第9.5話 『
『さあゲートが開き、各ウマ娘が一斉にスタートしました!』
久しぶりのスタートは思いの外うまく出れた気がしました。
最初はすごく怖かったんです。スタートの瞬間、もし脚に激痛が走ったらどうしようって。でも、私の脚は動いてくれている。
一年以上の療養とリハビリを得て、少しずつ失ったスタミナを取り戻しながら脚に出来るだけ負担をかけないトレーニングを重ねてきました。
毎日が恐怖との戦いでした。いつまた繋靭帯炎が発症するか分からない恐怖に。ですが、今日までそれは現れず、遂に私はここに帰ってきたのです。
私はいま、全力で走っている。一歩、また一歩と体がかつての走りを思い出そうとしている。どんなにレースから離れていても、一度走れば体は嫌という程自分より走り方を覚えていようだ。
ある意味では、この時点で奇跡を起こしているようなものでしょう。
でも、これは奇跡じゃない。
必然だ。
だから私はいま走っているのだ。それ以外の理由などない。
なによりも、奇跡はこれから起きるのですから。
先頭はスズカさんでしょう。それに続いてミホノブルボンに、その次は……。
『ご、ゴールドシップ、ゴールドシップだ! サイレンススズカ、ミホノブルボンに続いて前を走っているのはゴールドシップだ!』
今まで追い込みというスタイルで走ってきた彼女が、まさかの先行策で来るとは誰も思っていないかったでしょう。もちろん私もその一人でした。
私の前にはゴールドシップの後ろを走っているテイオー、ブラックさん……あとは私の周りに同じ先行策で走っているみなさんがいるはずです。
後ろから見ているとよくわかるんです。前にいる三人の走りは、今までとは比べものにならないほど高レベルな走りだということに。
三人は離れず常に一定の距離を保っている。いえ、テイオーが前を詰めようとすれば、ゴールドシップがそれをさらに引き離し、ブラックさんも前のテイオーから離れまいと前へ出る。
気づけば少しずつですが、先頭を走るスズカさん達の距離を縮めているように見えます。
きっとこのままいけば最後までスタミナと脚が持たないということはわかります。ですが、前の三人から離れたら絶対に追いつけなくなる。
そう確信した私はブラックさんの後を追うべく速度をあげました。風の抵抗を受けまいと、できるだけ彼女の後ろを走るように。
『これはどういうことだ!? ゴールドシップを先頭にトウカイテイオー、キタサンブラックに続いてメジロマックイーンが一列に走って、前を走る二人に迫っている! 他のウマ娘達も離されまいと速度をあげていますっ。なんというハイペースなレースでしょう! これで本当に最後までスタミナは持つのか!?』
何度も思うのは、これが私の復帰戦で久しぶりのレースだということ。なのに私は食らいついて行けている。だけど少し肺が辛くなり始める一歩手前の所まで来ていた。
このままいけば、最後まで走り切れることはできるでしょう。
ですが、問題はどうやって勝つか。
前を走るゴールドシップはまるで後ろに目があるかのように、仕掛けようとしているテイオーのラインをブロックし、テイオーもまた仕掛けてくるブラックさんをブロックしている。まるで動きを先読みしているかのような二人でした。
こんな戦いを繰り広げている三人を抜けるのだろうかと誰もが思うこと。ですが、私に諦めるという言葉はなかった。
そんな激しい攻防を続けながら第2コーナーを過ぎて長いストレートへ。恐らくコーナーに入る頃にはスズカさんとブルボンさんを射程圏内に捉える。
抜くにしてもタイミングが重要になってくる。下手をすれば誰かの前で掛かってしまって抜けなくなってしまう。
なによりこの場にいるウマ娘は余力を残して勝てる相手ではない。それに息も、脚も辛くなってきている。
いつ限界が来るか、いつ痛みが再発するかわからない。
ならば先に仕掛けるだけだ。
仕掛けるのは第3コーナーからだ。ここで抜けなければ、最後の直線で抜くことなんてできない。だけど問題は前の三人。
きっと私の動きを読んでいるに違いない。だけど、先に動かなければ負けてしまう──そうウマ娘としての勘が囁くのです。
