第11.5話 『和解』
ゲートが開くその一瞬に力を解放した。
あの有馬記念以来、ボクはあの力を使ってレースを走っていた。でもそれはこの力に慣れるために走っていただけで、数回レースに出ればもう使いこなしていた。だからそれ以降は普通に走ってレースに勝利していた。
だってボクは無敵のトウカイテイオーなんだ。だから負けるわけがない。
ゲートを開くと同時にボクは飛び出した。多分スタートに関してはボクが誰よりもゲートを早く出ていたはずだ。そしてすぐにスズカとブルボンが前に出たけど、それは想定の範囲内だし力を使わずともそんなことは分かる。
でも、意外だったのは──
『ご、ゴールドシップだ! ゴールドシップ、綺麗なスタートを切ってミホノブルボンの少し後ろから追い始める!』
読めなかった──ゴールドシップの思考が。
この力を使えば、嫌でも色んなことが分かる。スタートの直前に誰が、何を、どのタイミングで出ようとしているか手に取るように分かる。
だけどゴールドシップだけは何も分からない、何も読めない。
でもそれが何だって言うんだ。この力がなければ、そんなの当たり前のことじゃないか。
ボクはすぐに切り替えてゴールドシップのすぐ後ろに付く。
──テイオーさんッ。
ブラックの声が聞こえた。どうやらボクのすぐ後ろにいるようだ。
勝手について来ればいいさ。ボクはお前なんて眼中にないんだから。
『こ、これは凄いことが起きています。ゴールドシップを先頭にトウカイテイオー、キタサンブラックがスリップストリームを作りながら走っている!』
今の状況から見て、有利なのはボクの方だ。ゴールドシップは背が高いから、小さいボクはアイツの後ろを走ることで、風の抵抗は少ないのでかなりのアドバンテージを受けている。
ゴールドシップの実力は未知数だ。勝率は5割と、勝つか負けるかの極端な数字。言ってしまえば、勝とうと思えば勝てるし、勝つ気がないから勝たないだけともとれる。
でも、ボクには分かるんだ。アイツは今まで全力で走ったことがない。だからこうしていま、ボク達の前を走っているんだ。
ボクは、勝つために最初から全力で仕掛けていくつもりでいた。最初の第1コーナーから第2コーナーにかけて、積極的に抜こうととした。
「ッ!」
内から抜こうとすれば左に寄せ、外から抜こうとすれば右に寄せてくる。それはボクはそれを踏み出したときには、ゴールドシップは常にボクの前にいる。
傍から見れば完璧なブロックに見えるだろう。でもボクからしたら違うんだ。まるでボクの思考を呼んでいるのかような走り。
それはこの力を使っているボクのように。
アレは脳裏に浮かぶんだ。その少し先のビジョンが。だから先手を取ってブロックできるし、こちらから仕掛けることもできる。
だけど、ゴールドシップはそれ以上……まるで常に未来が見えているような……。
ボクは頭を振って今の考えを捨てた。
集中しろ。まだレースは始まったばかりだ。
『これは凄いゴールドシップ! トウカイテイオーを抜かせない、常に前を走るのは自分だと言うような走りを見せています。トウカイテイオーとキタサンブラックを引きつれたままじりじりと前を走る二人に迫ります!』
第2コーナーを抜けて最初の直線に入る。ゴールドシップに付いていきながら直線の半分を超えた辺りで、前にいるスズカとブルボンの焦りが聞こえた。
──まさか、もう来たの!?
──速いッ。
このまま行けば第3コーナー手前で追いつく。問題はその後だ。
──仕掛けるのは第3コーナー!
──ここで抜けなければ勝利はありません!
ブラックとマックイーンの声が聞こえる。どうやら考えはみんな一緒らしい。気づけばマックイーンはブラックのすぐ後ろ。他のみんなもその後ろに続いてそのタイミングを計っている。
そしてボクの前では、依然としてこの速度を維持しながらゴールドシップが走っている。
先に仕掛けるのはボクか、それとも──
……見えた。
『マックイーンだ! メジロマックイーンが第3コーナーに入ってキタサンブラックのスリップストリームを抜けて内から仕掛ける!』
マックイーンが先に動くのが見え、ボクの脚は自然とその外側に動いていた。
──読まれてるッ!
