――宇宙兄弟より南波六太
「と、言うわけでしばらくはシービーの面倒を見ることになった。カツラギには悪いと思ってるが、残念だが僕は忍者みたいに分身はできないからね。今日のところはメニューに沿った練習を行っててほしい」
「悪いわねカツラギ。この練習二人用なのよ」
次レースを目前に備えた日の練習。ついに私はハブられた。
珍しいことに味田トレーナーの瞳孔の開いた暗い眼球が心なしかチベットスナギツネのようなジト目となり、心底嫌そうな顔をしていることを伝えてやろうかと思ってしまう。
「……シービーは来月の11月にメイクデビュー予定だ。彼女はあー……、色々と面倒だから最終調整も兼ねて準備しないといけないからね」
「ふふっ、悪いわね。これが寝取りの快楽っ!」
寝てから言え。
トレーナーも面倒そうな表情を浮かべている。いまいちやる気のなさそうな表情だ。
いつも思うのだが、味田トレーナーはやる気というか覇気に欠ける部分がある。確かに指導の一つ一つは性格で丁寧。よくこちらの様子もよく見てくれるし、こちらの疑問にもよく応えてくれるし、思ったことがあればすぐに調整してくれる。
だが、いまいち覇気に欠けるのだ。
「よーし! 好いタイムだ!! もう一本!!」
「はいっ!!」
「次のレースは何よりもスタミナがモノを言うからな」
「ええ、当分は水泳場でスタミナの底上げを図っているところです」
「アイツのタイムは1ハロンで大体……」
「終盤の末脚をどこまで生かせるか……」
一人で学園に併設された練習場に向かう最中、聞こえてきた学園所属のトレーナーたちは一様にあれやこれやと悩み、迷いながらもその瞳は何処か輝いて見えた。
「あれ……?」
そういえば今まで気にしていたことはなかったが、トレーナーは一人ではなく何人かでまとまっていたり、サブトレーナーに指示を出していたりと単独で行動することが少ないように見える。
思えば味田トレーナーは常に一人だった。特に他のトレーナーと交流していることはなく、誰かに話すことも話しかけることもなかった。
気づけば、今思い出しても味田トレーナーという人は異質であった。
だからといって排除されている訳でもなく、むしろその手腕を誉めることさえ聞く。
見るからにヤの付きそうなペルセウスの中村トレーナーにも一目置かれているなど、味田トレーナーには謎が多い。
「私は……」
あの人のことを何も知らないのだ。
「味田トレーナーについて? いや、全然知らねーよワタシは!」
黒鹿毛の髪をしたウマ娘の女性ヒカリデユール先輩は大きめな声で否定した。
「ですよねー」
さすがにそりゃそうかと納得した。まあ、駄目で元々という思いで聞いたのだ。そういうこともあるだろう。
今回はたまたま別チームと練習場が被ることもあり、そのままチームヴィーナスの面々と合同で練習に取り組むこととなった。
ヒカリデユール先輩は私より一つ年上の先輩であるが、中央のトレセンに入ったのは私よりも後である。
元々は地方トレセン出身であり大井、船橋、愛知と地方を転々とし、最終的に此処中央に呼ばれたウマ娘である。
「シゲさん知ってる?」
ヒカリ先輩が同じく併走しているカズシゲ先輩に話を振ると、カズシゲ先輩は無言で首を横に振るった。
「知らねぇみたいだわこれ! ワッハッハッハッ!!」
ヒカリ先輩は口を大きくあけ、豪快に笑い出す。
どうにも緊張感に欠ける笑いかたで、厳しいトレーナーなら注意もされそうなものだが、ことこのチームに限ってはそんなことはおくびにも出ない。
「出川ァ!! 味田トレーナーについて何か知ってるぅ!!」
「ああ!? ホモってことしかわからないよ!!」
私は噴き出した。
「ゲホッ、ゲホッ……!? エフッ!?」
「おい大丈夫か! ヤベェ、カッちゃんむせたんだけど!!」
「はぁ!? マジかよぉ!! ぼく掘られるじゃん!!」
ヤバイ、本格的に息が出来なくなりそう。
えっ、味トレってホモなの?
