計らうようにゆっくりと口を開く。

 

「明、決勝は何かあったの?準決勝までは普通に打ってたのに不調ってこともないだろうし」

「それが、急に牌が来なくなったんです」

「牌が?」

「欲しい牌と違うのしかツモれないし、全然思ったとおりに手が進まなくて」

「……………」

 

 これだ。あたかも自分の望んだ牌が来ることは約束されていて、当然の摂理であるかのような表現。強力なオカルトを持った人間――牌に愛された子。彼女たちがそれを失った時、得てしてこういった言い方をする。

 オカルト自体は多くの女性が潜在的に持っているもので、特に麻雀をしていればそれらしき人物を見つけるのは容易い。私にだって『悪待ち』がある。良形三面張を捨てて愚形の辺張にするとツモれたり、地獄短期は字牌より中張牌の方が和了れたり、何年も待ち続けてようやくインハイに出場して、そのまま優勝したり。いざという時に敢えて希望の薄い選択肢を選んだほうが却って成功しやすい……ような気がする。その程度のものだ。たぶんデータを見れば実際その傾向は正しいのだろうが、普通に失敗することも多いから体感的に確信できるほど信頼のおけるものでもない。

 でも麻雀なんてそんなもので、結局最後に残るものは運否天賦である。だからこそ麻雀は面白いのだ。もしこの瞬間にオカルトが消えて無くなったとしても麻雀を嫌いになることは決してないし、私が雀士として為すことも何も変わらないだろう。

 

 なら彼女たちは?オカルトが絶対的なものであればあるほど、牌が見えれば見えるほど、彼女たちにとって麻雀は確定された――囲碁や将棋と同質のものになっていく。そこに偶然性はなくて、オカルトという『力』への依存は過剰なまでに強まっていくのだ。

 そして、明はその拠り所を失っていた。

 

「それにしても困ったわね。今日の打ち筋は支離滅裂だったし、あれじゃあまるで初心者みたいな………ごめん。ちょっと言い過ぎちゃったかも」

「ううん、メチャクチャな打ち方だったのは本当のことですから」

 

 気が立っているのだろうか。県大会を突破し、二ヶ月後に全国大会を控えた今になって。

 

「ねえ。悪いんだけど、この後ってまだ大丈夫?」

「これからですか?でももう遅いし、晩ごはんだってまだ食べてないし」

「私の奢りでいいわよ。時間が気になるなら家まで送っていってあげるわ」

「……お父さんに電話してきてもいいですか」

「もちろん」

 

 

 

「らっしゃーい……って、珍しい客が来よったわ」

 

 カランカランと音を立てて扉が開き、roof-topは私たち二人を招き入れた。中は満席とまではいかずとも盛況で、仕事帰りらしいおっさんたちで卓が幾つも埋まっていた。ノーレート禁煙なのによくもここまで人が集まるものだ。もちろんそこに居たのは私の旧友である染谷まこその人で、

 

「おひさ〜」

「誰かさんのせいでこんな時期なのに寒いのぉ」

「べ、別にそういうつもりで言ったわけじゃないってば!」

「冗談。そんで、こんな夜遅くにどういう風の吹き回しじゃ?」

「ちょっと野暮用でね。顔見知りだけで卓囲みたいんだけど、できるかしら」

「ははーん、訳ありっちゅーことか」

「そゆこと」

「わかった。ちと待っとれ」

 

 理想は優希と和がここに居合わせていることだった。二人とも休日は大抵ここで麻雀を打っているのだが、今夜は姿を見せていないらしい。

 だがまこにはそのアテがあるようで、内線に手を伸ばして慣れた手つきでボタンを押した。

 

「真嗣、今すぐ降りてきんさい」

『んなこと言われても…帰ってきたばかりなんじゃけぇゆっくりさせてーな』

「われ試合もなんもなかったじゃろうが。三分で来い」

『ったく……へーい』

 

「………さて。二人とも、何か飲むか?」

 

 二分も経たないうちに染谷くんは店の奥から姿を現した。先程まで制服を纏っていたその身も今ではポロシャツにジーンズという出で立ちで、雀荘らしいエプロンの紐を後ろ手で括っているところだ。彼は訝しみながら母親に問うた。

 