『流石トウカイテイオー! キタサンブラックの動きが見えているのようにすぐに前に入った! そのままゴールドシップへと並びかける!』
最初はさ、驚いたよ。お前がボクと同じ力を使えることに。
だけど、無駄だ。
お前じゃボクを抜けない、抜けさせない。
『さあゴールドシップが第3コーナーを抜けてミホノブルボン……そして第4コーナーでサイレンススズカを抜いた! ゴールドシップを先頭にトウカイテイオー、キタサンブラック、メジロマックイーンがいま第4コーナーを抜けて、最後の直線! 本当の戦いはこれからだ!』
ボクは全身全霊を込めて、脚に力を入れてターフを蹴った。かつてない加速だ。多分骨折する前より遥かに速く走れている。
あと少し、あとほんの少しでゴールドシップに並ぶ。そしたらそのまま最後までノンストップで……。
……。
なんで。
どうして差が縮まるどころか開いてるの。
『ご、ゴールドシップ! ここに来てとんでもない加速です! 後方のトウカイテイオーをぐんぐんと引き離しています! ゴールドシップ、ここに来て真の姿を我々の前に見せようというのか!?』
まだだ。まだ、追いつける。
負けるはずがないんだ。あんな、あんなヤツに、ボクは負けないんだ。
アイツに勝つためにボクはすべてを捨てたんだ。トレーナーの前で仮面を被っていたボク、レースで演じてたあの人が望むトウカイテイオーとしてのボク、今までのボク──。
なのになんで、追いつけないんだッ。
「ゴールドシップーーーー!!」
ボクは叫んだ。ありったけ想いを込めて。
そしてボクが見ている世界に……彼が映った。
──テイオー。
そっか。ボクは、トレーナーすらも捨ててしまったんだ──。
『ゴール! 圧倒的な差をつけていまゴールドシップが1着で制しました! 2番はトウカイテイオー、続いて──』
ゴールラインを過ぎて、ボクは減速していく。するとどんどん後続にいたみんながボクを追い抜いていく。
前を向けば、先にゴールしていたゴールドシップがボクの方に歩いて来る。ボクは息を整えるのに必死なのに、ゴールドシップは全然余裕そうで汗だってかいていない。
底が知れなかった。本当に今まで全力で走っていたのかすら怪しくなってきた。
「はぁ……はぁ……ゴールド、シップ……」
「これが現実だよ。アタシとお前の」
「ッ! まだだ、もう一度ボクと走れ! ボクは負けない、お前なんかに負けはしない…………負けちゃいけないんだ!」
「お前はアタシには勝てない。すべてを捨てたお前に、アイツの
そんなことは分かってる。だけど認めたくない、納得したくない。これじゃあの人が、トレーナーが行っちゃう。ボクを置いてどこかに行ってしまう。
嫌だ、そんなの絶対に嫌だ。
ボクには、ボクにはもうトレーナーしか……。
──自分から捨てたのに?
心の中で、もう一人のボクが真実を告げる。
──都合が良すぎるよ
違う。
──違わないよ。
「違う! ボクは、ボクはお前に勝って手に入れるんだ。トレーナーもボクの未来も全部ッ、だから!」
「いいぜ。何度だって相手になってやるよ。だけどな……その脚で、アタシに勝てると思ってるのか?」
「──え?」
頭を下げて自分の脚を見ると、左脚が痙攣していた。あの時の……マックイーンと戦った天皇賞と同じように、脚が異常を知らせていた。
無我夢中だったのか、今になってその痛みが脚から全身に来て、思わずお尻からターフの上に倒れた。
ボクは痛みに耐えながらゴールドシップを見上げ、彼女はボクを見下ろしていた。
「いままでのツケが回ってきたんだ。あの有馬であんなもんを授かっちまったから、お前は今日まで走れてこれた。いや、もしかたらそうじゃなくてもきっとお前はあの時勝てたかもしれない。だけど、これでお終いだ」
「こ、これが何だって言うのさ! また治して、走って見せる。そして今度こそお前に勝って──」
「まだ分からねぇのか!」
ゴールドシップは怒鳴った。あの時、学園の校門でボクに怒ったように。
「な、なにが……」
「お前が一番欲しかったもんは、もう……手に入ってんだよ」
「……え」