内か外か……。
私は頭で考えるのでなく、苦楽を共にした己自身の身体にその行く末を委ねた。私の身体が、脚が、きっと道を示すだろうと。
そして──
『マックイーンだ! メジロマックイーンが仕掛けた! キタサンブラックのスリップストリームを抜けて、いま第3コーナーで内から仕掛けた! しかしキタサンブラックはこれに……外だ、キタサンブラックは外側からトウカイテイオーに迫る! 両者トウカイテイオーに並びかけるッ。トウカイテイオーはこれに…………キタサンブラックの前に出て、ゴールドシップに仕掛けた! だが中々差が縮まらない、ゴールドシップの脚色は衰えを見せない!』
気づけば、目の前が空いていて私はさらに脚に力を入れて芝を強く蹴った。第3コーナーを抜けて第4コーナーで私はゴールドシップと並び、ブルボンさんを抜き、続いてスズカさんを抜いて最後のコーナーを抜けた。
『最後の直線だッ。コーナーから飛び出してきたのはメジロマックイーン! 僅かの差でゴールドシップが食らいつき、その後ろでトウカイテイオーが最後の大勝負を仕掛ける! 泣いても笑ってもこれがラストラン!』
気づけば──前には誰もいなかった。アレほど夢に見た景色が私の目の前に広がっている。
静かだ。自分の呼吸も聞こえないぐらい静寂な世界。でも目の前の光景とは裏腹に、私の顔に余裕の文字はない。
歯を食いしばり、脚を大きく前へ、早く手を振っている。
必死だった。
負けない。負けたくない。誰よりも強く、あの子よりもっと速く!
そして脳裏にあの人の顔が思い浮かんだ。
トレーナーさん、見ていますか。
私、いま走っているんです。
誰よりも前で、誰よりも速く走っているんですよ。
だから私──
あなたの夢を叶えられましたか?
『ゴール! いまメジロマックイーンが1着でゴールです! 二バ身ほど離れて2番にゴールドシップ、3番トウカイテイオー! 続いて……』
「はぁ……はぁ……はぁ……」
少し遅れて自分がすでにゴールラインを通過したことに気づいて、速度を落としながら息を整える。
「はぁ……はぁ……ッ!?」
まるで張りつめていた糸が突然切れたように、例えるなら今日までの代償を払う時が訪れたのか、脚に激痛が走って私はターフの上に倒れた。
「ぅ……ッ」
「マックイーン!」
倒れながら脚を抑える私の耳に、あの人の声が届いたのです。何度も私の声を叫びながらこちらに走ってくるのが見えた。
「トレーナー、さん……」
「はぁ……はぁ……マックイーン!」
トレーナーさんは痛みに堪えている私をそっと、そして強く抱きしめてくれました。
それがとても嬉しくて、少しだけ痛みが引いたような気がして……。
抱きしめながら顔を見上げると、彼は泣いていました。それが何に対しての涙なのかは分かりません。
私がこうなってまで勝利したための涙なのか、それともこのレースの結末に対する涙なのか。でも、あなたには泣いていて欲しくなくて、私はそっと手を伸ばして彼の頬に添えました。
「トレーナーさん……私、あなたの夢を叶えることができましたでしょうか」
「ああ、ああ! ありがとう、マックイーン……本当にありがとう……」
「だったら泣かないでくださいな。こういう時は笑うんですのよ」
「……そうだな……ほんと、その通りだよなっ」
倍の年齢差があるのに、彼は子供のように泣いていた。それを恥ずかしいとか情けないなんて思ったりはしない。
「トレーナーさん。あの子の、テイオーの所に連れて行ってください」
「……わかった」
彼もそのつもりだったのだろう。顔を見ればそれがわかった。私はトレーナーさんに抱きかかえてもらいながらテイオーの所に向かった。
テイオーはその場に膝をついて、ゴールドシップと何か話をしていた。終わるのを待ってあげたかったのですが、正直に言ってこれでもかなり平静を装っているのです。脚は痛いし、早く病院に行きたい。
でも、こればかりは譲れない。私は見下ろす形になってしまいましたが、テイオーに声をかけました。
「テイオー」
「マックイーン……」
彼女の表情は、色んな感情が混じったもののように見えました。怒り、悲しみ、悔しさ、あるいはもっとかもしれない。