「母ちゃん、今日はバイトさんで足りよるんと違かったんか?」

「ちぃと別件でな。顔見知りがええんじゃと」

「はぁ………それでこの面子ってわけですか、先生」

「お休みの最中に悪かったわ」

「染谷くん、呼び出しちゃってごめんね」

「それはいいんだけどさ。宮永まで揃って一体何の話なんだよ」

「ええから取り敢えず座りんちさい」

「……?」

 

 正直に言えば明がこの調子では全国なんて到底戦えない。今の麻雀部は私が部長だったあの頃と違う。人数もそこそこ増えた上に二年生や三年生の練度は高く、トップ層ともなればかなりの実力者揃いである。それにも拘わらず一年生の明が大将を任されているのは、彼女が『強い』ということを全員が認めているからだ。

 もしあの頃の咲が調子を崩したとしても私たちが臆することはなかっただろう。咲の力がなければ優勝できなかったのは分かりきったことではあるし、そもそも一人欠けるだけで出場できなくなってしまうような――須賀くんを女装させようかなどというような案すら出るようなチームだった。でも私たちはそれぞれ突出したものを持っていたのだ。

 今の清澄高校麻雀部は頑強で、そしてとても凡庸だ。彼女のオカルトへ依存しているのは彼女自身だけの問題ではなく部員みんなの問題でもあったのだ。不安をチーム内に伝播させないために、何としてでもこの問題は今日中に解決しなければならなかった。

 

「染谷くん、最初に言っておくことがあるわ。今晩見聞きしたことは決して口外しないこと――特に、レギュラーの他の子たちにはね」

「んなこと言ったって、そもそも何のためにこんなことしようってんですか?それが分からないことにはどうにも……」

「麻雀部の為なのよ。あなただって事情が気になるのは分かるけど、顧問命令ってことでここは一つ引いて頂戴」

「………まぁ、そういうことなら」

 

 腑に落ちない表情の少年を差し置いて場決めの通り席に着く。起家の明から順番に染谷くん、まこ、そして私の順だ。ついさっきバイトの子が持ってきてくれたウーロン茶をストローから吸うと、ジメジメとした鬱陶しさが一気に和らいだ気がした。

 

「ルールはどうする?今の大会規定なんて知らんけぇの」

「アリアリ一発赤裏あり。私たちのころから何も変わらないから安心して」

「嶺上開花の責任払いも?」

「もちろん」

「あれに助けられたのはわしらの世代くらいもんじゃろうなぁ」

「言われなくても分かってると思うけど、ちゃんと少しは手加減してよね」

「はいよ」

 

「染谷くんは全力で打ちなさい。きっとそれで丁度いいくらいだから」

「わかりました」

「京太郎んとこの娘、明とかいったか。真嗣より上手いんか?」

「そうねぇ。上手下手で言えばきっと染谷くんだろうけど、強いのは…………」

「…なるほど、そういうタイプか」

 

 『上手い雀士』と『強い雀士』は往々にして一致するが、だからといって必ずそうであるとは限らない。実家が雀荘という環境に置かれた染谷くんは幼い頃から数え切れない程の対局を体験してきた。明だって宮永家の娘だしそれなりに揉まれてはいるだろうけど、それでも対局数で言えば染谷くんとは到底比べ物にならないだろう。多くの場数を踏んだ彼の打ち筋は手練そのもので、高校生が打つような麻雀とは思えない老獪さを既に持っているのだ。

 でも上手いだけじゃ麻雀は勝てない――強い者は上手い者ではなく勝った者だ。経験に裏打ちされた技術や技巧をも超越し、力によって卓上を支配する。それがオカルト。

 

 明は俯き、落ち着かなさそうに何度も指を組み直していた。

 

「明」

「は、はい!」

「一旦は自然に打ってみましょうか。落ち着いて、普段みたいにね」

 

 

 東三局

 

「テンパイじゃ」

「テンパイ」

「テンパイです」

「ノーテン」

 

宮永明18100 - 3000
染谷真嗣15000 + 1000
染谷まこ31000 + 1000
竹井久32900 + 1000 - 1000

 

「これじゃあ罰符もバカにならないよ……」

「しかしおぬし、凄い河じゃのう」

 

