「Umar Eats」の配達員から、トレセン学園にスカウトされたウマ娘の話   作:ayks

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今更ではございますが、いつも誤字報告本当にありがとうございます。


今回の更新に際し、本作のあらすじに少し追記をしております。


足りないものは

誘導されるままゲートに入った時、タマモクロスの心は限界まで張りつめていた。

 

指先の感覚がない。息ができない。汗が止まらない。

身体が際限なく酸素を欲し、溺れたかのように口を開ける。

 

空気が上手く取り込めない。まるで呼吸の仕方をわすれてしまったかのよう。

握った手に力が入らない。入っているのかさえわからない。まるで自分の手足じゃないかのよう。

 

ターフに降り立った途端に、一度は治まった緊張が再び彼女の心を苛んでいた。

聞こえるのは今にも破裂しそうな自分の心音と、遮蔽版の向こうに居る10人の息遣い。

 

 

まだか。

 

 

頬を伝って落ちる汗が、嫌に不快に感じる。

 

 

まだか。

 

 

張り裂けそうになる心臓が、今もなお激しく自己主張する。

 

 

まだか。

 

 

ゲートが開くこの数秒が、永遠に引き延ばされているように感じる。

 

(……あれ?ウチ、何でこないな狭いトコに……?)

 

自失した意識が、ここに立つ意味さえも忘却させた。

 

 

 

刹那――

 

ガシャンと派手な音と共に、戦いの火蓋が切って落とされる。

 

 

意識は完全にトんでいた。

思わず駆け出したのは、ゲートが開いた音に身体が反応したからだ。

それが、結果的にはそれなりに良いスタートとなった。

 

(――っ、せや、何を惚けとるんや!レースやぞ!

魂口から出さんと、気張らんかいタマモクロス!)

 

緊張のあまり呆けていた頭に喝を入れ、回転を始めた脚に力を込める。

そのまま徐々に加速し、他の走者に先んじてハナに立った。

 

先頭を征くアドバンテージとして、邪魔されることなく悠々とコースの中央付近から内目にコースを取って進んで行く。

 

だがそれを見た他の出走者が負けじと進出を始める。

彼女の更に内側からひとり、逃すものかと言わんばかりに並んできた。

 

(――っ、このっ――!)

 

落ち着いて考えれば、序盤のちょっとした駆け引き――ハナを切る小さな芦毛の出方を窺うための、挨拶代わりのちょっかい。

だが既に冷静さを欠いていたタマモクロスは、その安い挑発にまんまと乗ってしまう。確保したポジションを譲るものかと、後先考えずに脚を使って競り合う。

 

術中に嵌って完全に掛かり気味のタマモクロスと、並走するウマ娘の後を追うように、後続も付かず離れずの距離をキープしたまま追走する。

2バ身半差にひとり、その半バ身差でもうひとり。更に1バ身半差でふたりが虎視眈々と機を窺いながら走っている。

ここまでが先頭集団。残りの5人は、スパートで千切られない距離を見極めながらゆったりとしたペースで追いかける。

 

ムキになってオーバーペースで進むタマモクロスは、レース前に受けたトレーナーからの指示を完全に失念していた。

 

『周りを良く見ること。

無理なペースでは走らず、自分のタイミングで仕掛けること。

作戦はどれでも構わないが、ハナだけは切らないようにすること』

 

ものの見事にそれらを全て無視した彼女は、とにかく必死だった。

誰の背中も見るわけにはいかないと、形振り構わずにエンジンを噴かす。

この日のために身に付けた理屈や理論など、思い返す余裕すら無くがむしゃらに駆けている。

 

やや縦長となった集団は、そのままの順位を維持しつつ第1コーナーを抜けて向正面へと入る。

単独先頭に立っているのは変わらずタマモクロスで、2バ身半のリードを保ったまま疾駆している。先ほどまで彼女とやり合っていたウマ娘は、無理な競り合いを避けて2番手へと後退した。

 

1バ身差で3番手、半バ身差で4番手。更にその半バ身半差で5番手がやや抑えながらも気迫を込めた表情で追走。突出した開きは出ないまま、お互いに腹を探り合うレースが続いている。

 

向正面の中間を越えた辺りで、ハナを進むタマモクロスのリードは1バ身半まで縮まってきていた。

背中越しに感じる睨みつけるような視線。冷や水を浴びせられるような心地。

そこで初めて、彼女は自分自身が無茶な走り方をしていたことを自覚する。

 

(っ、やってもうた!あれだけトレーナーに口酸っぱく言われとったんに――っ!)

