「Goddamn very hot!(暑すぎる!)」
東京の府中、そこのとあるホテルの一室にて一人の少女が、日本特有の気だるくなるような蒸し暑さにやられ、初めての観光旅行というのに相応しくないような表情でベッドからむくりと起き上がる。
紅みがかった栗毛を短く乱雑に切り揃え、鋭い目付きの中に眠るどこか垂れた雰囲気というアンバランスなその表情、そしてウマ娘特有のウマ耳の右には赤いリボンがつけられたそのウマ娘こそ、去年のアメリカクラシック三冠を制覇した、『偉大なるビッグレッド』ことセクレタリアトである。
「You've been in a bad mood since this morning, Ms. Secretariat.
(朝からご機嫌ななめだね、Ms.セクレタリアト)」
「It's not that I'm in a bad mood.I just didn't think the nights in Japan were so hot and humid.I was using the air conditioner, but it didn't seem to work at all.
(別に不機嫌というほどじゃないよ。ただ日本の夜がこれほどまでに蒸し暑いとは思わなかった。エアコンを使っているのにまるで効いてないようだったよ。)」
態々同室で泊まっていたこの日本の知人であり、今回観光ガイド兼通訳をしてくれているシラオキに苦笑されるが、私としても聞いた以上の蒸し暑さに辟易とする他なかった。
「We still have a long way to go with this hot and humid weather.When I went to see the Fukushima Grand Prize race before, it was in the middle of summer in the basin, so it was hotter than here, and I was sweating a lot because it was far from the station to the race track.
(この程度の蒸し暑さならまだまだだね。前に福島の重賞レースを見に行った時は、盆地で夏真っ盛りだったからここなんかよりもっと蒸し暑いうえに、駅からレース場まで遠かったから汗が凄かったよ)」
「Really? Summer in America was dry, but the heat in Japan seems to be damp and really hard.
(ホント?アメリカの夏はからっとした暑さだったけど、日本の暑さはジメジメしてホントにキツそうだ)」
そんな当たり障りのない話をしながらも私は愛用している枕を片手に立ち上がり、現役時代からの癖である屈伸運動をしながら今日の予定を確認する。
「If I remember correctly, I'm going to check the preliminary inspection of the Tokyo racecourse that I'm going to have reserved for you today and the level of the race for my Japanese horse-daughter.
(たしか今日は、貸し切りしてもらう予定の東京レース場の下見と、日本のウマ娘のレースのレベルを確認するので良かった?)」
「That's right. As I said before, there's also a horse-daughter race that I'm planning to ask for a side-by-side role on that day, so please look forward to it.
(そう。前にも話したけど、その貸しきりの日に併走役を頼む予定のウマ娘のレースもあるから、楽しみにしておいてほしい)」
「Running side by side...? Honestly, no matter how injured I am and how unfamiliar I am with the sand dart, I don't think there will be a fierce person who can follow my best run.
(併走ね……?正直な話、私がいくら怪我で半分引退してるような状態で、しかも走る場所が私にとっては慣れない砂のダートだとしても、私の全力の走りに着いてこれる猛者が居るとは思えないんだけど)」
不満げな表情をする私に、シラオキはタブレットを取り出して何やらポチポチして渡してきた。なんだと思って受け取って見てみれば、そこに映し出されていたのはレースの映像だった。
(レースの映像データ?録画みたいだけど日付は……今から3ヶ月近く前?)
なんでこんなものを見せたのか疑問に思いながら映像を見続け、そして納得した。
(映像だけど、このカブラヤオー?というウマ娘は確かに速いね)
脚質は逃げ、それもハイペースな大逃げタイプで、さらに最終コーナー移行は差し込みすらできる余裕があるウマ娘なんて、他にできるのは私ぐらいか。いや、私でも無理をしなければできないかもしれない。怪我をしてる今ならまず不可能だ。
「Ms.Shiraioki, if you're going to show me this video now, she's... Kabrayao is in the race I'm going to watch today, right?
(シラオキさん、この映像を今私に見せるっていうことは、今日見る予定のレースに彼女が……カブラヤオーがいるんだね?)」
少しだけ興味が湧いて確認すると、彼女はコクリと頷いた。
「I see, by the way, which race is it?
(なるほど、ちなみに何番目のレースなのかな?)」
「She was supposed to run in the seventh race.
(予定では彼女は第7レースの出走となっていたはずです)」
「7th? Are you sure it's in that order...?
(第7?たしかそのレース順だと……?)」
「Kabrayao runs in the seventh race of the Tokyo Racecourse.What's more, she's making her official debut in the 1200m dart today.
