――メイドインアビスよりベラフ
阪神レース場。芝1400m。萩特別レースが開催される。
結局、課題についてはわからないままだった。
味田トレーナーにはこのレースでは勝てないと言った。しかし、だからといって最初から諦めるのは筋違いと言えるものだろう。
「ん?」
レース直前を控えたゲート前。ここで私はなんとも言いがたい違和感というか気持ち悪さを感じていた。
客席は疎らであったが、それでも数日前のメイクデビュー戦よりは人は多い。
選手の身内だろうか、立派な横断幕が掲げられており『メジロの誇りよ!』などといった物が垂らされている。あんなものが掲げられていたら逆に恥ずかしいのではないだろうか?
味田トレーナーは今日も第四コーナー付近の最前線に位置取っているらしい。余裕があれば見えるのだろうか。
ファンファーレが鳴り響く。今回も録音したものを鳴らしただけだ。これが重賞や八大競走なら間近で聞けるのだろうか……。いやちょっと傲慢な考えだった。いくら素質があると誉められたとして、クラシック最高峰の舞台は軽くない。
一度勝って、しかも一番人気になんて推されたものだから考えが傲慢になっているのかもしれない。
難しいことは考えるな。前回の通り、自分のレースをすればいい。
さあ、もうすぐ出バ機が開く。
ガシャンと出バ機のゲートが開くと同時に各バは一斉に走り出す。
見事なスタートダッシュを決めたのは他ならぬ私だった。
「――ッ!」
不味いと思った。
スタートが上手く行きすぎた。
『逃げウマ娘はレースを作れるからこそ、ラップタイムの正確さや何処で足を緩めさせるのか、自身が差されないギリギリを見極めなければならないからね。総じて逃げは玄人の戦いだよ』
確かにその通りだ。距離1400。7ハロン。
のこり3ハロンまでにある程度足を残してそこから末脚勝負。理論ではわかってる。だが――
(残り3ハロンって何処だ? どこまで足を残せば良い? ペースが遅すぎたりしないか? 後ろから来ている。抜かせて後ろから追う? いや駄目だ、折角の好スタートを捨てることになる)
思考が氾濫する。
後続のウマ娘が迫る様子はない。私だけが大きく飛び抜けた状態である。
ただ、前のウマ娘を追うのとは違う。集団のなかでペースに沿って走るのと、自分がペースをつくるのは別物だ。
前方から4、5番手に位置取り、追走するやり方は他のウマ娘が差し型なら通用しない。先行差しは場合によっては先頭を走ることも多々ある。
そしてそれはスタートの良いカツラギエースなら序盤から先頭に立つことだって難しくはない。
(距離はわからない。なら位置で決める。最後の直線、そこで一気にペースを上げる。問題は今っ! 今――)
今、私はちゃんと走れているだろうか。
遅くはないだろうか、速すぎないだろうか。
1400mを走れるだけの体力はつくってある。
だが何故だろう、走ることが不安で不安で堪らない。
フォームは問題ない、スタミナも恐らく持つはずだ。
ただそれでも未知に対する恐怖は健在だ。まともなレースは前回と模擬レース程度。並走はしてもらったものの、本番さながらの空気はやはり特別で独特で例えようのないものだ。
後ろからは何人ものウマ娘たちの蹄鉄の踏み締める音が迫る。
振り向きたい衝動に駆られながらも、それでも私は目の前のターフに視線をやりながら走りざるを得ない。
前回のレースはそれはもう心地よかった。
自分のレースができた。
だが、今はどうだ? 私は……私のレースが出来ているだろうか。
レースを作っているのは私なのか? それとも作られているのか?
「ゼフュッ――ゼヒッ――」
どうしてこんなにも無性に息が苦しいのか。
もうすぐコーナーを回りきる。最後の直線。
順位を保った。あとは突き放すだけ。
全力で、全身で、全霊で、最後の最後まで気を抜かず――。
「――ッ!」
視界にチラリと映る栗毛。気付けば後続にいた筈のウマ娘は私のすぐそばまで追い付いてきた。
チラリと此方に鋭利な視線を送るウマ娘。たしか私の隣のゲートにいたウマ娘だ。
流し目で、お先に。とでも言うように彼女はペースを上げる。
一瞬だけの会合で一瞬だけの興味。すでに彼女の視線には私はいない。彼女の視線はただ一つ、ゴールへと向けられていた。
そう、ゴールまでの距離はもうそんなにない。
此方も負けられない。負けられないのだ。もう少しで逃げられる筈なのだ。
呼吸が荒い、足が思ったよりも重い。
苦しくて苦しくて堪らない。
追い抜けない、着いていくので精一杯。
少しずつ、少しずつ、離されていく。
「ハァッ、ハァッ! ――ハッ、ハァッ!」
息が荒い。ゴール版を潜り抜けても簡単には息は落ち着かない。
1/2バ身差、二着。
私は敗北を喫した。
「拍子抜けか、モンスニー」
軽薄そうな声かけにメジロモンスニーは眉をひそめながら振り返る。
「不満そうだな。まぁ、そりゃそうか。終わってみればカツラギエースの自爆だもんな。そりゃ不機嫌になるか」
ニヤニヤしながらトレーナーは語る。軽薄そうで、どことなく小馬鹿にした雰囲気はあるもののこの男はこの男でメジロモンスニーの勝利を本気で祝っているのだ。
カツラギエースは暴走した。
