模擬レースの翌日、私は今日も朝早くからあの河川敷で自主トレーニングに励んでいた。
「カヤ、体勢が少し崩れてるよ。それじゃあの模擬レースみたいに走れないよ」
「ありがとうガビさん」
私の走りを見て同室の友人が注意してくる。けど、
「ガビさんは走らなくても良いの?自分の練習だってしなきゃだし」
「そう思うならさっさとフォームを完成させること。そして私と併走してよね」
「あ、あはは」
さらりと宣う彼女に苦笑いで返し、私は改めて昨日のレースを思い出す。
(昨日はゲートが空いた瞬間、スタートの瞬間までに溜めていた脚で勢い良く踏み抜いた……)
その瞬間を、ただ愚直に再現できるように構える。目を閉じ空く瞬間まで頭から足の指先まで極限に集中し、そして
「はい」
ガビさんの柏手一つで勢い良く駆け出す。が、
「カヤ、体勢がスパート並みに低いし、出るの速すぎてそれじゃゲートにぶつかるよ」
どうやらやり過ぎていたようだ。
「うーん、これでもダメか」
「まぁこればかりは反復練習みたいなものだからね。っと、そろそろ寮に戻って仕度しよ」
わかったとその場は返し、私はふと河川敷の上に視線を向ける。
「?どうしたのカヤ?」
「う、うん……なんか誰かに見られていたような」
「見られていたって、誰も居ないよ」
「うーん、気のせいじゃない気もするんだけど……」
こう言ってはなんだが、私は他人より警戒心が強いおかげというかギターを弾いていたおかげというか、ちょっとした音で誰かが居るかどうかある程度分かる。
そんな私の耳も誰かが、そしてそれが何時もの知り合いたちの気配のそれとは全く違う誰かが居たと告げている。
「でもここには誰も居ないしね……気のせいだったんじゃない」
「そうだと、いいんだけど」
若干腑に落ちない気がするが、少なくとも今はその視線も音もしないためすぐに意識から外し、ガビさんを追って自分の部屋に向かうのだった。
「……あれが叔母様が気に入ったウマ娘、でしょうか」
そんな私を茂みの中から見ている黒鹿毛の少女が居たことに気づかないまま。
突然だが私は人混みというものが嫌いだ。人気店の行列も嫌いだし、いわゆる街の流行とかいうのもあんまり興味がない。
なんでこんな唐突にどうでもいいような事を地の文で書いてもらったかというと
「カブラヤオーさん、昨日のレースのスタート凄かったよね!!」
「ねぇ、今度どうやったらあんな凄い走りができるのか教えてほしいな」
「あ、ズルい!!私だって教えてほしいのに!!」
「え、あ、その……ごめんなさいぃぃぃ!!」
私は今、何故かクラスメイトの人達にまとわりつかれています。それも朝の自由時間から授業の休み時間の合間ずっとです。
おかげで私は耐えきれずにエスケープ……するのだが、何故か彼女たちは私の事を追ってきた。まるでツチノコを見つけたUMA探検家のような感じで。
仕方なくチームメイトとルドルフに頼み込んで匿ってもらってなんとかお昼休みは逃げ切れたものの、私の中ではストレスがたまりっぱなしだった。
「うう、どうしてこんなことに」
「まぁ仕方ないと言えば仕方ないだろうな。同じ一年生で、推薦でもなんでもない、言っては悪いがドベ入学のカヤが、私やマルゼンよりも速いタイムで昨日の模擬レースを勝ったんだ。注目されるのは期待の証さ」
ルドルフに匿ってもらった場所……チームリギルの部室で持ってきてもらったお昼ご飯のおにぎりを食べながらため息を漏らす。
「期待なんてしてほしくない……っていうのは傲慢だよね」
「そうだな。だが、カヤならばこれぐらいすぐにでも慣れると思うぞ。何気に図太いうえに肝が据わってるからな」
「できればこんなところで肝が据わりたくないんだけどな」
もう何度目かという嘆息にルドルフは苦笑いだが、私としては切実な問題だった。
「いつまでこんな感じなのかな」
「さぁ、私にもこればかりはなんとも言えないな」
「私の平穏な学園生活が~」
私はただ平穏無事に学園生活を送りたいだけなのにという切実な願いは、どうやら三女神様にも許してもらえないらしい。
「入るわよ……ってルドルフとあなたは」
と、突然ドアが空いて誰かが入ってきたかと思うと、その人は私の事を見て少し固まった。
「おハナさん、すみません。ちょっとカヤを匿ってまして」
「匿ってって……あぁ、昨日のレースのこと」
おハナさんと呼ばれた女性は何かに納得したのか、私の目の前まで来てスッと懐から何やら名刺を取り出して渡してきた。
「はじめましてね、カブラヤオー。昨日のレース見させてもらったけど、一般入学であそこまで速い逃げができるウマ娘は初めて見たわ」
「あ、ありがとうございます」
出されたそれを受け取って確認してみると、そこには
「トレセン学園チームリギル専属トレーナー・東条ハナ……トレーナー!?」