けど、私を見た途端に目が潤んでいるのが見えました。
だから言ったのです。
「約束、しましたわよね」
「……うん」
「だったら泣かないでください」
「わかってるっ」
「なら……」
私は抱きかかえられたまま、彼女に左手を伸ばした。それを見て、トレーナーさんも膝をついてくださいました。
テイオーはまだ受け入れたくないのか、顔を横に向けて私の手を掴みました。
それでも、私は構わなかった。
もうあなたと走れるのは、これで最後だから。
「いいレースでしたわ」
「……うん」
「──行きましょう、トレーナーさん」
「いや、でも」
トレーナーさんは、テイオーと話したかったのでしょう。理由は知っていますし、彼の気持ちは痛い程分かります。
ですが、今のテイオーは負けたことを受け入れられていなくて、手を見れば悔しそうに拳を作っているのが分かりました。
「いまはそっとしておいてあげてください。お願いします」
「……わかった」
トレーナーさんも彼女と同じように理解はできても納得していないような雰囲気でした。
そして私達が去ろうとすると、ゴールドシップが声をかけてきたんです。それも今までに見たことのない……優しくも寂しそうな笑みで。
「マックイーン。その手、放すなよ」
「ゴールドシップ……?」
「ゴルシ、お前何を言って──」
「楽しかったよ。オマエと過ごした日々は……。じゃ、元気でな」
『……』
何故か私達は誰もいない所を見ていたんです。私もトレーナーさんも互いに顔を見わせて、何故か首を傾げた。
一瞬、光が走ったような気がしたけど、多分気のせいでしょう。だから、きっと何もなかったんです。
「行こうか」
「はい」
何もなかったように私達は再び歩き出しました。
こうして長く、本当に長かった私とテイオーの約束は、私の勝利で幕を閉じたのです。
あれから数日が経ちました。
結果から申しますと、私は再び繋靭帯炎を発症していたのです。別に驚くことはなかったのですが、ああやっぱりと言った感じで素直に先生の言葉を受け入れていました。
それはトレーナーさんも同じです。
繋靭帯炎は治らない病気。むしろ、一度治ってからあの日までよく再発しなかったのが不思議なくらいでした。
だから二人して何とも言えない表情をしながら肩をすくめてしまった。
検査を受けた日からしばらく入院することになり、トレーナーさんは毎日顔を出しに来てくれました。
「さっき先生に言われたんだが。時間はかかるけど、また歩けるようになるかもしれないってさ。むしろ、脚の状態からしたら奇跡だって驚かれたよ」
「ふふっ。当然ですわ。だって、奇跡を起こしたんですもの」
「ああ、そうだな」
優しく微笑みながら、トレーナーさんは私の手を握っていました。
あれから私達の関係は、何と言葉にしていいのでしょうか。兎に角、不思議な関係なんです。トレーナーとウマ娘なのはもちろんなんですけど、かといってそれだけの関係で終わっているわけではなくて。
じゃあ恋人かと言われたら、別に告白したわけでもされたわけでもなくて。
ただ、それに近い関係だと言われたら……そうなんだと思います。
でも、私はもう……それで終わりたくなくて、その先に進みたいと思っています。私はともかく、トレーナーさんはまだ慌ただしい日々が続いているのだと存じてはおりますが、それを言うだけの資格は持っているはず。
だからあの日のお願いをまた口にしたんです。
「トレーナーさん、覚えていますか? あの日、私が言ったお願いのこと」
お願いと言っても、それは最後まで言うことはできませんでした。けど、トレーナーさんは静かに頷いてくれたんです。
「じゃあ──」
「いや、そこから先は俺に言わせてくれ」
「え?」
すると、彼は私の両手を握って言ってくれたんです。
「メジロマックイーン。キミの残りの人生を俺にください」
「──っ、はい。よろしくお願いしますっ」
告白を通り越してプロポーズされた。
でも、そんなこと気にならないぐらい私は嬉しかった。誰も出ない、あなたから私を求めているようで、それがとても嬉しい。
プロポーズされて喜んでいると、彼はいきなり私の頬にキスをしてきたのです。
