どけ!トレーナーの隣はわたしだ杯   作:ししゃも丸

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(へい、大将! バ場重め、ヤンデレマシマシ、ドロドロ濃いめね!)

「ピスピース! トレセン学園広報担当(自称)(本当)ゴルシちゃんだぞ。今回は特別にこのゴールドシップ様が実況解説だ! さあ9番はメジロマックイーン!! 今までの勝負服の色が黒から白になって帰ってきた!! うぅ~ついにマックイーンがここに帰ってきて、アタシは……アタシはいま、モーレツに感動しているぅ!!!」
「あ、あの……」
「あん? なんだよ」
「なんで、ここにいるんですか?」
「なんでって、うちのトレーナーの代わりにこの、伝説のスーパーウマ娘であるゴルシちゃんが来てあげたんだゾ☆。涙が出るくらい嬉しいだろ!」
『あ、はい。嬉しいです……』



第9R メジロマックイーン

 雨はきらい。

 

 髪が濡れるから。

 

 雨はきらい。

 

 服が汚れるから。

 

 雨はきらい。

 

 なんだか憂鬱な気分になるから。

 

 雨はきらい。

 

 いま流れている涙が降り注いでいるように見えるから。

 

 雨はきらい……でも、ちょっとだけ好き。

 

 あなたが迎えに来てくれるから。

 

 

 

 

 

 

 

「お願いしますトレーナーさん。私、これだけは絶っ対に譲れませんわ!」

「ダメだ」

「どうしてですの!?」

 

 バンッと机を叩いてわざとらしく怒っている風に見せるが、トレーナーさんは腕を組んだまま顔色ひとつ変えずダメだの一点張り。

 

「もし、これを逃してしまったら私……一生後悔してしまいます」

「気持ちは分かる。だがダメだ」

「酷い……酷いですわ! 私こんなにもがんばっていますのに、それでもダメなんですの……」

「お前さぁ、それであんなことになったのを分かったうえで言ってるのか?」

「そ、それは……」

 

 トレーナーさんの言うことはまさに正論。確かにあの時、今回と同じことをしてしまい無残な結果になってしまいました。

 でも、誰にだって譲れないモノはあります。ですが、それを言われてしまっては私も頷くことしかできません。

 仕方ありませんわ。

 トレーナーさんは私のことを思い、心を鬼にして言ってくださってるんですもの。

 今回は大人しく引き下がりま──

 

「そうですわね。ではゴールドシップ、あなたにこのスペシャルにんじんジャンボパフェ譲りますわ──いいのかマックイーン!? じゃあ遠慮なく……うめぇー!」

 

 ちょっと目を離したらにんじんシロップがかかったクリームがゴールドシップの口の中に入ってしまった。

 

「あーーー!? あ、あ、あなた! なに勝手に私の声真似をしてますの?! 折角諦めがついて、トレーナーさんに譲ろうと思った1日10個限定のスペシャルにんじんジャンボパフェ!!」

 

 トレセン学園の近くにあるスイーツ専門に扱うお店の限定メニュー。これが食べたくて開店前から早く並び、ちょっと他のもの食べたいからと他のメニューも摘まんでしまったのが原因なのはわかっていますけども! 

 この結果は想定外ですわ! 

 

「え? だってマックイーンが言ってくれたし」

「言ってません!」

「にしてもお前、マックイーンの声真似うまいな」

「だろ。ちなみにスズカとスぺも結構いけるんだぜ」

「意外ですわね。あなたにそんな特技があったなんて」

「ちなみに一番うまくできるのは声優の上〇瞳」

「へぇー」

「そこまで言うなら聞いてみたいですわね」

 

 そういうとゴールドシップはコホンっと咳払いして、

 

「あ、どうも青〇プロダクション所属の〇田瞳です」

『おぉ~似てる似てる』

 

 

 こんな日々が私は大好きでした。

 レースに出ればメジロ家に相応しい走りをし、結果を出さなければならない。でもトレーナーさんやみんなといる時間は非常に充実した日々を送れて、毎日が楽しく過ごせるんです。

 

 私は、トレーナーさんに恋心を抱いています。

 

 最初はよく分からない人でした。トレーニングは適当な時が多く、その本人もゴールドシップに遊ばれているだけ。

 でも、言っていることはまあまあ正しくて、出走レースが決まると今までとは別人なくらいちゃんと指導をしてくださるし。

 なんと言いますか、掴みどころがない人なんです。

 けど、あの人は私をちゃんと見てくれる。メジロ家のマックイーンではなく、一個人であるメジロマックイーンを見てくれる。たったこれだけのことなのに、私はとても嬉しかった。

 

 それで気づいたら……あの人を好きになりました。

 

 でもそれは私だけではなく、チームメンバーの多くがトレーナーさんに好意を抱いていることには当然気づいていて。

 

 あの子──私のライバルでもあるトウカイテイオーもその一人。

 

 ウマ娘としてレースで共に戦うライバルでもあり、トレーナーさんを奪い合う恋のライバルでもある。

 それは別に悪いことではなく、ある意味ではいいことなんだと私は思っていました。

 けど、時期とタイミングがいけなかったのでしょうね。

 

 私は誰よりも……テイオーが許せなかったんです。

 

 ほんの少しの間でもトレーナーさんを独占していたあの子が……憎かった。

 はじまりはきっと二連覇を成し遂げた天皇賞・春。

 勝ったのは私でしたのに、あの人はメジロマックイーンではなく、トウカイテイオーのもとへ行ってしまった。

 

