東条ハナからして、新設のチーム『アークツルス』は見る必要性のないものだと思っていた。
メンバーが今年入学したばかりの1年生だけ、確かに粒ぞろいのウマ娘達は居るがその程度で、特に脅威を感じるということはなかった。
だというのに、自分がトレーナーをしているチーム『リギル』のメンバーの3人……三冠ウマ娘のシンザンと、自身が頑張って引き抜いた二人の優駿であるシンボリルドルフとマルゼンスキーの二人が一様に注目するという事実に眉を潜めざるを得ない。
実際レースを見た瞬間、それは間違っていなかったと冷や汗をかく思いだった。
実際今日のルドルフとマルゼンの二人と戦った『アークツルス』のウマ娘、ミスカブラヤは最終直線でルドルフを抜かせられなかったものの結果3着、スーパークリークに関してはどこにそれだけのスタミナを溜め込んでいたと言わんばかりにマルゼンに食らいついての2着と健闘している。
さらに言えば他の面々、タマモクロス、メジロラモーヌ、テスコガビー、ハイセイコーの四人もそれぞれがそれぞれ1着を大幅リードで獲得している。これだけでも充分なデータが取れていた。
だが、3人の目はまだこれからだと訴えていた。だが、
「分からないわね。なんで3人がこんな平凡以下のウマ娘を気にするのかが」
残っているのは最終レースの最低人気、カブラヤオー。
自身が調べた限り、カブラヤオーは一般入試で最下位入学、過去にクラブレースを走ったことすらない完全に無名。妹のミスカブラヤならともかく、こんな無名のウマ娘を重要視する理由が分からなかった。
「おハナさん、そりゃこのレースを見ればすぐに分かるさ」
シンザンが面白そうに宣う。あの三冠ウマ娘のシンザンがそこまで言うとなると、何かしらあると直感的に探ってしまう。
「さぁ見せてくれカヤ……お前の本気ってものを」
そんなシンボリルドルフの一言が、このあとすぐに現実となって襲い来ることになるとは、この時の東条ハナには全く理解できなかった。
レースに立つ九つのウマ娘。誰も彼もが新人で、幾人かが期待を寄せるカブラヤオーを含めてもそこまで目立って強いウマ娘は存在しない。
やがてゲートが出現し、9人がゆっくりとそれぞれ自分のゲートへと進入する。
実況もいない、解説もいない、誰も気にはしないであろう最終レース。現にほぼすべての雑誌記者は帰り支度をするか、もう帰ってしまっている。残っているのは酔狂か、はたまたという感じだ。
だが、残っていたものが見ることになるその漆黒は、後にさまざまな異名で呼ばれることになる。
韋駄天、挑戦者、不沈、だが多くの人間が彼女のことをこう呼ぶ―――狂わせ走る者、狂走と。
ゲートが開き、9人のウマ娘がそれぞれスタートを走る。
『!?』
が、すぐに一人を除いて驚愕に目を見開いた。一番の9番人気、『問題児』カブラヤオーがなんと最初からスパートをかけるように全力疾走をかましたのだ。
あり得ない、レースを分かっていないんだこのウマ娘は、そう考えた彼女達だが、離されてしまっては自分達が追い抜くこともできない。
そう瞬時に判断してすぐに追い付こうと先行策以下全員がカブラヤオーの後ろへ食らいつこうと脚を進める。だが、
(嘘でしょ、差が縮まらない!?)
相手はスタートダッシュだけの逃げ、目立つためにわざと逃げてるだけだと思っていたのに、第一コーナーを回っても全くスピードが落ちない。いや、寧ろ安定している。
しかしそんなわけがない。どんなスタミナお化けでもウマ娘は生身だ。どう頑張ったってコーナーでは遠心力が働き、内側を走るカブラヤオーはスピードを落とさずにはいられない。だというのに彼女のスピードは全く落ちない。
「は、そらそうやろ。カブラヤオーの武器は体勢のごっつ低い逃げ足とあの圧倒的なカービング能力にあるんやからな」
観客席にて、タマモクロスは分かっていたかのようにそう呟く。
カブラヤオーの走り方は簡単に言えば極端に頭を低くし、空気抵抗を極限まで少なくする低空飛行だ。これはカブラヤオーの体が他のウマ娘に比べて圧倒的小柄である事を生かし、尚且つ逃げとして最速で走るために一週間で考え抜いたものだった。
まだ完成には程遠いが、それでも圧倒的に小さい体をさらに前傾姿勢にして空気抵抗を減らした事による圧倒的な速さは、他のウマ娘の逃げの追随を許さないほどに強烈。
そして圧倒的なカービング能力はこれまた単純明快で、カブラヤオーはカーブの際に、ほぼ地面と平行になるのではというぐらいに体を傾けていたのだ。
口で言うのは簡単だが、これはウマ娘にとって大変危険なことだ。カーブで体を傾けるのは基本だとしても、その角度が鋭角になればなるほど、一瞬のミスで転倒、あわや骨折という大惨事を引き起こしかねない荒業だった。
ではなぜカブラヤオーにはそれが出来るのか、それは彼女がトレセン学園に入学する前にずっと行ってきた山道マラソンによって他ならない。
文字通り山道は獣道、足場が砂のように脆いところもあれば岩のように硬いところもある。急な坂なんて当たり前で、尚且つ急カーブになることだってしばしばだ。
そんな自然を相手にトレーニングしてきたカブラヤオーにとって、整備された芝の上なんて楽園のようで、多少練習しただけであっという間に超鋭角体勢のカーブをものにしたのだ。
これにはトレーナーであるトキノミノルことたづなもあり得ないと言わんばかりに口を開けていた。低身長であること、鍛え上げた持ち前のスタミナ、そしてこの圧倒的なバランス感覚とそれを可能にする天性の肉体。その全ての複合こそがカブラヤオーの真価だった。
だが、それでもと他のウマ娘達は食い下がる。圧倒的なリードを保ってこそいるが、カブラヤオー自身のスピードは言ってしまえば平凡で、ジリジリ、ジリジリと少しずつ距離は縮まっている。
現に第二コーナーを抜けた頃には3バ身程度の差に落ち着いていて、他のウマ娘達の予測では最終コーナーを抜けた直線400メートル、そこで勝負を決められる。全員が全員そう感じていた。
実際これが普通の逃げウマ娘が相手ならば、その考えは理論的に間違っていない。逃げというのはスタミナの浪費が激しい。最終コーナー抜けて力尽きて最下位転落なんてことだってしばしば存在する。
だが、彼女達は気付いていなかった。自分達がどういう状況に陥っているのかということを。
最終コーナー、最初に抜け出したのは当然カブラヤオー。他のウマ娘達もジリジリと追い上げて2バ身まで迫って来ていた。
さぁここが勝負、そう思って駆け抜けようとするウマ娘達。だが、その脚に異変が起こった。
(―――ウソ、なんで?)
