「改めまして、チーム『アークツルス』のトレーナーになりました駿川たづなです。これからびしばし鍛えていくので、よろしくお願いします」
『お願いします!!』
与えられたチームの部屋に置かれたパイプ椅子に七人全員が座り、目の前には緑のトレーナースーツに着替えたたづなさんがニコリと笑っている。
なおたづなさんの正体については私と妹以外には教えていない。広めないでほしいというたづなさんたっての願いのため、私が他のメンバーに教えたのは、たまたま手の空いてるトレーナー資格を持ってるのが彼女だけだったという、半分嘘半分本当の事だけだ。
「まず全員のデータを確認させてもらいました。はっきり言って、全員が全員、ちゃんと努力すれば確実に重賞を取れるだけのポテンシャルを持ってると思っています」
そこまで言ってたづなさんはしかし、と続けた。
「おそらくこの中で今年のメイクデビューに行けるのは二人だけになると思います」
「二人だけ……ですか」
「ええ。今年の一年生で既にチームに所属している、またはチームに所属することが内定してるウマ娘は貴女たちを含めて10人。二人は『リギル』の『マルゼンスキー』さんと『シンボリルドルフ』さん、もう一人はチーム『ペルセウス』の『エリモジョージ』さん。正直ポテンシャルだけならば誰がメイクデビュー枠を勝ち取っても不思議じゃありません」
そういってたづなさんはホワイトボードに何かを書き始める。
「なのでこれから6月末の最後の模擬レースまでの、チームとしての基本方針として、全体的な能力の向上と、それぞれ個人のスキルアップを課題とします」
「具体的にどういうことを?」
「まず明日ですが、なんとかコースを一日確保しましたので1200、1600、2000、そして2400をそれぞれペアで一回、チーム全体の模擬レースという形で一回計ります。これでどの距離が得意なのかをはっきりとさせたうえで、個人としての課題を作成します」
そして、とたづなさんは続けて、
「皆さんへの共通の課題として
『え!?』
驚愕の一言を叩きつけてきた。上がり3ハロン……つまりラスト600メートルを指す言葉だが、そこで32秒を切るというのは結構……というよりもかなり難しい事だ。
距離によってもまちまちだが、上がり3ハロンまでにウマ娘たちは最低でも800~1000メートル近くを走っている。そんな状況のあと、ラストスパートとはいえその速度を出すのにはかなりのスタミナとスピードが要求される。
上がり3ハロンで33秒台……時速にして66㎞弱に乗せられれば速いとされるなかで、これは幾らなんでも無茶がある。
「これが練習でできるようになれば、本番では乗せられなくても充分に一着を取れる可能性が出てきます。欲を言えば練習で30を切ることが大目標ですが、皆さんはまだ体が完全に出来上がっていませんのでそれは言いません」
「いやいや、それだいぶおかしいですから!!」
「おかしくはありませんよ。例えば……タマモクロスさん」
「へ?うち?」
急に呼ばれた自分のことを指さしたタマモクロスさんにたづなさんは頷く。
「タマモクロスさんの脚質は先行と追込の二つ、はっきり言うとこの両方で32秒に乗せられると相手が知ってたら、相手はどう思うでしょう?」
「どうって……うちがどっちの戦法で来るか直前までやきもきするんとちゃいますか?」
「その通りです。タマモクロスさんのように前方と後方、どちらも得意なウマ娘というのは限られています。ですから極端な話、相手のレースの調子を直前で崩す事ができるということです」
そう言われてある意味納得した。特に特定の相手をマークするタイプのウマ娘の場合、タマモクロスさんのようなタイプをマークする場合、どちらでも対応できるマークスキルが必要になるため、これ以上厄介な相手はいないだろう。
「そしてこれは全員に言えること、特に得意な脚質がほぼ全てのハイセイコーさんは特に必要な技術です」
「う、やっぱりそうなるかー」
ハイセイコーさんは若干苦しげな表情だが、それでも目は完全に燃えていた。
「なので明日は模擬レースを行いますので、朝の自主練習は行わないように……あ、それとカブラヤオーさんには条件があります」