(カブラヤオーが走るのは東京レース場第7レース。もっと言うならダート1200mのメイクデビュー戦だよ)」
日本のダートレースは程度が低い。私の地元のアメリカじゃそんなことを言うやつは結構な数居た。
ダートだというのに砂のレースだということで、そんなスピード感が無い状況で、しかも殆ど人が居ないような場所で走る連中なんてたかが知れてる、そういうのが殆どだ。
けど、私からすればそれは半分誤りだとおもう。実際日本ではダートより正統派な
「But Ms.Silaoki, why did you choose the debut game with fewer spectators?It is true that there will be no G1 race at this time of year, but if that's the case, a heavy prize race would be fine.It's no use looking at an unknown player, and to be honest, it's a waste of time.
(でもシラオキさん、なんでよりによって観客の少ないデビュー戦を選んだんですか?確かにこの時期にはG1レースは無いそうだけど、だとするなら重賞のレースでも良いはず。わざわざ無名の選手なんて見ても仕方ないし、はっきり言って時間の無駄でしょ。)」
私は不満をぶつけるように異国の知り合いであり、この国のガイド役をしてくれる彼女にそう問いかける。
「……A waste of time? A hero who was also called the Great Big Red says that when he doesn't even see it?
(……時間の無駄?『偉大なるビッグレッド』とも呼ばれた英雄が、見てもないのにそんなことを言うの?)」
「Then why did you bring me here?Ms.Shiraoki, I know you're good as a trainer, but I don't think it's good to show a newcomer who likes you.
(ならばなんでこんなところに私を連れてきた?確かにシラオキ、貴女がトレーナーとして優れてることは知ってるが、だからといって手前贔屓な新人を見せるのはどうかと思う)」
「That's not the case, but I just want you to see if she deserves to run alongside you, who was called the Great Big Red, when my great senior recognized her as a trainer.
(そうじゃない。けど、私が尊敬している偉大な先輩がトレーナーとして、自分の後継者に相応しいと認めた彼女が、『偉大なるビッグレッド』と呼ばれた貴女と併走するに値するか見極めて欲しいだけ)」
「Respectful senior? What kind of person is he?
(尊敬する先輩?その人はどんなウマ娘なんですか?)」
私の問いに彼女は応える。
「...I'm sure you've heard of her name, too.She was once nicknamed "Phantom" and "Perfect" and won two gold medals in the Classic Race, including her debut.Far from being able to point out his escape, she was late for the race due to injury, but she won without burdock in no time.I don't think it's strange that if there's no injury, it's probably an undefeated triple crown.
(……貴女も彼女の名前ぐらいは聞いたことがあるはず。彼女はかつて『幻』や『パーフェクト』の異名で呼ばれた、デビュー戦含めて10戦無敗でクラシックレース二冠を成し遂げた覇者。あの人の逃げを誰も差すことができないどころか、怪我でレースに出遅れたのに他をあっという間にごぼう抜きにして勝ってしまった魔女。もし怪我が無ければおそらく無敗の三冠となっていても不思議じゃないと私は思う。)」
そこまで言われて私は納得した。
「I see, Tokinominol, if what you want to show is her successor to a legend that once became a movie, it might be a different story.
(なるほど、確かにトキノミノル、貴女が見せたいのがかつて映画にすらなった伝説の彼女の後継者というのなら話は別かもしれない)」
偉大なウマ娘は映画の題材になることも少なくないが、日本のウマ娘界で正しく伝説の一人というに相応しいその人物がトレーナーで、かつ自分の後継と言うのなら見る価値は無いとは言えない。
「But I can't believe that the legendary disciple of Tokinominor will make the sand dart race the main battlefield.I think it's a little wasteful.
(だが、その伝説のトキノミノルの弟子が、まさか砂のダートのレースを主戦場にするとは。少し勿体ないと私は思う)」
「...no, she was originally a sprinter on the lawn.I've heard a little bit that she practiced running a full marathon every day on unmaintained mountain roads and animal roads even before entering Tresen Gakuen, so she's qualified to run in dart race without any problems.
(……いいえ、彼女は本来芝の短距離・マイルを走る選手。少しだけ聞いた話だと、彼女はトレセン学園に入る前から整備されてない山道や獣道でフルマラソンを毎日走るような練習していたから、ダートレースでも問題なく走れる適正があるそうです)」
冗談めかして問いかけたそれに対する答えに、私は思わず持っていたハチミツドリンクを落としそうになった。
「I might have misheard her, but she was originally a sprinter or a mile runner, wasn't she?I heard that such a player ran a little over 40 kilometers every day on mountain roads and animal roads before entering Tresen Gakuen.
(私の聞き間違いかもしれないけどさ、その彼女とやらは本来短距離やマイルを走る選手なんだよね?そんな選手が、まだトレセン学園に入力する前から、山道や獣道で40㎞強を毎日走っていたと聞こえたんだが)」
「That's right. And unofficially, he seems to have escaped from Shinzan, the triple crown winner, before he became a disciple.