「なっ!?」
「なんだ、ダメか?」
「ダメではありませんけど、唇がよかった……じゃなくて、こうもっと……ムードというか……あるじゃありませんかッ」
「あーそうだな。ここ、病院だもんな」
「……はうっ!?」
彼がいう言葉の意味を理解してしまい、思わず顔が真っ赤になる。だけど、彼は首を傾げるだけでまったく気にしていない。
「なんだ。そっちを想像したのか。お前、意外とエッチなんだな」
「えっっ!? ち、違いますわ! こほん。別に、あなたの考えているようなものではありません!」
「はは。ま、いまはそういうことにしておいてやるさ」
「もうっ!」
「でもその前に、色々とケジメをつけなきゃな」
それはきっとみんなことを言っているのだとすぐに分かりました。なにより彼は……テイオーとちゃんと話をしなければいけない。
レースは終わりました。でも、まだ多くの問題は残ったままです。だけど……きっと大丈夫だと思っているんです。
今の彼は、あの頃のように笑っているから。
あなたもそう思いますわよね……。
……。
はて。私は一体誰の名前を呼ぼうとしたのでしょうか。
ED.09 『夢叶えし者』
あのレースから数ヶ月が経ちました。
トレーナーさん……いえ、あの人はもうトレーナーを引退しましたので、もうトレーナーさんとは呼べないでしょう。
彼は私にプロポーズした日から、みなさんとちゃんと向き合って、話をして、いままでの清算という訳ではありせんが問題を解決していきました。
中にはあの日から連絡も取れず、居場所も分からない子が数名いたようで、その子たちを探すのにここまでの時間を要したようです。
彼からすれば、いくつかは身に覚えのない話だと思います。それでも彼は一人一人ちゃんと向き合って、ケジメをつけていました。
だけど、それは同時にもう二度とみんなが揃うことはない、ということを意味していました。
だから彼もそれを理解したうえでトレーナーを引退し、教師の仕事も退職しました。その時の彼は……とても悲しく辛そうでした。
私も同じころにトレセン学園を卒業という形で去ることになりました。もう走れませんし、学業に関しては問題ない範囲で修めていましたしね。
また、この頃になると私は病院を出て実家で療養生活を送り始めていました。ただいつもと違うこともあって、そこには仕事を辞めたあの人も一緒にいたんです。
私は当然嬉しいんですのよ?
でも、まさかお婆様がそれを許すとは予想外だったんです。何と言いますか、気が早いのではと思わなくもなくて。
もちろん脚がこんな状態じゃなかったら飛び跳ねていたことでしょう。
二度目の発症ということもあって、今の私は車椅子での生活を強いられていました。まだ自分の足で歩けるようになるのは、もっとずっと先になると言われていましたから不満はありませんし、常にあの人が車椅子を押してくれるのでそこまで悪いことではありませんでしたから。
あの人と一緒に生活をするようになり、彼の問題もあと一人という所まで来ました。
その子はトウカイテイオー。
本当は誰よりも一番に会いたかったのですが、中々見つからなくて……。いまはある病院にいることがようやくわかったんです。
そして私達はあの子に会いに行ったんです。
「……やあ。マックイーン」
「元気、そうですわね」
テイオーがいる病室に入ると、あの子はベットの上で私を迎えてくれました。あの人には無理を言って、今は外で待っていてもらっています。
彼女の状態を確かめるということもありますが、先にあの人とお話したら多分ですけど私が喋る機会はないからだと思ったからです。
「……そろそろ来るって思ってたんだ」
「まるですべてお見通しみたいな言草ですわね」
「まあね。色々あってさ」
声は少し重くも、あの頃とは違ってそこまで酷い状態ではなかった。でも、見るからにテイオーはあのレースでの決着をまだ受け入れられていないように見えたんです。
「まだ、泣きたくて仕方がありませんの?」
「……そうだよ。だって……だって……ボクは、勝ちたかったんだ。誰よりも、マックイーンよりも……アイツに勝って……ボクは……」
