どけ!トレーナーの隣はわたしだ杯   作:ししゃも丸

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ピンポンパンポーン。後編のはじまりでーす。


第10R トウカイテイオー後編

 

 

 それからは地獄のような日々で、壊れ始めたボクの心にさらに追い打ちをかける毎日。学園に戻ればみんなが心配して励ましの声をかけてくれた。

 でも、「今回で三度目でしょ? 復帰は難しいよね」そんな声も耳に入ってきた。

 

『トウカイテイオーまた骨折。復帰は絶望的か?』

 

 そんな見出しの新聞や、

 

『トウカイテイオーは残念ですが、もし復帰できたとして以前のように走れるのでしょうか?』

『そうですね。三度目、となると以前のような走りは期待できないでしょう。一度目ならともかく二度目の復帰の時ですら奇跡だと私は思いましたがね』

 

 ニュースですらこんなことを言っている。

 そして街に出ればすれ違う人が寄ってきて、みんなが惜しみながら言うんだ。

 

 いままでテイオーさんを応援してました。

 今日までありがとうございました。

 何度も感動をありがとうございました。

 

 ました、ました、ました、ました、ました──

 

 もうボクは、みんなにとって過去の存在らしい。

 仲間たちは大丈夫だって、また走れるって言ってくれる。

 それでも大切なみんなの言葉よりも、ボクを応援してくれていたファンの言葉が嫌になるぐらい頭から離れない。

 

 トレーナーだってそうだ。

 あの時病院でボクは訊いた。

 

「どうして、そんなこと言えるの」

 

 トレーナーは言った。

 

「それはお前が帝王(テイオー)だからだ」

 

 訳が分からなかった。

 トレーナーが何を考えているのかボクには全然わからなくて、トレーナーのために走っていたけど、もうトレーナーを信じられなくなっていた。

 けどボクはまだトレーナーが好きだ。だからこんな状態でも諦めきれずにいた。でも、トレーナーはボクのことをどう思っているかなんてわからない。

 だからそれを知るためにある賭けをすることにしたんだ。

 

 

 

 

「なんのつもりだ、これは」

 

 トレーナー室でボクは一枚の『脱退届』と書かれた封筒を渡した。トレーナーはそれがなんなのか分かっているのに聞いてきた。

 

「脱退届だよ」

「んなことは見りゃあわかってる。俺が聞いてるのは、なんで、こんな紙切れを俺に持ってきたかってことだ」

「っ……」

 

 トレーナーは冷静だったけど、声は明らかに怒っているということはボクにもわかった。

 脱退届を出したのは、本当に辞めるつもりで持ってきた。だけどボクは賭けに出た。トレーナーがボクに対してどう思っているのか、これでどう反応するか。

 だけど、想像以上にトレーナーはボクを睨んでいたけど、それでもボクは声を震わせながら言った。

 

「だって、脚が治っても前にみたいに走れない、走ったって勝てない。だったら……走らない方がマシだと思ったから。確かにマックイーンとの約束を果せなくなっちゃったのは残念だよ。それに走れないウマ娘に価値はないし、そんな子がメンバーにいたら、みんなのじゃま……になる、から」

 

 ボクの目はふとトレーナーの右手を見ていた。手の甲に筋が浮き出るほど強く握りしめている。それはまるで、いまにもボクに飛んできそうな雰囲気だった。

 トレーナーは声を震わせてボクに言った。

 

「ッ……こうなったのは俺の責任だ」

「え?」

「わかっていた。だけど、俺はどう接すればいいかわからずお前から逃げていた。怖かったからだ。でもその結果がこれだ。俺は自分が許せない。けど同じぐらいお前が許せない」

「……なんで」

「本当は自分で気づいてほしかった。きっと気づいてくれると信じていた。でもお前は──逃げた」

「やめてよ……」

「あの日、お前は俺に逃げた。それで今度は俺から逃げるのか? いいか、お前はなによりも自分から逃げているんだよ!」

「もうやめてよ!」

 

 ボクは叫んだ。泣きながらボクは今まで溜めていた感情を吐き出した。

 

「聞きたくない! そんな言葉、ボクは聞きたかったわけじゃない! ただ優しくしてほしかっただけなんだ、あの時みたいに優しい言葉で、ボクだけを見てくれればそれでよかった! ボクはトレーナーが好きなんだ、だからトレーナーのために走ってきたっ。それなのに、それなのに……」

「ッ……」

 

 トレーナーは大きく口を開いて何かを言いかけようとしたけど、それを抑えるかのように吐き出そうとした言葉を我慢した。

 そして握りしめていた拳を解いて、ボクから顔を背けて言った。

 