(その通り。しかも非公式にだけど、三冠覇者の『シンザン』に、まだ弟子になる前の状態で逃げ切った事があるらしい)」
「Really!?(本当か!?)」
まさかの名前が出てきたことに驚きを禁じえない。アメリカでもシンザンの名前ぐらいは聞いたことがある。日本のクラシックターフでの史上二人目の三冠ウマ娘。しかもG1クラスのレースでは無敗無敵で、たしか聞いた話だと全部でG1は六冠をした猛者だと。
圧倒的な勝ちは無いが、まるで斧や鉈のような力強さで勝つ事から、またま彼女が在学期間である今のうちに、ターフはあまり得意ではないが1度は対戦してみたいと思っている一人だ。
だが、そのシンザンをして未指導のうちに偶々でも逃げ切るウマ娘となれば興味が湧いてくる。しかも芝もダートも……聞いた話だとカブラヤオーの適性は砂より土のダートだろう、それが得意なウマ娘が今日この場でデビューする。もはや日本のダートに対する前評判なんてどうでも良かった。
「Well, Secretariat, it looks like your horse girl is on the field.Zecken is... Number eight.
(ん、どうやらセクレタリアト、君のお目当てのウマ娘がフィールドに出てきたみたいだよ。ゼッケンは……8番だね)」
「Number eight, let's see.(8番か、どれどれ)」
貸してもらった双眼鏡を片手にダートに立つウマ娘達を確認し、ゲートのそばにカブラヤオーは居た。
(うーん、映像でもそうだったけど、かなり小柄なウマ娘だね)
目測だがおそらく150前後、とにかく小柄でなんというか弱々しい印象が見受けられる。
実際他のウマ娘が155後半か160前半である中で、どうしても体格差で可愛らしく思う。
(さて、どんな走りをするのか見ものだね)
結果から言うと、カブラヤオーは当然のように勝った。そもそもダートに出るウマ娘自体が日本では少ないことと、カブラヤオーより一年は上のトレーニングをしたところでカブラヤオーと並ぶだけの猛者が居るとは思わなかったが、それゆえにカブラヤオーは他の追随を許さない圧倒的な逃げ切り勝ちをした。
さて、そんなカブラヤオーのレースを見た私はというと
「Amazing... amazing!(凄い……凄い凄い物凄い!)」
とんでもなく興奮していた。芝が得意で、おそらく慣れないだろう砂のダートを、日本でいうところのヨコヅナズモウ?のような圧倒的な力で捩じ伏せたその姿、追ってくるウマ娘達が短距離だというのに最終コーナーでスタミナ切れを起こしてバテてる中で末脚を爆発させる強さ、そして何より走る最中まるで映画のニンジャのような超々低空姿勢で加速するスタイル、どれを取っても見ごたえしかなかった。
「...how was Kabrayao's run from your point of view?
(どうだった、貴女から見てカブラヤオーの走りは?)」
「It was great!Especially that stamina, when you run away at such a high pace, your legs are overwhelming after an explosive sharpness from the last corner.Even though she is the only horse daughter in the world who can combine that!At least there are no monsters like that in America as far as I know!I can swear!
(最高に良かった!!特にあのスタミナ、あれだけハイペースに大逃げするのに最終コーナーから爆発的な切れ味の末脚は圧巻だね。あれを両立できるウマ娘は世界広しといえど多分彼女だけだね!!少なくともアメリカにはそんな怪物は知る限り居ないよ!!断言できる!!)」
「そ、そこまで言い切るんだ」
ドン引きしてるシラオキを尻目に、私は思わず色々と考えた結果ニヤニヤしてしまう。
(カブラヤオーは今日デビューしたってことは来年は日本のクラシック路線だよね?ということは少なくとも春の皐月とダービーは出ようと考えていても不思議じゃない。アメリカに移籍してもらう?流石に横紙破りが過ぎるし、私の名前を出しても周りが納得しない。でも間違いなくカブラヤオーならアメリカのレースで活躍できるに違いないし……いっそのこと私が日本へ移籍する?流石にそれは無理だし……)
悩みに悩み頭を抱えていると、ふと視線がなぜかレース場にかけられていたカレンダーに目が行き、そして思い付いた。
「Shiraioki, I'd like to confirm that Kabrayao runs on a classical route, right?
(シラオキ、確認したいけどカブラヤオーはクラシック路線を走るんだよね?)」
「Huh? It's true that Kabrayao is going to do that, but what's wrong with that?
(うん?確かそんなことを話していたと思うけど……それがどうしたの?)」
「Well, it's possible to invite her to that festival after the classical route, right?
(ならさ、クラシック路線の後に、彼女をアレに招待することも、彼女の成績次第では可能だよね?)」
「That festival? ...no way!?(アレ?……まさか!?)」
シラオキは気づいたようでまさかと目を見開いてるが、私はニヤリとしながら彼女を見つめる。
「Shall we go and greet her first?To my dear new rival.
(一先ずは彼女に挨拶しに行こうか。我が愛しき新たなライバルへ、ね)」