私はその事に驚いて思わず距離を取ってしまい、その姿に二人がキョトンとしてしまう。
「えっと、どうかしたのカブラヤオー?」
「ご、ごめんなさい。どうしてもトレーナーさんって分かるとトラウマが……」
「トラウマ……あぁ、昔所属していたクラブでというやつか?」
ルドルフの問いに私は頷く。どうしてもトレーナーと聞くと、私の事を才能がないと言ってきた事を思い出して一歩下がってしまうのだ。
「べ、別に苦手というだけで、話したりなんだりはできるのでお構い無く」
「そういうことならまぁ良いけど……少しお話を聞かせて貰ってもいいかしら?」
曰く、おハナさんからして私のあの逃げ足はとても驚異だが、同時にどうやればあんな走りができるのか知りたいという事だった。
別にそんなことかと思い、私はとりあえず入学する前に、学校のない土日にほぼ毎日山の中をマラソンしていた事を話す。
「おハナさん、やはりこれは流石に無茶だろ?幾らなんでも体ができてないのにこれは……」
「?何を言ってるのかしらルドルフ、寧ろ彼女のやり方はある種模範的なやり方、というよりもこのやり方を知ってることに驚嘆するぐらいよ」
相変わらずあり得ないと言わんばかりのルドルフに対して、なんとおハナさんは今まで話した全員から批難視されてきた私の練習に肯定したのだ。
これには反論されたルドルフはおろか、私ですら驚いて目を見開く。
「まぁ流石に休日に毎日というのは頂けないとは思うけど、走る競技をやるなら人間ウマ娘問わず、自然の中でトレーニングするのは一番理にかなってると言えるわ」
「そ、そうなんですか」
「ええ。現に海外のウマ娘の練習にはファルトレクっていう、貴女が今まで実践してきた練習と似たようなものがあるのよ」
なんでも不整地……河川敷にあったりする砂や草でできた土手や山の中の砂地といった、いわゆるアスファルト舗装されていない道をペースを変えて走る、遊びから生まれたトレーニングだという。
その効果はスピードやスタミナの向上はもちろん、身体バランスの強化や脚力、心肺機能の上昇とこれだけでもかなりのメリットばかり考えられるという。
「それにファルトレクをやっていたからこそ、ペースを一定で加速させるなんていう他の……少なくとも今現在の日本のウマ娘にはできない芸当ができるわけね」
「なるほど、だからこそあんな無茶としか言いようがない体勢で走れるのか」
「えっと、これってもしかして褒められてます?」
「勿論よ。さらに言えば幼少期からファルトレクをやって来たということは、おそらく今現在のウマ娘の中で最もバ場状態の影響を受けないといって過言じゃないわ」
まさかの誉め殺しに私は少しだけ恐ろしく感じた。あのリギルのトレーナーであるおハナさんがここまで絶賛するという現実に、私は狐に化かされてるのではと思うくらいだ。
「ねぇルドルフさん、これって現実かな?」
「大丈夫だカヤ、寧ろ私が現実かと聞きたいくらいに現実だ」
まさか自分のチームのトレーナーが肯定するという自体に頭が痛くなるルドルフだったが、こうしてしっかりと理由付けされてしまえばもはや何も言えない。
「ねぇルドルフさん、今度一緒に山行く?トレセン学園からちょっと離れてるけど、結構良いトレーニングができるところ知ってるんだ」
「わ、悪いが山は
断ろうとした瞬間、まるで狙っていたかのようにおハナさんが遮ってきた。
「というよりもこれはリギルのトレーナーとしてたづなさんに連絡を取って合同練習という形がいいわね。お題目は新設チームに対する指導で……それに人数的にバスをレンタルして……」
「な、なんかぶつぶつ言い始めたよルドルフさん」
「……諦めろカブラヤオー、こうなったおハナさんは梃子でも動かんさ」
遠い目をするルドルフに苦笑いしている時だった。
「―――申し訳ありません、できればその合同練習とやら、私も参加させて頂けませんでしょうか」
「「「!?」」」
突然ドアを開けて現れたそのウマ娘に私たちは揃って驚愕する。
その黒い髪を長く流し、緑色のリボンを右耳につけた、どこか見覚えのあるような顔立ちの笑顔に、私は朝の視線の正体が彼女だということに気づく。
「あ、貴女は」
「―――私はカブラヤオーさんと同じ今年の新入生の一人、
どうぞよしなに、そう言う彼女の視線は柔和で、しかしまるで私を射ぬかんが如く鋭く光っていた。
というわけで今回から新登場するウマ娘、史実ではカブラヤオーの後に活躍するTTGの一人、緑の刺客ことグリーングラスでした。しかもレギュラーキャラです。見た目はグラスちゃんの黒髪版とほぼ同じと考えてくれれば幸いです。
レギュラー化の理由としてはグリーングラスは祖父母であるダーリングがトキノミノルの全姉だったということで、今作ではトキノミノルことたづなさんの姪っ娘扱いという立場です。え?苦しい?うん、自分でもそう思います。