溜めていたはずの足が、最終直線に掛けていたはずの足が全く動かない。いや、動いてはいるが加速できないのだ。
こんなことはあり得ない。いったいなぜ、そう思った矢先に目の前のカブラヤオーが信じられない走りをし始めた。
なんと超低空姿勢だった体をさらに低くし、もはや忍者走りと呼んでも過言ではないぐらい、まさしく地を這うが如き体勢でさらに加速したのだ。
あり得ないとあり得ないが交わりすぎて、彼女達にはもう訳が分からなかった。これを見抜けたのは、観客席の彼女、リギルのトレーナーである東条ハナその人だけだった。
「いやらしいわね。彼女、最終コーナーまでずっと一定のペースで走る速度を上げていたのね」
そう、これこそがカブラヤオーの最大の武器。自分自身のペースアップを自然に、走ってるウマ娘に自分では分からない程度に上げていくことで自然と
ペースを作る逃げだからこそできる戦法、圧倒的なハイスピードでスタミナを削る策ではなく、じわじわと真綿で首を絞めるように相手を自滅させていく。
仮にこんなのを相手にできるウマ娘が居るとすれば、恐らく同じ逃げるウマ娘だけだろう。先行以下の逃げより後ろで走るウマ娘は全員餌食になる。たとえ追込だろうと彼女を抜くのは至難の技だ。
「これで入試最下位?嘗めるのも大概ね」
恐らく入試レースでは本来の脚質ではない走りで走ったのだろう。それゆえの最下位判定。
さらに言えばチームでもあまり強くないという情報は来ていたが、それは恐らくアークツルスのトレーナー……『トキノミノル』こと駿川たづなが三味線を引いていたのだろう。
「見ておいて正解だったわ。彼女は間違いなく1年生の中ではルドルフ、貴女と同じかそれ以上の優駿よ」
「ええ、だからこそ、カブラヤオーは私が倒します」
ルドルフの目には先頭を独走しゴール板を駆け抜けるカブラヤオーの姿が、脳裏にはカブラヤオーを、倒すための思考レースが際限なく行われていた。
珍しく自分の同年代で、尚且つ自分でも勝てるか分からない相手というその情報は、友人としては嬉しく、ライバルとしては困ったものだった。
そしてそのレコードタイムは2:02:38と、ルドルフのタイムを2秒以上、マルゼンのタイムを一秒以上更新するという、まさしく1年生最速を証明するに他ならなかった。
「は、はは……マジかよ」
そしてこの様子を間近で見ていた亀谷は、もはや呆れたような言葉しか出てこなかった。
優駿の名にも上がらないような無名、圧倒的なスピードとスタミナ、そしてあのバランス感覚と最後の差し込み。
まだまだ彼女のトレーナーである『トキノミノル』に比べれば荒削りの未完成、だというのに目が離せない、いや、離すわけにはいかない。
あんな『大逃げして差す』ウマ娘なんて聞いたことがない。まさしく無名のウマ娘が魔法によってシンデレラのようになるとはこの事だろう。
「おい、俺は『カブラヤオー』を追い続ける」
「ちょ、マジですか亀谷さん!?編集長になんて説明するんですか!!」
「んなもん撮ったレース見せつけて納得でもなんでもさせるに決まってるだろ!!お前だって見てただろ、あの漆黒のウマ娘の走りを!!」
久々に感じた記者としての魂が震え上がるレースに、今までの怠惰さはあっという間に消え去った。そして、
「今年の模擬レースは全部観戦するぞ!!絶対にある、絶対にあるはずなんだ」
―――
そう内心叫んだ亀谷の声が届いたのかは誰にも分からない。だが少なくとも、トレセン学園とトゥインクルシリーズに嵐が起こることを、亀谷は確信を持って予測していた。
ウマ娘図鑑
カブラヤオー
適正 芝A ダートB
脚質 逃げS 先行G 差しG 追込G
距離 短距離A マイルA 中距離A 長距離C
レース描写難しいですね……直接カブラヤオーの視点で書かなかったので地の文めっさ多くなりました。(カブラヤオー視点で書くと逆に安っぺらくなっちゃったので)