――ROOKIESより川藤幸一
その日のトレセン学園は少しざわついていた。
「なんか静かじゃないですねー」
「詠唱やめて」
シービーの華が咲いて止まらないMADが創られそうな詠唱を阻止した私は額の汗をぬぐいながら、制服の首元を掴んでパタパタと揺らす。
湿気と雨後の気温の上昇によって不快な汗が身体を濡らす初夏の朝。
午後になればもっと気温も上がるんだろうなぁと思うと少しだけ憂鬱だった。
「なんかあったのかな」
「ああ、恐らくアタシの鼻の穴が一ミリ広がった記念の影響ね」
「じゃあバランスを整えるためにもう片方の鼻に黒飴ぶち込むわ」
「やめてマキバオーになっちゃう!!」
これ見よがしに黒飴を取り出した私に、シービーはおもむろに両手で口と鼻を塞ぐとそのまま滑るように後ろ向きで歩き出した。
「まぁ、なんて見事なムーンウォークなのかしら!?」
「あの練度のムーンウォーク、一朝一夕で身に着くものではないわ……!」
「ミスターシービー、やはり天才か……」
いや、それでいいのかトレセン学園。その後シービーはキレッキレのダンスを披露して周囲の注目を一身に浴びていた。
「そうよ! 何を隠そう、アタシはダンスの達人ッ!」
それでいいのかミスターシービー。言っとくがウィニングライブの選曲にスリラーはない。
「おい」
シービーを置いて教室に向かう最中、玄関先で内履きに変えた時に不意に声を掛けられる。
何事かと思い声のもとに振り向くとそこにはどう見てもヤのつく自営業の方が居た。
「!?」
「あんたが、カツラギエースって娘か?」
「いえ、私はミスターシービーと言います」
秒で友人を売った。自分の面の皮の厚さを誉めてやりたいと思ったのは始めてだ。
「あ゛? シービーなら校庭でサタデーナイトフィーバーしてるじゃねぇか?」
何やってんだよ
校庭はテンションアゲ↑アゲ↑なのか、フォウ、フォウ!! と合いの手が聞こえ、みんなの心の高まりを感じる。アイツは何処に行こうとしているのか……。
しかし、問題は目の前の男だ。秒で見破られた。とても怒ってらっしゃる。これはもうダメかも知らんね。
「御免なさい」
「ったく……。俺の顔が怖いからっつって、嘘つくのはよくねぇぞ。しかも他人を売るな」
「はい……」
そう言うとヤクザ(仮)は身に付けていたサングラスを外して再び私を真正面から見つめる。
「俺はチームペルセウスの総監督の中村だ。今日は礼を言っておこうと思ってな」
「えっ、お礼参り?」
「あんたが俺をどう思ってるのかはよーく分かった」
中村トレーナーは後頭部を強めにガシガシと掻くと、一息つき姿勢を正した。
「礼を言う。お前のおかげで味田が少しだけ立ち直れる一歩を踏み出してくれた」
「は?」
なんで味田教官が出てくるんだろうか。
「これからアイツと一緒にやっていくうえでいろんなことがあると思う。辛い役目を押し付けちまうが、何かあったら俺か朝倉のジジイに相談してくれ。今日はそれを言いに来た」
「えっ……? あの、それってどういう――」
「おー! カツラギじゃん! おはよー!」
突然背後からウイナの声が被さる。
「あっ、プロデューサー」
「おう、ウイナおはよう」
そういえば、ウイナの所属チームはペルセウスだったことを思い出し急に話しづらくなってしまう。
「じゃあ、私先に教室いくね」
「ん、ああ。引き留めて悪かったな」
「どうしたのプロデューサー、カツラギとなんか話でもあったの?」
「ああ、まぁな……」
鞄を背負いなおし、教室に入る。すると何人かの生徒が何故かこちらをちらりと視線を寄こす。
えっ、なに。なんかついてるの?