「覚えてるか、俺がお前と会ったときに言った最初の言葉」

「覚えてるよ。だからボクは……キミのために走ってきたんだよ……」

 

 トレーナーはただ首を振ってボクに言ったんだ。

 

「違うんだよテイオー。レースは誰かのために走るものじゃない、レースは誰かを理由に走るものでもない。それはウマ娘なら誰もが持っていて、なにより大事な──」

 

 気づけばトレーナーに背中を向けて走り出していて、ボクはまた──逃げ出した。

 

 

 

 

 あれからボクは授業が終わると、学園の外に行って時間を潰していた。カラオケに行ったり、ゲームセンターに行ったり色々と。

 新鮮な気分だった。平日のいつもだったらトレーニングをしている時間にひとりで好きなことをして遊んでいるのが。

 すれ違う人はボクを見るだけで声をかけてくることはなくなった。みんな正直だなって思うけど、いまはそれが助かっていたのも事実。

 だけど自分の好きなことをしていても、ボクの心は満たされることはなかった。みんなとトレーニングをしている時間が恋しい、そう思ってはいけないと分かってはいても、どうしても思い出してしまう。

 でも、きっともう少しすれば思い出すこともないんだ。

 今度の感謝祭でボクは引退ライブを行う。そこで正式にみんなの前でレースから引退することを発表するんだ。

 だから、もう少しの辛抱。

 

 そんな日々を続けていたある日の帰り道、ゴールドシップがボクの前に現れた。

 

「よっ」

「ゴールドシップ……どうしたの、こんなところで」

「別にただの偶然だ。今から帰るんだろ? 一緒にいこうぜ」

 

 断る理由もないからゴールドシップと一緒に寮まで帰ることになった。まだ松葉杖をつきながら歩いているボクに、ゴールドシップは歩幅を合わせてくれていた。口には出さなかったけど、意外だなって思った。

 いつも自分勝手で好きなようにやっている彼女が、こんなにも人に気をつかえるだなんて思ってもいなかった。

 いや、ゴールドシップは誰よりもみんなのことを見ていた。スズカの時も、ボクの時も、マックイーンの時も誰よりも心配していたし、誰よりも他のみんなをまとめていた。

 ゴールドシップは誰よりも大人なのかもしれない。だからこうしてボクのところに来たのかな。もうボクはチームから抜けているのに。

 

「ねえ、ゴールドシップは……ごめん、やっぱなんでもない」

「そっか」

 

 何のために走るの、そう聞こうと思ったけど怖くなってやめた。

 それから会話はなくて学園の校門まで来ると、ひとりの女の子……たしかキタサンブラックだったかな。その子がいた。

 

「て、テイオーさん! これ、がんばって作ったお守りです! 上手にできなくてちょっと変かもしれないけど、受け取ってくださいっ。わたし、テイオーさんにまた走ってもらいたくていっしょうけんめい作りました!」

「……ありがとう、でもごめん。それは受け取れないや。じゃあね」

「お、おいテイオー」

 

 受け取れるわけないよ。ボクはもう諦めたんだ。だからそれを受け取る資格なんてない。

 

「あ、あの、わたしテイオーさんみたいになりたくて、夢なんです!」

「ごめんね。でも、それ諦めて。他の子にした方がいい──」

 

 パチンッ! 

 気づいたらボクは、ゴールドシップに叩かれていた。

 

「……ゴールド、シップ?」

「あやまれ」

「──え?」

「この子にあやまれテイオー。お前はいま、言っちゃいけないことをこの子に言ったんだぞ」

「だ、だって、本当のことじゃん。ボクはもう、走れない、走れたって勝つことなんかでき──」

「甘ったれるのもいい加減にしろよ!」

 

 気づけばボクはゴールドシップに胸蔵を掴まれて、いままで見たことのない彼女の怒りの形相に怯えていた。

 

「ここいたのがアイツじゃなくてアタシでよかったな。いたら平手どころじゃねぇからよ」

「ゴールドシップさん、や、やめてください!」

「お前だってルドルフを見て、無敗の三冠を目指すようになったんだろが! この子はその時のお前と同じなんだよ! アタシたちは勝利を、夢を叶えるために走ってる。けど、それは同時にこの子のようにお前を見ているみんなに夢と希望を与えているんだ。だからそんなこと死んでも言うんじゃねぇ!」

「いいんですゴールドシップさん! わたし、大丈夫ですから!」

 

 ゴールドシップに抱き着いて必死に止めようとするキタサンブラックの声など届かず、彼女の手はまだボクを掴んでいた。

 

