私はこの精神科病棟のあるフロアを任せている看護師長。ここでは一般入院患者と、特別入院患者の二種類に別けられて、私が担当しているのはその後者。
そしてその特別入院患者というのは、ウマ娘である。
人間と同じようにウマ娘も精神を蝕まれ、心に病に抱える娘は多い。
現役時代、多くのレースで勝ち続けその名を轟かせたウマ娘だろうと、たった一度の挫折や怪我でいとも簡単に崩れ落ちる。
ここには症状が大人しい患者から手の施しようがない患者まで大勢いる。だから、話を聞けば誰もがここで働くことを望まないだろう。
だけど、ここではあるルールを守れば何も問題なく過ごせる。なにより給料もいい。
そして、そんな看護師にしては破格の給料に釣られて、また一人新人がやってきた。
貰った資料を見ながら本人と照らし合わせる。年齢はまぁ二十代で、年相応な若い女。金に目がくらんでいるとはいえ、よくもまあその若さでここで働きたいと思ったものだ。
「は、初めまして。今日からお世話になる──」
「ああ、自己紹介はいらない。とっとと持ち場について頂戴……ふぅー」
タバコの灰を灰皿に捨てながら、彼女の資料をゴミ箱に捨てた。
「あ、あの……ここ、病院ですよね。全館禁煙のはずじゃ……」
「そうだよ。ここはアンタの言うように病院だ。で、ここじゃ私が女王様だ。文句あるかい」
「な、ないです」
びくびくしながら部屋を出ようとする新人を見て、思わず肝心なことを伝えるのを忘れていた。
「ちょっと待ちな」
「は、はいっ」
「アンタに大事なことを伝えるのを忘れていたよ。いいかい、よく聞きな。ここにはルールがある」
「ルール、ですか?」
「そうだ。まずルールその一、他のスタッフを名前で呼ぶな。今日からアンタは……Dだ。ほら、ネームプレートだよ」
無造作にネームバッジを放り投げて、彼女は慌ててそれを受け取った。
「とりあえずアンタの指導役はKに任せてる。次にルールその二.
決して患者のことを詮索するな、知っていても名前で呼ぶな。呼ぶのは部屋の番号で呼びな」
「な、なんでですか」
「ルールその三。師長である私の言うことに疑問を持つな。そして最後のルールその四。患者に会いに来た人間に興味を持つな、以上だ。とっとと仕事に行きな」
「は、はいッ」
新人──Dが師長室から出ていくのを見送った後、アタシはタバコを灰皿に押し付けながら呟いた。
「今度の新人はどれくらい持つかね」
さて。アタシはこのフロア担当で、ここで働く看護師の師長であるが、全く表に出ないで仕事をしない訳ではない。
師長には師長にしか対応できない仕事もあるからだ。
「──すみません。面会に来たのですが」
「では、ここにお名前をお願いします」
「はい。ああそれとコレ、いつもお世話になっているお礼です。つまらないものですが、皆さんでどうぞ」
「
そう言ってやってきた一人の男性が包装紙に包まれた箱を台の上に置き、それを私はそっと自分の手元に寄せる。すると、その下にもう一つ封筒が置かれていた。
別におかしなことではない。この人が来る時はいつもこれを私に寄越す。
言うなれば、賄賂、というものになるのだろうか。
「では、面会時間はいつも通りということで」
「感謝します」
このフロアでの面会時間は決まって一時間に設定されている。患者によっては見知らぬ人を見て、突然発作を起こしてしまうことや、何気ない言葉がそれを自分に言われたと勘違いさせてしまうからこの時間になっている。
さらに持ち込みは基本こちらで予め確認して許可を出したものしか持ち込めないが、この人だけは適応されない。
そのための賄賂。私がこの仕事を続けている理由の一つでもあり、前任者から引き継いでいる汚い伝統であった。
彼が面会に来るのは月に数回程度で、面会するウマ娘は10号室の部屋にいる10番だ。
私は彼女の現役時代のことを知っているが、どうしてここに来たとかには興味がない。いや、興味など持ってはいけない。
そして、彼が彼女にとってどういう関係なのか、それを詮索するなど以ての外。私達はただ、言われた仕事を毎日熟すだけでいい。そこに私情を挟んではいけない。
しかし、ここにいる患者の多くは個室であるが、可能な限り患者の容体を逐一確認するためにドアは開けたままになっている。
このフロアでは、スタッフの私語も可能な限り厳しくしているので余計に静かだ。だからイヤでも声が聞こえてくる。
『今日はお前の大好きなはちみー持ってきたよ』
『ほんと!?』
『他にも色々持ってきたけど、どれが食べたい?」
『うーん、じゃあ、コレとコレ』
『はいはい。ほら、食べながらでいいから、髪を梳いてやる』
『うんっ。ねぇ、今日もいっぱいお話を聞かせてよ』
『いいよ。何が聞きたい?』
『えーとね……』
会話だけ聞けば、まるで親子のような会話に聞こえるだろう。だけど、二人は親子でもないし、別に恋人同士でもない。
