――空の境界より黒桐幹也
「……」
「……」
かけがえのない、大切な
いつもよりも何故かぎこちなさを感じさせる空気で、味田教官は無言でインスタントの美味くもないコーヒーを啜る。
「あー……。甘いもの、好きなのかな?」
「…………まぁ、嫌いじゃ…ないですよ?」
ちょっとだけ、見栄を張ってしまう。何故かはわからないがなんとなく、他の人に甘いものが好きだとか、可愛いものが好きだとか。そういうのは言いづらく感じてしまう。
「……ちょっと待ってなさい」
そういうと味田教官は席を立ち、しばらくの間一人ぼっちになる。
何故か、この味田教官には弱みばかり見せてしまっているような気がする。
黒く澱んだ瞳の奥にはわずかばかりの知性の光を覗かせて、私の心の奥底をのぞき込んでいるような錯覚に囚われる。
今までにいないタイプの大人であり、たぶん私にとっては苦手な人なんだと思う。
漂うコーヒーの香ばしい匂いに紛れ、カラカラと油がはねる軽い音が耳をなでる。
「揚げ物?」
「ああ、ちょっとしたおやつだよ。軍人食はお気に召さないのは分かってるから、ありもので適当に作ってる」
「えっ、いや……。いいですよそんな!」
「なんだかんだ、君のおやつを台無しにしちゃったからね。代わりと言っては何だが、良かったら食べてくれ」
そういうと、味田教官はカラっと揚がった細長く茶色い食べ物が出される。
「これは……なんですか?」
「パスタ」
パスタ……このいかそうめんみたいな奴がパスタ?
細長く、そして白い粉末でまぶされたパスタが私の目の前に鎮座している。
「もっと、碌なものはなかったんですか?」
「手厳しいな。だが君が正しい。客人に提供するものとしては下の下の自負はあるよ」
味田教官は苦笑を浮かべる。
「授業は兎も角、君たちとの交流は最低限にとどめたかったからね。歓待する準備なんて元からしていないし、避けられているのならそれでも良かったからね」
「……もしかして、迷惑でした?」
見るからに人付き合いを避けている印象は元からあった。
たまたまとはいえ、こんなにも味田教官と付き合うなんて私にも想像はつかなかったほどに。
「いいや、君は悪くないさ。問題があるとしたら、僕にある」
味田教官はカップを置くと、両手の指を交差するように握る。
渋々、目の前に置かれたカリカリパスタに手を伸ばす。……結構うまいのが妙に腹が立った。
「……トレーナーは決まりそうかい?」
「……嫌味ですか? 昨日の今日でそんな簡単に決まりませんよ」
味田教官は重苦しそうに口を開き、その内容に私はジト目気味に睨み付けながら答えを返す。
「……済まないね、気に障ったようだね」
「別に……私の問題ですから」
少しだけ、私は反省する。少なくとも味田教官に当たるほどの事じゃなかった。
「ただ、その……なんだ。入りたいチームとかないのかなと思ってね」
「はぁ……」
「大手は無理かもしれないけれど、それなりに口は利くと自負している。これでもね。僕の方から頼めば、ねじ込めないこともないし……」
「――嫌です」
味田教官はガン開きの目をさらに見開いて困惑する。
「そんな方法で入ったって、意味ないじゃないですか? 教官もなんか変ですよ?」
「……変、か。そうだね、僕らしくない。本当に何をやってるんだろうね」
……大丈夫かこの男? なんかだんだんヘラって来てない?
「ああ、でも。指導を受けたいトレーナーはいます」
「……むっ、そうか。名前は分かるかな?」
「ええ、たしか担当ウマ娘を八大競走で二勝させた実績の持ち主と聞いてます」
「へぇ、結構優秀な人を狙ってるんだね。その条件だと朝倉さんの所にいた六平さんかな? それともプレアデスの南坂さんかな?」
「貴方です」
味田教官は一瞬で表情が固まり、怪訝な目を向ける。
「……僕が?」
「貴方がいいと思いました」
「……なんで?」
「貴方だけです。私に才能があると言ってくれたトレーナーは」
「それは……、たまたまだよ。たまたま僕が一番最初に気づいただけで、本当はもっと優秀なトレーナーが……」
「それでも、貴方がいいと思いました。偶々だとしても、私のことを見ようとしない誰かもわからない優秀な人より、貴方の方が信用できると思いました」
味田教官は頭を抱える。
「いや、でも……それは……」
「駄目ですか? 駄目なら、私に納得できる説明をしてください」
「……」
人はこれほどまでに苦悩できるのかと言うほど、味田教官は頭を抱える。
「昨日、貴方は言ってくれましたよね。『君はまだスタートにすら立ってない』って」
「そう、だね」
「貴方が立たせてください。私を勝たせてください。私に足りないものを補ってください。貴方はそれを知ってるんでしょう? ――だからお願いです。私の夢を一緒に背負ってくれませんか?」
一世一代の告白だ。これで断られたとしても、何度でもぶつかってやればいい。
大判焼きちゃんのことは残念だったが、こんな真正面からぶつかれることはそうないだろうし、必要な犠牲であったと割り切ろう。
「――僕には自信がない」
「――私があなたの自信になります」
言葉を重ねる。彼の否定をさらに否定してやろう。
「――担当を持つことが、酷く恐怖なんだ」
「――なら、一緒に頑張りましょう。一人なら怖くて立ちすくんでしまうことでも、二人ならきっと立ち向かえます」
彼の両手に自分の手を重ねる。カサカサとしたゴツゴツとした大人の手は滑稽なほど冷たかった。
「――僕は、君を殺すかもしれない」
「――」
こちらを向いた顔はひどく恐怖に歪んでいた。
殺したという表現はもしかしたら比喩でもなんでもないのかもしれない。
だけど――。
「――じゃあ、その時は一緒に死にましょうか」
「――ッ、はぁ……、てんで敵わないや」
味田教官は諦めたかのように、深くため息をついた。
「最近のウマ娘は凄いね、君みたいな娘が普通なのかな?」
「んー、どうなんですかね。まあ、たぶん大体こんなんじゃないんですかね?」
よく、分からないけど。まあ、トレーナーをゲットしたのでヨシッ!!
「じゃあ、末永くよろしくお願いしますね。あっ、今になって無しとかは駄目ですからね!!」
「あぁ、分かったよ。はぁ、やれやれ。とんだことになってしまった。理事長の言う通りじゃないか……」
味田教官――もといトレーナーはそう言って肩を竦める。
「先に聞くけど、理事長から吹き込まれてないんだよね?」
「理事長? 理事長って誰ですか?」
「ああ、そこからか。こりゃ本当に白だね。とんだウマ娘に出会ってしまったものだよ……」
トレーナーは自嘲するかのように笑い、ゆっくりと顔を上げる。
「君が死ぬときは僕も死ぬから。だから、死ぬ気で頑張ってね」
「あ、ははは……」
いや私が先に言ったことだけど、こえーよ。
なに口説き合ってんだこいつら……。なお恋愛感情は皆無