「お前、レースに出れば絶対に勝てるとでも思ってんのかよ。この世に絶対(・・)はねぇ。けど、絶対にするためにみんな立てなくなるまでトレーニングしてるんだ、そうだろう!?」

「──いわないでよ……」

「あぁ?」

「勝手なことばかり言わないでよ! ゴールドシップに何がわかるんだよ!? 三冠も無敗の夢もなくなって、トレーナーだってそうだ! あの人のためにボクは走った、走ろうと頑張ったんだ。ボクが欲しいのは優しい言葉なのに、お前だから、それしか言ってくれない! ボクが欲しいのはそんな言葉じゃないのに!」

「──お前にアイツの何が分かるんだよ!」

「わかるもん! トレーナーはボクなんてどうでもいいんだ! だからボクがボロボロになるまで走れ、そう言って──!!」

 

 気づけば、ボクは宙に浮いてゴールドシップを見下ろしていた。そして彼女が見せたことない表情でボクを睨んでいた。

 

「アイツが辛くないとでも思ってんのか! アイツは、お前と同じぐらい辛ぇんだよ! お前にわかるか? 夢を叶えようと思っても叶えられなかったヤツの、その夢を叶えてあげられなかったヤツの悲願が!」

「ゴールドシップ! あなた何をやっていますの!?」

「お願いしますゴールドシップさん! もうやめてください!」

 

 なぜかマックイーンがきて、ようやくボクは開放されてその場に尻もちをついた。それでもゴールドシップは止まらなかった。

 

「お前は、お前はなによりウマ娘として大事なもんを忘れちまってんだよっ!」

 

 どうして……どうしてゴールドシップがトレーナーと同じことを言うんだよ。

 もう忘れたい人の言葉が脳裏で再生される。あの人の最後の顔が思い出される。

 

 もういやだよ……つらいよ……誰かボクを……助けてよ……。

 

 ボクは……どうすればよかったの? 

 

 ねぇ、教えてよ……トレーナー。

 

 

 

 

 

 

 あの一件以来、ボクとゴールドシップの仲は変わった。いや、互いに会うこともなく会話することがないだけで、実際は変わってないのかもしれない。

 それでもゴールドシップは先頭に立ってボクの引退ライブの準備をしている。なんでかはわからない。けど、それを確かめたいとも思わなかった。

 

 感謝際当日。毎年多くのファンの人やウマ娘が訪れるけど、今年は例年以上だった。きっとボクの引退ライブが関係しているのだと思う。

 それはライブステージに上がって直に目の当たりにした。

 ボクがステージに上がるとみんながボクの名前を叫んでた。今まで違って、あのレースでボクを応援していた時と同じように。

 

「みんな、今日はボクなんかのために来てくれてありがとう。知っての通り、ボクまた骨折しちゃったんだ。へへっ三度目だよ三度目。だから……また大丈夫って思ってたけど……でも……もう……レースは……」

 

 言葉が詰まった。アレほど自分で走れない、もうダメだって言っておきながら、ボクはちゃんと言えなかった。

 むしろ、今になって未練を感じるようになっている。

 言うんだ、言って、全部終わりにするんだ。

 そしたら楽になる。

 あの人を、トレーナーのことだって忘れられる。

 

『テイオーさん!』

 

 声が聞こえた。その子はあの子で、ステージの一番前にいて、今にも乗り込んでいきそうな勢いで言うんだ。

 

『あたし、待ってます! テイオーさんがまたレースに戻ってくるの、待ってます!』

 

 その子の……キタサンブラックの顔を見て思い出した。

 あの子は――あの時のボクだ。

 まだトレセン学園に来る前の、カイチョーのレースを見ていたボクだ。

 そっか。ゴールドシップが言っていたのは、こういう事なんだね。あの子にとって今のボクは、あの時のカイチョーなんだ。

 ボク、酷いこと言っちゃったね。ごめん。

 

『そうだテイオー! また走ってくれー』

『テイオー! テイオー! テイオー!』

 

 彼女に続いて他のみんながボクを呼んでくれた。

 すると、後ろのスクリーンが変わって、あの子……ジェットファイアー……ツインターボが走っていた。

 あの子はチームカノープスのウマ娘で、なにかとボクをライバル視していた子。

 ツインターボは、走ってた。最後の直線を必死で、もう限界なのに、脚だって重いはずなのに、息だって苦しいのに。

 

「……ぁ」

 

 気づけばボクの目から涙がこぼれていた。

 そうか、そういうことだったんだね。

 ボクに足りないのは……最後まで諦めずに、ゴールを目指して走りぬくこと。なにより絶対に勝つという執念。

 そっか。こんな簡単で当たり前のことを、ボクは忘れていたんだね。

 