 

まだ3分の1も残っているにもかかわらず、スパートの一歩手前のギアで走り続けた脚は早くも悲鳴を上げつつある。疲労や息苦しさとは別種の怖気が、肚の内側から湧き上がる。

雑念を振り払うように額の汗を手の甲で乱暴に拭い、重くなってきた脚に鞭を入れる。

 

ラップタイムを見てみても、彼女はやや速いペースでレースを引っ張っている。気合を入れ直して走るタマモクロスのリードは一時的に2バ身差に広がっていたが、第3コーナーで序盤彼女と競り合っていたウマ娘が再び上がってきた。ジリジリと差を詰めるように加速し、1バ身差まで迫ってきている。

 

残り600m。2番手と1バ身半差の3番手は早めの展開に後退加減で、これを4番手が外から躱して一気呵成に差を詰めにかかる。その後ろは2バ身差で、5番手が飛ばしながら猛然と追い上げの態勢。

 

誰もが歯を食いしばって、前を向く。

必死に脚を回す。身体を前へと傾けて進む。

 

 

タマモクロスだけではない。

今日は、この11人にとってのデビュー戦でもあるのだ。

勝利を渇望しているのは、彼女以外の10人全員も同じ。

抱える想いは違えど、ターフの上ではそんなものは関係ない。

何も彼女だけが特別ではないのだ。

 

 

火花散らす集団が、第4コーナーに差し掛かる。内側を懸命に走り、先頭を未だにキープしているタマモクロスに外から3/4バ身差に迫ってくる影があった。その1バ身差で3番手が先頭の芦毛を射程圏内に捉える。スタート直後にタマモクロスと競り合ったウマ娘は、スタミナ管理を誤ったのか余力なさそうに1バ身半後ろの4番手に後退している。

先頭から5バ身ほど離れている後方グループも、着かず離れずといった距離をキープしながら足を溜めている。

応援席から見える光景だけを見れば、タマモクロスは軽快に逃げを打っているように思える。

しかし序盤の無理な叩き合いに付き合った結果、大きく体力を消耗してしまっている。ここから粘り腰を見せる余力は残っているのだろうか。

 

そして第4コーナーを抜けて直線に向くと、後ろに居る全員の雰囲気が変わった。

チリチリと身を焦がすような敵意から、冷たく貫かれるような殺意へと。

 

ドンとくぐもった破裂音と共に、いくつもの気配が自分を獲りに来る感覚――

 

(気張れ!何としてもここで踏ん張るんや!)

 

迫りくる複数の影に追い立てられるように、脱兎の如く駆ける。

しかし、理性を欠いた暴走によって、彼女は既にガス欠だった。

 

 

「――お先に」

 

「じゃあね!」

 

 

「なっ――!?」

 

 

最終盤の競り合いで、タマモクロスはあっけないほど粘れなかった。

残り300mの地点で、あっという間に後方に控えていた2人に抜き去られてしまう。

 

(嫌や――こんな――)

 

思わず、その背中に手を伸ばす。

 

ダメや。その場所はウチのモンや。

そんな言葉が脳裏を過ぎる。

 

でも、自分の身体は言う事を聞いてくれない。

どんどんと小さくなる後ろ姿。

頭から伸びる赤と青の帯を大きく靡かせて、必死に追いすがる。

 

(勝たなアカンのに――1着にならな、アカンのに……っ)

 

残り1ハロンでは、3番手に後退したタマモクロスは既に2バ身半遅れてしまっていた。スタミナが切れたことによってフォームを維持できず、取り返しがつかない程の完全な失速状態となった。

 

更に残り150m地点、1バ身半後ろの4番手が盛り返してきた。序盤でフッかけてきた、例のウマ娘だ。

今度は並ばれることもなく躱され、タマモクロスは4番手と更に後退。

完全に止まってしまった彼女を追い打つように、更に2人に抜かれる。

 

「――」

 

言葉にならない叫び。

もういい。早く終わってくれ。

再び真っ白になる頭。ただ何も考えず、力の入らない脚で前に進む。

 

そうしてゴール板の前を駆け抜けた時、既に6()()()()走者が彼女の前で脚を止めていた。

 

 

 

□ ■ □ ■

 

 

 

11人中の7着。

後ろから数えた方が早い、誰が見てもわかる惨敗だった。

 

 

1着になったウマ娘は、堅実な先行策を見事に完遂し、最後は2バ身半突き抜けての完勝だった。

涙を浮かべて喜ぶ勝者と、その周りで健闘を称え合う入着者達。

 

それをやや遠くから眺め、悔しそうに拳を握る掲示板を外した者達。

 

 

タマモクロスはそのどれにも属さず、上を見上げて呆然と立ち止まっていた。

 

「……」

 

時間にすれば、たった2分と少々の出来事。

本当に終わったのか?

混乱する頭が、この状況を理解することを拒んでいる。

滂沱のように落ちる汗を拭おうともせず、じっと掲示板を見つめている。

 

 

「――マ」

 

 

こんなに必死に走ったのに、なぜ自分(ウチ)の番号が載っていないのか。

 

 

「――い、――マ!」

 

 

夢か?きっとそうだ。

このひと月、死に物狂いでやってきたんだ。こんな結果になるはずがない。

 

 

「――おい!タマ!しっかりしろ!」

 

「――っ!?」

 

 

身体を揺さぶられ、意識がどこかから戻ってくる。

 

 

「トレーナー……」

 

 

「っ、無事か!?怪我は?どこか痛むトコロは!?」

 

 

両肩を掴み、今までになく真剣な表情で彼女に問いかける。

 

……なんでこないに必死なんや?

