「いやね? 私をはじめ多くの方が彼女の出走に疑問を抱いたと思うのですが、ここにいるということはつまりそういうことなんですかね」
「ただ静かにゲートが開けるのを待つその佇まいはまさに私が皇帝だと言わんばかり!」
「おそらくイメージトレーニング()でしょう。見てください、口元がにやついてますよ(視界良好)」
トレセン学園をはじめとしたウマ娘専門学校において、そこに所属している大多数がウマ娘とトレーナーという立場であり互いを示す関係ということで帰結していると思う。
現に多くのウマ娘はその人の名前を呼ぶよりも「トレーナー」と呼ぶ子が多いからだ。
もちろん私もその一人ではある。所属しているチームリギルのトレーナーである東条ハナ、彼女のことを名前で呼んだことはたぶんなかったと記憶している。
ウマ娘という存在は不思議なもので。ウマ娘とトレーナーは互いの名前を呼び合うことにどこか安心感や高揚感あるいは幸福感というものを得ていると言われている。
どんなに優れたウマ娘であろうと己の力のみでは成しえない。人もウマ娘も常に鏡を見ながら物事をこなしているわけでないからだ。
そのためにトレーナーがいて、私たちウマ娘は彼女達の指導の下頂点を目指している。
私もその例外ではないわけではないのだが、トレーナー……東条ハナには悪いが私が「皇帝」、「七冠バ」と呼ばれるほどまでに強くなれたのはひとえに──「先生」がいたからだ。
学園では全生徒の憧れの「生徒会長」、レースでは「皇帝」と呼ばれているのが私シンボリルドルフというウマ娘。
確かにどちらも私だ。それを否定することはないし間違っていない。
生徒会副会長でもあるエアグルーヴにはよく私が口にするダジャレを言う仲でもあるが、彼女が知っている私というのは他の子らとあまり変わらないと思う。別に彼女を貶しているわけではないぞ? 数少ないダジャレを言える大事な友達だ。
まあ、言ってしまえば私という存在を知っているといえば父と母である。それも当然だし誰だってそうだろう。
だけど、例外もある。
先生だけは……生徒会長でも皇帝でもない本当の「わたし」を見てくれるんだ。
「おいゴルシ! 隠れてスマホでウマブルやってんじゃねぇ!」
教卓に立っていた先生の手からチョークがクラスの一番後ろにいるゴールドシップめがけて放たれたが、間一髪というところで彼女はそれを避けた。
「っぶね! くそっなんでバレたんだ?! こっちを向いてるときは前を向いていたし、音はBluetoothイヤホンで聞いていたのに!」
「このたわけが。お前のアカウントは常に監視してるわ!」
「な、なんでだ?! アタシがこのゲームをやってるとは一言も……」
「特製ジャンボパフェを奢ると言ったらマックイーンが喜んで教えてくれたぜ」
「う、裏切ったなマックイーン! ……は! もしかしてこの前貯めていた石を勝手に使ってガチャをしたのをまだ根に持って……?!」
「お前マジで最低だな」
少し騒がしいがこれが私のクラスでは日常茶飯事だ。
先生はトレセン学園の教師だ。もちろんトレーナーでもあり私のクラス担任。
入学当時から彼は私のクラス担任でそれは今も続いているが、実をいうと入学当初の私はあまり先生のことを意識していたわけではなかったんだ。それを自覚し始めたのは私がクラス委員長としてよく先生と接する機会が増えたことが要因。クラス日誌とかプリントを届けたりとかまあ細かいことをあげればきりがないのだが。
私は、先生と話をするのがとても好きだった。会話の内容はなんでもよくて、話しているときの先生は真っすぐ私を見てくれる。
それがとても嬉しかったんだ、わたしは。
時は流れて私が皇帝と呼ばれ、委員長から生徒会長になっても先生はどれでもない「わたし」だけを見てくれるんだ。
きっと先生が私のトレーナーだったらこうはならなかったと思う。トレーナーじゃないのは少し残念だったけど、今はこれでよかったなと思える。
先生はトレーナーでもあるから自分のチームがある。ひとりまたひとりと彼のチームは増えていって、先生に好意を抱くウマ娘が増えていくことにある日気づいた。最初はそれにイラついたこともあったけど、私には余裕があった。
ぽっとでのウマ娘どもと比べれば一緒に過ごした時間は長いし互いのことを知っている。
なあ、知っているか? 先生は私といるととても安らいでいるんだ。
先生は教師とトレーナーの二足の草鞋を履いていて、その多忙さは私にもわかるほどだ。いくら多忙だからといってそんな素振りを見せるわけにはいかない。
だけど、私の前でだけは本音をさらけ出してくれるんだ。
「お前といる時が一番落ち着いて飯は食えるしコーヒーも飲めるよ、ルナ」
そう。私は先生に、彼の暖かくて優しい声で父と母にしか許してない「ルナ」という愛称を許している。エアグルーヴにだって許していないんだ。
それにこんな会話だってするぞ。
「なあ、ルナ。今度のテストなんだけど、この問題これであってるか?」
「なんで受けさせる側の生徒であるわたしに言うの?」
「だって、俺のクラスはお前を筆頭に頭いいんだもん」
「本当にそれだけ? 他にもあるんでしょ」
「──担当しているクラスが学年トップだとボーナスが上がる的な?」
「しょうがないなあ、先生は」
こんな会話を先生のところのウマ娘はしたことがあるだろうか。いや、ないに違いない。ちなみにこの話し方は私が「わたし」であるが故である。
さらに言えば私と先生には秘密の場所がある。それは相談室で、私が些細な悩みから始まり先の会話もここで行われている。
