―ACE—最高の好敵手   作:ニーガタの英霊

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「時間というのは有限のリソースであり、それをほかの誰かのために割くのはなかなかの苦痛なのだ。」
 ――やはり俺の青春ラブコメは間違っているより比企谷八幡


メイクデビュー⑬

「メイクデビュー戦の日程は九月一九日。夏が開けて二学期の始めに執り行う」

 

 クーラーの効いたトレーナールームで私はソファーに座りながら味田トレーナーのスケジュールを聞く。

 

「取り次ぎ約二ヶ月。この間に最低限の身体を作り上げる。もっとも距離は1200メートル。体力よりもフォームと筋力を作ることが主目的だ」

「フォームですか……」

 

 私の疑問に味田トレーナーは頷く。

 

「君の優れた身体的特徴。それは足が長いことだ。他人よりも足の稼働域が広がればそれだけで優位になる。距離が長くなればなるほど、それは顕著だ」

 

 私のひょろっとした細足を舐め回すように見ながら味田トレーナーは告げた。

 誉めてくれるのだろうが、足を舐め回す視線がホラー映画に出てくるキラーのようで不気味だったのは心の中で留めておこうと思う。

 

「出来るところから伸ばす。短所をみるより優れた一点の長所さえあればメイクデビュー程度なら勝てないことはない」

「なるほど」

「そう言うわけで今日の練習目標だ。どんなのにする?」

 

 トレーナーは私に問いを投げ掛ける。

 随分と慣れた日常だ。

 

「うーん、じゃあ常に体幹を意識する。で」

 

 練習前に味田トレーナーは練習目標を定める。毎日のトレーニングは当然としてそのトレーニングの中では何を意識するか。

 最初は声かけを大きくとか、足の接地の仕方とか、猫背にならないとかだった練習目標は最近だとラップタイムのズレ2秒以内とかストライド走法を意識するなど徐々に細かくなってきた。

 

「OK、少しでもフォームが崩れたらこっちで声をかける。大幹はフォーム維持、並びに無駄なく走る為のコツと言える。また体幹さえしっかりしていれば咄嗟のアクシデントで足をひねることや小さな怪我を防ぐことにもつながる。いい目標だとおもうよ」

 

 実際に意識するとこれはいいトレーニングになる。メイクデビューに向けてのトレーニングとなると目標が大雑把ではっきり言って本当に身になっているかはわからない。

 しかし、小さな目標をクリアすることによってなんとなく励みになる。昨日できなかったことが少しずつできるようになるのはとても快感だった。

 

「まずはコースを半周程度のアップから始めよう。そこからいつも通りストレッチ。大幹を意識するのなら今日はLSDを入れようか」

「LSDですか?」

「うん、ロングスローディスタンス。略してLSD。長い時間をゆっくりと走る。僕がペースメイカーとフォームチェックをするからね。一本ダッシュは今日は少な目にして、体力づくりを主とした持久走メインのメニューにしよう」

「凄いキツイ奴じゃないですか……」

「きつくないと練習にならないからね。問題ないよ、カツラギエースの疲労状態に合わせて細かく増減するから。終わったらクタクタになる」

 

 鬼! 悪魔! 味田!

 女の子をふらふらにさせて悦に浸るクズが!!

 

「なんか変なこと考えてない?」

「な、なにも考えてませんぜ」

「ぜ?」

「考えてません!!」

 

 鋭い、鋭いよこの男……。

 

「とりあえずアップとストレッチは併設されたコースで、持久走とLSDは学園外周を使う。いつもとは風景が違うから練習を意識しながらも周りの景色を見るのもいい気分転換になるさ」

「うーん、なんか丸め込まれているような……」

 

 立ち上がり、背筋と腹筋。そして姿勢を意識しながら。私はトレーナールームから退室する。

 まずはアップだ。練習全部が終わったら美味しいご飯が待っている。それをモチベーションに頑張ろう……。

 

 数時間後、私はぶっ倒れていた

 

「キ、キッツぅ……」

 

 距離的にはそれ程走っていないはずなのに肺と脚が悲鳴をあげている。

 

「ふむ、20分の休憩を挟んだら、ダッシュしようか」

「こ、これからダッシュですか……」

「いい感じに疲労が来ている。疲れている状態だからこそ、肉体に無駄のないフォームで走ることが出来る状況だ」

 

 トレーナーは汗をかきながらも呼吸自体は落ち着いている。持久走では10キロ走らされ、その後のLSDも三キロほど走らされたが、これがきつかった。思う存分スピードが出せないというのはかなりのストレスであり、多少会話を交えていたが、肺が痛くてたまらなかった。

 