「アイツが誰よりも見ていたのはお前だ。アイツが誰よりも気にかけていたのはお前だ。そして、アイツが自分の夢を託そうとしたのは……お前だけだ」
「それ、どういう……」
ゴールドシップは背を向けて歩き出した。待て、と声をかけようとした時、その向こうからトレーナーが走ってくるのが見えた。
ボクは思わず目をそらした。あいつと話す彼を見たくなかった、こんなボクを見てほしくないと思ったから。でも、耳に聞こえたのは想像とは違うものだった。
「ゴルシ!」
「ほら、行けよ」
「──ありがとう」
すると足音がこっちに近づいてくるのが分かった。そして彼はボクの名前を呼ぶんだ。
「テイオー!」
「こ、来ないでっ」
「いいか、テイオー。俺は──」
「見ないで、お願いだからいまのボクを見ないで! どんな顔をしたらいいか分からないんだ。だから……だから……」
両手で自分の顔を隠した。でもトレーナーはボクの腕を掴んで優しく言うんだ。
「頼むから、顔を見せてくれ。そして、俺の話を聞いてほしんだ」
「……」
見せたくなかった。今の僕の顔はキミが来た途端に涙で溢れて、なんていうかぐしゃぐしゃになってるんだ。必死にキミの前でいる仮面を付けようと思っても、どんな顔だったかすら思い出せない。
怖い。どうしたらいいのか分からなくて怖い。
だけど、ふとボクの手首に振れている彼の手に違和感を感じたんだ。汗とは違う。それに手がザラザラしていて。思わず鼻で息を吸って、それが何なのか分かった。
それは血の匂いだ。
ボクは思わず顔から手をどけた。目の前には汗だくになって、涙で変に見える彼の顔があった。
「トレーナー手が……!」
「ン。ああ、ちょっと鎖を壊すのに手間取ってさ。大丈夫だ、お前は気にしなくていいんだ」
「ダメだよっ。早く、病院にいかないと……」
「行くのはお前も一緒だ。でも、その前に俺の話を聞いてくれ」
顔を晒してしまった以上、ボクにはもうできることはない。逃げたくても、この脚ではどうすることもできないから。
ボクはそれに頷き、彼が口にした最初の言葉は──謝罪だった。
「ごめんなテイオー」
「……なんで、謝るの」
「こうなったのは俺の責任だ。お前をそうさせたのも俺が原因だ。全部、俺が悪いんだ」
「違う……ボクが、ボクが自分で決めたんだ! こうあろうとしたんだ! だから…………」
彼は首を横に振ってそれは違うと言うと、ボクの手を傷ついた手で優しく握ってきた。
「もっと早くお前とちゃんと向き合って話すべきだった。お前が夢を失って、自分を見失っていた時に俺が教えるべきだった。お前なら自分で気づくと信じて、勝手に期待して、そしてこうなっちまった。俺はいつも大事なことに気づくのが遅いから……お前を辛い目に遭わしてしまった」
「そうじゃないよ。ボクは逃げたんだ……それが一番楽で簡単だから、キミのために走ればきっとキミも喜んでくれるって」
「そうだな。でも、俺も逃げてたよ。お前が怖かったんだ……傷つけるじゃないかって。だからもっと早く、お前に伝えておくべきだったんだ」
「何を…………言おうとしていたの」
彼はボクの手を放すと、優しくボクの肩に手を置いて言った。
「テイオー、お前は俺の……夢なんだよ」
「知ってるよ。あの時、キミが言ったのはそういうことなんでしょ」
「……夢があったんだ」
「え?」
「俺には夢があった。でも、その夢は始まる前に消えちまった。だけど、初めてお前を見たあの選抜レースで、俺は衝撃が走ったよ。こいつなら日本一いや世界一のウマ娘になれる。そして俺を一番のトレーナーにしてくれるって。でも、俺は怖くてお前をスカウトしなかったんだ。また夢を失うのが怖くてさ。そしたらお前から俺のチームに来たのには笑ったけどな」
「そう、だったんだ」
あの選抜レースのことはまだ覚えてる。あの頃のボク、カイチョーみたいになりたくて、必死にアピールしていたと思う。まさかあの時にトレーナーがいたなんてビックリだ。
「俺はお前に俺の夢を託そうと思った。でも、お前には無敗の三冠ウマ娘になるっていう夢があったから、そこに俺の夢を言うのは押しつけがましいと思って言わなかった。そしたらお前が骨折して、それからどんどん言うタイミングを逃してさ。本当に、ごめんな」
