レース直後のロッカールーム、私はふらふらとした足取りで置かれているベンチに座ると、ガンガン鳴り響く耳鳴りと頭痛に吐き気を感じた。
今日の模擬レース、はっきり言えば実力を出しすぎたわけで、本当は最後の加速はするつもりは最初なかった。
けど、考えていた全てが順調に、そして最高の形で繋がったことに走りながら昂って、結果としてルドルフさんやマルゼンさんを越すタイムを叩いてしまった。
「おっす、見てたぞカブラヤオー」
と、タイミングを見計らったようにシンザン会長がやって来たので、私は不調に見えないように、至って普通の表情で会長を見る。
「ひとまずお疲れさんカヤ」
「ありがとうございます、シンザン会長」
「あぁ。まさかうちのルドルフやマルゼンを追い越すスピードとはなぁ、予想以上と言うべきか、予想外というべきか悩むくらいだよ」
そう言ってドリンクを渡してきて、私は素直に受け取って口に含むが、やはり吐き気が強すぎてさほど多く飲み込めない。
「はぁ……はぁ……」
「どうやら、今はいっぱいいっぱいってところかな」
「そうですね、なんていうか、自分の今の全てを出し尽くしたって感じでしょうか?」
正直今日あれだけ逃げ切れたのは奇跡に近い。開幕内側で一直線だったことと初見殺しという二つの大きな要因が絡まなかったら恐らくここまでの大逃げはできてなかったと思う。
それに未完成のフォームで走ったことも、この予想以上の疲労の原因だ。たった一週間で考えて練習したフォームとはいえ、実際に練習したのは自身が逃げという事を隠すために毎日一時間弱程度しか練習してない、完成度一割未満の荒業。正直今日の1着は運の良さと呼ぶべきだろう。一歩間違えば本当に大怪我必死だったのだ。
「二週間後の第二模擬レースまでに完成度を上げておきます」
「そうだな、少なくともルドルフはカヤと戦う気満々だったし」
「そうなんですか?」
少し意外だと思うと同時に、多分無理だとは思ったが、次の瞬間シンザンさんの表情が底冷えするような真剣なものに変わった。
「今回のレースでカヤが今の1年の中では上位の実力だってのは誰もが認める事になった。が、それを良く思わない連中も少なくない」
「良く思わない……ですか?」
「あぁ、いわゆるスカウト班って奴で、入学前の優れたウマ娘達をトレセン学園に文字通り
その説明に私は尚更分からなくなる。
「えっと、なんでそのスカウトの人達が良く思わないんですか?こう言ったらなんですけど、スカウトの人達の仕事はウマ娘を勧誘するだけで、入学したあとは関係ないんじゃ」
「逆転の発想だカヤ。スカウトの仕事は文字通り勧誘することだが、自分達が心血を注いでスカウトしたウマ娘達が、
「?そんなの実力が違ったってだけの話でしょう。その事で因縁を付けられる理由が分かりません」
私の返しにシンザン先輩は悩ましそうに頭を抱えた。
「えっと、カヤさん?お前競争ウマ娘のことをなんだと思ってるんだ?」
「実力結果主義。勝者以外は全員敗者で、ただ速くて強くて運の良いウマ娘が結果を示すものだと」
「き、究極的だな……」
「ただ考え方がドライなだけです。それに、他人より経験で劣っている私は自分の走りに集中してないとダメで、他のウマ娘からなんと言われようと一点特化で進むしかありませんから」
実際私は皆より速いというが、競技ウマ娘の中ではレース経験が他の人に比べて全くないうえに、今の逃げのスタイルだってまだ一週間ぐらいしか練習してない付け焼き刃の状態だ。
そんな私が勝ち続けるには、他人からどう思われ、嗤われようと愚直に、ただ前を走るしか道はない。
「それに、そのスカウト班の人達が喚いたって私が勝った事実は変わらないし、私の方が速かったって事実は変わらないでしょ?」
「そりゃそうだが、スカウト班の連中がお前を潰すために動いたりしてくるかもしれないだろ?」
「無理ですよ」
シンザン会長の言葉に一刀両断で返す。
「客観的な意見ですけど、私を潰すためには私と同じように前を全力で逃げるウマ娘を相手にしなきゃいけないと思います。けど、スカウトの人達が私以上の逃げをできるウマ娘を探しているとは思えません」
「大きく出たな、けど詳しく聞かせろ」
「単純な話です。たづなさん曰く、トレセン学園に入学する前のウマ娘が逃げで走って公式戦に出ていたら、そのウマ娘は間違いなくトレセン学園に入学する以前に故障するか、しなくてもスカウトの目には留まらないって言ってました」
これはガビにも聞いたが、自身の適正が逃げだと知ったときから彼女も公式レースには出ておらず、ひたすら肉体強化……逃げでも壊れない足腰を作る練習ばかりしていたそうだ。
私も結果として、山道マラソンという足腰を鍛えるメニューをこなしていたわけだが、そうしないとたった1000m逃げるだけでかなりの疲労が膝や骨に蓄積され、あっという間に競争寿命を削ることになるらしい。
特にまだ体が完全に出来上がってない頃から逃げで大会などに出ていれば、余計に削ることになるのは当たり前の事で、だから体に負担の少ない先行や差し以外ジュニアレースでは殆ど行われないそうだ。もし大怪我をすればそのウマ娘の将来にも関わる話だし。
「それに逃げに特化した相手を捉えるには同じく逃げに特化したウマ娘だけ、たづなさんが私に教えてくれたことです」
「なるほど、けどお前のあのスローペースアップは多分今日のお前のレースを見た連中にはバレてるぞ。それでも勝てるのか?」
「勝ちます。たとえ私達の学年で最強を誇るルドルフが相手でも」
私はそう言って立ち上がりロッカールームから立ち去ろうと―――
「っ!!」
立ち上がった瞬間に目眩がしてロッカーに手をついてしまった。
「お、おい、大丈夫か?」
「べ、別に」
大丈夫、そう言おうとした瞬間きゅ~と異音が部屋の中に木霊した。
「……」
「……」
まさかとこちらを睨むシンザンさんに、私は明後日の方角へ必死に首を向ける。が、すぐにその両腕で私の顔を正面に向けたシンザン会長のとても素晴らしい笑顔がこちらに向かれた。
「……おいカブラヤオー、お前今日ご飯しっかりと食べたか?」
「……実は緊張で朝から何も食べてないです」
事実だった。本番のレースで走るなんて完全に初めてだった私は、ただでさえウマ娘の中では細い食事が緊張によって全く、全然喉を通らなかった。
なんとか購買で買ったゼリー飲料を飲むことはしたが、代謝の良すぎるウマ娘の体にはその程度おやつにもならない。
結果、私は現在空腹で栄養失調寸前という、レース結果に反比例するぐらい情けない姿になっていたようだ。
「はぁ、なんとも締まらない学年最速だな」
「はい、猛烈に自覚してます」
「自覚するならちゃんと飯は食べろ!!無事之名バは食からだ!!」
決めた今日は無理矢理でも食べさせると、鼻息荒く私の襟を掴んだ会長に、私は抵抗する気力もなくただただドナドナされていくのだった。