「いつもありがとね」
「構わないよ。沙綾と一緒にいられるしね」
「もう・・・」
嫌がるような口振りだがその顔は幸せに溢れていた。彼女の名前は『山吹沙綾』。ここ、やまぶきベーカリーの看板娘である。そして俺の恋人でもある。
「いつも助かってるよ。本当にありがとう」
「亘史さんまで・・・」
彼は沙綾の父親で『山吹亘史』さん。やまぶきベーカリーの大黒柱だ。
「で、沙綾とはいつ結婚するんだ?」
「ぶっ!!」
「お、お父さん!!」
普段は優しい人なのだが、たまにこういう爆弾発言をする。お陰でこちらはその度にハラハラさせられる。
「どうなのかな?」
「・・・・・・いつかは夫婦として歳を重ねていきたいと思っています。けどまだ俺たちは学生ですし、今はまだ何とも・・・」
隣では沙綾がぽけーっとしながら俺の名を呟いている。
「・・・うん。全くもってその通りだね。しっかり考えてくれているみたいで安心したよ」
(はぁ・・・心臓止まるかと思った・・・)
何とか亘史さんから合格をいただくことができたようだ。内心はドキドキだったが。
一安心して胸を撫で下ろしていると店の奥の居住スペースから二つの声が聴こえてくる。
「兄ちゃーん!!」
「お兄ちゃーん!!」
「おっとと・・・」
沙綾の弟と妹である『純』と『紗南』が飛びつかんとする勢いで抱きついてくる。
「兄ちゃん今日もご飯食べてくのっ?」
「ごめん純。今日は用事があって帰らなきゃならないんだ」
「やだ!」
「やだー!」
「困ったな・・・」
ありがたいことなのだが今日は前々から約束していた日なのだ。二人にただをこねられ頭を悩ませていると沙綾が間に入ってくれる。
「こらこら。お兄ちゃんも忙しいんだからワガママ言っちゃだめでしょ」
「姉ちゃんはいっつも兄ちゃん独り占めしてるじゃんかー!」
「ええっ!?そんなこと・・・」
(既に負けそうだ・・・)
開始早々既に劣勢に立たされている沙綾を見て助け舟を出した方がよいと判断しフォローに回ろうとしたその時。
「二人とも、仕方ないでしょ。お姉ちゃんはお兄ちゃんのこと大好きなんだから」
奥から姿を見せたのは沙綾や純、紗南の母親である『山吹千紘』さんだった。その顔はからかいの表情に満ち満ちている。
「なんだそういうことだったのか姉ちゃん」
「ねえお母さん、どういうことー?」
「紗南もわかるようになるわ」
純はそれなりの年頃ということもあり多少は恋云々がわかるようだが、紗南はまだ幼いということもあり、そういうのはまだ難しいようだ。
「お母さんまで・・・」
(・・・恥ずかしすぎて死にそう)
千紘さんが投下した爆弾のあとに残ったのは顔を真っ赤にする
「今日も助かっちゃった。ありがとね」
「いーよ、お店を手伝うのは楽しいし」
その後、閉店の時間を迎え現在は沙綾と並んで夜の道を手を繋ぎながら歩いている。彼女の方を向けば甘い香りが鼻をくすぐる。
「にしても久々だよね、キミの家にお泊まりするの」
「沙綾最近忙しそうだったもんな」
そう伝えると、沙綾が申し訳なさそうに謝罪してくる。近頃の沙綾はバンドのことやお店のことで忙しくしており、まともに逢える機会がなかったことを申し訳なく思っているのだろう。
彼女はやまぶきベーカリーの手伝いの他に『Poppin'Party』という五人組のバンドに所属している。沙綾以外の四人は個性派で一緒にいると楽しい気分にさせてくれる。
「そういえば新曲はどうなの?」
「有咲が今頑張ってくれてるんだ」
Poppin'Partyの曲作りはだいたいが香澄から始まる。だが香澄が提出してくる詞は理解不可能なものが大半なのだ。そこで、学業優秀であり近頃香澄語の翻訳が板についてきた有咲がそれを解読するという運びだ。現在はその工程らしい。
(一度見せてもらったことあるけどさっぱりわかんなかったもんなぁ)
あれは最早暗号の類だ。それを解読する有咲はほんとにすごいと思う。本人に言ったら何故か怒られるが。
そんなふうに他愛ないことを話していると俺の家に到着したようだ。今日は両親ともに帰ってこないので二人きりである。