「テイオー」

「マックイーン……」

 

 マックイーンだけじゃない。チームのみんながボクの前に来てくれた。

 

「待っていますわ。あの場所で、あなたと戦うために」

 

 マックイーンは諦めていなかった。ボクが一方的に吹っ掛けたあの約束を、彼女はまだ守っていてくれた。

 だからボクは今まで言えなかった言葉を漏らした。

 

「ボク……また走れるかな」

「当たり前ではありませんか。だってあなたは──トウカイテイオー、なんですから」

 

 ──お前が帝王だからだ。

 

 彼女はトレーナーと同じことを言った。

 そうか……トレーナーはボクのことをずっと信じていてくれたんだ。マックイーンもこんなボクをずっと信じてくれたんだね。

 ごめんね、そしてありがとう。

 だから、ちゃんと伝えなきゃ。 

 ごめんなさいって、ちゃんとトレーナーに謝って、自分の言葉で伝えるんだ。

 

「──ねぇ、マックイーン。トレーナーはどこにいるの? ボク、伝えたいことがあるんだ」

「トレーナーさんでしたら、先程オールカマーに出ているライスさんの傍にいますわ」

「……そっか。そう、だよね」

 

 その時のボクはがんばって笑顔を作り続け、最後までライブを演じきった。

 

 

 

 ライブのあと、直接電話で話すのはまだ怖くてメッセージを送ったんだ。話したいことがあるって。

 トレーナーは、『わかった』その一言だけ返信してきた。

 感謝際が終わったあと、ボクはずっと部室に残っていた。もう脱退届を出してここにいるのは場違いかもしれないけど、トレーナーにちゃんとボクの言葉を伝えるために戻ってきた。

 もう時間も遅くて、きっと残っているのはボクぐらいだと思う。

 まだかなって思ったとき、部室の扉が開いた。

 

「テイオー……」

「あ……」

 

 思わず息を呑んだ。久しぶりに見たトレーナーは相変わらずだった。ボクを見る顔は変わらなくて、でも一瞬だけボクは目をそらして、すぐに言わなきゃいけないことを伝えた。

 

「ご、ごめんなさい!」

「……何がだ」

 

 わざとらしく嫌な言い方だった。だけど、これはボクを試してるんだってすぐにわかった。

 

「今までボク、何もわかってなかった。トレーナーが何を言っているのか全然わからなかった。ううん、トレーナーの言う通りボクは考えることからも逃げてた」

「そうだな。お前は確かに逃げてた。けど、俺もお前から逃げてた」

「でも、トレーナーは初めからずっとボクを信じてくれていたってようやく気づけたんだ。みんなやファンの人達、それにあの子、キタサンブラックにツインターボがそれをボクに教えてくれたよ」

「それで? なにが分かったんだ」

「ウマ娘にとって大事なのは、レースに勝つという強い気持ち。なによりも最後まで諦めずに走りぬくことなんだって。三冠も無敗もなくなっちゃったけど、まだボクは走れる。走れる限りボクはレースに挑み続け、そして勝利を勝ち取ることができるんだって!」

「すぅーーーはぁーーー」

「……トレーナー?」

 

 答えを出して、全部言おうと思ったことを全部吐き出すと、トレーナーは大きく深呼吸して……ボクの頭を撫でながら言ってくれた。

 

「ほんと、長かったな。それに気づくまで」

「……うん」

「だから言ったろ? それに気づけば、お前は無敵だって。確かにもう三冠も無敗も叶わない。けど、お前は何度も這い上がってきた。そしてこれからも」

「できるかな……今からでも間に合うかな……」

「できるさ。なんてたって、お前は無敵のトウカイテイオーなんだから」

「うん……だから、ボク戻ってきても……いいですか?」

 

 あの頃のように優しく頭を撫でられながらボクは涙をこらえながら聞くと、トレーナーは優しい声で言ってくれた。

 

「そんなもんとっくに破り捨てちまったよ。だからお前は今でもこのチームのメンバーで、俺の……ウマ娘だよ」

「ぐすっ……ありがど、ドレ゛ーナ゛ー……」

 

 涙をこらえきれなくて、ボクは自然とトレーナーに抱き着いた。トレーナーもそんなボクを優しく出し決めてくれて、また頭を撫でてくれた。

 

「ほんと、お前は手間がかかる子だよ」

「ごめ゛ん゛な゛ざい゛……」

「まったく。泣くのは引退する時だけだって言ったのに……ま、今日だけは見てないフリしてやるよ」

「う゛ん゛……う゛ん゛……」

 

