トゥインクルシリーズの歴史の中で、最強と呼ばれるウマ娘がいた。
そのウマ娘には鋭い末脚も無ければ、圧倒的な勝利も少ない。いつもギリギリの勝利ばかりでありながら、彼女は日本クラシックシリーズにおいて史上二人目、皐月、ダービー、菊花の三冠を手にした。
シニア期においてもそれは変わらず、秋の天皇賞3200m、有馬記念のグレード制投入以前に『八大競争』と呼ばれていた大レースに勝ったことで『五冠ウマ娘』と、さらにG1宝塚記念をも制覇したことから、『神馬』とも呼ばれることになった。
そしてその伝説のウマ娘が、今このとき限り東京のターフに舞い戻った。
レースというか併せを終えたカブラヤオーは疲労残る体を休ませるようにスタンドに腰かけていた。
「大丈夫お姉ちゃん」
「うん……なんとか」
スポーツドリンクを渡してくる妹に言葉を返しながら、震える手でそれを受けとる。
速かったとか、強かったとか、そういう次元の話じゃない。確かに実力も経験も圧倒的に私のほうがあきらかに劣っていたのは事実で、セクレタリアトさんが手を抜いていたのも分かっていた。
分かってはいたが、実際に走ってみてそんなもの以上の差があったことは走った私自身が一番良く分かっていた。
(技術とか経験とか、そんな小手先の事じゃない。なんていうか、最後のアレはウマ娘としての本能の力みたいな、覚悟の力みたいな……)
それが何かは分からないが、おそらく私がG1を勝つために必要なのは、その何かを見つけることだろうということだけは分かる。
逆に言えば、G1を勝つにはその何かを会得する必要があるということでもある。簡単な話じゃないが、それでもこれから先の練習の手がかりにはなった。
「カブラヤオーさん、セクレタリアトさんの走りはどうでしたか」
そう考えていると、シンザン会長についていった筈のウメノチカラ先輩が横に座ると、そんなことを聞いてきた。
「えっと……シンザン会長の方は?」
「あの人はアレで当代のトレセン学園最強の一人ですからね。勝負服も調整はしたとはいえさほど変わりませんからなんとかなります。寧ろ一人にしたほうが、会長にとっては集中できるかと」
「そうなんですか?」
「ええ。図太いうえに無神経で、G1のようなタイトルですらあっさりと取ってしまうような図太い性格、正直目の前で三冠をかっさらわれた幼馴染みの私としては、何度首を捻ってやろうかと何度も思いましたが、ああ見えてシンザンは勝ちには貪欲なウマ娘なので」
そうどこか楽しそうに笑うウメノチカラ先輩に、なんとなく分かる私はなるほどと頷く。
「ですが今回の相手はダートがメインとはいえ、芝でもG1を勝ってる、アメリカのダートクラシックの三冠女王です。私としては手加減されたとはいえ直接戦った貴女からの意見が聞きたい」
「……私はあくまで逃げのウマ娘です。シンザン会長のような差しの脚質じゃないですけど、それでも構いませんか?」
「寧ろ同じ逃げの脚質だからこそ分かる点がある筈と思ったので。貴女の逃げは、少なく見積もってもG1に出るに相応しい能力はあると見ましたので」
その言葉にどう返していいか分からなかったが、少なくとも見下されたりとかそういう感じは無かった。
「……単純にスタイルが違うのでこうだとは言えないです。けど少なくとも、セクレタリアトさんは私より頭1つ分以上の身長差で序盤、本来の走り方と違う私のそれを真似たスタイルで走れたことから考えて、間違いなくあの人の足と心臓は化け物クラスです」
「確かに、カブラヤオーさんの心肺機能は他のウマ娘以上ですが、セクレタリアトもそうだと?」
「はい。それに走ってて気づいたんですけど、セクレタリアトさんの走りは、なんていうか、洗練されてるっていうか無駄がないっていうか……凄く楽に走るんです」
まさしく走るための肉体と言うべきか、足の動かし方、体勢の取り方、踏み込みの一つ一つが走る芸術と呼ぶべきか、はたまた見せた走りが本気ではないのか、それは私にはわからない。
だがその走りには楽しさが見えた。普通のウマ娘ならば必死さが出るはずのレースで、その必死さが全く見えなかった。私が格下だということを差し引いても、あの巨大な赤いウマ娘は私の大逃げを嘲笑うようにさらなる大逃げをした。ならば