 たとえそれがあの子が再び骨折をしてしまったからだとしても。

 

 私は──許せなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 日本ダービーを勝利し無敗の二冠を達成したテイオー。しかし不運なことに脚を骨折してしまい、無敗の三冠ウマ娘という彼女の夢は儚くも終わってしまった。

 

 チーム内ではスズカさん以来の故障でそこまで騒ぐほどでもなかったものの、なにより無敗の三冠ウマ娘というテイオーの夢が終わって、そのことにショックを受けている彼女とどう接すればいいのかが悩みの種でした。

 ですが、トレーナーさんのメンタルケアもあってか彼女は笑顔で言いました。

 

「三冠はダメになっちゃったけど、まだ無敗だからね! だからマックイーン。来年の天皇賞・春、ボクと勝負だ! もちろんボクが勝つけどね」

「ふふっ。それでこそ私のライバルですわね」

 

 今年の天皇賞・春で勝利した私にとって、来年の天皇賞・春は連覇がかかった重要なレース。テイオーは無敗、私は連覇。それぞれの目標がついにぶつかる時が訪れた瞬間でした。

 

 別にそれは問題ではなかった。ウマ娘としてレースに勝ち、なによりもライバルにも勝つ。重要で大切なことだと思っています。

 私も含めチームのみんなが納得できなかったのは、骨折したテイオーにトレーナーさんが付きっきりだったということ

 

 トレーニング中はちゃんと見てはくれている。でも、常にテイオーの傍にいる。その時のテイオーの顔は……笑顔でした。

 骨折して、夢が途絶えて辛そうにしていたのに、その時だけ……トレーナーさんが傍にいる時だけ笑っている。

 そんなあなたに私はイラついていた。

 

「なあ、松葉杖じゃなくて車椅子のがよくないか? 自分の足で歩きたいのはわからなくもないし、ギプスをしているから大丈夫かもしれないが……」

「ヘーキヘーキ。心配しすぎだよトレーナーは」

「でもなぁ」

「何かあったらトレーナーがボクを助けてくれるでしょ?」

「それはそうなんだが」

「えへへ。ならいいじゃん。ね?」

 

 無視すればいいこともわかっていました。でも、できなかった。

 そこに深い意味はないかもしれない。けど互いにトレーナーさんに好意を抱いているからこそ、私やみんなに見せつけているんじゃないか。そう思えて仕方がありませんでした。

 

 

 それからテイオーの骨折が治り、復帰戦の大阪杯を勝利。同時に私は天皇賞・春の前に阪神大賞典を勝利。

 これで両者ともに天皇賞・春への挑戦するための準備が整いました。

 

 チーム内で同じレースに出走することはこのチームではあまり珍しいことではありません。

 以前ブルボンさんとライスさんが菊花賞で戦ってますし、その時のライスには少し同情してしまいました。

 なのでチーム内でも、『二人とも応援する』というのがまあ定番。けど、一人だけ問題ある人が当然いまして。

 

「もちろんトレーナーさんは私を応援してくれますわよね?」

「なに言ってるのさマックイーン。当然ボクだよね、トレーナー!」

「……勝った方にはいつもの店でパフェ奢ったる」

「パフェですって!? いいですわね……」

「ちなみに負けたら?」

「は? 水に決まってんだろ」

「まあ、当然ですわね」

「ふ、ふん。マックイーンが泣きながらボクのパフェを見ているのが想像できるよ」

「なんですって!」

「なんだよ!」

 

 なんと言いますか、試合前の最後の談笑とでもいいましょうか。これができるのはもうレースが終わったあと。レース当日はもうこんな風に会話をすることはなく、ただ勝つために走るのみ。

 そのことをトレーナーさんも分かっているのか。

 

「レースにあるのは勝利と敗北、勝者か敗者。なによりも勝つために走れ。悔いのない走りをしろ。俺から言えるのは、これだけだ」

 

 それは私たち二人だけではなく、チーム全員に言っているのだと私は思いました。

 

 

 

 

 迎えた天皇賞・春。

 ゲート入りする前に私とテイオーはバ場に出る手前の入り口で止まり、私は彼女に言いました。

 

「私が勝っても泣かないでくださいね」

「そっちこそ」

 

 レースでの私はただ勝利のために走る。メジロ家のウマ娘として、ひとりのウマ娘として、なによりもあの人のウマ娘であるために。

 そして──

 

『勝ったのはメジロマックイーン、メジロマックイーンだぁ!』

 

 勝利したのは私でした。

 テイオーは後ろからまったく上がる気配がなく、彼女が5着だと知ったのは着順表を見てからでした。

 そのあと互いに健闘を称え、私はウイニングライブをするために控室に戻りました。そこにはみんなが来てくれて、でもトレーナーさんはいませんでした。

 

「トレーナーさんはどこにいますの?」

「あいつなら先にテイオーのところに行った。ほら、色々……あるしな」

「そう、ですわね」

 

 ゴールドシップが言葉を選んで言ってくれたのは、彼女なりに気を使ってなのでしょう。真っ先に私の勝利を祝ってほしかったのは本音ですけど、こればかりは仕方がないと割り切りました。

 きっとウイニングライブが終わったらその分褒めてくれる。

 そう思えばウイニングライブにもやる気が出るというもの。

 

 しかし、トレーナーさんはウイニングライブが終わっても私の前には来てくれませんでした。

 

「──え。テイオーが……」

「ああ。テイオーと一緒にアイツも病院にいったよ」

 