「お邪魔しま〜す」
「はい、どーぞ」
もう何回も跨いだ玄関であるにも関わらず沙綾は変わらず挨拶をしてくれる。こういうところから彼女の育ちの良さが窺えた。
リビングへと入り手近な場所に彼女の荷物を置く。二人で手洗いなどを済ませ、ソファでくつろぐ。真ん中に二人並んで座るのが暗黙の了解だった。
「ふう・・・」
「先風呂にするか?」
「うーん・・・そうだね。汗かいちゃったしシャワー浴びたいかも」
「んじゃお先にどーぞ」
本当にいいのかと目で訴えてきた彼女に頷きをもって応える。そして、立ち上がり風呂場に向かっていった。
「さあ・・・晩飯の準備でもしとくかぁ」
重い腰を上げキッチンへと向かった。
「お風呂あがったよー」
「おー。湯加減どうだったー?」
「ばっちり」
親指と人差し指で円を作りながら答えてくれる。
(・・・・・・にしても)
まじまじと見てしまったのだろうか、気にしたであろう沙綾が首を傾げている。
実は沙綾が着用しているパジャマはボタンで留めるタイプのものなのだが一番上のボタンが留められていないため鎖骨辺りが見えてしまっているのだ。普段はポニーテールにしているが現在は髪を下ろしているのでギャップも相まって釘付けになってしまうが、恋人とはいえ流石にまずいと思ったので何とか視線を外す。しかしそこで沙綾が視線の意味に気付いてしまう。
「・・・・・・えっち」
「・・・・・・俺は悪くない」
それでも彼女は顔を背けるだけでボタンを留めようとしない。遠回しなアピールはしっかりと届いておりそんな彼女をとことん愛おしいと思った。
「はあ〜すっきりした〜」
風呂から出て再びリビングへと戻る。しかし机の上には先程準備しておいた料理が完成され、並べられていた。
「俺の考えが伝わったみたいでよかったよ」
「そりゃあれだけわかりやすく材料が置いてあったらね・・・」
彼女には伝えていなかったが実はペペロンチーノの準備をして風呂に向かったのだ。それを彼女はしっかりと汲み取り料理を完成させてくれた、というわけだ。
しかし机上にはペペロンチーノだけではなく簡単なサラダも用意されていた。
「こんなのまで作れる時間あったのか?」
「まあ、いつもやってることだし、これくらいはね」
二人でいただきます、と合唱し料理を食べ始める。
「ん、美味い。また美味しくなったんじゃないか?」
「そう・・・なのかな?」
俺はそう思うが彼女は自信なさげだ。
(間違いなく腕前は上がってると思うんだけどなぁ)
そんなことを思いながら食べ進めているとあっという間になくなってしまう。
「はやっ。もう食べたんだ。足りた?」
「うん。大満足」
笑顔で応えてくれる沙綾。
少し急いで食べ進めている彼女に急がなくていいよと声をかけこの後の予定に頭を悩ませるのだった。
「ふう〜・・・食べたね・・・・・・これからどうしよっか」
「そうだなぁ・・・」
「あっ」
「──────?」
悩んでいると沙綾が何かを思いついたようだ。
「今までの写真見てみない?」
「それいいかも」
肩を並べながら沙綾のスマホに収められている数々の写真を拝見する。
中にはPoppin'Partyのメンバーや他のバンドのメンバーと撮ったものがあったが、俺との写真も少なくなかった。
「あ、これ一緒に野球観に行ったやつだ」
「確かその試合、応援してたチームが負けて沙綾、ちょっとご機嫌ナナメだったんだよな」
「・・・そんなことないし」
そんなことを話しながらスクロールして時間を遡っていく。
「あ、これ・・・」
「うわっ、懐かしい」
画面に映し出されていたのはPoppin'Partyのメンバーに前に押し出されている俺と沙綾だった。
俺たちが初めて出逢ったのはやまぶきベーカリーだった。俺が立ち寄ったのが始まりだ。
「いらっしゃいませー!」
レジにいる制服を着たポニーテールの少女に軽く頭を下げ目当てのパンを探す。しかしどれも美味しそうに見えて目移りしてしまう。
「オススメはメロンパンですよ」
「えっ!?」
驚いて振り向くと先程の少女が後ろに立っていた。