困惑の最中にいる私を介抱するため、チームヴィーナスの練習は一時中断になった……。
ここでチームヴィーナスについて紹介しよう。
チームヴィーナスはトレセン学園でも新興のチームにあたる。
統括トレーナーの出川氏は学園で教官を一年、ウマ娘担当トレーナーとして一年、チームを作って一年とキャリアはまだ二、三年程度の新人トレーナーだった。
チームの特徴としては元地方出身者のウマ娘を育成するチームという印象が強く、初代担当はカツアール先輩で現在ヒカリデユール先輩とカズシゲ先輩が同チームに所属している。
「見て! カツラギエースちゃんがむせてるよ! かわいいね。でもとっても苦しくて走るのをやめてしまいました。
「後輩がむせてる姿見てかわいいという感想が出てくる君の感性の方がひどくない?」
「マジかよ出川最低だな、チームやめるわ」
チームの元エースにして選手の傍らサブコーチを務めるカツアール先輩が出川トレーナーを責め、ヒカリデユール先輩は悪ノリし、カズシゲ先輩はコクコクと首を縦に振るう。
良くも悪くもトレーナーと選手の垣根が低い。それがチームヴィーナスの特徴であった。
「けほっ、けほっ……すいません、迷惑かけて……」
「大丈夫、大丈夫。
「ほらっ、お前の監督責任だぞ! 尻を出せ!」
「ぼくの尻出してどうするの?」
「揉む」
「変態ッ!!」
瞬間ダハハハハハという下品な笑い声が響き渡る。良くも悪くも地方出身ウマ娘は豪快といえる。……品がないともいえるが。
「てか、味トレってホモなん?」
「いやぁ、話せば長くなるけど……聞きたいかい?」
出川トレーナーは少し困ったような表情を見せる。おそらくこちらを配慮してのことだろうか。それとも本人のいない中話すことをすこしためらう様な居心地の悪さ故か、あまり口は滑らかとは言えない。
「聞きたいです」
でも、聞きたいと思った。
私はトレセン学園を知らない。トゥインクルシリーズにだってそもそもそんなに興味を持っていなかった。普通に生きて、普通に学校に行って、普通に働いて、普通に結婚する。
勿論、普通と言っても、勉強してそこそこいい大学まで行って、それなりの大手の会社に勤めるいい旦那見つけて子供を産んで、そこそこいい暮らしをしたい。程度にしか夢を持っていなかった私が今はこんなところにいる。
数カ月前に比べれば、まったくもって考えられないことだった。
だから、この世界において私は圧倒的に知識がないと自負している。そしてその知識を埋めれるのなら求めない理由はない。
「んー……、あれはぼくがトレセン学園で教官してた頃なんだけれど……」
出川トレーナーは、頭を掻きながらゆっくりと重い口を開く。
出川トレーナーが中央のトレーナーとしてトレセン学園に赴任した際、最初の仕事は教官職だったという。指導教官は当時の味田トレーナーであり、出川トレーナーは仕事のイロハを丁寧に教えてもらっていたという。
「第一印象は怖かったけど、教え方は丁寧だったね。分からないことがあれば絶対に怒鳴らないで優しく教えてくれた」
「いい奴じゃん」
ヒカリデユール先輩はニヤニヤしながら茶々を入れた。
「細かいことにもよく気づく人だった。髪を変えた時とか、怪我した時もよく気づいたし。驚いたのはシャンプー変えた時に『出川君、シャンプー変えたんだね』って言ったときは背筋が凍った」
「ヤベェ奴じゃん」
ヒカリデユール先輩はドン引きしながら震え声で呟いた。
まあ、味田トレーナーなら気づくなぁとは思った。割と香水の種類とか詳しいし化粧の仕方もうまい人だし、お薦めの制汗スプレーとか、備品や靴や衣服の消耗とかにもこまめに気づく人だからなぁ。
掃除洗濯料理と家事も多彩だ。味田トレーナーから渡されるタオルや体操服はいつもいい匂いがする。