 レース直後、あるいはレース中に二度目の骨折をしたテイオーのもとにあの人は一緒に行ってしまった。

 

「……ッ」

 

 色んな思いが渦巻く。

 間違いなく言えるのは、勝利の余韻などとうになくなってしまったということ。

 私は思わず、唇を強く嚙んでしまい唇を切ってしまう。

 

 レースに勝ち、勝負に負け……残ったのは血の味だけでした。

 

 

 

 

 ですが──そんな私にさらに追い打ちをかけるような悲劇が起りました。

 

 宝塚記念に向けて調整中、脚に違和感を感じて医師に診てもらった結果──骨折と診断されました。

 医師によれば完治するには6ヶ月以上の治療と休養が必要だとも言われ、私はなんの冗談かと思ってしまいました。

 テイオーが骨折したあとに私も骨折? 悲劇どころか喜劇とすら思えてしまった。

 

 当然トレーナーさんには真っ先に伝えに行きました。

 大切な話がある、それだけ伝えて車椅子に乗ったままトレーナーさんのもとへ行き、彼は私を見ると一瞬だけ表情を変えるだけでいつものような優しい声でたった一言。

 

「そうか」

 

 同情も慰めもなく、ただただこのありのままの私を受け入れてくださいました。

 

 ほんとうに優しい人。

 

 だから、そんなあなたに悲しい思いをさせてしまう自分が憎かった。

 

「で、治療に専念するってことでいいんだな?」

「はい。しばらくはメジロ家のリハビリ施設で治療に専念したいと思っています」

「わかった。で、その場所はどこにあるんだ?」

「どこって、そんなわざわざ来てもらわなくても……」

「いいのか~? 折角差し入れでも持って行ってやろうと思ったのになぁ」

「!」

 

 メジロ家のリハビリ施設で過ごすということは、食事も全部専属の栄養士によって決められたメニューしか出てこないということ。さらにこの状態では満足に運動もできず、大好きなスイーツを食べる機会が減ってしまう……。

 

「こほん。そ、そういうことでしたら仕方がありませんわね」

「そうそう。仕方がないのだ」

 

 暗い空気なんて最初からなかったかのようにいつもの雰囲気になって、私もどこか肩の荷が降りたような気がしました。

 トレーナーさんは膝をついて私の肩に手を置くと言いました。

 

「テイオーもアイツなりにいま悩んでる。だから焦らずゆっくりでいい。辛い時は遠慮なく俺を頼っていいんだ、マックイーン」

「ありがとうございます、トレーナーさん」

 

 あの子の名前が出て少しイラっとしてしまいましたが、それでもこうやって親身になってくれるあなただからこそ、私はあなたのことが好きなんですね。

 

 なによりも私は小さな優越感に浸っている。

 いまこの瞬間、トレーナーさんは私だけを見てくれる。かつてのテイオーのようにいまは私だけを。

 

 ああ、テイオー。あなたの気持ちが少しだけわかった気がします。

 

 怪我をするのも悪くない──そう思えてしまうぐらいには。

 

 

 

 

 

 

 有言実行と言わんばかりにトレーナーさんは週に一度は私のもとに足を運んでくれました。だいたい休日のどちらかに来ていたのですが、ある日突然バイクに乗ってやってきました。その頃にはもうギプスは取れていたころだったと記憶しています。

 ここは街から少し離れた場所にあるところで、一応バスが停まるといえば停まりますが運行表もたしかそこまで回数は多くなかったはず。

 なのでタクシーか何かでいつも来ているんだろうとは思っておりましたが、まさかのバイクには驚きました。

 いつもの服装とは違いトレーナーさんのライダースジャケットの姿は、すごくカッコよく見えて思わず見とれていました。

 

「トレーナーさん、バイクの免許取っていたのですね」

「自慢じゃないが俺の免許証はすごいんだ」

 

 そう言って免許証を見せてくれました。

 目つきの悪い証明写真にまず目が行き、次にゴールド免許である証のラインがあって、資格一覧のところはだいたい埋っていました。

 

 大型特殊までありますけどこの人には必要ないのでは? 

 

 一体いつどのような場所でその資格が発揮されるのだろうか、そう思わずにはいられなかった。

 

「それにしても、大型を持っている割にはバイクは小さいんですね」

「ん? ああ、あれ250ccなんだよ。本当は大型が欲しいんだが乗る機会ないし、通勤に使うのも勿体ない。だから車検がいらないアレなわけ。どうだ、後ろ乗ってみるか?」

「え、いいんですの?」

「別に構わないさ。ギプスも取れてるし」

 確かにもうギプスはとれて、歩く分には問題はありません。ただそんな急に言われても困ります。

 

「ですがヘルメットとか必要に……」

「──ご心配なく。こちらに用意しております、お嬢様」

「じ、爺や!?」

 

 いつのまに部屋に入っていた爺やが手にヘルメットを持って現れた。ここはリハビリ施設なのになぜあるのでしょうか……。

 トレーナーさんはトレーナーさんでそのことに気にしてないのか、外で待ってるわ、と言い残して行ってしまいました。

 トレーナーさんが出ていくのを確認すると、メイドが入って着替えを持ってきた。普段来ているようなスカートではなく、よく映画でバイクに乗った女性が着るようなライダースーツだった。

 爺やはすでに出ており着替えを持ってきたメイドが楽しそうに言うのです。

 

「お嬢様、ファイトですよ!」

「はい?」

 

 その言葉の意味はすぐにわかった。

 

 

 

 外に出るとトレーナーさんがすでに待っていて、バイクがまだかまだかとエンジンの音を鳴らしてしていた。

 ただ、私はひじょーに緊張していたのです。

 

「お、結構似合ってるじゃないか」

「と、当然ですわ!」

 

 ライダースーツというのはすごく体のラインが出やすい。なので当然それを着ているわけだから、自分もそうなるわけで。

 もっとゴールドシップやスカーレットのような豊満なボディならいいのでしょうが、生憎と私の胸はその、小さいのでちょっと惨めというか、自信がないといいますか。

 

 とにかく恥ずかしかったんです! 