あぁ、そういやウチをトレセンに誘ってくれた時もこないなカオしとったなと、心の中で微笑みながら首を横に振る。

 

 

「トレーナー……レースは?」

 

大原は一瞬驚いたような顔になったが、すぐにしかめっ面を浮かべた。

 

「……タマ、レースは終わったんだ」

 

 

「……え?」

 

 

「お前はよくやった。最後までよく頑張ったな」

 

 

何を言ってるんだろうか。

 

 

「全力で走ると、脳内物質の過剰分泌や酸素の欠乏とかで頭がハイになって、一時的に記憶が飛んだりすることがあるらしい。

今のお前はソレだ。控室で汗を拭って、水分をしっかり取ってから俺のところに来るように」

 

 

トレーナーが何か小難しいことを言っている。よく分からない。

レースはどうなったのか?終わったのか?今からなのか?

 

……なぁ、アンタはなんでそないな悲しそうなカオをしとるんや?

 

 

「……タマ。

()()()()()()、俺達は」

 

 

肩から手を放し、じゃあまた後でなと離れていく。

言葉の意味が理解できず、二の句が継げなかった。

 

 

快晴だった空を、南風が連れて来た雲が半分ほど覆い隠した。

大きな影が、自分の脚元まで伸びてくる。

 

 

タマモクロスが現実を受け入れられるようになるまでに、もう少しだけ時間がかかった。

 

 

 

■ □ ■ □

 

 

 

 

「……済まなかった」

 

「……」

 

 

阪神レース場からタクシーで新神戸駅へと移動し、そこから新幹線で都内へと戻る復路。

それまでずっと黙っていたトレーナーが、唐突にぽつりとそう零した。

 

 

まばらに人が座っているがらんとした新幹線の中。

向かい合うような形で腰かけていた大原は、目の前のウマ娘へと深く頭を下げた。

 

 

「……なんでアンタが謝っとんねん。

詫び入れるんは、何も考えんと暴走したウチの方やろ」

 

 

肘掛けに頬杖を突きながら、バツが悪そうに窓の方を向いている。

彼女の目元は、何かを擦ったような赤い跡がうっすらと残っていた。

 

 

「……いや、初めてのレースに加えて、模擬レースも出来てない明らかな実践形式の練習不足。食欲の不振から来る体重の減り。

慣れない環境で受けるストレス。

俺がもっと管理できていれば全て解決できた問題だ。

 

今日タマが勝てなかったのは、俺の責任だ。本当に申し訳ない」

 

 

「……やめてくれや……別にアタマ下げさせたいワケやないねん……」

 

 

手でも付きそうな自分のトレーナーの様子に、嫌悪の色を浮かべた。

頭を上げた大原に、タマモクロスは今日の感想を述べる。

 

「……気付いたら終わっとった。

ゲートに入って、開いて、気が付いたら終わっとった。

 

未だに夢でも見とったんちゃうかって。

でも、ソレがアカンかった。

 

アンタが言った『頭は冷静』にってヤツ。いっこも守らんかった。

緊張で頭ン中真っ白になってもうて、気が付いたらほぼ全力で飛ばしとった。

 

ウチがビビりやったさかい、こないなしょーもないレースしてもうた。

 

アンタだけの責任やない。ウチかて同罪や」

 

ホンマにスマンかったと、彼がやったそれと同じように頭を下げる。

 

「……」

 

「……」

 

しばらくの間、沈黙が流れた。

 

大原は駅の売店で買ったコーヒーを、タマモクロスは彼に渡されたスポーツドリンクを静かに飲む。

 

高速で流れていく景色を横目に、お互いに何を話すべきか考えあぐねていた。

 

 

「……なぁ、トレーナー」

 

「なんだ」

 

 

すっかり意気消沈してしまった様子の彼女に、できるだけ優しい声音で返事をする。

 

 

「ウチ、次は勝てるかな」

 

 

「――任せておけ」

 

 

勝てるとも負けるとも言わず、彼はそう答えた。

結果こそ振るわなかったが、本物のレースを経験したという事実は何よりの財産となる。

 

それに今日の彼女の走りには、良い発見も沢山あった。

明日からはそれを研究しつつ、()()()()()を試す算段を既に彼はつけている。

 

 

「俺が必ず、お前を1着にしてみせる」

 

 

自分にも言い聞かせるように、呟く。

それを聞いていたタマモクロスが、スンと鼻を小さく鳴らした。

 

 

『レースに絶対は無い』

 

 

その言葉が、彼の胸に大きく圧し掛かっていた。

 

 




この場をお借りして、突然のお願いにも関わらず参照を快諾してくださった「CROSS&C.B.」管理者 びんたま様に改めてお礼申し上げます。

本当にありがとうございます。
これからも、タマモクロス号の軌跡を広める一助となるべく更新に励んで参ります。


あと私もtwitterしてますので、良かったら覗いてやってください。
大したことは呟いておりませんが、更新や進捗などを報告しようと思っております。

ID:@ayaka_nizi


参考サイト様:http://ovi.la.coocan.jp/index.htm
※多分にネタバレを含むため、閲覧は自己責任でお願いいたします

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