「あ、ごめんなさい。驚かせてしまったみたいで・・・」
「あ、いえ・・・・・・メロンパン、オススメなんですか?」
「はいっ!ウチの一番人気ですから!」
彼女の言う通り値段票の横に『当店一番人気!!』と書かれた紙が貼り付けられている。
「じゃあこれもらいます」
「ありがとうございます!180円になりますっ」
「200円でお願いします」
「お返しは20円になりますっ。ありがとうございました!」
彼女の元気よい挨拶を背中で受け店をあとにした。
(可愛い子だったな・・・)
それから俺はやまぶきベーカリーによく足を運ぶようになる。そして足を運んだ日はほとんど彼女がいたのでいつしか顔を覚えてもらえるまでなった。
「あっ、また来てくれたんだ!」
「ここのメロンパンほんとに美味しくって」
彼女はいつも笑顔で俺を出迎えてくれた。そして彼女の友達でもある戸山さん、花園さん、牛込さんや市ヶ谷さんとも顔見知りになったある日・・・
「あ・・・いらっしゃいっ」
どこか元気がないような気がした。
「何かあった?」
「・・・!う、ううん。何でもないよ?」
(嘘だ・・・どう考えたって普段の彼女と違いすぎる・・・でも俺にそこに踏み込む資格はあるのか?)
彼女の手助けがしたいと思う一方、ただの客にしかすぎない自分が彼女に踏み込んでよいのかという想いが俺を留まらせる。
「はい、今日もメロンパンとっといたよ」
「・・・ありがと」
(このまま終わっていいのか?でも・・・)
その時、不意に戸山さんの言葉を思い出す。あれは偶然やまぶきベーカリーで戸山さんと出会ってその帰り道のことだ。
『もしさーやが辛そうな顔してたら助けてあげてね』
『え?いやでも俺なんかじゃ・・・』
『ううん、君じゃなきゃだめだと思うんだ。さーや、君と話す時は本当に楽しそうだから・・・』
『・・・・・・・・・・・・』
『だから、約束!』
『・・・・・・わかった』
・・・覚悟は決まった。
「ねえ、山吹さん」
「どうしたの?」
「本当に何もないの?」
「──────っ。・・・うん、ないよ・・・」
「俺には話せない?」
「キミだから、かな・・・」
「それってどういう──────」
「だってキミには迷惑かけたくないんだもん。私のことでキミに負担をかけたくないんだ」
その言葉に自分の中で何かの答えが出てきたような気がした。
「・・・俺は山吹さんからかけられる負担なら喜んで負うよ。だって・・・君の事が好きだから・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
何も答えない山吹さん。
「初めて声をかけてくれた時は正直かなり驚いた。でも、優しい子なんだって思ったんだ」
「・・・・・・・・・・・・て」
「その時から俺は君の事が好きだったんだと思う」
「・・・・・・・・・・・・めて」
「それからはここで君に会えるのが楽しみで仕方なかった」
「・・・・・・・・・・・・めてよ」
「君の笑った顔を見るのが───────」
「やめてよ!!!」
何かに耐えきれなくなったように叫ぶ山吹さん。
「そんなふうに言われたら相談したくなるじゃん!弱音を吐きたくなるじゃん!頼りたくなっちゃうじゃん!!」
「・・・・・・・・・・・・」
「私は私の事で誰かに迷惑かけるなんて絶対いや!!特にキミには・・・・・・」
「いいよ。さっきも言ったでしょ?俺は君の事が好きなんだ。好きな子からもらうものは何だって嬉しいんだよ」
「・・・・・・・・・・・・優しすぎるよ、キミは」
それから山吹さんは俺に悩みを打ち明けてくれ、さまざまなハプニングもあったが戸山さんたちの協力もありなんとか彼女の心の奥底にあるものを軽くしてあげることができた。そして彼女はその時に改めて俺に告白してくれたのだ。先程の写真はその時のものである。
「あの時勇気を振り絞ってよかったよ」
「・・・ありがとね」
お礼とともに俺の肩に頭を載せる沙綾。そして彼女と目が合う。それが合図だった。どちらともなく顔を近づけていき互いの唇が重なるのはすぐの事だった。