「へ?条件?」
「はい、明日の模擬レースから定期模擬レースの間、カブラヤオーさんは
『……はぁ!?』
まさかの一言に私以外の全員が大声で叫んだ。
「ちょっ、お待ちくださいたづなさん!!それはいったいどういうことですの!?」
「カヤの持ち味はあの逃げ脚やろ!!それを封印したら誰にも勝つことなんか」
「ええ。普通に考えれば難しいでしょう。彼女の脚質は完全な逃げ、それ以外は下手の横好きというレベルだと思います」
「下手の横好き……」
相変わらずの酷評に私の心は砕けそうになった。
「ですが、だからこそカブラヤオーさんには逃げを封じなければならない」
「戦略ということですか?」
「はい。カブラヤオーさんの強みは圧倒的なスタミナから来る逃げ、いわゆる大逃げと呼ばれる戦法です。最高速だけなら皆さんとそこまで変わるものではありません」
そう言ってたづなさんは持っていたタブレットを私達に渡してくると、そこには私達七人の細かい情報が映し出されており、私の最高時速……それもいつ図ったのか逃げの時のスピードが書かれてあったわけだが、
「確かに、このタイムだけ見たらカヤのスピードはそんな高くないな」
「むしろ私達と同じぐらいでしょうか~」
「そうだね。けどカヤは逃げてる間、ほぼずっとこのスピードで逃げてたってこと?」
「けど、じゃあなんで私達やシンザンさんはお姉ちゃんを捕まえられなかったの?」
全員が全員、余計に謎を生んでいて、私自身もどういうことかさっぱり分からなかった。
「これは私が直接追いかけたからこそ分かったんですが、カブラヤオーさんの脚は少し特殊な部類に入るタイプだと思います」
「特殊な部類、ですの?」
「ええ、おそらくですが無意識のうちに、カブラヤオーさんは
「段階的な逃げ差し?」
どういうことか、と首を傾げると
「恐らくですが、カブラヤオーさんの脚は走っているうちに、恐らく2~3ハロンぐらいの間隔で少しずつ加速しているんじゃないかと」
「2~3ハロン毎に加速!?」
「はい。圧倒的なスタミナを利用し、相手が追い付いてこられないように徐々に徐々に加速する。結果として他のウマ娘は知らず知らずのうちに掛かりを起こしてスタミナを消耗してしまう。しかもカブラヤオーさん自身がスタミナ切れを殆ど起こさないので自分自身が掛かってることすら分からない。言ってしまえば逃げの最適解の1つと呼べる走りです」
その説明に私含めて顔が引きつる思いがした。そんな相手と走れば、そりゃ追い付けるわけがない、と。
「ですがこれは諸刃の剣、はっきり言うと負担が大きすぎて今のままでは怪我で壊れる可能性が否定できません」
「段階的にとはいえ、徐々に加速していくんだからね、脚への負担は普通の逃げに比べて遥かに大きいよね」
「いえ、脚だけならまだ大丈夫ですが、問題は心臓への負担です。ウマ娘の体が走るために進化したとはいえ、ここまで大きい負担がかかるならば、心臓への負担は莫大なものになります」
そうなれば命の危機に陥る事だってあり得ると言うたづなさんの言葉に、私は思わず唾を飲んだ。
「ですのでカブラヤオーさんには、先行や差し、追い込みの走り方のコツを学び、その無自覚な加速を意識的に行えるようにしていくように調整します」
「それに、レースに向けての欺きっていう理由もあるんとちゃいますか?」
「当然です、寧ろそれぐらいやってこそのトレーナーですからね」
とても良い笑顔で答えるたづなさんの表情は、秘書としての満面な笑みではなく、まるで肉食獣のような獰猛なそれだった。
「分かりました。そういう理由なら文句を言うつもりはありません」
「まぁ流石に死ぬ可能性って話ならしょうがないか。私としては本気のカヤとハナを競いたかったんだけどな~」
「あ、あはは……それはまた今度で」
「では今日の練習は階段ダッシュを
そう言ってたづなさんに連れられて向かった超急勾配な階段があるお寺の階段を上り下りした私達は、たづなさんが緑の悪魔のように思えてしまったのだった。
ウマ娘図鑑
駿川たづな(トキノミノル) 引退時データ
適正 芝A ダートG
脚質 逃げS 先行A 差しB 追込G
距離 短距離A マイルA 中距離A 長距離B