ウマ娘にとっての王道はやはりなんと言っても『クラシック路線』と呼ばれる中長距離レースだと、昔のとある解説は言っていた。
今でこそクラシック路線……皐月賞、日本ダービー、菊花賞の3つを狙わないウマ娘も増えてきたが、やはりこの3つに勝つことこそ自分が強いと世間や相手に認めさせるに相応しいと思ってるウマ娘は数多く、同時にこの座を狙うウマ娘は同じくだ。
そして今日、コースの違いこそあれどそのうちの一つであるダービーと同じ2400を私達は走る。そしてダービーを勝つウマ娘はこう呼ばれている、
「カブラヤオーは第3レースか……」
トレセン学園模擬レース場観客席、その最前列で亀谷はチラリと周りを見渡す。
やはりというか、この世代で最強と思われたシンボリルドルフとマルゼンスキーよりも速いタイムということと、前回見逃したという大失態もあってこのレース、かなりの雑誌記者やらカメラマンやらが詰めかけている。
「現に恐ろしきは人の性か、まぁあんな鬼才が出てくればそうなるのも分からんでもないが」
亀谷の所属してる出版社は元々ルドルフやマルゼンスキーが所属するリギルを今年の世代の目玉だと考えていた。それ事態は不自然ではないし、だからこそ亀谷はつまらないと思っていた。
が、その出版社の思惑はカブラヤオーと、そのカブラヤオーが所属するアークツルスによって覆された。確かにルドルフやマルゼンに比べれば頭一つ劣るかもしれないが、だがしかし、間違いなくその年の優駿ばかりが揃う脅威の新星。そのエースたるカブラヤオーの大逃げは、生ではない録画の映像だとしても編集部の意見を180度回転させるぐらいわけがなかった。
おかげで亀谷とその相棒たるカメラマンの屋根谷は編集部からアークツルス、ひいてはカブラヤオーを専属で追うことを許可してもらえたのだが、同時に人の意思ほど恐いものはないとつくづく感じた。
「亀谷さん、亀谷さん的にこのカブラヤオーのレースはどう思うっすか」
「そうさな……一概にはなんとも言えないが、それでもカブラヤオーには少し不利だろうな」
カブラヤオーは逃げウマ娘だ。逃げは距離が長ければ長いほどにスタミナ大きく消耗し、そしてそのスタミナが切れれば逆噴射して埋もれてしまう。
そしてそのカブラヤオーの逃げ方は大逃げと呼ばれる一人旅だが、その中でもすこし特殊な逃げ方でもある。
亀谷が録画したレースを穴が開くほど見直して漸く気づいた事だが、カブラヤオーは逃げながら少しずつ加速し、最終直線で残りのスタミナ全てを使いさらに末脚を爆発させる、大逃げ差しと呼ぶべきスタイルだ。
だが、この戦法はかなりリスクがある戦い方であり、亀谷自身が色んな伝を使って彼女が『ファルトレク』式トレーニングをこなしてることを知ったうえでなお、不安材料しかないスタイルだ。
加えて今回のレース、アークツルスへ新参入した
「だが、そのデメリットを何らかの形で克服しているのなら、或いは……」
そう亀谷が呟いたその時、第3レースへ出走するウマ娘がちらほらと入場してきた。
あとは全て三女神様の思し召し次第だな、亀谷はそう呟いた。
時は少しだけ方遡り、控え室にてカブラヤオーはシューズと蹄鉄の確認をしながら、この先のレースを思い浮かべる。
フォームは前回よりも安定したし、逃げのペース配分もなんとなく理解してる。だが、同時にその全てを持ってして2400という長距離とも取れるコースで勝てるかと言われれば絶対とは言えなかった。
(本当に強いウマ娘なら、こういうところで自分が絶対に勝つって、本気で言えるんだろうな)
カブラヤオーは自分自身が凡庸なウマ娘だと考えてる。それは逃げが上手いとか誰よりも速く走れるという意味ではなく、自分自身と他人を素の状態で客観的に比較できたうえではおそらく今回のレース最低のスペックは自分なのだという意味でだ。
自分は天才ではないし、持って生まれた才能は1度も怪我をしたことがないという頑丈さだけ。それを使い潰すつもりでトレーニングした結果誰よりも速く逃げれるだけ。
言うなれば自分は良くて精々努力の秀才で、ルドルフやマルゼンのような一級品のウマ娘は天才であると同時に努力の秀才でもある。
その差はおそらく今はまだ無茶なトレーニングでできたスタミナやスピードでギリギリ対等でいられるが、この先それがどこまで続くかは分からない。