「謝らないでいいんだよ。悪いのは全部ボクなんだ。言えばよかった。たった一言、分からないから教えてって。でも逃げたから、こうなっちゃったんだ」
「二人とも悪い、そういう風に決着を付けてもいいかもしれない。けど──」
喧嘩両成敗って訳じゃないけど、確かにお互いが悪い。二人とも何がダメでいけなかったのか、それを口にして、ちゃんと話し合った。ならもう一度謝ってそれで終わりでいい。
でも、彼はまだ言うべきことがあるように見えた。
「夢はもう叶ってるんだ。テイオー、お前が俺の一番のウマ娘なんだよ」
「どうして……だってボク、負けたんだよ? アイツに勝てなくて、こんな無様な姿をさらしてさ」
「そんなことないさ。過程はどうであれ、三度の骨折をしてここまでやってきたお前を笑うヤツなんていないよ」
「本当にいいの? ……ボク、また脚を怪我して……キミのためにもう走れない、これ以上キミに夢を見させてあげることができないんだよ……」
「いいんだよ、俺のために走らなくても」
ボクはその言葉を聞いて、とてもショックを受けた。やっぱりボクはキミにとって必要じゃない、いらない子なんだって。
だけど、信じられないことを彼は言い出した。
「もう走らなくていい。その代わりこれからは自分のために、そして俺のために生きてくれテイオー」
「ボクなんかでいいの……こんなめんどくさくて、手間のかかるボクで」
「お前じゃなきゃダメなんだ」
彼はボクを優しく抱きしめてくれた。今までボクがいつも望んでいたこれは、とても温かくて優しいものだった。思わず涙がまだ出そうになった。けど、泣くのは引退する時だって約束したから、ボクは必死に涙を堪えようとした。
「いいんだ、泣いていいんだよテイオー」
それが引き金となって、ボクは彼の胸の中で泣き叫んだ。今まで溜めていた想い、自分が犯してきた罪を全部流すように。
だからたくさん泣いた。人生で一番泣いた。そして涙が枯れたとき、何かを演じるための仮面はもうボクには必要ないと気づいた。
ボクは、本当の意味で
ED.10 『約束』
数日後。ボクは脚の怪我のため入院していた。あの日本ダービーから腐れ縁とも言える先生からまた骨折ですと言われた。
そして──。
「もう走ることはできないでしょう」
そう診断された。
分かってはいたし、ボクはもう走らなくていいということを教えてもらった。走ることよりも生きるために。ボクの人生を、そしてあの人のためにボクは歩んでいくことを決めた。だからかつてのような暗い気持ちはなかった。
だからボクは先生にお礼を言ったんだ。
「またお世話になります」
「はぁ……こう何回もお世話をしたウマ娘はあなたが初めてですよ」
「あはは」
「ですが、今までありがとうございました」
先生は笑顔でそう言ってくれたのが、ボクはとても嬉しかった。
4度目となると入院生活にもなれたもので、当然トレーナーも会いに来てくれた。ただその両手は包帯でグルグル巻になっていたけど。
大丈夫なのって聞くと、トレーナーは笑いながら平気だって言いながらあることを教えてくれた。
「いま、みんなと話してるんだ。ケジメをつけるために」
声は重かったけど、彼の顔はいつものように明るかった。
「みんな……どうしてるの」
「新しい道を探してる、ってことになるのかな。まだ現役を続ける子もいるから、そういう引継ぎとかもあるし」
「引継ぎ?」
「辞めたんだ、トレーナー」
どうしてってボクは慌てて聞いた。確かにこんなことになっちゃったから、色々と責任を感じてるかもしれない。だからと言って、トレーナーの仕事を辞めることなんてないと思ったから。
「お前と一緒にいたいから」
「……それって」
彼は頷きながらボクの手を包帯で巻かれた手で握りながら言った。
「トウカイテイオー。俺と結婚してください」
思わず、ボクでいいのって聞きそうになった。でもそれは、ボクを選んだ彼と他のみんなに対して失礼だと気づいた。
だからボクの言うセリフは決まっていたいんだ。
