「ううん。花音はよく頑張ったよ」
「ご、ごめんね・・・」
電話越しでも彼女が頭を下げているのが想像できる。電話の相手は『松原花音』。ファストフード店のアルバイトで出逢って、恋人になってからはそれなりに時間が経っている。
本日はそんな彼女とデートだったのだが、花音が道に迷ってしまったようだ。彼女はものすごい方向音痴でどこへ行こうにも必ずと言っていいほど迷ってしまうのだ。
(この前なんか学校に行くのに迷ったって千聖から聞いたときは驚いたなぁ・・・)
「とりあえず迎えに行くから待ってて。羽沢珈琲店の前にいるんだよな?」
「ありがとう。本当にごめんね・・・?私から言い出したことなのに・・・」
「構わないよ。だって花音が頑張りたいって思ったことなんだし。彼氏としては応援してあげたいって思ったんだ」
小声で俺の名前を呼ぶ花音。
実は普段なら待ち合わせをせずに俺が花音の家まで迎えに行っていたのだが、今日は何故か花音が待ち合わせを要求してきたのだ。花音の談によるといつも迎えに来てもらっているのは申し訳ない、とのことだった。
「とりあえずすぐ向かうから待ってて」
「・・・うん。待ってるねっ」
彼女が返事をしてくれたのを確認してから通話を切って、待ち合わせの場所の駅前から商店街の羽沢珈琲店に向かうべく歩みを進めた。
「・・・あっ」
「お待たせ、花音」
あれから30分ほどかけ羽沢珈琲店へとやって来た。
扉を開くベルの音で花音がこちらに気付いてくれる。つぐみの挨拶に応えてから花音の向かいの席に移動する。
「本当にごめんね・・・駅から遠かったよね・・・」
「まあそこそこ時間はかかったけど別に苦じゃなかったよ。歩くのは好きだし」
運動系の部活に入っているため歩くのは特段苦ではなかった。
「けど流石に喉渇いたから何か頼んでもいい?」
「うん。なんなら私が・・・」
「いいよ。弟くんに買ってあげたいもの、あるんだろ?」
それは少し前に言っていた事だ。何でも弟くんの誕生日が近いらしい。そのためにお金を貯めているのだとか。
しかし花音は迎えに来させてしまったことを未だ気にしているのか食い下がる。
「でも・・・」
「あ、じゃあ次のデートは俺が迎えに行ってもいい?」
「えっ?」
「やっぱり一秒でも早く花音に逢いたいしさ」
正直な気持ちを伝えると花音は恥ずかしくなってしまったのか俯いてしまう。
「・・・・・・じゃあお願いしてもいい?」
「何で花音がお願いしてるんだよ」
よくわからない構図に少し笑ってしまう。
「ふぇぇ・・・笑うなんてひどいよ・・・」
「ごめんごめん。じゃあ次のデートは俺が花音を迎えにいくって事で」
彼女の元気よい返事を聞いた俺はコーヒーを注文するべく店員のつぐみに声をかけた。
「お待たせしましたっ。ご注文ですか?」
「うん。コーヒー一つで」
「かしこまりましたっ。・・・・・・今日もデートですか?」
つぐみの問いかけに首肯して答える。
「ふふっ、相変わらず仲良しですね♪」
「つ、つぐみちゃん!?」
「だろ?俺は花音の事大好きだからな」
「君まで悪ノリしなくていいのっ!」
つぐみとは初デートの時からの付き合いだから俺たちのこともよく知っているし、こんなやり取りもできる程は二人で通っている。
(なんならここにモカとかひまりが混ざることもあるしなぁ)
からかうのが好きなモカはともかく、ひまりは色恋沙汰の話が好きだからよく花音に話を聞いている。たまに勢いがすごくて花音が俺に助けを求めてくるが。
「ごめんなさい、花音さん。・・・・・・コーヒーすぐにお持ちしますね!」
「ああ、頼むよ」
厨房の方へ立ち去ってしまうつぐみ。
「もう・・・いつもからかうんだから・・・」
「いや〜花音の反応が良くってつい・・・」
頬を膨らませながら顔を逸らしてしまう。
「あの〜・・・花音さん?」
「・・・・・・・・・・・・」
顔を逸らしたままこちらを向く気配がない。
(怒らせちゃったか?)