居心地の悪さを感じながらも授業が進み、午後のトレーニングに移ると、そこには見覚えのない新人トレーナーらしき人が居た。
「……だれ? あの人」
「知らない……」
未だチームに参加していない同級生たちが俄かにざわつく。
そしてしばらくすると新人の女性トレーナーは声を張り上げる。
「味田さん、準備終わりました」
あからさまに、周囲に緊張感が奔る。一部の生徒に至っては顔色を悪くする始末であったが、私はようやくお出ましかと思い振り返った。
「はぁ?」
信じられないものを見た。
長く脂ぎった長髪は所謂ツーブロックの短髪に刈り取られ、不潔感を威圧感を与える髭はすべて剃られていた。
くたびれたワイシャツ姿だった服装から紺のポロシャツと灰色のスラックス姿。
「ああ、ありがとう」
いつもと変わりないガン開きの眼球だけが原型として残り、それ以外は劇的なビフォーアフターと化していった。
誰だよ、お前。
味田教官の隣にいたシービーは涙ぐんでいた。
「カツラギ、マジリスペクト……」
「えぇ……」
サムズアップをしながら笑みを浮かべるシービーは涙をこらえながらそう言った。
「今日はいつもの練習の前に報告しておくことがある」
お前の恰好がいつもの状況じゃないんだよなぁ……。
「今日付けで僕は教官職を引くことになった。これからはトレーナーとして新しくチームを率いることとなった。彼女は僕の次の教官になる女性だ」
「はい、新しく教官となります――」
……あまりにも衝撃が強すぎて、ついていけない。ど、どういうことだってばよ……!?
「……と言う訳で、後は頼みます」
「はい、味田トレーナーの後任に恥じないように頑張ります!!」
熱血気味な新人教官の声に意識を現実に戻される。
「じゃ、カツラギエース。ついてきてくれ」
「へっ?」
「約束通り、君を迎えに来た。これじゃあ不満かい?」
そういうと味田教官は片手を差し出す。味田教官の身体からは石鹸のいい匂いがした。
「えっと、それって……」
「スカウトさ。最も、上から押し付けられたようなものだけどね。いろいろ理由を付けて他の人に押し付けようとしたんだけど、君が僕を希望するならどうしようもなかったんだからね」
そう言った味田教官――もとい味田トレーナーは疲れたようにため息を零す。
『ただ、その……なんだ。入りたいチームとかないのかなと思ってね』
『大手は無理かもしれないけれど、それなりに口は利くと自負している。これでもね。僕の方から頼めば、ねじ込めないこともないし……』
瞬間、私の脳内に溢れ出した。
あれってそういうことかあああああああああああああ!!!!
野郎、私の世話を他のトレーナーに押し付けようとしたってことかあれって!!
道理で変だと思ったよ畜生!!
つまり、私は一昨日の時点で味田トレーナーの抗議でどっかのチームには入れられることは既定路線だった訳だ。
「カツラギさん、味田教官のチームに入るの?」
「えぇ、大丈夫なの?」
「あんなヤバそうな人と一緒にいるなんて、私なら耐えられない……!」
なんだろう、周囲からは同情の視線を感じる。
「正直、不安はある。僕は未熟な人間で、トレーナーを続ける事すら烏滸がましい人間だ。――それでもいいのならこの手を取ってくれ。君の人生の最も輝かしい時間を僕に預けてくれ……」
「……はぁ、好いですよ。顔も知らないトレーナーよりあなたの方が信用できるって言ったのは私ですからね」
こういう誠実な所があるから嫌いになれないんだよなぁと私は思いながら彼の手を取る。
きっと、私もちょっと甘い人間なのだろう。互いになんだかんだ流されてしまう。
でも、そういうもんだ。人生なんて長いものに巻かれてナンボだ。実際にこれは大きなチャンスで私が大きく変わる一歩なのだ。だから――
「私の人生半分あげますから、頼みましたよ――トレーナー」