「──よろしく、お願いしますっ」
嬉しくて、涙を零しながら、ボクはたくさんの想いを込めて答えた。そして彼はボクを優しく包み込むように抱きしめてくれたんだ。
その日の夜。
ボクは眠っていた。久しぶりの安眠というやつだった。それまでは色々と不安で、考え事をしていたりして、あんまり寝ている気がしなかったんだ。
でも、ここ最近はぐっすり眠れている。悩みや不安といったボクに憑いていた負の感情が綺麗になくなったからだろうか。
だけど、急に意識が覚醒して、ボクは起きた。瞼をこすりながら身体を起こすと、ボクの足元ら辺で、ベッドに腰かけているゴールドシップがいた。
「よっ。起こして悪いな」
「……ごーるど、しっぷ? ……え、どうしてここにいるの?」
「お別れを言いに来たんだ」
その言葉でまだちゃんと覚醒していなかった脳がフル稼働して、ボクの意識は正常運転に戻った。
「どういうことなんだよ、それ」
「そのまま意味さ。色々やりすぎちまったし、何よりアイツがお前を選んだ。アタシとアイツの物語は終わって、お前とアイツの物語がこれから始まる。だからアタシは、もうそれで満足なんだ」
「意味が分からないよ。だけどボクにだって分かることはある。あの人には、お前が必要だってことぐらい」
「アイツとはさっき話してきた」
「……なんて言ったのさ」
「ひ・み・つ」
ハッキリ言ってムカついた。そりゃあ二人の間には、ボクたちが理解できないような深い何かがあるのは知ってる。だけど、ボクと彼の関係を知った上でそれを言っているんだから質が悪い。
……でも、改めて考えてみれば、こうしてゴールドシップと話すのって久しぶりだってことに気づいた。
だから怒るどころから、悲しくなった。ボクたちはあの日から互いに嫌い合って、それが続いて今日まで来ていたから。
「……ごめん」
「なんだよ、突然」
「あの日のこと、謝ってるの」
「あーアレな。アレは……アタシも大人げなかったと思ってる。間違っていたとは今でも思ってないけどな」
「そこは素直に謝れよ!」
「アタシはゴールドシップだぜ? そう簡単に謝るかっつうの」
もう呆れて怒る気にならなかった。なんていうか……昔の頃に戻れたみたいで、ちょっと楽しくなっていたのもある。
「だけど心配するな。お前が思ってるような酷いもんじゃないから。それにその内忘れるよ。お前も、アイツも……みんながアタシのことを忘れる。だから問題ない」
──……。
何となく、あの力がボクにその言葉の意味を教えてくれているような気がして、ボクは彼女に言ったんだ。
「忘れないよ」
「……」
「ボクは忘れない。きっとあの人もお前のことを忘れたりなんかしない」
「……そうかい」
「うん」
「じゃあ、もう行くよ」
ゴールドシップはベットから降りて、扉の方に向かっていった。ボクは最後にどうしても聞きたいことがあって、それを尋ねた。
「最後に一つだけ聞かせてよ。ゴールドシップは……彼のことをどう思ってるの?」
「アタシとアイツは……似た者同士なんだよ。つまらない世界を生きてた二人が出会って、楽しい人生を送れるようになって、そこにお前らと出会って……毎日が楽しくて。アイツが笑っているとアタシも笑えて、アタシが楽しいならアイツも楽しい。……なんていうかアタシはアイツで、アイツはアタシなんだ」
それはすごく遠回しというか、素直じゃなかった。きっとこれを聞いたらボク以外の誰だってこう思うはずだ。
「それってさ、つまり好きってことでしょ」
ゴールドシップは笑った。好きに解釈しろ、そう言っているような顔だった。
「幸せになれよ」
最後にそれだけ言ってゴールドシップは病室から出て行った。
扉が閉まった瞬間、ボクには分かった。例えるなら、部屋の電気を消すような、ロウソクの火が消えてしまうようなそんな感覚。彼女が忘れると言った言葉の意味は、こういうことなんだと思った。
「さようなら、ゴールドシップ」
でもボクは覚えている。いつまでも覚えている。だからボクは女の名前を口にできた。
翌年の夏。ボクと彼は、よく夏合宿で来ていた浜辺を二人で手をつなぎながら歩いていた。今日は雲一つない青空で、海で遊ぶ人や浜辺で過ごす人達がそこそこいた。