 明の河あるのは中盤まで暗刻三つに対子二つ、しかも殆どが使いやすい中頃の牌だ。普通ならば国士を警戒する捨て牌だろう。一方、私が立直を掛けた後はオリたのだろうか一転して安牌が並んでいる。

 

「明、少しだけ手牌を見せてもらえる?」

「いいですけど」

 

西家:宮永明

ドラ:{四}

{七八②③668⑦⑧⑨南南2}

 

 至って普通の二向聴。途中まで狙っていたのはチャンタ三色だろうか……その形跡はあるものの、捨て牌と照らすと手は殆ど進んでいなかったらしい。

 

「ふーん」

「久、もうええか?」

「ごめんなさい。さ、次行きましょ」

 

 

 南三局 一本場

 

宮永明11600
染谷真嗣26700
染谷まこ34200
竹井久26500

 

「ロン」

「うえっ、やっちまった」

 

 ずっと和了りのなかった明の口からその言葉が飛び出したのは、この半荘がもうすぐ終わろうというラス前だった。

 

西家:宮永明 九巡目

ドラ:{南}

{二二二五六七6888⑧⑧⑧} ロン:{7}

 

「1300は1600です」

「高目三暗刻か……不幸中の幸いって奴だな」

「染谷くん。そんなこと言ってないで次から気をつけないと、いざって時に失敗するわよ?」

「そりゃそうかもしれませんけど、流石にこの七索は読めませんって」

「まだまだ経験が足りんだけじゃろうが」

 

 少年がそうボヤきながら牌を卓の中央に流し込む。下からせり出してきた壁牌を四枚ずつ手元に持ってきて、私はここまでの明の打ち方を思い出していた。

 だが今日はそれが違う。東一局以降行った九局のうちで彼女の和了りはつい先程の一回のみだった。それどころか聴牌もままならないらしく、前々局に立直をかけた以外は流局毎に不聴罰符を払うような有様だったのである。もっともそれくらいなら普通にあることで、この半荘がたまたまツイてないだけであると言えなくもない。

 しかしどうも何かが引っかかる。そもそも宮永明という選手が『不調』であると言えるようなことはごく稀で、そうした時ですら多少のブレはあるにしても、彼女の圧倒的実力では実際上ほとんど問題になることはなかった。どの牌が来るのかある程度理解できる彼女は、絶対に聴牌できるというわけではないにしても、大きく裏目るようなことは少なくとも私が知る限りは有り得ない。そんな全くもって常識外にいる打ち手である明がここまでの間――今日の決勝からずっと――和了れないなんてことがあるだろうか。

 第一さっきの和了はチャンタじゃなかったし、それどころか三暗刻崩れの断么など彼女と最も対極に位置する手だ。

 

「………あっ」

「先生、どうかしましたか?」

「えーっと………ツモ。3200オール」

 

東家:竹井久 十三巡目

ドラ:{九}

{八八112233赤⑤⑤東東發} ツモ:{發}

 

「あーあ、負けちゃったぁ」

「明、ひょっとしてもう張ってた?」

「はい」

「見せて頂戴」

 

 彼女が開いた手牌を一瞥して、私はこう提案したのだ。

 

「もう一局だけやってみない?」

「久はトップじゃろうが。というか、そんなに打ちたきゃもう一半荘してもええぞ」

「そんなに長居する気はないんだけどさ。ただもうちょっとだけ確認したいことがあって」

「ははーん、そんなにわしに捲くられたいんか?」

「ふふ、言ってなさい」

 

 

 南四局 一本場

 

 

「どれどれ………」

 

 そう言いながらまこの指が手の内を舐めるように撫で、ニヤリと口角が上がった。張ったか。

 一方の明はオタ風の{西}をポンしている。

 

南家:宮永明 十一巡目

{63④②二③}

{五五六2南}

 

 明らかに異常な捨て牌だ。確かにこの河は国士気配がする超危険信号ではあるが、ここまでの彼女のそれと照らし合わせてもおかしい点はあった――捨て方に秩序を感じるのだ。この半荘の明は何かに翻弄されるかのように麻雀を打っている。現に東場は全く聴牌できていなかったし、彼女にあるまじき軽率な振込もあった。その調子が三局ほど前から少しずつ戻ってきているようだ。