アイツ、というのは誰のことを差しているのかはわかりませんでしたが、この子はどうしようもないぐらい困ったウマ娘だということは分かりました。
「悔しいんですか」
「そうだよッ」
「どうしてですの」
「だって、もうアイツとは走れないっ。なによりも、マックイーンやボクも走れない体になっちゃったんだよ! ズルいじゃん、勝ち逃げなんてさ……。結局ボクは、一度もキミに勝てずに終わっちゃった……」
あの天皇賞以来、私達二人は共に走ることは叶わなかった……あのレースまでは。
勝負は私が勝ち、テイオーが負けた。そして互いに故障を抱え、二度と走れない体になってしまった。
ですがテイオー、それはあなたが忘れていた大切な気持ちなんです。
「昔のあなたでしたら、きっとそんなこと言いませんでしたわ」
「……え?」
「今のあなたは、私やあの人がよく知っているトウカイテイオー。あのレースまでのあなたは……まるで抜き身の刀のようで、ちょっと怖かったんですよ」
「……ごめんね」
「はい、許してあげます」
今のテイオーは憑き物が取れたようなそんな気がします。
でも、だからといってすべてを許せるわけではありません。こうなってしまったのは私達全員が関係しています。
きっかけはこの子からすべて始まった。
だから私は……二度と口にしたくない言葉を吐くことで一歩前に、少し大人になろうと決意しました。
「テイオー。一つ、あなたに教えておいてあげます」
「なに」
「あの人は誰よりもあなたのことを見ていました。誰よりもあなたのことを気にかけていました。そして……誰よりも一番にあなたのことを想っていたんですよ」
「……そう、かもね。でも、もう遅いんだ」
「ええ。今は私のことで一杯ですからね」
「ここで自慢するのって酷くない!? そこはもっとボクに優しくするところでしょ!」
「オホホ。今までのことを考えれば、これぐらいの仕返しはしていいと思いますわよ」
「……もう」
何となくですけど、昔のような会話をした気分で嬉しかった。テイオーも本当によくなったと思います。
何よりも溜めていた不満も吐けたので尚よかったです。
私の言いたいことは伝えたので、あとはあの人と交代することにしました。
「それでは私は一旦外で待ってます」
「あ、マックイーン」
「はい?」
病室から出ようとすると、テイオーが何かを言いたそうにしていました。
「……今度、遊びに行ってもいいかな……」
「当然ですわ。だって、私達は友達なんですから」
「──ありがとう、マックイーン」
久しぶりに見たテイオーの笑顔は素敵でした。
それからあの人と交代して今度は私が病室の外で待つことに。何を話しているかは大方予想はつきます。耳をすませば、小さいですがあの子の泣声が聞こえてきました。
「よかったですね、二人とも」
こうして長い私達の問題はようやく決着がついたのです。
気づけば十数年の時が流れました。
私はあの人と結婚して木場家へと嫁ぐことになりました。
お婆様は彼に婿養子として来てほしかったそうですけど、まさか彼の家がかなりの名家だと思いもよりませんでした。それに幸いメジロ家にはドーベルもライアンもいますので、二人がメジロ家を継いでくれるのできっと大丈夫でしょう。
車椅子での生活を卒業して、ようやく一人で歩けるようになった頃に私達は子を作り、授かることができました。
木場家ではウマ娘の子を授かるのが悲願だったのですが、残念ながら私の子供は元気な男の子でした。
おばあさまとおかあさまにはとても残念なことをしてしまったと思いましたが、あの人はそんな私を気遣うように言ってくれました。
「女の子だと嫁にやらなきゃいけないから、俺は男の子でよかった」
まあ気持ちは分からなくもありませんでした。やはり男性の方は彼と同じことを思うようで、私は別にそんなことはないんですけどね。
結婚してからの日々はとても素敵なものでした。
おばあさまとおかあさまにはよくしてもらっていますし、お二人もスイーツが大好きなのであの人を置いてよく一緒に出かけることもしばしば。
でも、その度に言われるんです。
「お前、少し太った?」
「いくら夫婦と言えど、言っていいことと悪いことがありますわよ!」