あのレースから今日まで長いようで短い間にたくさんのことがあった。
ボクは現役を引退、彼はトレーナー兼教師を退職。そのあと彼の実家に引っ越して、少し経ってから結婚した。
幸せになれよ──そう言ったゴールドシップの言葉を忘れないように、ボク達は結婚式にみんなを招待した。怖くて不安じゃなかったら嘘になる。あんなことがあって、そう簡単にみんなが割り切れるわけないって分かってても、ボク達はそれを選んだ。
式が始まって入場するまでボクは誰が来ているか知らなかった。でも、隣にいる彼は笑顔で、つまり知っていたんだ。
扉が開けば、そこにはみんなが来てくれていた。本当に来てくれるとは思わなくて、まだまだこれからなのについ涙が零れた。
ちゃんとみんなと話せたのは式が終わった後で、みんなが彼に言うんだ。
『テイオーが嫌になったら私の所にいつでも来てもいいんだよ』
ボク達をおちょくるようにみんながふざけてそんなこと言うんだから酷いもんさ。でも、そこにはあの頃のボク達がいたんだ。
だけど、ここにアイツはいない。みんなゴールドシップのことを忘れていた。
覚えているのはボクと彼だけ。
……ごめん、それウソなんだ。本当はブラックも覚えてたけど、何だか特別な感じが薄れてしまうからやっぱり知らなかったことにしておくとしよう。
ここに来たのは彼から言い出したことだ。その理由を浜辺を歩きながらボクに教えてくれた。
初めてゴールドシップと出会った最初の夏。ここで自分の過去を告白し、ゴールドシップと約束した場所だって。
ボクもあれから彼の過去を聞いた。それを聞いてボクが彼の夢を託そうとした意味がようやく分かった。
「歳をとるとさ、一年が凄く早いんだ。だからあの時の事も、すごく昔のことのように思てくるよ」
「そうだね。トレーナーとそのウマ娘が、今じゃ夫婦だもん」
「あはは、確かにそうだな」
「実はずっと前から聞きたかったことがあるんだ」
「ン。なんだ、言ってみろ」
ボク隣にいる彼の方に顔をあげながら、あの日ゴールドシップと同じことを聞いた。
「ゴールドシップのこと、どう思ってたの?」
「んーあいつは……もう一人の俺みたいなもんかな。自分で言っててよくわからんけど……って、なんで笑ってるんだ?」
ボクはそれを聞いて思わず笑いを抑えきれなかった。だって、あいつと同じ答えを言うんだから、笑っちゃうのも無理はないよ。
「ごめんごめん。やっぱり二人はお似合いだって思ってさ」
「え、もしかして怒ってる?」
「さーて。それはどうかなぁ」
「謝る、この通りだ!」
彼は手を合わせて頭をこれでもかってくらい下げながら謝ってきた。見えないことをいいことに、ボクの口はとてもニヤニヤと緩んでいたに違いない。
「ン~じゃあ、ボクと約束してよ」
「約束?」
「──約束するよ。ボクはずっとキミの隣にいる。そしてキミの人生をイヤってぐらい楽しいものにして見せるって」
それを聞いて彼は嬉しそうに頬を掻いててボクに言った。
「テイオー、それは違うよ」
「え?」
「“俺達”の人生をだ」
「──うん!」
ボク達は再び手をつないで歩き出す。ボク達の人生はまだ始まったばかりで、まだまだこの先も続いていく。
ゴールドシップ、ボクは幸せになるよ。キミに言われなくたってボクは幸せになってやる。お前が嫉妬するぐらい幸せに。
きっとこの先辛いことや困難があるかもしれない。だけど乗り越えて見せるよ。いまボクの隣には彼がいる、それだけボクに出来ないことなんてない。
だからきっと大丈夫。
なんてたって、ボクは無敵のトウカイテイオーだから!
Fin
本当は解説を書いているのですが、あとがきにしては長すぎるのであとで活動報告にて書きます。
ですが、そんなの待ちきれないという人ために3つの情報を書いておきます。
・トウカイテイオーはどのルートでも“絶対”に勝てない(これを最後まで隠すためにブラックを先に出した)
・トレーナーが一番気にかけていたのは、テイオーとマックイーン。
・トウカイテイオーは主人公でありトレーナーはヒロインでもある。