「ステイヤー型だったらLSDを40分5キロぐらいやらせるけど、カツラギエースはそこまでしなくていい。現状は体力よりもフォームを意識して固めさせるためにやってるだけだからね」

「あうあ~……」

「はい、深呼吸。一気に吸うよりもスッ、スッ、スッ、と小刻みに三回ぐらい吸ってから一気に吐き出す。これを何回か繰り返すと楽になるよ」

「……はい」

 

 トレーナーに言われたとおりにやると、少しずつであるが楽になってくる。

 

「息を吸うのにも力がいる。スポイトみたいに一気に潰して水を吸い上げるよりも何度か軽い力で何度も吸い上げる方が楽に溜まるでしょ? それと同じことさ」

「なるほど……」

 

 不意に疑問を思うとトレーナーはすぐに例を出しながら説明してくれる。トレーニングに対する理解力や対処の能力の高さが無ければ無理だろう。

 

「LSDが辛い理由。それはフォームが出来ていないからだ」

「むっ」

 

 そのフォームを作るためにやったのでは? と私は不満げにトレーナーを見る。

 

「さて、カツラギエース。正しいフォームとは何か。答えられるかな?」

「早く走れるフォームじゃないんですか?」

 

 至極真っ当に私は答えたが、当の味田トレーナーは首を横にふるだけだった。

 

「その答えじゃあ50点だ。正しいフォームとは楽に走れることを言う」

 

 楽に走れるフォーム?

 私は腕をブラブラさせてダルンダルンな走りをする中年を思い浮かべる。

 

「カツラギエース、君はLSDの時、足と地面が接地したとき何処から付いた?」

「それは、踵からです」

「じゃあ、子供の頃全力で100メートルを走ったとき足は何処から付いた?」

 

 なんとなく、味田トレーナーの言うことが分かってきた。

 

「つま先ですね。踵はたぶん地面に付いてすらないと思います」

「正解だ。長距離を走るフォームと短距離を走るフォームでこれ程に差があるんだ。もし短距離走のフォームのままLSDをやるとして、持つと思うかい?」

 

 無理だと思う。まず、姿勢からして違う。背筋を伸ばす長距離走と違い、短距離走は明らかに前傾姿勢だ。その状態のままゆっくりと走ったらまずフォームが崩れて転ぶ。

 

「距離や適性によってランニングフォームは様々だ。僕はカツラギエースにはクラシック路線で活躍できる選手になってほしい。そうなるとメイン距離は2000~3000。中距離から長距離をメインに走ることになる」

「なるほど。でもそれだけですか?」

「大体のフォームは距離で棲み分けできるけど、個人に合ったフォームは一人で作らなきゃならない」

 

 味田トレーナーは少しだけ嬉しそうに。そして出来のいい生徒に答えるように語り出す。

 

「足の長さ、全体の高さ、体幹のバランス、筋力の付きかた、間接の柔らかさ、足の指の長さ。それぞれ全く同じという人間は双子ぐらいしかいない。同じ距離を走るからといって全員全く同じ走りをしているわけではないのはわかるよね?」

 

 その問いで私はなんとなく、ピンときた。

 

「脚質ですね」

「正解、逃げならスタートダッシュが肝心だ。スタート時はかなり前傾姿勢をとっているはずだ。先行なら位置取りとスピードの調整に意識を取っている。差し型。これが一番フォームを意識してるね。置いていかれない程度に、それでいて終盤まで足を溜めておける楽な走りを取っている」

 

 考えなかった訳ではない。だが、ここまで深く考えていたかと言えば答えはNOだ。

 レースをそこまで深く考えてはなかった。ただ速いやつと遅い奴がいる程度で見ていた。

 フォーム、スタミナ、位置取り、レース展開。意識の差が違う。これがトレーナーという人間なんだと槌で頭を打たれたかのような気分だった。

 

「……そんなこと考えてたんですね。薬中みたいな目なのに」

「……LSD、もう一回やるかい?」

 

 私は深々と地面に頭が着くぐらいに下げた。

 

「レースは大きくフォームを変える。序盤は様子を見ながら足を溜める。そして第三コーナーから第四コーナー。あるいは最後の直線で勝負を決める。ここで今までの楽な走りから体力を振り絞ってダッシュが始まる。レースで一番苦しいところだ」

 

 私は耳だけを上にあげてトレーナーの話を聞く。

 

「体力をどこまで残せるか、身体の変な所に力を入れすぎていないか。そういうところを意識してほしい。カツラギエースは特に、ペース配分は苦手だろうから」

 

 トレーナーがそう締めくくると、トレーナーの腕時計からタイマーの音が響く。

 

「時間だ、休憩終了。これから1200のコースの半周を使って3ハロンのダッシュだ」

「はい」

 

 気張っていこう、私のメイクデビューは始まってもいないのだから。

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