謝ろうとしたところでようやく花音がこちらを向いてくれる。
「なーんてねっ。怒ってないから大丈夫だよ。・・・・・・私も・・・好きって言ってもらえて嬉しい、し・・・」
(ヤバい。俺の彼女が可愛すぎる)
今すぐ抱きしめたいがここには人目もあるので断腸の思いで諦める。
どうにもならない気持ちを抱えてそわそわしていると、つぐみが注文の品を持ってきてくれる。
「お待たせしました・・・・・・って何かあったんですか?」
片や顔を真っ赤にしながら俯く少女。片やそわそわしている少年。
少女の疑問は当然だと言えた。
「はあ〜美味かった。やっぱここのコーヒーは美味いな」
「うん。私も普段は紅茶だけどつぐみちゃんのお家のコーヒーは飲めるんだ」
苦さはもちろんあるのだが、ただ苦いわけではない。クセになるような苦みなのだ。
また近いうちに行こうと心に決めていたが、俺の名を呼ぶ声で意識をそちらに向ける。
「じゃあ行こっか、水族館っ」
「おう!」
「休みなだけあってすごい人だな・・・」
「う、うん」
「ほら、花音」
隣で不安そうな顔をしている花音に自身の手を差し出す。
「──────!・・・うんっ!」
案内に従って歩いていくと立て看板が現れる。そこにはイルカショーのプログラムが記載されていた。
「おっ、イルカショーやってるって。見ていかないか?」
目を輝かせて返事をしてくれる花音を引き連れて進んでいくと大きな水槽を前にしたホールのような場所に出る。開始の10分程前だったので空いている席は少なかったが、たまたま空いていた後方の席に並んで腰掛ける。
花音はイルカが登場するのを今か今かと待ちわびている。とても可愛らしいのだが一つ懸念事項があった。
(・・・やっぱ嫌だなぁこれ)
花音は贔屓目抜きで美少女だ。サイドテールにされた少しくせっ毛のある
いつもの事ながら未だに慣れることはなく、どうしようもなく心が沈んでしまう。
そんな不安を振り払うように俺の手を握ってくれるよく知っている手。さっきまで握っていた手だ。柔らかくてどこか落ち着くようなそんな優しさを感じさせる彼女の手だ。
「花音・・・」
「・・・大丈夫だよ。私は確かによく迷子になっちゃうけど、君が私を迎えに来てくれるんでしょ?」
「─────!・・・ああ、どれだけ掛かっても必ず迎えにいくよ」
「うん、待ってるねっ」
もう俺の心に不安はなかった。
(よく飽きないよなぁ・・・)
とある生物の水槽の前からもう一時間以上離れようとしない彼女を見て思う。
(あの顔あんまり他の人に見せたくないんだけどな・・・)
現在の花音はおよそ人に見せられる表情ではない。厳密には
醜い独占欲に嫌気が差し、そんな顔をさせるクラゲを憎ましく思いつつも、少しでもそれが他の人に見られないように花音の隣に立つ。
「──────?どうしたの?」
「・・・・・・いや、何でもないよ」
首を傾げているところから察するに花音自身には心当たりがないようだった。
(そういえば初めて水族館来た時もこんなだったな・・・)
ふと初めて二人で水族館を訪れた時のことを思い出す。
あれは花音と恋人になる前のバイト終わりだった。
「ごめん、花音ちゃん!私、急にお仕事入っちゃって一緒に見に行けなくなっちゃった・・・」
「えぇ!?・・・でもそれなら仕方ないよね・・・」
「ほんっとにごめんね!」
必死に謝る彩を窘める松原だがとても困った表情だった。
最後まで松原に謝罪をして彩は仕事に向かっていった。それを見ていたパートのおばちゃんが、
「だったら彼に連れて行ってもらえばいいじゃない」
「え!?いやだって俺は・・・」
「・・・・・・グダグダ言わない。男の子でしょ」
「・・・・・・はい」
反論を試みたがあっさり封殺されてしまう。
「花音ちゃんはどうなの?」
「えっ!?わ、私・・・は・・・」
俺を見ては俯いて、を繰り返す。それをパートのおばちゃんは黙って見ている。
やがて決心がついたのだろう。顔を上げる。
「・・・できれば・・・お願い・・・したい、です・・・」
「ほら、花音ちゃんもこう言ってるわよ?」
(マジか・・・)
あれよあれよという間に松原との水族館行きが決定した。
そして訪れた約束の当日。しかし待てど暮らせど松原は来ない。
(すっぽかされたか?)