 しかもこの手はチャンタに間違いなく、それは一段目の嵌張や二段目の両面対子落としがツモ切りではなく手出しであったことからも見て取れる。まさか、オカルトが戻ってきたのだろうか。

 

 しかしそれ以上に私は妙な感覚に陥っていた。決して気味の悪いものでもなければ不快でもない。ただ、この感じはずっと昔にどこかで…………

 

「リーチ!」

「ロン」

「げっ、もう張っとったか。いくらじゃ?」

 

北家:宮永明 十一巡目

ドラ:{東}

{一一111999東東} {西西横西} ロン:{一}

 

「えーっと、一本場だから12000は12300ですね」

「はいよ」

「ホンロートイトイか……派手だなぁ。チャンタって意味では宮永らしいのかもしれないけど」

「ねぇ染谷くん、それって褒めてるの?」

「褒めてるよ。一応な」

 

 

<終局>

 

宮永明24900
染谷真嗣23500
染谷まこ20300
竹井久31300

 

 

「最後の跳満、よくあそこまで持っていけたわね」

「実はあの和了は手なりだったんです」

「えっ?それじゃあやっぱりオカルトが戻ってきて……」

「牌は見えてなかったんですけど、何故か対子や刻子がいっぱい入ってきて。それで、気がついたら聴牌してました」

「………ちょっと失礼」

 

 幸いなことに卓上は誰も動かさないままで保たれたままになっている。最後がまこだったから対面の明が次にツモるのは…………これか。壁牌の端を少し崩すと、一枚の{西}が顔を出した。「まさか」と思いながらも、私の指は王牌へと伸びた。

 

{東}

 

「久、何かあったんか」

「…………ううん。なんでもない」

 

 もしもまこが切った一索をロンせずに{西}を加槓すれば、嶺上開花で和了っていたことになる。

 いよいよこのまま帰るわけにはいかなくなってきた。

 

「まこ、前言撤回。もう何半荘か打てる?」

「わしは途中で抜けるかもしれんがな。真嗣は幾らでも使ってくれてええし、なんだったら娘も呼んでくるけぇ」

「ありがとね」

 

「明、次からは対子手を意識して打ってみなさい」

「対子手ですか?」

「そうよ。チャンタのことは一旦忘れるの」

 

 そう、これは明本来のオカルトではない。何か異質のものが働いているのは確かだが、その根源は別のところにあるはずだ。私はそれに心当たりがあった。もしそれが本当であるならば。流れに身を任せさえすればよいのだ。今の彼女ならきっと――

 

 

 

 数時間後、私は再び車の運転席に座っていた。時刻は午前零時を回ったくらいで、当然ながら助手席には彼女の姿がある。

 

「疲れたぁ……なにも閉店まで続けなくてもいいじゃないですか」

「付き合わせちゃって本当にごめんなさいね。でも、その代わり収穫も十分あったわ」

 

 あれ以降の数半荘の中で明の打ち筋はガラリと変わった。普段の役作り中心の麻雀からは一転して、立直や断么以外に役が付かないことが増えたのだ。暗刻がよくできるので平和も減った。そうやって安い和了を重ねつつドラや三暗刻で満貫以上の手を作ることも多いのだが、それも彼女に言わせてみれば「手なり」に過ぎないらしい。

 

「それで、結局私のチャンタが消えちゃったのって何なんですか」

「簡単に言えば遺伝の影響よ。あなたがお母さんから受け継いだオカルトが発現しつつあるってこと」

「遺伝……?」

「大抵の場合、オカルトはその人に関連する形で発現するわ。生まれた環境とか幼い頃の体験とか、あとは生まれながらの素質とか………でも、母親の持つオカルトに近いものを子供が備えていることが稀にあるの。まるで遺伝みたいにね」

 

 身近な所で言えば、龍門渕家はそれが何代にも渡って行われている例だ。天江衣の『海底』と龍門渕透華の『治水』のように、その家系に生まれる女性は押し並べて水に関連するオカルトを持っている。龍門渕には過去にもそういった雀士がいたのだろうし、今後もそういった雀士が生まれるのだろう。

 

「もっとも、どちらか一方なら別に心配はなくてね。問題はたった一人の人間が素質タイプと遺伝タイプ、二つのオカルトを持ち合わせてしまった場合よ」

 