 ボクは、ボクたちはようやく分かり合えた。

 長かった。それだけ長い時間をかけてしまったのはボクが原因だ。けどトレーナーはあの日からずっとボクのこと見ていてくれて、信じていてくれた。

 

 そして改めて再認識したんだ。

 

 だからそのために……ボクはあることを決めた。

 

 

 

 

 少し時は流れて、時期的にマックイーンが秋の天皇賞に挑もうとしていた時だった。

 あの日からボクの日常は以前のように戻った。学園に行って、授業を受けて、みんなとトレーニングをして、トレーナーと喋って……。

 ボクの復帰戦に向けてのトレーニングは順調だ。まだどのレースに出るかはわからないけど、もう少し時間をかけよう、そうトレーナーと相談して決めていた。

 

 けど、ひとつだけ変わったことがある。それはボクとゴールドシップの関係だ。あの日のあとボクはゴールドシップに謝ったわけじゃないし、彼女からも謝罪の言葉をもらってはいなかった。

 気まずい、たしかにそれもあったけど、何故かボクはそうしなかったんだ。多分それはゴールドシップも同じなんだと思う。

 

 そうなんとなく、ウマ娘というか……女の勘。

 

 だからボクとゴールドシップの関係は変わった。みんなの前ではいつも通りだけど、会話を振ることはなくなったし、一緒にいるのを避けるようにもなった。

 

 その日の天気は曇り空で今にも雨が降りそうな天気だった。ボクは部室に向かおうと一人で鼻歌を歌いながら歩いていた。

 すると校舎からトレーナーが走って出てきた。

 

「あ、トレーナー! ……トレーナー?」

 

 トレーナーにはボクの声が届かなかったのか、そのまま校門に向かって走っていく。

 様子が変だと気づいてボクは慌ててトレーナーの後を追った。

 彼は校門でタクシーを捕まえるとそれに乗ってどこかへ行ってしまう。ボクも慌てて近くを走っていたタクシーを捕まえてトレーナーを追った。

 なにかあった、ということは様子は見れば一目瞭然だったけど、そうなってしまった原因はボクには見当もつかなった。

 

 トレーナーが乗っていたタクシーを追っていたけど、途中信号につかまってしまい見失ってしまった。

 

「あの……どうします?」

「ここに向かって」

「わかりました」

 

 この時点でボクはトレーナーがどこに向かっているのか見当がついていた。この方向はマックイーンの家の方角だったから。

 

 

 それから少し遅れてボクはメジロ家の入口まで来た。曇り空だった空が今は雨雲になって雨が降り注いでいる。

 ボクはお金を払ってタクシーを降り、メジロ家の玄関……まあ門を通り抜けた。不法侵入になるけど、いまのボクはそれどころじゃなかった。

 

 妙な胸騒ぎがしていたんだ。あの頃のボクはマックイーンにも色々強く当たってはいたけど、その時の気持ちはまだ変わっていない。

 レースの約束も、トレーナーとのこともだ。

 

 メジロ家の敷地内に入って、あとは真っすぐいけば屋敷だ。けど、本当にこのまま正面から行っても大丈夫なのか不安で、どうすればいいか悩んでいるところでトレーナーが傘を差して屋敷から出てきた。彼はそのまま出入口の方角にいるボクの方じゃなくて、別の方向へ駆け出していた。

 ボクはそれを追うべく遠くから木々にまぎれながら彼を追った。

 

 トレーナーが向かった場所はメジロ家のトレーニングコースだった。そこにはすでにマックイーンがいて、こんな雨の中を走っていた。

 

 ボクはまだ状況が分からずトレーナーの後ろからそれを見ていた時、マックイーンが急に倒れた。

 

 マックイーンは……泣き叫んでいた。この距離じゃ何を言っているのか聞き取れなくて、ボクはもっと距離を詰めた。

 するとそんな彼女の前にトレーナーが姿を見せたんだ。

 雨の中でギリギリ会話を聞き取れる距離まで来ると、ボクの目に驚きの光景が映っていた。

 

「……タバコ、吸うんだ」

 

 マックイーンが繋靭帯炎を発症させたことよりも、ボクはトレーナーがタバコを吸っていたことに驚き、目を奪われていた。

 それで分かった。彼の匂いはちょっと独特だと思っていたその理由が。

 なによりもなんでマックイーンの前で吸って、ボクの前では吸わないのかって。そりゃあウマ娘は鼻がいいからタバコの臭いを嫌う子が多い。

 ボクもそうだ。けど吸っているって知っていたなら、ボクはちゃんといいよって言ったのに。

 

 ボクはまだ全然トレーナーのこと知らなかった。トレーナーはボクのことを信じてくれていなかった。

 

