――Dr.STONEよりあさぎりゲン
トレーナーが予定している萩特別レースまで、そう遠くない日。
私は未だトレーナーの真意を理解できずにいた。
「トレーナーは私に何も言ってはくれない……教えてくれ、スズカ!!」
「私が知っとるわけないでしょ」
スズカはいちごミルクをストローで吸いながらそう返した。
「スズカは私に何も言ってはくれない……教えてくれ、ウイナ!!」
「天丼やん、気に入ったのその台詞?」
「迷ったら、筋肉をいじめればいいと思う!」
「脳筋の思考……」
ウイナは鳥のササミに粉末のプロテインを振りかけながら答える。
せわしないスズカのツッコミを耳に傾けながら、私は人差し指を口許に持っていき思考に耽る。
筋肉、つまりそれはパワーをつけること。たしかに一見して解決策のように見えるかも知れないが、私には通常トレーニングに加え、自主トレに関してもトレーナーである味田の管理、監視のもと制限されている。
前に一度だけ、自主トレで寮の門限近くまで自主トレを敢行した際、真顔の味田トレーナーに見つかってからというもの、ちょっとしたトラウマとなってしまった。
暗闇の中にヌッと現れる巨体。漆黒の闇を映し出す瞳。
夜に味田トレーナーみると本当に怖い。漏らすかと思った。
「お、乙女の尊厳が破壊される……」
「どうして筋トレをすると乙女の尊厳が破壊されるんですか?」
スズカは訝しんだ。
「でもね、カツラギさん。万が一私たちが味トレの計画を知ってたとしてもそれを教えるかどうかは別問題よ」
改まってスズカは告げる。
「なんでだよ、教えてやったっていいじゃないか?」
「あのねぇ、ウイナ。私たちは確かにカツラギとは友達だけれどもそれとこれとは話が別。特に選手とトレーナーの間に話を挟むなんて烏滸がましいにも程があるわよ」
スズカはそういってウイナを窘める。
「私たちは素人で、トレーナーはプロ。素人の浅知恵がプロの考えを超えることなんてまず無いもの。よかれと思ったことがトレーナーと選手にとって不和をもたらすことだってある。そんなときになって『そんなつもりじゃなかった』何て言っても、もう遅いのよ」
「そうそう、そうなのよ。あと長文いった後に『もう遅い』ってつけるとなんだかなろう小説っぽくなるわね」
「!?」
ヌッといきなり現れてきたシービーに私は少しだけ驚く。ワープでも使っているのだろうか?
「はい、というわけで時間切れよカツラギ。ふふふ、アナタの浅知恵なんてこのアタシにはお見通しなのよ」
「……私より成績悪いくせに」
「いいんですー! 因数分解なんて社会に出たら使わないんですー! 英語なんて通訳雇えば問題ないんですー!」
「小学生の喧嘩かな?」
スズカは高等部のウマ娘の姿か? これが……。と情けないものを見るような視線をこちらによこした。
「くっ、このままだとスク水でトレセン学園を一周してしまうことになってしまう!!」
「なんて?」
スズカは訝しんだ。
「ふふふっ、誰がスク水と言ったかしら。カツラギにはメイド服、ナース服、バニー。いろんなものを用意してるわ!」
「なんで?」
スズカは困惑した。
「シービー!! そんなコスプレ衣装を集めていて恥ずかしくないのか!! だいたい私にそんな服着せても面白いものじゃないだろう!!」
「めっちゃ面白いと思うけど?」
スズカは面白そうだと思った。そんな日が来たのなら是非カメラを持ってきて永久保存したいと思い、ウイナはニンジンジュースに溶かしこんだプロテインを飲んだ。
「ところで話変わるけどさぁ、カツラギのそれっていつも凄いよな」
ウイナはカツラギの手元にある弁当を指しながら鳥のササミを食らう。
「まぁ、確かに私もはじめて受け取ったときはビックリしたわ」
私は二重の重箱におかずというおかずが豊富にこれでもかと敷き詰められた弁当に目を移す。
「豪華な弁当だよねぇ、カツラギさん、ちょっと貰っていい?」
「ダメ、あげたら私がトレーナーに怒られるから」
この弁当、なにを隠そう味田トレーナーの手作りであった。「選手の食事の管理もトレーナーの仕事」と言い、なぜかは知らんが毎日重箱に愛情の籠った弁当を渡される。しかもすごく美味い。
「顔と辛気臭ささえなけりゃ惚れるわ」
「カツラギとトレーナー、相性良いものね」
シービーはニコニコしながらそんなことを呟く。
「相性良すぎて堕落しはじめているわよ」
「なんだとぉ……」
カレー味のついた唐揚げを頬張りながら私はシービーを睨み付けた。唐揚げ美味しい。パクパクですわ。
「ご飯を作ってるのは?」
「トレーナー」
「練習メニューを考えてるのは?」
「トレーナー」
「練習終わりのマッサージを毎日してるのは?」
「トレーナー」
「栗東寮までの送迎をしてるのは?」
「トレーナー」
「堕落してる?」
「してないです」
何故だろう、周囲の視線がより冷たくなった気がする。
「ママじゃん。子供を溺愛するママじゃん」
ウイナはトレーナーをママと称した。あれが母親? ナイナイ。
「カツラギさんはさぁ、レディコミの主人公なの?」
スズカは呆れ果てたようにジト目で私を見つめる。おかしい、私と彼女は同じ常識人の筈なのにとても溝があるように感じられる。
「HEY、カツラギエースはまさしくチームの
「どうした急に」
突然マイクを持ってビートを刻むラッパーと化したシービー。
マイクを持つ手の小指はピンと上を向いていた。
「名誉を背負う
「耳がいてぇなぁ……」
「おい、ウイナが流れ弾食らってるぞ」
ウイナは胸に手を当て、瞳を閉じる。
それは神に対する祈りにも、自身を高める鼓舞にも見えた。
「見つからない
「馬鹿にしてるよね?」
これは……煽られている?
「好物はボルシチ!」
「ボルシチ好きなの?」
「いや、全然」
食べたことすらないかもしれない。
たぶん語呂がよかったから言ってるだけだ。ガセ情報を混ぜないでほしい。いや、本当の情報を流されても困るんだけれども。
「ごめん、本当に好きなのはトレーナーの作ったチーズ入りのにんじんハンバーグだよね」
「!?」
「あとリンゴ入りのポテトサラダにカレー味の唐揚げ。ピーマンの肉詰めには大根おろしとポン酢で食べるのが好きだったわよね」
なんでわかるんですか?
え……、コワ~。
「全部トレーナーに教わったもの!」
「スズカ、こういう時どんな顔をすればいいの?」
「笑えばいいと思うよ」
情報源が分かって安心すればいいのか、そもそも個人情報の扱いがガバガバな所に恐怖すればいいのか。
とりあえず分かったことは。味田トレーナーには早急な口止めが必要であり、決して油断してはならないということだ。
……その内、趣味とか全部知られそうで怖い。
「そんなことより歌は? もう終わったのか?」
「飽きた……」
ウイナだけは能天気そうに歌の続きを所望していたのだった。
個人情報流出ラップがこれから歌われようとするのなら私には全力で止めなければならない義務が発生した瞬間でもあった。
「……好きなの? にんじんハンバーグ」
「うん」
いっぱいちゅき……。
この回で一番難産だったのはラップパートです