 それが両方とも発現した時に本人がどうなるかは分からず、個人によるとしか言いようがないのだ。こういった例は全くないわけではなく、中高生くらいの女子生徒に度々報告されている。大昔に高麻連――高校麻雀連盟がまとめたそんな内容の調査結果を読んだ覚えがあるが、それ以来新たに進捗があったという話も聞かない。

 二つとも使いこなせるようになるケース、どちらか片方だけが残ってもう片方は消滅してしまうケース、合体して新たな能力になるケース。一体どのような要因が分岐を生むのかは未だ判明していないのだ。

 

「そしてあなたの身には、今まさにそれが起きているの」

「そう、なんですかね」

「お母さんの……咲の麻雀は見たことある?」

「ちゃんと見たことはないですけど、ネットで断片的には」

「なら知ってると思うけど、彼女は嶺上開花の使い手だったわ。王牌を支配し、集めた槓材を使って劇的な和了を魅せるのが咲のオカルト――それがあなたに宿りつつある。暗刻が出来やすいのはその兆候じゃないかしら」

「つまり、これから先はチャンタじゃなくて嶺上を狙えばいいってことですか?」

「だからわからないんだってば。チャンタも嶺上開花も残るのかもしれないし、どっちかだけになっちゃうかもしれない」

 

 もしくは、どちらも消えてしまうかもしれない。

 

「幸い健康に影響があるようなものでもないからね。長い目で経過観察していくしかないわ」

「………わかりました」

 

 そう言って彼女は深く、しかし頼りなさそうに頷いた。

 

「でも、だからといってインハイは待ってはくれない。今現在あなたがチャンタを使えなくて代わりに暗刻が出来やすいのは事実なんだし、取り敢えず使えるものはどんどん使っていきましょう」

「そうですね」

「咲の対局記録を観ると勉強になると思うんだけどねぇ。家に残ってない?」

「それが、お父さんがほとんど捨てちゃったんです」

「なら優希から借りてこようか。公式戦の録画は全部残してたはずだから」

 

 あの優希にも意外とマメなところがあるというのは社会人になってから明らかになったことではあったが、その時はひどく驚いた。

 喋り続けて喉がカラカラだ。赤信号に足止めされ、ちょうどいいと思ってコーヒーを一口含む。予選会場からドリンクホルダーに入ったままのスチール缶はすっかり冷めきっていた。

 

 


 

 

 紅茶が冷め、クッキーがあらかた私たちの胃の中に収まった頃になって、彼女の話はようやく終わりを迎えた。

 

「で、その後の戦績はご周知の通りってわけ。上手くハマってくれて助かったわ」

「それって本当にオカルトの遺伝なのかな。遺伝の場合でも母親と完全に同じ性質になるわけじゃないんでしょ」

「勿論。さっき挙げた龍門渕の例もそうだけど、同系統でも差異は生まれるのが普通じゃないかしら」

「なら不自然すぎるよ。明のそれは咲と一緒だもの」

「そうかしら?咲のオカルトは王牌支配だったけど、明にはそこまでの様子は見られない。まだ『暗刻ができやすい』ってレベルの話で、汎用性も高いからこれからどう発展していくかは分からないわ。チャンタが使える日もあるみたいだし、完全に同じだって断言するにはまだ早いでしょう」

「でも、決勝戦のオーラスは――」

「なら他に何があるって言うの?」

 

 久が私の言葉を遮る。別に不快とか不都合とかそういう感情は見受けられないが、ただやけに深く追求しようとする私を怪しんでいるらしい。

 

「彼女の状況を説明するものなんて、遺伝以外に何もないじゃない」

「それは……………」

 

 久の弁に対して私は返す言葉を持ち合わせていなかった。実際、私が明へ抱いている違和感の原因は私自身にさえ未だに分かっていない。こうして父親や指導者に探って回っているのもそれを知るためであって、あの日の違和感と恐怖だけが私を突き動かしていた。

 

「とにかく参考になった。大会前なのに時間を作ってくれてありがとう」

「もう帰るの?」

「うん。訊きたいことは全部訊けたから」

「へぇ………ところで、これは関係ない話なんだけどさ。最近は学校も厳しくてね。休日に部外者が入れるようにするのも色々と面倒なのよ」

 

 『関係ない話』という割には、やけに嫌味ったらしく言うものだ。

 