 それからマックイーンは言った。諦めたくない、ボクとの約束を果せてない、それに……トレーナーに走っている姿を見てもらいたいって。

 

 ああ、やっぱりそうじゃないか。キミだってトレーナーのために走っていたんじゃないか、マックイーン。

 

 それからトレーナーはマックイーンに何かを語っていた。ボクの頭は混乱していてうまく会話が入ってこないでいた。けど、ある言葉だけはボクの頭に届いてしまった。

 

 ──俺の見た夢を叶えてくれ、マックイーン。

 ──だから起こしてやろうぜ、俺たちの手で奇跡ってやつをさ。

 

 ……ねぇ、マックイーン。キミはいいよね、最初からトレーナーに優しくしてもらってさ。

 マックイーンはボクより賢いから、トレーナーの言いたいことがきっとわかるんだろうね。ボクはバカだから……とても時間がかかったんだ。

 

 繋靭帯炎? もう走れない? 歩けなくなる? 

 

 今度はそれを理由にして、またトレーナーを独占しようとするの? あの日のように。

 

 許さない。

 

 トレーナーは、トレーナーはボクだけのモノだ。

 

 ボクはまだキミに勝ってないんだ。だからこのままレースも、トレーナーも、勝ち逃げするなんて許さない。

 

 だから……見せてあげるよ、奇跡を。

 

 キミがじゃない。

 

 ボクが先に見せてあげるんだ、誰よりもキミとトレーナーに。

 

 そしたらキミはボクとの約束を果さずにはいられない。決着をつけなければならない。

 

 だから、勝ち逃げなんてさせない。

 

 

 

 

 

 翌日。

 マックイーン以外のメンバーが集まった部室で、トレーナーは彼女の病気のことを話した。みんなは悲しんだ。ウマ娘にとって繋靭帯炎は最悪な病気だから。

 だけどボクはトレーナーに言ったんだ。

 

「トレーナー。ボク、今度の有マ記念に出るよ」

 

 みんなが無茶だって言った。当然だ。去年の有マから今日までボクはレースに出ていないし、三度目の骨折からまだそこまで日も経っていない。身体はよくてもスタミナはないし、あの頃のようなスピードも出せないからだ。

 それはトレーナーも同意見だった。

 

「すべてを承知の上で言ってるんだな?」

「うん。今のボクじゃあ満足な走りも、勝利の希望も薄いことなんて。だけど、信じてほしいんだ。ボクは絶対に勝つ、勝って見せる。奇跡を……起こしてみせる」

「お前……」

「ボクを信じて、トレーナー」

「わかった。みんなに見せてこい、お前の走りを」

「ありがとう、トレーナー」

 

 絶対にそう言ってくれるって信じてた。今の僕は、キミが待ち望んでいたトウカイテイオーだから。

 

 そしてこれですべてのお膳立てが整った。

 

 

 

 有マ記念当日。

 ボクは走る前にマックイーンに電話した。

 かつてキミが言ってくれた言葉を伝えるために。

 

「ボクは待ってるよ、マックイーン。この場所でキミと戦うために、ボクは今日……奇跡を起こしてみせる」

『テイオー、あなた……』

「だから……見ててよ。ボクの……トウカイテイオーの走りを」

『……はい。見届けさせてもらいます』

 

 電話を切ってボクは通路に出て歩き出した。長い長い通路を歩き、外に出る出入口で、トレーナーはボクを待っていた。

 トレーナーは無言でボクを見守るように見ているようで、ボクは彼を数歩通り越して背中を向けながら、キミへの思いを言葉にした。

 

「ボクね、キミが好きなんだ」

「知ってる。あの時……聞いたから」

「まあ……そう、だよね」

 

 脱退届を出したあの日、ボクが思いをぶちまけたときについ言ってしまったことをトレーナーは覚えていたようだ。ちょっとアレはいま思い出してもないなーって思うし、ちょっと恥ずかしい。

 

「俺はさ、最低なトレーナーだから……気づいてても、知っていても、誤魔化して知らんぷりしてるんだ。な? 最低だろ」

「わかってる。トレーナーには立場もあるし、なによりボクやみんなのこともあるから」

「はは、だよな。俺は……お前やみんなに会えてよかったって心の底から思ってる。お前らのトレーナーで本当によかったって感謝している。だから俺はいま、最高に幸せな時間を過ごしている──そう思えて、それを失いたくなかった……」

「トレーナーは、ボクのこと好き?」

「好きだよ。お前もみんなのことも。だから、ごめん」

「ううん。それを聞けただけで、いまは十分だよ」

 