ただ時が経つにつれて中々密会することも難しくなってきていた。先生は私の話は絶対に聞いてはくれるけど、会長としての仕事もあるし先生は先生で自分のチームのメンバーが増えたことによってさらに多忙になってしまっていたから。
そのせいで最近先生は中々疲れもとれず大変そうに見える。
「ほんと、先生の迷惑になるウマ娘はみんな消えちゃえばいいのに」
でも、それ以上に本当に私をイラつかせるウマ娘が最近私の前に現れた。
「カイチョー! ボクもカイチョーみたいな無敗の三冠ウマ娘になってみせるよ!」
トウカイテイオー。中等部で私から見ても将来のある有望なウマ娘。
最初はかわいい後輩で、なんだか妹ができたみたいでテイオーを可愛がっていた。でも、いつのまにか先生のチームに入ってからアイツの存在が鬱陶しくなってきた。
アイツはいつも私の貴重な楽しい時間を邪魔するんだ。
「それでそこのカフェのコーヒーが意外と美味しくて。最初はワッフルが美味しいって評判だったんだけど、本当の一番はコーヒーなのは驚いちゃった」
「俺もつい最近あったぞ? うまいラーメン食いに行ったらラーメンは微妙で、なぜか餃子とかチャーハンがうまい店」
「へー。それはそれで気になるね」
「ルナってラーメンとか食うの?」
「失敬な。わたしだってひとりでラーメンを食べたいときだってあるもん。あ、だからか。先生が連れて行ってくれるお店のほとんどがレストランなのは」
「お前は目立つからなあ。別に考えなしってわけじゃないぞ。お前のイメージを守るため的な? 意味もあった」
「先生ひどーい!」
「そう拗ねるなって。じゃあ今度その店連れていってやるから。えーとどこだっけ。この前オグリたちといった店の名前」
「……っ。あの豚」
先生に聞こえない声量で愚痴を吐いた。
オグリキャップはクラスメイトで気づいたら先生のチームに入っていたウマ娘。おそらく学園一の大食いでいつも腹を空かせている。誰もが彼女に対してはそう認識しているので、それがオグリキャップというウマ娘だと思わせている。
だが、私は知っているぞ。
そうやって先生にご飯を食べさせてもらって、彼を独占しているということはな。まったくどいつもこいつも自分のことばかり。誰も先生のことなんて考えていないんだ。ただ一緒に食事をするだけで恋人みたいな関係だと錯覚しているだけとなぜ気づかないんだ。
ほんとうに滑稽だよ、オグリキャップ。君は先生を独占しているんじゃあない。先生がお前に貴重な時間を割いているだけなんだよ。
「それでいつ行くか。といっても俺に合わせてもらうんだけど」
「ねえ先生。一緒にご飯を食べにいくのもいいけど、久しぶりにわたしがお弁当を──」
『トレーナーいるー?』
大事な要件を伝えている最中、相談室の扉をノックしながら邪魔者が私の言葉を遮って部屋に入ってきた。
「ああ、テイオーか。どうした?」
「どうした、じゃないよー! もうとっくにトレーニングの時間なのに全然こないんだもん。
「もうそんな時間か。ルドルフ、話の続きはまた今度な」
「あ、ああ」
先生は切り替えが早い。邪魔者が入ってきたと同時にいつもの先生に戻り、私のことをルドルフと呼ぶ。それはつまり、私たちの密会の終わりを意味していた。
「つづきってなんの話?」
「秘密だ。生徒のプライバシーを守るのも教師の仕事なんでな」
「ふーん……ま、いいけどねー。じゃあカイチョー、
そう言ってテイオーは先生を私の前から連れ去っていく。まあよくもぬけぬけとそんなことを言えるものだなテイオー。私が気づいていないとでも思っているのか? お前が笑顔で向けるその顔は私を嘲笑っていることに。
それを知っていてお前は私から先生をよこから攫っていく。お前から見れば私は無様に映っているのだろうなあ。私はクラス担任とその生徒で、お前はトレーナーとそのウマ娘。明らかに後者の立場が上だと。
だからこんなことをしていても無駄なんだよカイチョー、ニシシっ。
ああ、想像するだけでもイライラする。脳内であの声を再生するのも聞くに堪えない。
本当に腹立たしい。
あの小娘は私と先生の密会を知ったうえでわざとやっている。いったいどうやってこのことに勘づいたのかはこの際どうでもいい。ただでさえ最近はこの時間が減っているというのにそれがさらに削られている。
「このままじゃ先生はあの小娘どもに壊されちゃう。だから、わたしが先生を助けなきゃ」
そしていま、私はそのためにこの場所に立っている。この場にいる有象無象から先生を救うために。まあ私が勝つのは当然の結果だと言っておこう。
そしてこのレースに勝つことは先生を救うと同時に私にも大きな意味を持つ。このレースに勝って私は「わたし」に戻るんだ。
皇帝でも生徒会長でもない。先生だけのシンボリルドルフに。
ああ、そうだ。ねえ、先生。
わたし、叶えたいことがあるんだ。
それはね? 先生がわたしのことをルナって呼んでくれたように、わたしも先生のことを特別な言葉で呼びたいんだ。
それぐらいの我儘はいいよね?
「だから勝つよ。待っててね、あなた」
「シンボリルドルフはあなたのチームメンバーではありませんが、ひとりのトレーナーとして彼女をどう評価していますか?」
「評価もなにも、あいつはあいつなんで。自分は彼女といると結構気楽ですね。それに結構かわいいところもありますし」
「と、いいますと?」
「そうですね……例えば、ショートケーキのいちごは最後に食べるタイプとかですかね」
「おーっと! 阿鼻叫喚の嵐だー! 果たしてこれはルドルフなのかそれともトレーナーに向けられているものなのでしょうか?!」
「……ん? やっべぇよ通知音が鳴りやまねぇよ」