「……
私が超えるべき目標、真っ向からぶつかりたい相手と見定めた私は、疲れる体を起き上がらせて最前列でレースを見学する。
これから走る海を超えた三冠同士の激突から学ぶために。
「この衣装を着るのも久しぶりだねぇ」
控え室の椅子に座りながら、アタシは宙を見上げながら思いを馳せる。
ここで走るのなんて久しぶりだし、ここにはたくさんの思い出がある。初めての重賞レースを勝った場所であり、初めてG1を取った場所。アタシの始まりの場所であり、アタシがトゥインクルシリーズの引退ライブをした終わりの場所。
それからはや1年と少し経って久しぶりに着るアタシの勝負服は、あの頃の思いを甦らせるのと同時に、あぁ、自分はもう終わったウマ娘なんだと改めて思ってしまう。
トレーニングを欠かしたことはないし、寧ろ暇さえあれば後輩たちとともに鍛えたりしてきた。が、勝負服を着ただけで分かってしまう。今のアタシには全盛期ほどの走りはできない。良くて半分が限度だろう、と。
別にその事が悔しくないと言ったら嘘になるが、気にするほどじゃない。盛者必衰、強いウマ娘もいつかは衰えて次の世代に繋いでいく。
アタシもそうなったんだと自覚すると同時に、少しだけ嬉しくもあった。先代の三冠ウマ娘であり、先輩のセントライトさんたちと同じ、夢を魅せる側から夢を見せる側へとなった。アタシを超えろと頑張ってくれる頼もしい後輩たちも見てきた。
「なら今日は、今日も魅せてやろうかねぇ……本物のナタの切れ味をね」
アタシは最後に
「初めて見たわね、貴女のその本気の勝負服」
と、様子を見に着たハナちゃんが声をかけてきた。
「そうさね。そういえばハナちゃんがトレーナーになってからこの衣装を着て走るのは魅せたこと無かったね」
「ええ。私がリギルのトレーナーになったのは貴女が引退したすぐあとだったから」
「懐かしいねぇ、あの頃はうちのおっかないトレーナーから引き継いでてんやわんやしてたのが、今じゃ立派なトレセン学園のトップトレーナーだ」
思い返せば幾らでも思い出せる。が、思い返してみてもハナちゃんがトレーナーになってから出たドリームトロフィーリーグのための衣装は見せたことが何度もあったが、この衣装で走る姿は見せたことがない。
「そうね、でも師匠のお陰で私は今、トレーナーとして優れるようになれた……忙しくて目が回りそうだったけど、それでも不満は無いわ」
「そうかいそうかい。ならアタシも悔いの無いラストランを走ってこようかね」
そうして全ての準備を終えたアタシはドアノブに手を掛け、そしてふとハナちゃんのほうへ振り返る。
「なぁハナちゃん」
「なに、どうかしたの?」
「いやなに、ちょっと頼みたいことがあるんだけどさ―――」
オマケ マチカネシンザン日記
本編少し前
「勝負服……勝負服っと……」
「シンザン、少しはクローゼットの整理整頓をしてください。幾らドリームトロフィーシリーズの勝負服もあるからとはいえ、幾らなんでも雑多にしまいすぎです」
「いや~ごめんねウメちゃん……っとその棚は開けちゃ!!」
「え……?」
シンザン初期勝負服(着物風衣装、蹄鉄付き鉄下駄、ケース入り鉈(刃無し)、般若の面)
「うわ、また懐かしいものが……これクラシック期に走ってた頃のですか」
「そうそう。いや~流石にもうこれは着れないけど、なんだか捨てるのも勿体ないし」
「?貴方の場合そんなに体型は変わってないので大丈夫でしょ」(バイーン!!)
「ウメちゃんそれを言うならクリークしなければならなくなるんだが」(ストーン……)
「コホン失礼……せっかくですし、セクレタリアトと走るのはその勝負服にするのはどうです。どうせこれを逃したら、それで走る機会なんてもう全く無くなるわけですし」
「うーん、まぁ別に構わないけど……大丈夫か?いい歳して若い頃の勝負服着てて笑われたりしないか?」
「そこは大丈夫でしょ。寧ろ私としてはリンゴの食べ過ぎでお腹周りが大変なことになってないか心配ですが」
「……ウメちゃん、少し走り込み手伝ってくれない?スカートが爆発寸前とかだったら怖いし」
「……仕方ありませんね、まったく」