 

 ですが、肝心のトレーナーさんは特に気にもせず私にバイクの乗り方を教え始め、10分も経たないうちに私はバイクの後部シートで彼に抱き着いていました。

 そしてメイドが言った言葉の意味をここでようやく理解しました。

 

 ああ。この時ほど私の胸が小さかったことを憎んだことはないでしょう……くっ。

 

 確かに自分の体に悲観してはいますが、少しずつそれを忘れるぐらいこの時間を楽しむようになってきました。

 バイクというのは車以上にうるさいと思っていましたが、実際乗ってみればその音がいいんだと思え、バイク乗りの気持ちが少し理解できた気がします。

 それに気づいたのか、トレーナーさんが赤信号の時に言いました。

 

「自分で走らないのは少し変だろ」

「ええ。そうですわね」

 

 ウマ娘はほぼ車と同じ速度で走れる。その時の速度はだいたい60キロ程度。短距離だと70キロは超えて、長距離だと54キロ程度のスピードだと言われている。

 トレーナーさんはそれを知っているのか、私が普段レースで走っている速度で走ってくれていた。

 

 たぶん、彼なりの私へのリハビリなんでしょうね。

 

 リハビリ中は当然走ることはできない。だから少しでもあの時の感覚を、景色を見せてあげたいと思って今日やってきた。

 

 優しすぎて、それに溺れてしまいそうになります。

 

 この幸せな時間を終わらせたくない。それが体に出たのか、私は彼に強く抱き着くのでした。

 

 

 時間にして30分ぐらいで私は帰ってきました。バイクを降りてヘルメットを取る。久しぶりに清々しい気分です。

 

「ありがとうございます、トレーナーさん」

「どうだ楽しめたか」

「はい、とても」

「ならよかった」

 

 あなたが思っている以上に私は最高の気分なんです。

 だから、久しぶりに我儘を言いました。

 

「また、乗せてもらってもいいですか?」

「そのうちな」

「そこは素直に答えるところでしょう!?」

「悪いな。簡単にアメをあげるほど俺は優しくないんだ」

「もう!」

 

 怪我も悪くない。そう思っていた時もありました。

 けど、ウマ娘としてあの場所で走る姿をあなたに見てほしい。

 そう思うのはやはり私がウマ娘なんだからだと、改めて実感しました。

 

 でも、あの子は少し違っていたんです。

 

 

 

 

 

 ある平日のことでした。リハビリに勤しむ私のもとにテイオーが訪れました。

 リハビリ中でも外の情報は欠かさずに集めています。なのであの子の復帰戦である天皇賞・秋で勝った(・・・)ことは知っています。

 

 圧倒的な速さで最後は後続を突き放し圧巻の1番でした。

 ですが、アレは……あの走りはまるで──停まることを忘れた機関車のように見えてしまったのです。

 言いかえればそれは暴走。

 少しでもレールから外れてしまえば横転し大惨事を引き起こしてしまいそうで、とても危うい状態。そのことをトレーナーさんに伝えようか迷いましたが、レース後のインタビューでトレーナーさんが映っていて、

 

『トウカイテイオー、素晴らしい復帰戦でしたね。まさかあれほど素晴らしい走りをするとは!』

『すみませんがインタビューはまた後日お願いします』

『あ、ちょっと待ってください! 一言、一言だけでいいんです!』

 

 どうやらあの人も私と同じことに気づいているのだと思い、こちらからは連絡はしませんでした。

 それがまさかテイオーが直接ここに来るとは……。

 

 

 彼女が来たのはもう日が沈む時間で、私もリハビリ中でしたので汗を流すためにお風呂に入り、そのあと外で二人きりで話をすることになりました。

 それまでは互いにあまり会話がなく、あったとしても中々続くことはありませんでした。

 夜風にあたりながら展望台から街を眺める。先に口を開いたのは、トウカイテイオーでした。

 

「ねぇ、マックイーン。ボクね、無敗の三冠も無敗の目標もぜーんぶなくなっちゃったよね」

「て、テイオー?」

 

 思わず彼女の方に振り向いた。

 少し薄暗くて見えませんでしたが、確かにテイオーの目は……夜より暗い瞳をしていました。

 正直に言って、不気味でした。

 

「でもね? ひとつだけ残ってたんだ。三冠も無敗もなくなっちゃったボクだけど、トレーナーのために走ればいいって、トレーナーのために1番を取ろうって」

「っ!」

 

 それを言うテイオーの顔の恐ろしさに思わず一歩足を引いてしまう。ですが、同時に分かりました。先日のレースはこれが原因だと。

 トレーナーさんもこれには気づいているはず。なのにこうまで放っておいてしまったのは、きっと言えなかったんじゃない。テイオーが言わせなかったのでしょう。

 ならば、私が代わりに伝えなければ。

 

「待ってください、テイオー! それは、それは──」

「だから、マックイーン。早く戻ってきてよ」

「……え?」

 