 やっとキミの本音が聞けてボクは嬉しかった。

 だから、あとは走るだけ。

 けど、トレーナーがまたボクに言った。

 

「俺からも一つ、我儘を言っていいか?」

「うーん、どうしよっかな~」

「頼むよ、テイオー」

「しょうがないなあ。いいよ、言ってみて」

「──俺に夢を見続けさせてくれ」

 

 そっか。ボクは、ボクたちはトレーナーの夢そのものだったんだ。

 それがキミの本当の……。

 ボクは笑みを浮かべ、トレーナーに向けて右手の親指を立てながら戦いの場所へ向かった。

 

 

 

 

 そして今ボクは、一年ぶりにこの場所で走っていた。

 

『さあ一斉にスタートを切りました! まず抜け出したのはメジロパーマー!』

 

 スタートは意外とうまくできた。今のボクは多分前の方だ。けどやっぱり今までと違う。

 それはすぐに景色に現れた。前にいたのにだんだんと後続がボクを抜いていく。

 そんなのは、わかっていたことだ。承知の上でボクはここに帰ってきた。

 

 二週目に入る前からボクの呼吸はもう荒くなってきた。脚は重いけど、前を向いて、腕を振って、走っている。 

 それでもボクはまだ先頭集団に食らい付いていた。気づけば二週目の終盤に差し掛かっている。

 

『さあ第4コーナーに差し掛かります。おっと、ここでビワハヤヒデだ! ビワハヤヒデが前に出た! さあ、これに付いてこれるウマ娘はいるのか!?』

 

 目の前でビワハヤヒデが加速して、どんどん前に行き視界から遠ざかっていく。かつてのボクのように彼女は仕掛けているようだった。

 すごいよ。ボクはここにいる誰よりも劣っている。この場に相応しくないのかもしれない。

 

 だけど──負けない、負けられない、負けたくないっ! 

 

 思わず目を閉じて、もう一度目を開くとそこは──静寂な世界だった。

 さっきまで騒がしかった世界が、まるで嘘のような静けさだった。すると、どんどん色んなことが頭に入ってくる。

 レースの状況、どのラインを走ればいいか、実況の声、応戦しているみんなの声援、観客席にいる仲間たちの叫び。

 ボクはそのラインに従って走った。脚だけじゃない、身体全体がすごく軽くてボクは風になったようだった。

 

『テイオーさん!?』

『うそっ!?』

 

 後ろからライスの声や前にいた娘の声も聞こえた。

 

『なっ、いつのまに!? けど、勝つのは──!』

 

 ビワハヤヒデの声も聞こえた。でも彼女は前にいない、そうボクの前には誰もいなかった。

 そして──

 

『お前の勝ちだ、テイオー』

 

 トレーナーの声を最後に、ボクは元の世界に戻ってきた。

 

『ゴール! いまトウカイテイオーが一着でゴール! 帰ってきたトウカイテイオー! 三度の故障を、一年のブランクを乗り越えて、いまトウカイテイオー奇跡の復活です!!』

 

「はぁ……はぁ……はぁ……!」

 

 どうやらボクは勝ったらしい。みんながボクに抱き着いて祝福してくれた。

 

「テイオーさん……おめでとう、そしておかえりなさい」

「ライス……うん、ありがとう」

 

 一緒に走っていたライスも祝福してくれた。

 今まで忘れていた疲れが一気に身体にかえってくる。それでようやくボクは勝利したんだと実感できて、天高く腕を振り上げた。

 

 

 大勢の歓声に包まれながら通路に戻るとトレーナーが待っていてくれて、ボクの脚は疲労なんて忘れたように彼の元に駆け出していた。

 

「おかえり。トウカイテイオー」

「ただいま。トレーナー」

 

 ボクはトレーナーの胸に飛び込んで、トレーナーもボクを受け止めてくれた。きっとトレーナーはこの日を待ち望んでいたんだろう。

 ボクが、本当の意味でトウカイテイオーが帰ってくることを。

 

 そうだよトレーナー。ボクは──

 

 

 

 

 

 

 カエッテキタヨ

 

 

 

 

 

 抱きしめられながらボクは笑う。

 ボクはいま最高に幸せだ。

 だってトレーナーがようやくボクを求めてくれているんだから。

 ねえ、トレーナー。ボク、うまく切り替えられるようになったんだ。そうじゃないとトレーナーはいつまでもボクを見てくれないでしょ? 