「確かに、タオルとかも凄いフワッフワに仕上げてくるんですよね。あれどうやってるんでしょう……」
「えっ、お前疑問に思うところそこなの?」
なぜだろう、ヒカリデユール先輩との距離が少し遠くなった気がする。心なしか引いているように思えた。
「その時ね、ご飯の話になったんだ。いつも何食べてるのって話になって、コンビニで弁当買ってるって話したらさ――翌日からぼくの弁当を作るようになってきた」
「……えっ」
「毎日、しかも結構しっかりした。バリエーションにも富んでるし……なんか、逆に怖くなってさ」
「えっ、なんでですか?」
毎日おいしいお弁当がタダで手に入る。確かに学園の学食を食べてみたい気持ちもあるだろうが、彩りもいいし、毎日飽きないようにご飯の部分を何らかのキャラクターでデザインしてくれることもある。
……キャロットマンのキャラ弁だった時はテンション上がったなぁ。
「なんでって、普通男が男に弁当って作るか?」
「やべぇよ、味田トレーナーのホモ説補強になってねぇか?」
「でも私は毎日貰ってますよ?」
「いやいや、男が女にやるのとじゃなんか違うだろ……」
そうなのかな?
先輩たちがそういうのならそうなのかもしれない。
「教官職から独立した後は疎遠になったし、関わり合いもほとんどなくなったけど。毎日すごい不安だったよ。この人はぼくに気があるんじゃないかって」
「……なんか、本当にガチっぽい話だったな」
「そうね……」
担当ウマ娘の先輩たちはやさしい目をして出川トレーナーの肩に手を添えて慰めた。
「でも、カッちゃんも貰ってるんでしょ? それ単に年下に面倒見がいいだけってことはないの?」
ふと思い立ったようにヒカリデユール先輩はそういうが、いずれにせよ深いことは分からない。
「……」
トレセン学園に併設された屋内水練場に彼らは居た。
水にぬれた黒鹿毛の頭髪、見事なプロポーション。見るものすべてを魅了する美しきウマ娘。
もっとも、黙っていればと言う但し書きが付く少女。それがミスターシービーである。
「あら何かしら。アタシの美しさに見とれていたのかしら」
バチコーン☆と少しだけ舌を出しながらウインクを味田に向け、いたずらっ子の様に笑うシービー。対して味田トレーナーの表情は硬いままだった。
「……僕は――」
「無しよ、その先は言わせない」
シービーは人差し指をトレーナーの口に持っていき、口を塞ぐように近づける。
その姿は何処か扇情的でもあった。
「それともカツラギエースのことが心配なのかしら?」
「カツラギのことは心配していない。彼女は優秀だからね」
「……そうね、嫉妬するぐらい優秀だわ」
味田が何も言わずにタオルを差し出すと、シービーは顔を拭い、深く息を吐き出した。
「いつか、バレるよ」
「そうね、きっと気づく。怒られるかもしれないわ。詰られるかもしれない」
シービーには負い目があった。バレればきっと軽蔑されるようなことをカツラギにしでかした。
今は何も気づいていない。しかし、いつかきっと彼女は気づくであろう。
「――それでもアタシは、アナタの指導が受けたかった。アナタしか成し得ないことだと思ったから」
「……契約は二年だ。今年を入れて二年。それ以上は責任を持てない」
「十分よ。たったそれだけでも今のアタシには十分すぎる」
願わくば、その二年で目覚めてほしい。
そうシービーは一人、決意を胸に宿すのだ。
死体は何も語りはしないのだから。
個人的に自身の怪我でテイオーがしっとりするのは分かるけど
自分自身が強すぎたせいで同期のクラシックホースたちが悲惨な結末を辿るマルおばの方が湿度高い気がします。
自分の強さが讃えられれば讃えられるほど、語り継がれるほど同期のその後が地獄になるのは芸術度が高い気がします。