 突然の言葉に思わず驚いてしまい、言うタイミングを逃してしまった。

 

「そうだなあ……うん、今度の宝塚記念にしようよ。次はボクが勝つから。今度は負けないよ。だって、ボクはトレーナーのために走るんだもん。絶対に負けられるわけないよね。だからさ、マックイーン」

 

 ごくりと思わず唾を飲んでしまうほど、私はいまこの状況が恐ろしかった。

 そしてゆっくりとテイオーが言葉を紡ぐ。

 

「ボクに負けても、泣かないでよね」

 

 私は何も言い返すことも、大切なことも伝えられずに立ち尽くしてしまった。まるで、ピエロのように笑うテイオーの顔があまりにも恐ろしかったのです。

 そして彼女はそれを言うためにここへ来たかのように、もうこの場を去って行ってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 無事故障を完治して通常のトレーニングに復帰。私は、かつてのペースを取り戻すためにトレーニングを続けていました。

 テイオーと約束した宝塚記念、これも確かに大事です。

 いささか不安や懸念すべきことが多い状況ですが、なによりも私は春の天皇賞三連覇を目指すために集中しなけれなりませんでした。

 

 それから年も変わり、復帰戦の大阪杯で私は勝利。いよいよ春の天皇賞が目前に迫っていました。

 ただ、結論から言えば私の三連覇は叶いませんでした。

 

 時期的にレース出走申請手続きを出せるギリギリの時です。私は部室に戻ると、テーブルの上にあるものを見つけたんです。

 それはトレーナーさんがリハビリ中よく持ってきてくれたスイーツの差し入れでした。箱の大きさとシールのデザインからしていつものお店なのは確か。

 

「もうトレーナーさんったら。大事なレース前だというのに……」

 

 まだトレーニング中でしたが、据え膳食わぬはウマ娘の恥ということわざあったような気がするぐらいですし、ここはありがたくいただくとしましょうか。

 箱をあけるとケーキがひとつだけでした。

 まあ大事なレースの前だからと思い、私は遠慮なくそれを手に取りました。ちょっとはしたない食べ方ですけど、誰も見てないからいいですわよね? 

 

「では、いただきます……ん~美味しいですわ」

「──ケーキ、ケーキ。お兄さまが買ってきてくれた限定けー……き」

「ら、ライスさん!? え、このケーキはライスさんのでしたの!?」

 

 一口食べるのと同時にライスさんが楽しそうに口ずさみながら入ってきて、私はとんでもないことをしでかしたことにようやく気づいたのです。

 思わず耳と尻尾が天井に届くくらいピーンと張りつめていました。

 ライスさんは見るからに絶望した顔をしていて、何度も謝りましたが聞き入れてはもらえず、

 

「……いいんです。どうぞ、食べてください……」

 

 た、確かにもう一口食べてしまったものを返すわけにはいかず、ですがそれで納得しろと言うのも無理な話で。

 どうすればいいか困っているとトレーナーさんがやってきて、この状況を見てすぐに「え、マジか……」みたいな顔をしていました。

 するとライスが私に背を向けて彼に言ったんです。

 

「お兄さま……ライス、次の天皇賞でる……」

「え、いや、あのなライス。これは俺も悪い──」

「ライスも出る!!!」

 

 今まで見たことのない覇気を纏ったライスさんにトレーナーさんも圧倒されてしまい、彼女の望むがままに頷くしかありません。

 

 そして迎えた春の天皇賞。結果は先頭を走っていた私にライスさんが追い上げてきて、私はそれを差し返すことができずに2位でゴール。

 あれは、忘れられません。彼女が私を抜き去ろうとすれ違った時、こちらを見たあのゾッとするような表情が。

 

 食べ物の恨みは恐ろしい。

 

 それを目の当たりにした日であり、たったひとつの過ちで大事な連覇を逃した自分がバカに見えてきました。

 一方トレーナーさんは、両手で顔を隠し、ヘッドホンで耳をふさいでおりました……。

 そして隣にいたテイオーは無表情でした。けど、その顔はどこか笑っているようだと、私には見えてなりませんでした。

 

 

 

 

 あの夜の話はトレーナーさんには伝えてはいません。

 本当は伝えるべきだと思ってはいたんです。ですが、学園に戻って久しぶりに見たテイオーとトレーナーの姿を見て、言わないでよかったと思ってしまったのです。

 

 トレーナーは、すでにそれを言わなくともテイオーの異常性に気づいているからです。だから余計に悩みの種を押し付けたくなかった。

 多分、あの人もいまのテイオーに間違ったことを言えば簡単に壊れてしまうとわかっていたから。

 

 そのテイオーは毎日トレーニングに励んでいました。二度目の骨折なんてウソみたいに。

 けど──

 

「誰か担架を持ってこい! それに救急車ッ、それと保健室にいって先生を呼んでこい!」

 

 コースにトレーナーの叫びが響き渡る。

 彼が走る先には芝生の上に倒れ、足を抑えるテイオーの姿があった。

 

 彼女は三度目の骨折を発症。

 

 そして私は、テイオーと約束していた宝塚記念に勝利した。

 

 

 

 

 ウマ娘にとって自分の脚は命以上に大切だと言う人もいます。

 なぜならウマ娘にとって、走る、ということは本能あるいは宿命だからだと私は思っています。だからこそ、ウマ娘は脚の怪我を発症しやすいと言えます。

 人間のアスリートとは違い走る速度も、脚の負担も段違いであるためです。

 