 

 だからね、ガンバったんだよ。

 

 レースでのトウカイテイオー。日常でのトウカイテイオー。

 レースのボクはウマ娘として勝利を勝ち取るために走る。

 日常のボクは女としてトレーナーを愛し、愛されるために振る舞う。

 まあでも、共通しているのは結局──

 

 トレーナーのため、なんだけどね。

 

 ごめんね、トレーナー。ボクにはやっぱり無理だったよ。トレーナー以外のために走るなんて。

 でもね、もうダイジョウブだよ。

 トレーナーを困らせないようにガンバって仮面をつけられるようになったから。

 

 だからこれからはずーーっとボクだけを見て、ボクだけをずーーっと愛していいんだよ。

 

 ボクたちは互いの本音を言い合った。だったらあとはもうひとつになるだけだよね。

 あ、でもまだマックイーンとの約束も果たさないといけないし、他のみんなとも決着をつけなきゃいけないのか。

 あーあー。じゃあしばらくはこのままか。

 だけどいまだけは、トレーナーはボクのものだ。

 

 誰でもないボクだけのトレーナーだ。

 

 

 

 

 それからしばらくは幸せな時間が続いた。

 

 けど──こんなことになるんだったら、あの時もっと突き放せばよかったなってあとになって後悔した。

 

「新メンバーの紹介だ。キタサンブラックにサトノダイヤモンドだ」

『お~~~~』

「おいおい。入学式早々に新人二人が入ってくるとか、どうなってんだよ」

「ま、俺のトレーナーとしての人望ってやつかな~」

「ロリコンの間違いでは?」

「いま誰が言いやがった!?」

 

 みんなの笑い声が部室に響き渡る。そんな隙を見て、キタサンブラックがボクの前にやってきて挨拶をしにきた。

 

「テイオーさん、これからよろしくお願いします! 私、レースでテイオーさんと一緒に走れるように頑張ります!」

「うん。こちらこそよろしくね、キタサンブラック」

「はい!」

 

 手を差しだしてきたのでボクはその手を取った。それはきっとボクがウマ娘じゃなかったら折れていたと思う。

 でもボクは笑顔を保ち続け、彼女は言った。

 

「おじさんはあなたには絶対あげません」

「調子乗るなよ、クソガキ。トレーナーはお前なんかに興味はないよ」

「ふふっ。誰だって若い方がいいと思いませんか? ね、先輩」

 

 キタサンブラックだけじゃない。サトノダイヤモンドもトレーナーのことを好きで、わざわざご丁寧にボクたちのところにやってきた。

 マックイーンや他のみんな、誰もがボクの敵だ。

 だけど、本当の敵は違った。

 

『アタシ、いまのテイオーきらい!』

 

 ボクは本当に倒さなきゃいけない敵に気づいた。

 マックイーンでもキタサンブラックでもサトノダイヤモンドでもここにいる誰でもない。

 

 ゴールドシップ。

 

 それがボクの真の敵だ。

 

 そうだよ。よく考えてみたら、それはすごく簡単なことだった。アイツはいつもボクらが欲しいトレーナーの隣にいつもいた。知らないトレーナーを知っていた。

 トレーナーもゴールドシップにだけは妙な信頼感があった。ボクらとは違う、別の何かが。

 

 アイツは、ゴールドシップはきっと気づいてたんだ。ボクがいまのボクになったことを。だからあの日のことをいまでも謝りはしないんだ。

 別にさ、それでいいと思ってる。

 だからボクは仮面を外した。レースとか勝利とかウマ娘がどうとかそんなのどうでもいい。今のボクはゴールドシップを倒すためだけの存在。

 勝負服もいつもの白から黒にしたんだ。別にこれに深い意味はないけど、こっちの方がいいと思ったんだ。いまの僕の色なんじゃないかなって。

 

 それと、トレーナーごめんね。

 今までボクはキミのことを欺いていた。でも、これが終わったら……ボクは本当のボクに戻れるから心配しないで。

 

 だからさ、早く来なよゴールドシップ。キミを倒さないとこれは終わらないんだから。

 ボクは負けない。だってボクは無敵のトウカイテイオーなんだ。

 キミを倒して手に入れる。トレーナーも、この先の未来も全部。

 

 さあ、ボクと戦えゴールドシップ。

 

「トレーナーの隣は──ボクだ」

 

 

 





「えーただいま入った情報によりますと、トレーナーさんは無事確保されたようです」
「どうやらトレーナーはハンターに捕まってしまったようだ」
「なんでゴールドシップさんそんなに嬉しそうなんですか?」
「いやあ、だって面白いだろ」
「まあそれも今だけですよ」
「え、なにその含みのある言い方。ところでよ」
「はい」
「アタシたちの後ろいる黒服のウマ娘達だれ?」
「別に深い意味はありませんからお気になさらず」


(最後にタイトル回収。これは主人公ですよ)

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