まあ、本当に増えたんですけど……。
そして子供の成長は早いもので、気づいたら息子はもう高校生。別に誰の影響という訳ではありませんが、あの人と同じようにトレーナーを目指しています。
あの人の子供ですから色々不安にはなりますけど、きっと私達みたいなことにはならないでしょうね。
あれは……特殊過ぎますから。
私達と言えば、いつまでも変わらないと言ったことろでしょうか。傍から見ればつまらそうに聞こえるかもしれませんけど、私達にはそれが一番いいことなんです。
前と違うことがあるとすれば、あの人が運転するバイクの後ろに乗って、よく出かけるようになったことぐらいでしょうか。
あの時最初に言ったお願いが今になってようやく叶うことができました。まあ脚のことや子育てでそんな時間があまりなくて、そのお願いのことを私もあの人もちょっと忘れていただけなんですけど。
ツーリングは日帰りだったり、泊りがけだったりその時の行く場所によって様々です。
だけど、今日は特別な場所に来ていました。
ここはまだ私達がトレセン学園でみんなと過ごしていたとき合宿に来ていた場所。泊る旅館も当時の所で、少し改築はしましたけど二人にとっては思い出の場所です。
あの頃のことは、今でも鮮明に思い出せます。記憶の中のみなさんとはいつでも会えるけど、現実では中々そうは行きません。
今日ここに来たのは彼が言い出したことでした。日にちも間違ってなければ、当時私達がよくここに来た日と同じだった気がします。
私達は夜の浜辺を手をつなぎながら歩いていて、彼が何かを思い出したように言ったんです。
「俺はさ、ここが好きだったんだ。いまこうしてお前と歩いているように、みんなとここを歩いて旅館に帰るのがさ」
「あの頃は……楽しかったですわね」
「ああ」
「私と結婚したこと、後悔していますの?」
ちょっと意地悪な質問した。でも、彼は言いました。
「してないよ。お前と一緒になって俺は幸せだし、お前はこれからも俺のウマ娘だよ」
「ふふっ。あなたは本当にロマンチストですわね」
「そうかな」
「そうですわ」
笑いながら浜辺を歩く。ふと、彼は足を止めて海の方を眺めながら言いました。
「ここに来たのはさ、会えると思ったんだ」
「誰にですか?」
「わからない。名前も顔も思い出せない。でも確かに記憶の中にいるんだ。だから、ここに来ればそいつに会えるんじゃないかって思ってさ」
「……私も一人だけそういう人がいます。きっとあなたと同じ人ですね」
最近になって昔の記憶を思い出すと、一人だけぽっかりと空いているような場面が多くあるんです。まるでそこには二人の人が写真に写っているのに、その一人だけ黒く塗りつぶされているような感じです。
「そいつは多分女だと思うんだけど。これってさ、浮気に入るかな」
「どうでしょうか。その人が私より美人だったら、ちょっと考えてしまうかもしれませんわ」
「でも、お前だって会いたいだろ?」
「ええ」
それは本心でした。
私は彼と同じようにその人に会いたいんです。何故かそう思ってしまう。会って……お話したい。プロポーズされて、結婚して、子供ができて……兎に角たくさんのことを話したいんです。
「いつか会えるかな」
「会えますわ」
「どうしてそう言い切れるんだ?」
私はそれに絶対的な確信を持って言いました。
「あなたがそう願えば、いつかきっと叶いますもの。私の時と同じように──ね、あなた」
「確かにそうだね。お前の言う通りだよ、マックイーン」
「だから待ちましょう。時間はまだありますわ」
「ああ、それじゃあ戻ろうか。ちょっと肌寒くなってきた」
「はい、あなた」
まだまだ人生はこれからだ。私達が歩みを止めない限り、きっとその時は訪れるとそう信じています。
あなたと一緒ならいつかきっと。
Fin
ちなみにレース場は2000ⅿから2400ⅿの間で左回り。一応東京競馬場を参考に書いてたけど、坂道とか下りの間で仕掛けるとか頭がおかしい超次元バトルしています。なお、そこまで書くのは大変なので簡潔になってます。
カレンチャン? 愛のパワーで中距離A-から+ぐらにになってるから……。