 一度や二度の骨折ならなんとか現役復帰はできる。それはトウカイテイオー自らが証明していました。

 ですが、三度目となると話は違ってきます。

 個人差もあるでしょうが完全に治ったとしても、それは全盛期と同じように走れる保障はどこにもありません。短期間で故障すれば、筋肉の衰えやスタミナの減少も当然あります。もっと言えば走ることに抵抗すらあるかもしれない。

 

 もう走ることは叶わない。

 

 レースで勝てるかも怪しい。

 

 テイオーの気持ちは理解できます。

 でも、私はただ同情するだけでいられません。

 例えあんな形であれ、テイオーと戦うと約束したのです。

 共にあのターフの上で。

 

 だから私は何があっても帰ってくる、そう信じているんです。

 

 

 それからテイオーが部室にすら来なくなって数日が経ちました。

 テイオーが脱退届を出した、そうトレーナーさんがみんなの前で言ってから彼女は本当に来なくなりました。

 みんなは色々と話し合って、引退ライブをするという話になり、そのことについて私は……少し不満がありました。

 なぜなら私はまだテイオーが帰ってくると信じていたからです。

 それは、トレーナーさんも同じでした。

 彼はまだテイオーが出した脱退届を持っていたのです。

 

 ああ、この人もまだあの子が帰ってくるのを信じているんですね。

 

 これを目の前の現実を受け入れられない未熟者あるいはロマンチストと呼ぶべきか、それともこれ以上あの子を追い詰める薄情者と呼ぶべきか。

 その答えは意外なことに本人が教えてくれました。

 

「俺はテイオーが戻ってくるって信じてるんだよ」

「それはどうしてですの?」

「あいつがテイオー(帝王)だからさ。だから俺は、最低なトレーナーになるよ」

 

 そう言ってトレーナーさんは脱退届を破り捨てました。

 

 後にその言葉が自分にも送られるとは、この時の私は思ってもみませんでした。

 

 

 

 その日の夕方。

 私はトレーニングを終えて寮に戻ろうと校門まで歩いてると、聞き覚えのある声の怒号が聞こえました。

 

「お前にアイツの何がわかるんだよ!」

 

 前にはテイオーとゴールドシップ、それにオープンキャンパスで来ていた……たしか、キタサンブラックだったでしょうか、その子がいて私は慌てて駆け寄りました。

 なにせ、ゴールドシップがテイオーの胸倉を掴んでいて、それをキタサンブラックが必死に止めようとしていたのですから。

 

「ゴールドシップ、あなた何をやっているんですの!?」

「お願いしますゴールドシップさん! もうやめてください!」

 

 初めて見るゴールドシップの怒りに驚いている暇などなく、テイオーに襲い掛かろうとしている彼女を止めるのに必死だったんです。

 

「お前は、お前はなによりウマ娘として大事なもんを忘れちまってんだよっ!」

 

 そのあとのことはあまり覚えておりません。なにせゴールドシップを抑えるのに必死でしたので。

 ですが、最後にトレーナーさんがやってきてようやく彼女は落ち着いたのは、覚えております。

 

 

 感謝際当日。

 あの日、あのようなことがあってもゴールドシップはテイオーの引退ライブのための準備を手伝っていました。ただ、いつもより口数が少ないのが印象的でしたわ。

 引退ライブにはテイオーの引退を惜しむ多くのファンが訪れました。人もウマ娘も誰もがテイオーに言うのです。

 

『テイオーさん! あたし、待ってます! テイオーさんがまたレースに戻ってくるの、待ってます!』

『そうだテイオー! また走ってくれー』

『テイオー! テイオー! テイオー!』

 

 同時にライブスクリーンが今日開催されているオールカマーの映像に変わり、先頭を走るツインターボが映っていました。

 決して諦めずに走っている彼女を見てそれを分からないウマ娘などいないでしょう。最後の直線、脚が重く、肺も辛い、それでも最後まで諦めない不屈の闘志。

 

 きっとそれをテイオーも思い出したのでしょう。

 だから私は言ったのです。

 

「待っていますわ。あの場所で、あなたと戦うために」

「ボク……また走れるかな」

「当たり前ではありませんか。だってあなたは──トウカイテイオー、なんですから」

 

 涙を流しながら必死に笑みを作るその顔はあまり見せられるものではないでしょう。

 ですが、最近のあなたにしてはいい笑顔ですわ。

 

「──ねぇ、マックイーン。トレーナーはどこにいるの? ボク、伝えたいことがあるんだ」

「トレーナーさんでしたら、先程のオールカマーに出ているライスさんの傍にいますわ」

「……そっか。そう、だよね」

 

 突然、周囲の温度が下がったような……不思議と寒気がしました。こんなステージ上で、ファンの皆様方の熱気で溢れているというのにです。

 思わずテイオーを見ました。彼女の笑顔は先程と違い、どこか冷たく見えたのです。

 

 まるで氷の仮面をつけている。

 そう思わずにはいられませんでした。

 

 こうして晴れてテイオーの問題は解決しました。

 誰もがこれで元通りになったと思いました。

 でも、それは再び終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 私は、いま雨の中メジロ家のトレーニングコースを走っていた。

 ただ我武者羅に心の中で、負けるもんか、負けるもんか、そう何度も叫びながら。

 

「ッ!」

 

 左脚に痛みが走り、雨に濡れたターフの上に倒れた。

 

「なんでっ……なんでっ!」

 