彼の左手の薬指に指輪があることから既婚者なのはすぐにわかる。けど、それだけだ。私はそれ以上深く考えない。10番の過去を知っているから、彼が彼女とどういう関係だったのかは想像するのは難しくない。
が、私はこれ以上考えない。
それがこの仕事で生きていくための絶対条件だからだ。
新人が入って数か月後。
スタッフの一人からある密告を受けた。私はその問題であるDを師長室に呼んだ。
「師長、なんでしょうか」
「アンタ、最近10番に面会に来る男に随分熱心だってねぇ」
「……別に、私はそんなつもりは」
「私は最初アンタに言ったよ。患者に面会に来る人間に興味を抱くなって。まさか忘れた訳じゃないだろうね?」
「忘れて、いません」
私は大きなため息を付きながらタバコに火をつけた。
「そりゃあ、彼は見るからに金持ちだろうさ。身なりはしっかりしてるし、身に着けている物はどれも高そうなブランドものばかり。けど、彼は妻帯者だ。まさか、若いからってちょっと調子に乗ってるんじゃないかい?」
「そ、そんなの、師長には関係ないじゃないですか。私が、たまたま会話が弾んで、ちょっと喋るくらい」
「あるさ。ここは、私が管理しているからね。だからお前の問題は、私の問題でもある」
「……」
ほら、今度はだんまりだ。これで何人目だい。反論すらせず、ただ私に言い負かされてすぐに黙るのは。
「だからもうあの男に業務以外で関わるのはお止め。これは警告だよ」
「けい、こく?」
「そう。ここで働き続けたいなら、ルールに従いな。そうすりゃ、そこそこいい給料が毎月貰えるんだ。からね」
「わかり、ました……」
見るからに納得はしていない顔だった。だけど、私には関係ない。Dがどういう選択を取ろうと、結末は二つだ。
そして翌月。
Dは階段から足を滑らせて入院するほどの大怪我をしてしまった。しかし、それを悲しむものは誰もいない。これは事故だからだ。たまたま足を滑らせて、運悪く大怪我をしてしまっただけ。
でも、私達は知っている。
なぜならDはルールを破ったからだ。ルールを破ればどうなるか。それはD自身が教えてくれている。
後日。上からの通達で彼女は退職することになったと知らせが来た。また名簿のDが空欄になった、私はそのぐらいにしか思うことはなかった。
その日は他のスタッフのシフトがうまく合わなくて、私も今日は朝から現場に出て仕事をしていた。当然Dが担当していた10号室に私は今日の朝食を届けに行った。
「おはようございます。朝食の時間ですよ」
ベッドのテーブルの上に朝食を並べる。10番は窓の外を見るだけで私を見ない。
この部屋には多くの私物がある。ぬいぐるみだったり、ゲーム機だったり、漫画や雑誌だってあるし、入院着以外に着るはずのないカワイイ服がたくさんある。
それが許されているのは、彼女が特別だから。
それと彼女は脚が悪いため車椅子もある。彼が来た以外使うことのない車椅子が毎日同じ場所にある。本当は歩けるのに、その時のためだけに使われる車椅子が。
「じゃあ、時間になったら片付けに来ますから、残さず食べてくださいね」
私は部屋を出て行こうとすると、10番が私に声をかけてきた。彼以外に滅多に喋ることのない10番がだ。
「ごめんね、師長」
それは、私が婦長になってからもう何度も経験しているセリフだ。だけど、私はとぼけたフリをする。
「何がですか」
「部下が一人減っちゃって、大変かなって」
10番はそう言って私に笑顔を向けた。
恐ろしい目だ。だけど、この世で一番綺麗な黒い瞳で、それに引き込まれてしまえば絶対にそこから抜け出せない闇そのものだ。こればかりは私でも慣れない。
それでも私はそれに動じず、笑顔で言うのだ。
「事故ですから。運が悪かっただけですよ、きっと」
「そうだね。運がなかったね」
「はい。じゃあ、失礼します」
もう何度目かわからない同じ会話を私は10番とする。
ここで平穏に過ごしたいならルールを守り、10番の機嫌を損ねないこと。それがここでの絶対条件だ。
私はここのフロアの看護師長。もうこの仕事を続けて随分経つ。上手く仕事を熟す秘訣は、ルールを守ること、それだけでいい。
「初めまして。今日からこちらに配属されました──」
そしてまた、新しい新人がやってきて私はルールを教える。
ここで生きていくためのルールを。
はい。
これは、一部の個別エンドを除いた彼女の悪い方に向かった場合の話です。
以下情報開示
・10番はほぼ走れない体になっている。その分別方向に力が覚醒してしまった。
・10番に嘘はつけない。
・彼は妻がいながら“内密”に月に数回の頻度で彼女へ面会に来ている。
・彼は自分の意思で会いに来ている。
ということで、今回で暗い話は終わりです。マックイーン、ブラック、テイオー、ゴールドシップと更新していく予定です。