ペース配分を間違えたのか、はたまた慣れないレースで緊張でもしたのか、序盤からかかり気味のレース展開をカツラギエースは行ってしまった。
そのせいかカツラギエースは終盤ではほとんど足が伸びず、後半からギアをあげたメジロモンスニーによって敗北を喫した。
「……トレーナー」
「うん?」
「練習量、もっと増やせませんか?」
トレーナーの桐生院は驚いたように目をパチクリと瞬きする。
「終盤の直線。わたくしは彼女をもっと突き放すつもりでしたわ。しかし、思った以上に離せなかった」
「1/2バ身、タイムは0.1秒差。不満だったのかい?」
モンスニーはこくりと頷く。
「スタミナに関しては申し分ありません。元よりわたくしはステイヤー型。今後のクラシック。皐月、ダービーとありますが、やはり菊花賞は確実に狙いたいですわ」
「うん、妥当な所だ。俺もそのつもりで育てている」
「勝つためには終盤で後続を突き放す強さが必要になりますわ」
桐生院は腕を組み、暫し思考に耽る。
「パワーがいるね。後方から先頭を差し切るパワーがいる」
「はい」
「それからレース勘。チームの仲間に並走させてもらう必要がある」
「はい!」
「――菊花賞までまだ一年もある。時間は十分ある。今から練習方法を考えるよ。大丈夫だ、俺たちならやれる」
「ええ、メジロの名に懸けて」
彼女は誓う、この勝利を次の勝利へ繋げるために。
まずはクラシック第一戦皐月賞へ向かうために。
「お疲れ様」
ウイニングライブ終了後、地下バ道で味田トレーナーは私に声をかけた。
感情の籠らない怒っているのか、それとも慰めているのかもその声色からは把握できない。
「敗けました」
負けた。完敗だった。
「レースは一人でするものじゃない。他人とやるものでした」
自分のレースが出来なかった。それどころか自爆した。
「これで『二着だ。まあ、悪くない』と言っていたら、僕は君に見切りをつけてたよ」
味田トレーナーはなんてことないかのようにそう呟く。
「悔しいかい?」
「はい」
私は俯いていた顔を上げる。
トレーナーは少し屈みながら、私と目線を合わせるようにこちらをジッと見つめる。
「勝負の世界だからね。勝つこともあれば、負けることもある。全戦全勝の無敗バでもない限り、ウマ娘と敗北は切っても切り離せないものだからね」
「……」
「敗因は何かな?」
味田トレーナーは問いを投げ掛ける。
あんたが指導しなかったとか、他のウマ娘が強かったとか、そういう言い訳は言えるだろう。
けれど、自分の敗因が他者にあると嘆くだけではなにも変わらない。
それでは何も成長しない。出来ない。
「レースは常に思い通りになるとは限らない」
理想はあくまで理想。頭で考えてたことがすべて身体に反映されるとも限らないし、他人はあくまで他人。脳内のお人形遊びとは違う。こちらの意思通りに相手が動くと言うことはあり得ない。
「一番人気。いま思えば周囲に警戒されていました」
レース前の違和感。それは他のウマ娘が私を警戒していたのだろう。何処となく視線を感じていた理由はおそらくそれだ。
「経験の差……いえ、元より承知の上ですね。それでもなにかしら対策が取れていたかもしれません」
例えばシニアの先輩に聞くことだって出来ただろう。
特にカツアール先輩の脚質は先行型であり、地方出身者と言うこともあり経験も豊か。選手としての全盛期は過ぎ、半ばチーム内においては半コーチと化しているもののそれでも実績、経験共に私の格上と言える。
「正直なところを言えば、囲まれると思った」
味田トレーナーは答える。
「進路をふさぐ、無理やりにでも前に出てブロックする。一番人気は一番警戒される、それを身を以って経験してほしかった」
「それは……」
「もう隠す必要はないからね。薄々感づいてただろう?」
確かにその可能性はあり得た。味田トレーナーが日を置かずにすぐにレースに出走させた理由は其処だろう。
初戦から圧勝しすぎた。それを逆手に取り、レースの厳しさと難しさを教えようとしたのだろう。
「スタートダッシュは見事だった。あそこから逃げに切り替えたのはまあ良かっただろう。けれど、付け焼き刃は通用しない」
「……その通りです」
必勝の型という物がある。私にとっては先行からの末脚勝負。スズカだったら前半まで足を溜め切ってからの差し切りなどが一例だろう。
「君の弱点は経験の無さだが、君の優秀な点は癖の無さだ。未熟だからこそ、覚えられることも多い。出来ない事は悪いことじゃない。だから――君はもっと強くなれる」
「――はい」
顔をあげよう。悔しさを原動力に変えよう。
私の成功は失敗を知ったことだ。
「選抜レースやトレセン学園でも負けました。この程度の敗北、なんてことはないです」
「……」
味田トレーナーは少しだけ表情をゆがませる。それは何処か苦しそうな、それでいて優し気なそんな表情だった。
「うん、そうだね。君のそういうところ、僕は大好きだ」
止めろよ、照れるじゃん。
くぅ~疲れましたwこれにて投稿完了です
ここから先リアル事情が忙しくなるのでだいぶ投稿頻度が落ちるかもしれません。
続ける気持ちはあるのでのんびり待ってください。