 繋靭帯炎。私の左脚はそれに犯されてしまった。

 それはウマ娘が故障する中で最悪な病気。なぜこれが最悪なのか。繋靱帯炎は治らない病気ではありません。

 ですが、完治した例は一度もないということ。

 一度発症したら治療には1年程度は費やし、回復したとしても再発しやすいという厄介な病気なのです。もし無理をすれば歩くことすらできなくなる、そうも聞かされました。

 骨折とは訳が違い、これは事実上の引退を告げているようなもの。

 

 ですがそれをすんなりと受け入れられるはずもない。

 だからこうして抗うために走っている。

 

 こんなものに負けたりはしない。

 テイオーとの約束も果たせてない。

 

 それよりも、それ以上に──でも、

 

「なんで、なんで動いてくれませんのっ! うぅ……お願い……動いて……」

 

 叫んでも私の左脚は応えてはくれない。あるのは激痛だけ。その痛みがこれは現実なんだと訴えている。

 

 バチャ。

 

 近くで足音がして顔を上げた。そこには傘を差してこちらに歩いてくるトレーナーさんの姿が見えた。雨だからこんな近くまで来ないと聞こえなかったのだろう。

 

 ああ。爺やがきっと知らせてしまったのですね。

 

 だからここにいる。部外者がここまで来れるはずもないからだ。

 トレーナーさんの表情は暗い、とはいかないまでも重かった。隠しても意味がないので正直に言った。

 

「繋靱帯炎ですって」

「らしいな」

「治ってもまた再発するかもしれないそうです」

「そうみたいだな」

「でも走れるかもしれないそうですわ。二度と歩けなくなるかもしれませんけど」

「それで? だから諦めるのか?」

「──諦めたくありませんわ! こんなことで走るのをやめたくないっ、まだテイオーとの約束を果たしていないっ、なにより、なによりも──」

「……」

「もう私の走っている姿を、あなたに見せられないんですっ! それが、それが一番嫌なんですっ……」

 

 メジロ家に生まれたウマ娘たるもの、人前で涙を見せるのはもってのほか。それが例えレースに負けたとしても。

 でも、私はいま泣いています。この雨のように私は泣き叫んでいます。

 

「──夢を、見たんだよ」

「……え?」

 

 思わず顔をあげると、トレーナーさんはタバコを口にくわえて火をつけていました。タバコを吸っているなんて知らなくて、普通だったら驚くのにむしろ呆気にとられていた。

 

「ふぅー……爺やさんから電話が来るまで、俺は寝てた」

 

 なんとも緊張感のない話だろうと思った。その時すでに私はもう家を飛び出してここに来ていたころだろうか。

 その間トレーナーさんは寝ていたという。彼らしいと言えば彼らしいと思ったが、いまはそんな気にすらなれなかった。

 

「夢なんて久しぶりだったよ。その夢はどこかでみたことある場所で、たぶんどっかのレース場だなって思った」

「それが、なんなんですの」

「まあ最後まで聞け。俺はたぶん、ゴールの近くにいたんだと思う。でな、こっちに来るわけよ」

「誰がです?」

「お前」

「……え?」

 

 タバコを持った手で私を差してきました。彼は茶化すような雰囲気ではなく、真面目に話しているんだとようやく気づきました。

 

「ターフの上を走ってるお前が見えた。間違いなくメジロマックイーンだったよ。まあ、そこで電話の音で起きちまったんだが」

「……だから」

「ん?」

「だから私はまた走れる、そう言いたいんですの? やめてください! そんな、たまたま見た夢に私が出たぐらいで、慰めなんていりませんわ! はっきり言ってほしいんです。もういい、走らなくていいんだって。その方が……あなたに言われるなら……本望ですわ」

 

 また目から涙がこぼれる。止めたいのに止まらない。

 トレーナーさんはタバコの火を雨で消してそれを携帯灰皿にしまうと、一歩、また一歩とこちらに歩いてくる。

 

「俺はある日から神様ってのを信じなくなってな。覚えてるか? いつも年越しのとき、俺だけ願掛けしてないだろ」

 

 そう言えばそうだったと思い出しました。

 確かにトレーナーさんだけいつも神社で願掛けをしていなかったことを。今まではそういうのを嫌う年頃なのかと思っていたからです。

 

「なんで信じなくなったかって言うと、まあ祈っても無駄だってことを突きつけられたから。だから願掛けなんてしない。信じているのは、いつもがんばってるお前ら自身なわけ」

「だから……そういう指導方針でしたの?」

「かもな。きっかけはゴルシのヤツだったと思うけど、それがお前らにとって一番いいんじゃないかって思えたからそうしてた……話が逸れたな」

 

 苦笑して見せると、彼は濡れた芝生の上に膝をついて、私と目線を合わせました。

 

「何かを成すのに神様は力を貸しはしない。いつだって成し遂げるのは誰でもない己自身」

「だから、私はまた走れる。そう言いたいのですか?」

「俺が見た夢は所詮……夢だ。だけどな、夢っていうのは──叶えるためにある、そうだろう?」

「トレーナー、さん……」

「俺の見た夢を叶えてくれ、マックイーン」

 

 優しく微笑みながらトレーナーさんは私に手を差し伸べてきました。それを私は無意識に手を取っていた。

 

「奇跡でも起きない限り、私はまた走れないんですよ?」

「言ったろ、いつだって成し遂げるのは己自身。だから起こしてやろうぜ、俺たちの手で奇跡ってやつをさ」

「──本当、あなたは怪我をしたウマ娘にいつだって無茶を言うんですから」

「なんだ忘れたのか? 俺は最低なトレーナーなんだ」

「ふふっ。ええ、確かにその通りです」

 