「あなたが昨日の夜になって突然来たいなんて言うからわざわざ早起きして開庁ギリギリに出勤して、教頭に頭下げて許可貰って………はぁ」

「………何をすればいい?」

「決まってるじゃない。あなたは麻雀のトッププロで、ここは高校の麻雀部室よ?照に教えてもらいたい部員なんて山ほどいるわ」

「別にいいよ。仕方ないから」

「さっすが〜!」

「実際に卓を囲んで気になった所を指摘する以上のことはできないけど」

「それでいいのよ。じゃあ早速行きましょうか」

 

 カップに残った紅茶を一気に飲み干してから底冷えする廊下へと出ると、私をまんまと言いくるめた悪女が古めかしい木のドアを開いた。瞬間、あれだけざわめいていた室内は再び一斉に静まり返り、二十余人の目線が私達を貫く。

 

「はい、一回ちゅうもーく!さっきチラ見せしちゃったけど改めて紹介するわね。こちら麻雀プロの宮永照さんよ」

「立川ブルーセーラーズの宮永照です。よろしく」

「「「よろしくお願いします!」」」

「今日は宮永プロに指導していただけることになりました。貴重な機会だから全員集中して取り組むこと」

「なんで大会前日なんですかー」「どうせなら別の日にしてくれればよかったのに」

「うっさい!無いよりマシでしょ!………えー、そしたら次は具体的な練習内容について。まずは宮永プロを入れて四人で対局します」

 

 

 

 久の簡単な説明が終わってからは対局の連続だった。次々にやってくる三人の相手を注意深く観察し、その打ち筋から個人の性質を見抜き、問題点を指摘する。観察は私の得意分野だ。そんなことを昼食を挟みながら続けていき、気付けば時計は三時を回った後だった。

 

「正直、私から言えることは殆どないと思うけど……技術的な面は概ね良かったよ。東ラスのリャンカンをチーした後の切り方が気になったくらいで、他は全部及第点。あとは経験さえ積んでいけば読みの精度も上がるはず」

 

「よく頑張ってるね、明」

 

「ふふっ、そうかな」

「オカルトについても竹井先生の方が今の明の状況には詳しいから。私は遺伝とかよくわからないし、今までどおり先生の指導で打ってれば間違いないと思う」

「あれ?その話聞いたんだね」

「さっき竹井先生から。インハイの打ち筋が不自然だと思ってたんだけど、やっと合点がいった」

「へぇ、お姉ちゃんもなんだ」

「私『も』?」

「うん、淡さんも気にしてたらしくて。それで同じような話をしたら納得してくれたみたい」

「………そっか。そしたらこれでおしまい。次の人を呼んできてもらえる?」

「はーい」

 

 次の三人が来るまで少し時間があるだろう。さっき自販機で買ったペットボトルのお茶を口に含み、飲み干してから大きく息を吐いて天井を見上げた。

 

 半荘を通して見た明の打ち筋は終始『普通』の一言に尽きる。技量的にはいつもの彼女だったし、オカルトも原理は分からないなりにそこそこ使いこなしている様子。でも結局その程度で、咲の影が映り込むようなことは一度たりとも無かった。

 ――ひょっとしてあれは本当に私の気のせいだったんじゃないだろうか?京ちゃんにあんなことを言っておきながら、真に咲から縛られているのは私なのだ。だから私だけが、ありもしない咲の亡霊を明の中に見てしまって………そのようにすら思えてしまう。

 それでも私の脳裏にはあの夜の情景が、あの恐怖がこびりついて離れない。私は明が怖いのだ。私の愛しい姪っ子が、私の自慢の姪っ子が、不気味なまでに母親の姿を伺わせる、宮永明という人物が。

 

 あなたの家族失格だ。既にそこには居ない明の姿に、私は心のうちに懺悔した。




登場人物

・竹井久
 43歳。清澄高校麻雀部の顧問を務めるが、本業は英語教師。未婚。
 最近寝ても疲れが取れなくなってきたのが悩み。

・染谷まこ
 42歳。雀荘経営。既婚で二男三女の母。

・染谷真嗣
 16歳(高校一年生)。まこの息子で明の同級生。
 母親やら顧問やら同級生やらにこき使われる、何かと残念な立ち位置の男。
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