最悪の結末を予期しているとポケットのスマホが震える。相手は松原だった。
おそらくバイトの何かで連絡先を登録していたのだろう、と予想し電話に出る。
「もしも───────」
「ご、ごめんなさい!私・・・その・・・み、道に迷っちゃって・・・!」
言い切る前に彼女の声で遮られて少し驚いてしまうがすぐに平静を取り戻して状況を確認することにした。
「大丈夫だから。家はもう出てるんだよな?」
「は、はい」
「じゃあそこから何か目印になるようなものはある?」
「えーっと・・・・・・あ!商店街のオブジェがありますっ」
大体のアタリをつけ彼女にそこを動かないように指示を出して通話を終了する。そして彼女を迎えに行くべく歩を進めるのだった。
「本当にごめんなさい・・・」
「そんなに気にしなくてもいいって」
現在は目的地の水族館に到着している。到着してから松原が今までのことを謝罪してくる。
実はここに着くまでも三度ほど迷子になっている。いつの間にやら姿がなかったり改札を間違えたり。正直ここまでとは思わなかった。
そして考えた対処法が俺の鞄の端を掴んでもらう、というものだ。これを実践してから何とか迷わずに済んでいる。
「それより折角水族館に来たんだから魚見ないと勿体ないぞ」
「・・・!・・・うん、そうですよね」
何とか切り替えてくれたようだ。
それからはイルカショーやクジラ、ペンギンなどを見て回った。そしてクラゲのコーナーに差し掛かったわけだが・・・
(もうかれこれ一時間ぐらいここから動かないんだけど・・・よっぽどクラゲ、好きなんだろうか)
ふと彼女の横顔を盗み見る。そのあまりの妖艶さに思わずドキッとしてしまう。
(こんな顔もするんだ・・・)
人知れず彼女のギャップにドキドキしていると、隣の彼女がふと我に返る。
「あっ!ご、ごめんなさい、私・・・!」
「い、いや、別に・・・俺は・・・大丈夫、だけど・・・」
「──────?」
「その・・・松原はクラゲ、好きなの?」
「うんっ!あのね──────────」
そこからは彼女が如何にクラゲを好いているかを思い知らされた。
「クラゲさん・・・可愛かったなぁ・・・」
(まさかあれからさらに一時間滞在するとは・・・)
俺よりクラゲの方が好きなんじゃ・・・と思ってしまうのは仕方ないことだと思う。
「ねぇ・・・今日、泊まっちゃだめ・・・?」
「俺は構わないけど・・・ご両親はいいのか?」
「実は家を出る前に訊いておいたんだっ」
(・・・つまりOKはもらってるってことか)
「じゃあ、一旦花音の家に行ってから俺ん家でいいのか?」
それで大丈夫だよ、と答えてくれる花音。
「んじゃ行くか」
「楽しみだなぁ、久しぶりのお泊まり」
「前に泊まったのそんな前だっけ?」
「うん。もう1ヶ月前くらいじゃないかな?」
それが世間一般では短いのか長いのかはわからないが、俺たちにとっては長いと感じさせる期間だった。
「ほら、早く行こっ」
「そんな急がなくても・・・」
「・・・・・・・・・・・・だって今日はまだキスもしてないし」
(やっぱり可愛いよなぁ、俺の彼女)
改めてそんな花音が愛おしく思う。
そして、彼女の可愛らしい要望に応えるべく歩く速度を少し速めた。