 そう答えたときには私の涙は止まっていて、気づけば雨もやんでいた。

 

「なら行こうか。風邪を引いちまうからな」

 

 痛みは引いて、でもそんな私に負担をかけないようトレーナーさんは私を背中に負ぶってくださいました。

 こうやって彼の背中に抱き着くのは二度目。あの時と同じように私は優しさに溺れながら抱き着いた。

 

 

 

 

 雨が上がった道を屋敷に向かって歩きながらトレーナーさんは言いました。

 

「──実はここに来る前にお前のばあ様に会った」

「おばあさまに、ですか?」

「ああ。何をしに来たって言われて、俺はお前のトレーナーだから来たって言ったよ」

「おばあさまのことです。きっと怒ったのでしょうね」

「それはもうカンカンに。それでこう言ったよ、『あなたはマックイーンを殺す気ですか』って」

「それで? トレーナーさんはなんと?」

「はいそうですって」

「もう、あなたという人は!」

 

 思わず彼の首に回していた腕できつく締めあげた。

 

「く、苦しいっ。ギブギブ!」

「まったく。で、それだけではないのでしょ?」

「いってー……まあ、俺はこう言ったよ──」

 

『そういうアンタだってマックイーンを殺す。それがベッドの上か、ターフの上か、その違いだけ。マックイーンが本当に走るのをやめるのなら俺はそれを受け入れます。けど、そうじゃないだろ。マックイーンは今も必死にもがいてる。だったらレースで死なせた方がましだ』

 

 確かに、トレーナーさんの言うようにもし死ぬんでしたらそれを選ぶ、と私も思いました。

 

「それでおばあさまは?」

「それだけ言ってお前のことに来たわけ」

「あなたはやっぱりロマンチストでは?」

「さてな……ん?」

 

 突然トレーナーさんは足を止めて来た道を振り返った。思わずそれに釣られて私も見ましたがなにもなかった。

 

「どうかしまして?」

「いや、ただの気のせいだろう」

 

 再び屋敷に向かって歩く中、私はあの時と同じ質問をしました。

 

「ねぇ、トレーナーさん」

「んー」

「また……バイクに乗せてくれます?」

「そうだな。乗せてやるよ」

 

 あの時とは違う答えに思わず口がにやける。

 あなたは本当に素直じゃないんですから。でも、同じくらい優しい人。

 

 だから、一番我儘なお願いを続けて言った。

 

「もしトレーナーさんの夢を叶えられたとして、それで私が二度と歩けなくなってしまった、らぁあ!?」

 

 トレーナーさんが急に駆け出してしまった所為で最後まで言えなかった。

 絶対にわざとだ。本当にずるい人。

 

「ほれ、スピードアップ!」

「ちょ、ちょとトレーナーさん!?」

「しっかり掴まってないと落ちるぞー!」

「もう!」

 

 私は言われた通り今まで以上に強く抱き着きました。すぐ横には彼の頭があって、雨で濡れて冷えた体が少し暖かくなった気がします。

 そこで鼻に少しキツイ匂いがして、私はそのことに怒るわけでもなく、その匂いに浸りながら言いました。

 

「少し、タバコくさいですわ」

「悪い、慣れてくれ」

「別にきらいではありませんよ」

「え、なんだって?」

「ふふっ。なんでもありませんわ」

 

 屋敷に着くまで私の口元はずっと緩んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 そして運命の日がやってきました。

 

 いつぶりでしょうか。このターフの上に立つのは。

 まさか私の復帰戦がこんな形になってしまうとは思いもよりませんでした。

 

 これも全部あなたの所為ですのよ、トレーナーさん。

 

 かつて着ていた黒の勝負服を真っ白にして私は走ります。

 そして隣には白い勝負服が黒になった勝負服を纏ったテイオーが。

 

 ようやくあなたとの約束を果たせますわね、テイオー。

 あの日、あの有マで見せたあなたのレース。アレを見て私は絶対に諦めないと誓いました。奇跡は起こせるものだと信じさせてくれました。なによりもトレーナーとの約束もありました。

 ですが、なによりもあなたと戦うことを胸に今日まで頑張ってきました。

 こんな形ではありますがレースはレース。

 例えこれが最後のレースになったとしても、悔いのない走りをするつもりです。

 だからもう一度言います。

 

 私が勝っても、泣かないでくださいね。

 

 

 トレーナーさん。

 本当に長い時間待たせてしまいましたね。これでようやくあなたに見せることができる。

 今日まで傍にいてくれてありがとうございます。

 だからその恩に報いるべくあなたに見せます。

 

 メジロマックイーンの走りを、あなたの夢を叶えて見せます。

 そして、ここにいるみなさんから……なによりもテイオーからあなたを──

 

「救ってみせます」

 

 

 




「ただいま入った情報によりますと、現在トレーナーさんは捕縛部隊と交戦中の模様です」
「いいぞーやれやれー!」
「なーんで訓練された精鋭と戦えるんですか、あの人」
「アタシらとよく遊んでるからじゃねぇの?」
「おっと! ここで銃撃戦になった模様です! 近くにいる来場者の方は避難をお願いします」
「どうして銃撃戦に発展するんです? ていうかあの人ただのトレーナーですよね」
「毎年アタシと一緒に地球を守るために戦ってたからなぁ。思い出すぜ、あの戦いの日々をよぉ」
『え?』
「ん?」



(これはメインヒロイン……?)

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