だからこそ自分の事を凡庸なウマ娘だと認めている。認めているからこそ、このレースで負けるつもりはない。
(今回のレース、私はほぼ大外と同じ場所からスタート。しかも今回は自分が逃げだってバレてる状態で走る。かなり不利な状況に間違いない)
おそらくグリーングラスは差しだから後方で最初は伺うだろう。そして多分両脇のウマ娘が私を逃げさせないためにブロックしてくる可能性は高い。
仮にブロックから逃れて前に出れたとして、一番の強敵であるグリーングラスをこの前の戦法で掛からせる事ができるか?恐らく不可能。彼女は世間から偶に『刺客』と呼ばれるウマ娘の目をしていた。まるでターゲットを見つけて絶対に差すといわんばかりの鋭い眼を。
ならばどうするのがベストでベターなのか、頭の中で幾つもシミュレートしては却下し、限界ギリギリまで思考を止めない。
「失礼、カブラヤオーさん」
と、そんな彼女を知ってか知らずか、私が今回のレースで一番厳しい相手と目すグリーングラスさんが声をかけてきた。
「なんですか、グリーングラスさん」
「ええ、少しだけ、ほんの少しだけ昔話を聞いていただけませんか」
そんなに時間は取らせません、そう言うグリーングラスさんに何も言わずに視線で続けるように促す。
「カブラヤオーさん、貴女にとってトキノミノル……たづなさんはどんな人ですか?」
「どんなって」
その問いにカブラヤオーは少しだけ首を傾げ、真面目でウマ娘のことを良く見ていて、怪我などをして欲しくないと切に願う人だと思ったと伝える。
「ええ、確かに世間や回りからすればそのような印象になると思います。けど、私の家族はそうではなかった」
「そうではなかった?」
「トゥインクルシリーズ黎明期、G1優勝を果たしたウマ娘の姉や妹という存在が、更なる強いウマ娘を産み出すためにトゥインクルシリーズの上層部から無理矢理男性を宛がわれて、無理矢理子供を生まされるという事がありました」
私の祖母がまさにそれです、というその言葉に絶句した。
「強いウマ娘を産み出すというお題目を叶えるため、薬を用いた強姦、望まない妊娠と、それはもう阿鼻叫喚の地獄で、私の母もその中で産まれました」
「地獄……」
想像するだけで悪寒が止まらない。トゥインクルシリーズはプロスポーツであると同時に、その大本は国が管理してる。いわば現代の国営コロッセオのようなものだ。
そしてそんな事を裏で行えるのは間違いなく国の人間、いわば官僚たちが主体となったに違いない。
「勿論今でこそそんなことにならないように法整備がされ、被害者ウマ娘達は保護、薬からの治療を受けることができたうえで、さらには賠償金が支払われる事になりました。が、祖母たち被害者ウマ娘はその輝かしい成績を残した家族を、トゥインクルシリーズそのものを怨むようになっていきました。事実私はトレセン学園に来るまで叔母様と直接会うことができなかったほど、祖母や母にとってはトキノミノルというウマ娘は怨嗟の対象だったのでしょう」
その家族が輝かしい成績を残したから、自分達は地獄に落とされた。そう思い悩んだ末に自殺や、その家族を殺そうとしたウマ娘も少なくない、その言葉は何よりも重かった。
「私にとってのたづな叔母様……トキノミノルは調べれば調べるほどに憧れた相手であると同時に追い越したい相手。けど叔母様は姪である私ではなく、貴女の事を後継と見た。その事が私は堪らなく悔しい」
そう言ってグリーングラスはまるで深い緑のオーラを隠さずにカブラヤオーを睨み付ける。
「ゆえに私は同じチームであろうと、貴女の事を徹底的に叩き潰し、叔母様の真の後継は自分であると証明するつもりです……御覚悟を」
そう言ってグリーングラスは出ていこうとする。
「待ってください」
が、カブラヤオーはそれを無理矢理押し止めた。
「正直、私が貴女に対して言うことは何もない。いえ、何かを言う資格はないと思います。私自身がその本人たちを見た訳じゃないから」
「……」
「けど、これだけは言わせてもらいます。貴女の目的なんてどうでもいい、ですけど、
そう言って小柄な少女は改めて髪を簪で縛り直すと、鋭い目で緑芝の少女へと睨む。
「腹は括りました。貴女に逃げ切り勝って見せます」
「……ふふ、ええ。充分に逃げてくださいな、私から逃げ切れるものでしたら」
『漆黒の韋駄天』と『緑の刺客』、真に後継足らしめんとする二人の少女の戦いの火蓋が間もなく落とされる。